真夜中の微熱
ボールドウィン領に戻った翌日の事。
「あれ……。空がなんだかヘンテコですねえ」
夜空を見上げたレティは不思議そうに呟いた。
「そうか? いつもと同じだろ」
「むしろ今日はいつもより星が綺麗に見えるよ。ほら、あんなに光ってる」
回復した病人の様子を確認するため、そろって村へ向かったのだ。終わったころにはとっぷりと日が暮れていて、さすがに疲れたなと思い始めたころだった。
馬から降ろしてもらい、着せてもらっていたマントを脱がされると、妙に足がふらついた。
「ほんとですね……ぐるぐるして……」
「ぐるぐる?」
「おいどうした、チビ?」
「ぐるぐるして……ぐるぐる……星が、まわる……」
ばったりと倒れると、馬の手入れをしていた二人がぎょっとした。
「レティ!?」
「おいチビ、大丈夫か?」
慌てて駆け寄った二人に、レティはほにゃらと笑いかけた。
「なんだか……熱が出てきたみたいです……」
***
そもそも、こうなるのも当然の結果だった。
ここ二日ほど、寝る間も惜しんで薬を作り、空いた時間は森へ向かって薬草を集め、休む間もなくまた調合。そこにきてこの強行軍だ。体は割と丈夫な方だが、精神の方にきていたらしい。自室のベッドに寝かされたまま、レティは眠りに落ちていた。
状況が状況のため、咳流行りである可能性も考慮されたが、症状を診る限りは違うらしい。その事に二人ともほっとした。
「……まったく、驚いたな」
レティを運び込んだウィルが息を吐く。二人とも、コートはすでに脱いでいる。
「まったくだ。びっくりさせやがって」
「そういう時は『心配していた』って言うんだよ」
ウィルが笑って肩をすくめる。ルカは決まり悪そうにそっぽを向いた。
「でも、何事もなくてよかった。レティも――あの子も」
「領民もな。お前の処置が早くて助かった」
「レティのおかげだよ。自分のことは大丈夫だから、領地の人を助けてくれと言われた」
「ちんちくりんのくせに……」
ちらりと目をやった先に、ぐっすりと眠る少女の姿がある。まだ熱はあるが、疲労と軽い風邪のせいらしい。
目を閉じた顔はいつも以上にあどけない。実年齢を知らされた今でも、小さな子に対する扱いをしてしまう。
いや――そうとばかりも言えないが。
「レティの実家を見てきたよ。屋敷は立派だったけど、手入れを怠っているみたいだった。近くに小さな小屋があった。そこがレティのいた場所だろう」
中に入ってみる時間はなかったが、その小屋が見るからにおんぼろで、隙間風が吹き込みそうなのは分かった。
「予想通りというか、それ以上だった。ひどいな、あれは」
「妹の方はどうだった?」
「ああ、それが」
そこでウィルはくすりと笑った。
「なかなか見どころのあるご令嬢だったよ。レティをしっかり者にして、大人っぽくした感じだ」
「最高じゃねーか。なんだその有能なお子様は」
「彼女は家族の仕打ちを許せないみたいだけど、あの年齢で自由には動けない。レティが無事なのを見て、安心したみたいだ」
それに――と意味ありげな顔になる。
「あの子がいれば、グレーデは安泰かもしれないな。何しろ反骨精神がある。レティにはない、報復能力もね」
「……それはもっと最高じゃねーか。詳しく聞かせろ」
悪い大人達の会話は、しばらく続いた。
***
***
目覚めると、外はもう暗かった。
「おや……?」
ここはどこだろう。
ぼんやりしたまま起き上がると、今度は見覚えのある部屋だった。なんだか前にも似たような事があったようなと思っていたら、「起きたのかい?」という声がした。
「まだ夜中だよ。そのまま寝ていて」
「ウィル……さま?」
書類仕事をしていたウィルが、手元の灯りをわずかに絞った。
「私、どうしたんでしょうか……?」
「お見舞いの帰りに倒れたんだよ。交代で付き添って、今は僕の番。事情が事情だから、他の人に看病させるわけにはいかないし。大丈夫とは言われたけど、万が一のこともあるからね」
「ああ……なるほど……」
やはりぼんやりと答えると、ウィルがそっと額に触れた。
「熱は下がってきたかな。でも、まだ少し熱い。冷たいものでも持ってこようか。何か食べる?」
「いえ、お気遣いなく……」
ひんやりした手の心地よさに、レティはほうっと息をついた。
「……ウィルさまの手が気持ちいいです」
「それはよかった。こんなものでよかったら、一晩中でも貸してあげるよ」
「それはさすがに……腕だけちぎったら血まみれですよ」
「え、そんな借り方されるの?」
二人の間に想像力の乖離がある気がしたが、ウィルはそのまま流しておいた。多分、突っ込まない方がいい。
領主にそんな判断をさせているとはつゆ知らず、レティはふたたび横になった。
「……昨日は領地まで連れて行ってくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして。僕の方こそお礼を言うよ。領民を助けてくれてありがとう」
「皆さんご無事だということで、よかったです」
森で再会した時に、ある程度の情報は共有している。せっかくなので自分の馬に乗せようかとウィルが言ったが、ルカが手放さなかったのだ。
今日会った人達も、みんな回復しているようだった。その事に心からほっとした。
多分これは、気が抜けてしまったせいもあると思う。
「ウィルさま……?」
じっと見つめるウィルに、レティが不思議そうな顔になる。
目の前にいるウィルは、いつも通りやさしい表情を浮かべている。
その顔はやっぱりひどく整っている。いつも微笑んでいて、ちょっぴり余裕のある感じ。彼が焦っている顔を見せた事なんて一度もない。ああいや、一度だけあっただろうか。あれは確かつい最近、レティがひとりでグレーデへ向かおうとしていた時で――……。
(あれ、でも)
そこまで焦るような事でもなかったか。
ふと気づくと、ウィルはまだ自分を見つめていた。
首をかしげ、レティはもう一度「ウィルさま?」と呼んでみた。
微笑んで、ウィルは「なんでもない」と首を振った。
「そういえば、マーサが氷菓子を作ってくれたよ。今度はジャムじゃなくて、リンゴの果肉を練り込んである。とろっと甘くて冷たくて、最高においしいそうだよ」
「とろっと……氷菓子、ですか……」
その瞬間、レティの目が輝いた。
「それは、何があっても一口……一口、だけは……っ」
「分かった、持ってくる」
「いえ、自分で――……っ」
立ち上がろうとした額を押さえ、ウィルはにっこりと笑みを浮かべた。
「駄目だよ、レティ」
「で、でも……」
「僕が持ってくるから。君はここで休んでるんだ。いい?」
もしも約束を破ったら、と声を低くする。
「君の目の前で甕いっぱい食べる。僕が、ひとりで、ひと匙残らず」
「う……」
「もちろん一口もあげないよ。食べ切れなかったらルカも呼んで、全部平らげる。サンドラとマーサも呼ぼうかな。そうだ、せっかくだからクレイヴも」
「うう……!」
「ウォルターも呼ぼうか。みんなで氷菓子パーティをしようかな」
「ううう……!」
ウォルターというのは伝令役の青年だ。多分、彼はひとりで甕食いできる。
「ここでおとなしく待っていれば、食べさせてあげるよ」
「……よろしくお願いいたします……」
これ以上逆らうのはやめて、レティは深々と頭を下げた。
***
部屋を出るついでに盥を持っていくと、廊下で背の高い青年と行き合った。
「ルカ、交代」
「……ああ」
「と言いたいところだけど、氷菓子を持ってくるからちょっと待ってて。あ、この水交換しておいてくれるかな。あと汗を拭く布ももっと欲しい。ついでに飲む方の水もよろしく」
「いや待て次は俺の番だよな?」
「でもレティと約束したのは僕なんだよ。君も一緒にいて構わないから、ね?」
可愛く言われ、ルカがぴきりと青筋を立てる。
「ね? じゃねーよこのボケ主人! 病人の部屋に二人もいたら邪魔だろうが。てかお前はいい加減に休め、くつろげ、そして寝ろ!」
「ルカは僕のことを追い出したいのか心配してるのか、ちょっと分かりにくいよね」
「どっちもだ! てかそういう問題じゃねえよ!」
声を荒らげたが、言ってもしょうがないのを思い出したのか、彼ははあっと息を吐いた。
「まあいい。……で、チビの様子は?」
「落ち着いてきたかな。熱もそれほど高くないし、明日には良くなると思う」
「ならよかった。ったく、面倒かけやがって」
ぶっきらぼうな口調だが、彼がものすごく心配していたのは知っている。実際、レティが倒れて誰よりも動揺したのが彼だった。顔には出さなかったつもりだろうが、甘い。彼との付き合いは長いのだ。その無表情を読み取れなければ主ではない。
それはともかく、とウィルは息をついた。
「無理をさせたのは確かなんだ。今は少しでもよく眠って、体力を回復させないと」
「……だな。行ってくる」
ぱん、と手を打ち合わせ、二人は逆方向へと歩き出した。
***
***
ルカが戻ると、レティは目を擦りながら起きていた。
「あれ……ルカさまですか?」
「俺じゃ不満かよ。盥の水換えてきた。あと飲み水と、汗拭く布も」
「それはそれは……どうも、ご迷惑をおかけしまして……」
「まだ本調子じゃねえな。いいから寝てろ、なんで起きてる」
「いえ……私はですね、これからリンゴの氷菓子をいただく予定なのでして……」
「こんな時にも食い意地かよ。心配しなくても、お前の分はちゃんと取っておくから」
「食べてから寝たいわけでして……」
「変なところで強情だな。よし分かった、今すぐ寝たら俺の分もやるから。寝ろ」
それを聞き、レティが目をぱちぱちさせた。
「……どうしよう、ルカさまがやさしい」
「あ?」
「ルカさまがこんなにやさしいなんて……。どう考えてもおかしいです。もしかして、これは夢? だとしたらリンゴの氷菓子も夢? 全部夢?」
「なんか色々と失礼だな。心配しなくても夢じゃねーよ。あと、病人にやさしくすんのは普通のことだし、なんなら義務だ」
いいから寝ろと、少し強引にベッドに寝かせる。本当は眠たかったのか、レティはすぐにうつらうつらし始めた。
寝巻き越しの体が熱い。なんとなく手を離しそびれて、犬をなでるようにする。
「……ルカさまの手は、あったかいですねえ……」
「手?」
「ウィルさまの手は、冷たくて気持ちよかったです……」
「………………」
別に何も思わなかったが、特に何も思わなかったが、本気で何も思っていなかったが――無言でルカは盥の中に手を突っ込んだ。体を拭く用の布を一枚拝借し、乱暴に拭ってから額に当てる。
「ほら、これでいいか」
「……冷たい」
「ご要望の冷たい手だ。堪能しろ」
「いえ別に要求したわけではないですが……」
それでも気持ちよかったのか、ほっと小さな吐息が漏れる。
十六歳という事だが、どうしても十二歳以上には見えない。ものすごく頑張って十三歳だ。大負けに負けてなんとかぎりぎり十四歳、それ以上は難しい。いくらなんでも、女として見るには幼すぎる。
ああいや、化粧とドレスはそれなりだったか。
だがあれは化けているせいなので反則に近い。素顔はやっぱり子供のままだ。
それなのに――放っておけない。
おそらく主もそうだろう。よりにもよって、領主自らが流行病の発生地へ赴くなんて、拳骨一発では済まないほどの大問題だ。場合によっては外交問題(これは問題なく丸め込んだが)、領主としての自覚が足りない。
けれど、彼がここまでの無茶をするのは、割と久しぶりだったのだ。
(元々自分が動きたい奴だと思ってたが……ここ最近は、ちゃんと人を使うようになってたんだよな。それなのに、あれだ)
コートも着ずに夜の森を馬で駆け抜けて、領民に直接果実を食べさせて回り、その足でまた森を駆けた。従者としては許しがたい。眉間のしわはもはや谷だ。やっぱりもう一発くらいぶん殴っておくんだった。
――けれど、まあ。
領主としては最悪だが、男としては悪くない。
従者としては許すわけにいかないが、長年の友人としては許す。もっともそれは、彼がぴんぴんしているからであり、病気が移っていたらただではおかなかった。彼はこの地の領主であり、領民すべてに責任を負っているのだから。
だからこれは、まあ、従者と友人の立場が半々くらいの感想であり、秘密の話だ。
「……早くよくなれよ、チビ。でないとあいつが心配する」
「うぅー……」
半分寝ぼけているレティがうなる。もっと可愛い寝言は言えないのかこいつは。
ぺた、と冷えた手を頬に当てると、レティが気持ちよさそうな顔になった。
それにつられ、ぺた、ぺたと手を当てる。額、首、耳の下。太い血管がある場所を冷やすと効果があるが、腋の下は無理だろう。いくら犬に似ていても、分類は人間だし、性別は女だ。手が温くなってきたのでもう一度冷やし、ふたたび額に手を当てる。
触れた肌はやっぱり熱い。可哀想にと思うついでに、代わってやれたらなんて思ってしまった。そんな自分にちょっと戸惑う。なんだこの発想は。迂闊にもほどがある。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回しながら、目を閉じたレティの顔を見る。
どう見ても子供にしか見えないこの少女が、あんな奇跡を起こし、人々の命を救ったなど、今でもまだ信じられない。
だが、彼女のおかげで大勢の人が助かったのも事実なのだ。
「お疲れさん。本当によくやったよ、お前は」
「う……?」
「いいから寝てろ、チビ。……。……。…………。レティ」
「うぉ……?」
「女の発する寝言じゃねえな」
くっと喉の奥で笑い、ルカはレティの髪をなでて立ち上がった。
乱れた毛布を直し、足音を殺して部屋を出る。
外に出ると、ちょうど氷菓子を持ってきたらしいウィルがやってきた。
「残念だったな、時間切れだ」
「なるほど、寝たか」
仕方ないと、ウィルがちょっと肩をすくめる。
「じゃあこれは僕達でいただこうか。好きだろ、ルカも?」
「いや、明日チビにやる約束しちまった。ついでにお前の分も足しといた」
「なるほど。だったら諦めよう」
真面目くさった顔で答えた主が小さく笑う。その顔のまま、彼はこちらに目を向けた。
「なら僕達は、溜まりに溜まった仕事を肴に、昨日の出来事でも語り合おうか?」
「それを肴にできるお前の神経がちょっと嫌だな俺は」
「まあまあ。この先の計画も話し合いたいし、二人の方が仕事が捗る。そうだろう?」
「違いない」
頷くと、彼らはレティの部屋に目をやった。
今ごろは夢の中だろう。せめて今日くらいは休んでほしい。
芽を出した若木の事も、奇跡を起こした果実の事も、すべては目を覚ました後の話だ。
「そういえば、森が光っていたんだって?」
「朝露のせいじゃねーのか。キラキラしてたぞ」
ひそやかに会話を交わしながら、彼らは部屋に戻っていく。
その前に、氷菓子を冷室に戻しておくのは忘れなかった。
――レティが目を覚まし、氷菓子を口にできるのは、もう少し後のお話。
お読みいただきありがとうございます。甘めの展開のはずが、あやうくスプラッタに。あと、ルカは病人に限らず割とやさしい性格です(二人とも、孫娘を取り合うおじいちゃんのようになっている)。
※時事系列で言うと「おまけのことではありますが」と「そのころの彼女達は 5」の間くらいのお話です。ルカが見たドレス姿は、マロリー達が屋敷にやってきた時のものとなります。




