さあ、断罪の時間です‐5
***
「……は?」
彼らがぽかんとした顔になった。
「ですから、大樹に決めてもらうのです。緑の乙女が大樹と深いかかわりを持つなら、妥当な試みでしょう。それとも、何か問題でも?」
「い……いえ」
反射的に首を振ったが、ヒルダの顔は蒼白だった。
この大樹がヒルダを嫌っているのは明らかだ。母親のマロリーや、父親である男爵も。
妹のパメラだけは例外だが、あの子はここにいない。いたら、なんとしてでも押しつけるのに!
歯噛みしたくなったが、パメラを遠ざけていたのは自分達だ。今日も余計な事を言われると思い、部屋にいるよう言いつけてある。こんな事なら、近くに待機させておけばよかった。
(……だけど、まだ望みはあるわ)
枯れ大樹の木は今にも枯れかけ、本当に朽ち果てようとしている。
今なら、ヒルダを攻撃する力もないかもしれない。
「――では、ヒルダ嬢。大樹の方へ」
ヒルダはこくりと頷いた。ぎくしゃくした足取りで歩み寄る。
いつもなら枝が落ちるはずの距離でも、大樹は反応しなかった。
思った通り、この木に以前のような力はない。
もう少し近づいても、何の反応もない。
さらに近づき、ヒルダは大樹の正面に立った。
近くで見ると、大樹は思った以上に大きかった。
じろじろと眺めても、やはり何も起こらない。完全に動きを止めている。
(やった……勝ったわ!)
喜びに目を輝かせたのも束の間、「……何も起こらないな」という声が聞こえた。ヒルダはきっとそちらをにらむ。
「起こらなくて当然ですわ。先ほど申し上げた通り、この木は死にかけているのです。わたくしが慈しんでいたから、ここまで長く保ったのですわ」
ふふんと顎を上げ、勝ち誇った顔で彼らを見る。
「これで納得していただけまして? もし大樹がわたくしを認めないなら、なんらかの行動を起こしたでしょう。それをしないということは、わたくしを認めているということです」
「……確かに」
老人が納得したように頷く。それに勢いづいてヒルダは言った。
「本物の緑の乙女はわたくしですわ。枯れ大樹の主人もわたくし。違うというなら、わたくしを拒めばいいのです。そうでしょう?」
挑戦的に木を見上げたが、何も起こらない。
とうとう力が尽きたのだ。いい気味だ。せいせいした。
さんざん世話を焼かせてくれたが、最後はあっけないものだ。
ようやくこの大樹から解放される。これで証拠はなくなった。ヒルダを追い詰めるものはない。
(やったわ……)
にんまりと笑みを浮かべ、ヒルダは気取った口調で言った。
「でも、それももうおしまい。いい機会ですから、ひと思いに切り倒してしまわなければ」
「なっ……」
レティが何か言いかけたが、慌てて口を押さえる。
けれど、その目はこちらを見つめていた。
必死な目が忌々しい。自分よりずっと高価なドレスも、化粧もしていないのに透き通るような肌も、磨いたら意外なほどに美しかった、その外見も。
何もかもが気に食わない。そもそも、伯爵のところにいたなんて予想外だった。
――でも、勝つのは自分だ。
「いっそのこと、火をつけるのも手ですわね。緑の乙女であるわたくしの手によって葬られれば、大樹も嬉しく思うでしょう。ほら、もう、枯れている――」
何気なく、大樹の表面に触れた時だった。
ぼろっと、表面が剥がれた。
「!!」
一瞬ぎくりとしたものの、枯れ木なら十分にあり得る事だ。
動揺を無理やり抑え込み、ヒルダはほほほ、と笑みを浮かべた。
「ね? この通り、この木はもう――」
言い終えるより早く、ざわりと大樹がうごめいた。
ざわざわ、ざわざわと枝が揺れる。
不穏な気配に、ヒルダが思わず手を離した。
枝同士が擦れ合い、耳障りな音を立てている。上から幹のかけらが降ってきて、ヒルダは「きゃっ」と身を引いた。
それはまるで、静かな怒りを表しているようだった。
不快な人間に触れられる事への拒否反応と、勝手な事を言う相手への、純粋な怒りだ。
「な……何? なんなのよ?」
ばらり、とまた木のかけらが落ちる。
それはヒルダの上にだけ、狙ったように降り注ぐ。前に逃げても、後ろに逃げても、頭をかばっても逃げられない。
ブウン、という音が聞こえたのはその時だった。
大きなハチが現れて、ヒルダの事を追いかけ回す。
「やだ、やめてよ! 何よこれ、この死にぞこないのバカ大樹、もう力がないんじゃなかったの!?」
盛大な自爆をかましつつ、ヒルダがあちこち逃げ惑う。止めようとしたマロリーも別のハチに追い回されて、現場はちょっとしたパニックになった。
「レティ、レティ、やめさせてよ! あんたが仕組んでるんでしょう? この貧乏人、恩知らず!」
「こんなことなら、もっと早くに追い出しておくんだった! お前のせいで全部台無しよ、このみなしごがっ……」
彼女達の罵倒を、レティはほとんど聞いていなかった。
――約束だよ。何があろうと、その時が来るまで待っていて。
ウィルにそう言われた理由が、今なら分かる。
大樹をこの目で見た時、レティは叫び出しそうだったのだ。
あの枝と同じように、表面が白くひび割れている。
なんとか踏みとどまれたのは、ウィルとの約束があったからだ。一緒に持ってきていた枯れ枝のかけらも心を落ち着けてくれた。
(……それに、大樹さまも)
レティが見上げた時、やさしい気配を感じた。
大丈夫だから心配するなと、囁きかけてくれたようだった。
それがあったから我慢できた。
――でも、今は。
「この……っ、枯れ木のくせに!」
ヒルダが近くの小石を投げる。
マロリーは木を蹴りつけた。同時にまたかけらが落ち、マロリーの腰を直撃する。
「痛い! このっ……!」
「お父さま、この木を切って!」
ヒルダが金切り声で叫ぶ。
「だ、だが」
「さっさと切り倒してしまってよ! こんな厄介な木、ここにあるだけで目障りだわ!」
二人の化粧は汗と鼻水でどろどろに落ち、隠していた素肌があらわになった。
ヒルダのそばかすは顔一面に散らばり、マロリーの肌は小じわだらけだ。その顔のまま、彼女達は口汚くののしっている。
それを見たフォンドア子爵が、無表情のまま固まった。
「すげえな、化粧の力って」
ルカが感心した顔で呟いた。
「女性の容姿をあれこれ言うのは失礼だよ、ルカ」
ウィルが柔らかくたしなめる。
「それも家訓か?」
「ただの礼儀」
今度は大量の毛虫にまみれ、ヒルダが悲鳴を上げている。あの枯れ枝のどこに隠れていたのか、芋虫もついでに落ちてくる。
その時、「見ろ」という声がした。
「大樹が……崩れていく」
見ると、確かに枯れ大樹は音を立て、少しずつ崩れ始めていた。
――お前たちに触れられるくらいなら、枯れた方がましだ。
そんな声が聞こえた気がした。
「離れろ、危ない!」
みんなが急いで離れる中、足を踏み出した人物がいた。
迷いなく、枯れ大樹に向かって歩き出す。
止めようとした子爵に、ウィルがそっと首を振った。
「いいんです、あのままで」
「しかし、あれでは……」
「心配ない。そのままにしてやってくれ、子爵」
ルカのよそ行きの仮面が剥がれていたが、子爵は気づかないようだった。
彼らのやり取りを背後に、レティは大樹に歩み寄った。
やはり表面は変色し、ほとんど枯れかけていたものの、それでも本物の大樹だった。
会うのは本当に久々だ。膝をつくのも惜しく、レティは大樹を抱きしめた。
「……会いたかった」
ずっとずっと会いたかった。
ただいま――。
その時だった。
崩れかけていた大樹が動きを止めた。
さわり、と木が揺れる。
さわさわ、さらさらと、かすかな音が重なっていく。
先ほどとは違い、不快なものではない。むしろ不思議な音楽のように聞こえた。
音はさらに重なっていき、澄んだ音が響き合う。
周囲も固唾をのんで見守っている。
次の瞬間、大樹が白く輝いた。
「え……!?」
変色した表面がひび割れて、どんどん亀裂を増していく。だというのに、その内側から輝きが生まれ、次から次へとあふれてくるのだ。
光はさらにその強さを増し、目を開けていられないほどまばゆく輝いて――
――レティの上に、白い花が降り注いだ。
「え……?」
呆然と、降ってくる花びらを見上げる。
枯れた枝を落とす代わりに、白い花が舞い落ちる。大樹のかけらが花に変わり、次から次へと降ってくるのだ。それに合わせて、きらきらした光が降り注ぐ。
いつの間にか、大樹は白い花を一面につけ、鮮やかに咲き誇っていた。
「これは……」
差し出したレティの手のひらに、花びらが落ちる。
白いドレスを着て、光の粒を浴び、いっぱいの花びらをまといつかせながらたたずむ少女は、まさに女神のように見えた。
「……緑の乙女だ……」
フォンドア子爵が呆然と呟いた。
花びらとともに、少しずつ大樹が崩れていく。地面に落ちた花は風に吹かれ、空気に混じって消えていく。いつの間にか大樹はずいぶん小さくなって、ほとんど形をなくしてしまった。
今ではレティの目の高さほどしかない。
それに気づき、レティははっと目を見張った。
「駄目! まだ――……」
また失うなんて嫌だ。
そう思った時、小さく息を呑む。
ほとんど崩れかけた木の表面が剥がれ落ち、中から――新しい幹が現れたのだ。
生まれた大樹――正確には若木だが――は、つやつやした色をたたえていた。
幹から枝が伸び、音を立てて成長していく。背丈はそれほど変わらないが、見る間に葉を茂らせて、しなやかな枝を覆っていく。深い緑ではなく、ウィルの瞳のような若葉の色だ。
その木につぼみがつき、ひとつ、またひとつと白い花を咲かせる。
呆然とするレティの背後で、「お見事」という声がした。
「五十年以上も前に見た光景そのものだ。久しぶりだね、お嬢さん」
「え……?」
「覚えていないかい? 地力溜まりの話をしただろう」
杖をついた老人に、レティは「あっ」と声を上げた。
「腰痛のおじいさん!」
にこにこ笑う顔は、確かに見覚えのあるものだった。
「お嬢さんのおかげで、ずいぶん楽になったんだよ。本当にありがとう」
「それはよかったですね。私も嬉しいです!」
でも、あれ、と首をかしげる。
「今日はなんだか、服装が違っているような……」
「おや、気づいていなかったのかい?」
やってきたルカが小声で耳打ちした。
「――先々代のフォンドア卿だ。今でも影の実力者で、逆らえない公爵もいるって話だ。粗相がないように気をつけろよ」
「……ええー……!?」
「というかお前、ずっと近くにいただろうが」
なぜ気づかないと、ルカは呆れた顔だ。
「だ、だだだって、ちょうどお顔が見えなかったんですよ!」
「場合によっちゃ非礼で外交問題だな」
「申し訳ございません……っ」
土下座する勢いのレティに、老人は笑って首を振った。
「いいんだよ。嘘をついて申し訳なかったね、お嬢さん」
「いえ、それは別に」
「また会えて嬉しかったよ。そうそう、腰痛の薬を注文してもいいかい? 今度はちゃんとお金を払わせてくれないか。前の分も含めてね」
いたずらっぽく笑われて、レティもほっと笑みを浮かべた。
「……はい!」
フォンドア子爵はまだ呆然としている。
だが、横にウィルが立った事に気づいて目を向けた。
「――どちらが本物かは、これで明らかになったようですね」
「……ああ……」
「あとは子爵にお任せします」
その言葉に無言で頷き、ヒルダ達を振り返る。
彼らも動きを止めていたが、子爵に見つめられて我に返った。
「先ほども伝えたように、婚約の件は撤回する。不服があるなら申し立ててもらいたい。全面的に相手をする」
「し、子爵さま……!」
「――それと、このことは国王にも伝えておく」
それを聞き、三人がその場にへたり込んだ。
若木が風に吹かれ、涼やかな音を立てていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。あと一話です。よろしければお付き合いください。




