あの空の彼方には
「そろそろ綿花草の季節ですね」
薬草を天日干しにしていたレティが、ふと思い出したように口にした。
綿花草とは、タンポポによく似た丈の短い花で、綿毛によく似た花をつける。綿毛よりもモコモコしていて、綿花よりはふわふわしている。触ると羊の毛に似ている事から、羊草とも呼ばれる。
この季節がやってくると、森が一気に秋めいてくるのだ。
「うちの領地ではほとんど見られなかったけど、今年は綿花が咲き始めているみたいだよ。せっかくだから、見に行ってみようか」
それを手伝っていたウィルが答える。レティは笑顔で頷いた。
「はい!」
「でも食えねーぞ、あれ。大丈夫か?」
「ルカさま、私は何も食べることしか考えていないわけではないのですが……?」
いつも思うが、彼にとって自分の位置付けとは一体。
「そうだな、飲むことも考えてる」
「ほぼ同じ意味ですが!?」
「眠ることも考えてるよね。健康的でいいと思うよ」
「ウ、ウィルさままで……」
心外といった顔だったが、大枠では間違っていない。レティは食べる事も飲む事も、もちろん眠る事も大好きだ。
綿花草の花言葉は、愛する家族。
それを家族、もしくはこれから家族になりたい相手と眺め、綿花を風に飛ばす。
どんなに離れても心はひとつという意味であり、旅立つ先でも家族は一緒という意味にも例えられる。レティも昔した事があった。
「パメラがね、一緒にしてくれたんですよ」
両親がいなくなり、そういった行事とは無縁になったレティに、パメラが声をかけてくれたのだ。
小さな手に綿花草を握りしめ、「ねえさまとごいっしょするのですわ」と、輝くような笑みを浮かべて。
少しくたりとした茎を受け取ると、ほんのり体温が残っていた。
もう何年も前になる、遠い話。
その後、レティが忙しくなってしまったせいで、なかなか一緒に綿花を飛ばす機会はなかった。パメラも無理はさせられないと思ったのか、それっきりになっていた。
「……もう一回、やってみたいですねえ」
ふと漏れた呟きに、男二人は顔を見合わせた。
「やればいいじゃねーか。グレーデに行くか?」
「そういうわけには……。パメラが家族と離れ離れで暮らすことになったのも、元はと言えば私が原因なわけですし。さすがに無神経ですよ」
「彼女はそう思っていないと思うけど、確かに。気を遣わせたら悪いかな」
むしろよくやったと言いそうだが、ウィルはその言葉を呑み込んだ。
「お前……食い物以外のことも考えられるのか」
偉い偉いと頭をかいぐり回される。レティが失礼な! といった顔になる。
「いつも思いますが、ルカさまは私のことをどう思ってらっしゃるんですか?」
「そのまんまだと思ってるぞ。そして割と正しい認識だと思ってる」
「多分絶対褒めてない!」
「わざわざ言葉にするとだな、犬にしては賢いが、人間にしてはちょっと残念な部類だと思ってる」
「言葉に遠慮がなさすぎます!」
「お前相手に遠慮しても仕方ねーだろうが。ほら、飴食うか?」
「そんなのでごまかされるとは……い、いただきます」
「食うのかよ」
呆れたルカには構わず、レティが遠慮なく飴を受け取る。もぐもぐと幸せそうな横顔を眺め、ウィルは何事か考え込んだ。
「ウィル、何してるんだ?」
「うん、ちょっと」
手元の地図と日付表を眺め、何やら指先で辿った後、ウィルは小さく頷いた。
***
ウィルに誘われたのは、それから数日後の事だった。
「お出かけなんて久々ですね。いい天気でよかったです」
「レティと一緒なら雨でも楽しいと思うけど、今日に限っては同感かな」
「天気が関係あるんですか?」
首をかしげると、ウィルは微笑んではぐらかした。
「それに関しては、ついてからのお楽しみ。――ところでルカ、風向きはどう?」
「まあまあだな。これならいける」
足元の草をちぎって飛ばし、風の方向を確かめている。もちろんというかなんというか、お出かけにはルカも参加している。今日の遠出に、風向きが関係あるのだろうか。
レティ達が訪れていたのは、屋敷から少し離れた丘の上だった。
景色が綺麗で眺めもいいが、それほど足は向けない場所だ。周囲に何もないせいもあるが、行くまでの道のりが長いのだ。
それでも、久々の外出は気持ちよく、レティもすっかり楽しんでいた。
「着いたよ」
ようやく一行が足を止めたのは、丘の一番高い場所だった。
「わぁ……!」
現れた景色に、レティが顔を輝かせる。
周囲に視界を遮るものはなく、遠くの森までよく見える。今日は空も澄み渡り、爽やかな風が吹いていた。
それだけでも素晴らしかったのだが、足元を見て、と言われて目を向けると、その目がもっと見開いた。
「綿花草……!」
足首ほどの高さの白い綿毛が、小さく風に揺れていた。
「他の場所ではまだだけど、この辺りはそろそろなんだ。レティさえよかったら、一緒に見ようと思って」
「ありがとうございます、ウィルさま!」
「ちなみに調査したのは俺だからな。俺にも感謝しろ、感謝」
「大感謝です、ルカさま!」
ドレスのまま膝をつき、小さな花を眺める。ふわふわの綿毛が風になびき、なんとも言えず可愛らしい。
「すごくすごく嬉しいです。ありがとうございます、お二人とも」
「どういたしまして、レティ」
「気にすんな、チビ」
それぞれ頷きながらも、二人は何か別の事に気を取られているようだ。それに気づき、レティははて、と首をかしげた。
(何をしていらっしゃるのか……何かを、確かめているような……?)
そういえば、先ほどは天気を気にしていた。
確かに遠出なら晴れた方がいいけれど、そういうのとは違う気がする。
あっちか、いやこっちかと言いながら、何かを待っているようだ。
(あれ、そういえば……)
――確か、風についても言っていたような。
何か思い出しかけたところで、「よし」とウィルが呟いた。
「そろそろだな。レティ、おいで」
「え……?」
「いいからこっちだ、チビっ子」
左右から手を取られ、軽々と起こされる。そのままもう少し離れた場所に連れて行かれ、何事かと思った時だった。
――風が、吹いた。
「わぁ……!!」
そよ風に揺れていた綿花草が、一斉に綿毛を飛ばし始めた。それはまるで、羽の生えた妖精が地面から飛び立っていくような、真っ白な綿雪が空に舞い上がっていくような、それは見事な光景だった。
「すごい、綺麗です……」
綿毛が次々に風に乗り、大空へと舞い上がる。
風向きのせいか、みんな森へ向かって飛んで行く。綿毛が頬をかすめると、ウィルがちょっと笑って手を伸ばした。
「髪にもついてるよ、レティ」
「こっちにもついてるぞ」
左右から綿毛をつままれて、レティが首をすくめる。
「――ねえ、レティ。あそこにある木が見える?」
唐突にウィルに問われ、レティは彼が見つめる方角に目をやった。
あっちにあるのは幹枯らしの森だ。今はずいぶん緑も戻り、森全体が青々としている。レティが最初に通ってきたのもあの森で、実は遭難しかけていた。北と東をぐるりと囲う大きな森で、その向こう側は分からない。
ひときわ目立つ大きな木が一本、にょきっと森の中に突き出ていた。
「グルゼアの木……でしょうか? あんなに見事なのは珍しいですね」
グルゼアとは、樅の木と杉の木を足して二で割ったような針葉樹だ。幹がまっすぐに伸びていて、濃い緑の葉をつける。大きいものではそれ一本で橋がかけられるほどだというから、その迫力たるや、ものすごい。
「あれはね、幹枯らしの森の目印なんだ。レティはどっちも夜に通ったから知らないだろうけど」
「目印、ですか?」
「うん、目印だ」
綿毛は次々にそちらの方へ、風に乗って飛んで行く。
あっちの、とウィルが指を差した。
「あの先にはね、グレーデがあるんだ」
「え……」
「綿毛は風に乗って、いつかグレーデに芽吹くかもしれない。今日の風は勢いがいいから、きっといくつかは無事に届くよ」
「だからな、チビ」
そこでルカが口を挟んだ。
「お前がここで見た綿毛を、向こうで従妹も見るんじゃねえのか」
「……!!」
「そうしたら、一緒に綿花を見たことになる。そう思うんだけど、どうかな?」
「……ウィルさま、ルカさま」
「身内相手に、遠慮なんかしてんじゃねーよ」
「離れていても大丈夫だよ、きっと」
ウィルはいつものように微笑み、ルカは決まり悪そうにそっぽを向いている。いつもと同じ光景だ。
でも今は、なぜだか鼻の奥がツンとした。
一通りの風が吹き渡ると、丘はまた静寂に包まれた。
しばらく黙って景色を眺めた後、ウィルが「そろそろ帰ろうか」と口にした。
空は少し日が傾き、柔らかな金色に染まり始めている。
日暮れまでにはたどり着けるだろうが、あまり遅くなるのはまずい。
「ま……待ってください、これ……!」
奇跡的に先ほどの風で飛ばなかった綿花草を摘み取ると、レティは二人に向かって差し出した。
「レティ?」
「チビ?」
二人は不思議そうな顔をしている。意味がよく解らなかったらしい。
「わ、綿花草は、家族と飛ばす草なので……!」
どんなに離れても心はひとつという意味であり、旅立つ先でも家族は一緒という意味でもある。
――そして、もうひとつは。
「これから家族になりたい相手とも、一緒に飛ばす草なので……!」
だから。
目をつぶったまま差し出すと、彼らが身じろぐ気配があった。
以前、ウィルに迎えに来てくれるよう頼んだ事があったが、あれよりはるかにずうずうしい。家族は特別な存在だから、勝手になれるものじゃない。
だけど、それでも。
家族になりたいと願う気持ちは、嘘じゃないと知っている。
身を固くしていると、草を踏む音がした。
顔を上げるより早く、その手が上から包まれた。
「いいよ、レティ」
「仕方ねーな、チビ」
その手を目の高さに上げて、ふうっと息を吹きかける。
背後から吹いてきた風に誘われて、綿毛は空高く舞い上がり、グレーデの方角へと飛んで行った。
最後の一本が視界から消えるまで見送り、ウィルが改めて口を開く。
「じゃあ、今度こそ帰ろうか」
「おう、さっさと戻るぞ。今日の夕飯は豚肉の香草焼きだからな」
「ま、待ってください、お二人とも……!」
慌てて後を追いながら、レティは茎だけになった綿花草を服の脇に挟み込んだ。
ウィルは帰ると口にした。
ルカは今日の夕飯について語っていた。
彼らは気づいているのだろうか。そのどちらも「家族」とする会話だ。
それが嬉しくて、くすぐったくて、なぜだか少し泣きそうになる。
駆けていくレティの背後で、綿花草がやさしく揺れた。
秋の初め、午後のある日の事だった。
**
**
**
綿花草は、来年もまた咲くだろう。
その時はまた、三人で見に来られるといい。
お読みいただきありがとうございます。思い出がまたひとつ増えました。




