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根絶やし伯爵と枯れ枝令嬢  作者: 片山絢森
根絶やし伯爵と緑の令嬢

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44/93

さあ、断罪の時間です‐5



    ***



「……は?」

 彼らがぽかんとした顔になった。


「ですから、大樹に決めてもらうのです。緑の乙女が大樹と深いかかわりを持つなら、妥当な試みでしょう。それとも、何か問題でも?」

「い……いえ」


 反射的に首を振ったが、ヒルダの顔は蒼白だった。

 この大樹がヒルダを嫌っているのは明らかだ。母親のマロリーや、父親である男爵も。


 妹のパメラだけは例外だが、あの子はここにいない。いたら、なんとしてでも押しつけるのに!

 歯噛みしたくなったが、パメラを遠ざけていたのは自分達だ。今日も余計な事を言われると思い、部屋にいるよう言いつけてある。こんな事なら、近くに待機させておけばよかった。


(……だけど、まだ望みはあるわ)

 枯れ大樹の木は今にも枯れかけ、本当に朽ち果てようとしている。

 今なら、ヒルダを攻撃する力もないかもしれない。


「――では、ヒルダ嬢。大樹の方へ」

 ヒルダはこくりと頷いた。ぎくしゃくした足取りで歩み寄る。


 いつもなら枝が落ちるはずの距離でも、大樹は反応しなかった。

 思った通り、この木に以前のような力はない。

 もう少し近づいても、何の反応もない。

 さらに近づき、ヒルダは大樹の正面に立った。


 近くで見ると、大樹は思った以上に大きかった。

 じろじろと眺めても、やはり何も起こらない。完全に動きを止めている。


(やった……勝ったわ!)


 喜びに目を輝かせたのも束の間、「……何も起こらないな」という声が聞こえた。ヒルダはきっとそちらをにらむ。


「起こらなくて当然ですわ。先ほど申し上げた通り、この木は死にかけているのです。わたくしが慈しんでいたから、ここまで長く保ったのですわ」

 ふふんと顎を上げ、勝ち誇った顔で彼らを見る。


「これで納得していただけまして? もし大樹がわたくしを認めないなら、なんらかの行動を起こしたでしょう。それをしないということは、わたくしを認めているということです」

「……確かに」


 老人が納得したように頷く。それに勢いづいてヒルダは言った。

「本物の緑の乙女はわたくしですわ。枯れ大樹の主人もわたくし。違うというなら、わたくしを拒めばいいのです。そうでしょう?」


 挑戦的に木を見上げたが、何も起こらない。

 とうとう力が尽きたのだ。いい気味だ。せいせいした。

 さんざん世話を焼かせてくれたが、最後はあっけないものだ。

 ようやくこの大樹から解放される。これで証拠はなくなった。ヒルダを追い詰めるものはない。


(やったわ……)


 にんまりと笑みを浮かべ、ヒルダは気取った口調で言った。

「でも、それももうおしまい。いい機会ですから、ひと思いに切り倒してしまわなければ」

「なっ……」

 レティが何か言いかけたが、慌てて口を押さえる。

 けれど、その目はこちらを見つめていた。


 必死な目が忌々しい。自分よりずっと高価なドレスも、化粧もしていないのに透き通るような肌も、磨いたら意外なほどに美しかった、その外見も。

 何もかもが気に食わない。そもそも、伯爵のところにいたなんて予想外だった。


 ――でも、勝つのは自分だ。


「いっそのこと、火をつけるのも手ですわね。緑の乙女であるわたくしの手によって葬られれば、大樹も嬉しく思うでしょう。ほら、もう、枯れている――」


 何気なく、大樹の表面に触れた時だった。

 ぼろっと、表面が剥がれた。


「!!」


 一瞬ぎくりとしたものの、枯れ木なら十分にあり得る事だ。

 動揺を無理やり抑え込み、ヒルダはほほほ、と笑みを浮かべた。

「ね? この通り、この木はもう――」

 言い終えるより早く、ざわりと大樹がうごめいた。


 ざわざわ、ざわざわと枝が揺れる。

 不穏な気配に、ヒルダが思わず手を離した。

 枝同士が擦れ合い、耳障りな音を立てている。上から幹のかけらが降ってきて、ヒルダは「きゃっ」と身を引いた。


 それはまるで、静かな怒りを表しているようだった。

 不快な人間に触れられる事への拒否反応と、勝手な事を言う相手への、純粋な怒りだ。


「な……何? なんなのよ?」

 ばらり、とまた木のかけらが落ちる。

 それはヒルダの上にだけ、狙ったように降り注ぐ。前に逃げても、後ろに逃げても、頭をかばっても逃げられない。


 ブウン、という音が聞こえたのはその時だった。


 大きなハチが現れて、ヒルダの事を追いかけ回す。

「やだ、やめてよ! 何よこれ、この死にぞこないのバカ大樹、もう力がないんじゃなかったの!?」

 盛大な自爆をかましつつ、ヒルダがあちこち逃げ惑う。止めようとしたマロリーも別のハチに追い回されて、現場はちょっとしたパニックになった。


「レティ、レティ、やめさせてよ! あんたが仕組んでるんでしょう? この貧乏人、恩知らず!」

「こんなことなら、もっと早くに追い出しておくんだった! お前のせいで全部台無しよ、このみなしごがっ……」

 彼女達の罵倒を、レティはほとんど聞いていなかった。



 ――約束だよ。何があろうと、その時が来るまで待っていて。



 ウィルにそう言われた理由が、今なら分かる。

 大樹をこの目で見た時、レティは叫び出しそうだったのだ。

 あの枝と同じように、表面が白くひび割れている。

 なんとか踏みとどまれたのは、ウィルとの約束があったからだ。一緒に持ってきていた枯れ枝のかけらも心を落ち着けてくれた。


(……それに、大樹さまも)


 レティが見上げた時、やさしい気配を感じた。

 大丈夫だから心配するなと、囁きかけてくれたようだった。

 それがあったから我慢できた。


 ――でも、今は。


「この……っ、枯れ木のくせに!」

 ヒルダが近くの小石を投げる。

 マロリーは木を蹴りつけた。同時にまたかけらが落ち、マロリーの腰を直撃する。


「痛い! このっ……!」

「お父さま、この木を切って!」

 ヒルダが金切り声で叫ぶ。

「だ、だが」

「さっさと切り倒してしまってよ! こんな厄介な木、ここにあるだけで目障りだわ!」


 二人の化粧は汗と鼻水でどろどろに落ち、隠していた素肌があらわになった。

 ヒルダのそばかすは顔一面に散らばり、マロリーの肌は小じわだらけだ。その顔のまま、彼女達は口汚くののしっている。

 それを見たフォンドア子爵が、無表情のまま固まった。


「すげえな、化粧の力って」

 ルカが感心した顔で呟いた。

「女性の容姿をあれこれ言うのは失礼だよ、ルカ」

 ウィルが柔らかくたしなめる。

「それも家訓か?」

「ただの礼儀」


 今度は大量の毛虫にまみれ、ヒルダが悲鳴を上げている。あの枯れ枝のどこに隠れていたのか、芋虫もついでに落ちてくる。

 その時、「見ろ」という声がした。


「大樹が……崩れていく」

 見ると、確かに枯れ大樹は音を立て、少しずつ崩れ始めていた。


 ――お前たちに触れられるくらいなら、枯れた方がましだ。


 そんな声が聞こえた気がした。

「離れろ、危ない!」


 みんなが急いで離れる中、足を踏み出した人物がいた。

 迷いなく、枯れ大樹に向かって歩き出す。

 止めようとした子爵に、ウィルがそっと首を振った。


「いいんです、あのままで」

「しかし、あれでは……」

「心配ない。そのままにしてやってくれ、子爵」


 ルカのよそ行きの仮面が剥がれていたが、子爵は気づかないようだった。

 彼らのやり取りを背後に、レティは大樹に歩み寄った。

 やはり表面は変色し、ほとんど枯れかけていたものの、それでも本物の大樹だった。

 会うのは本当に久々だ。膝をつくのも惜しく、レティは大樹を抱きしめた。



「……会いたかった」



 ずっとずっと会いたかった。


 ただいま――。


 その時だった。


 崩れかけていた大樹が動きを止めた。

 さわり、と木が揺れる。


 さわさわ、さらさらと、かすかな音が重なっていく。

 先ほどとは違い、不快なものではない。むしろ不思議な音楽のように聞こえた。

 音はさらに重なっていき、澄んだ音が響き合う。


 周囲も固唾をのんで見守っている。

 次の瞬間、大樹が白く輝いた。


「え……!?」


 変色した表面がひび割れて、どんどん亀裂を増していく。だというのに、その内側から輝きが生まれ、次から次へとあふれてくるのだ。

 光はさらにその強さを増し、目を開けていられないほどまばゆく輝いて――




 ――レティの上に、白い花が降り注いだ。




「え……?」

 呆然と、降ってくる花びらを見上げる。

 枯れた枝を落とす代わりに、白い花が舞い落ちる。大樹のかけらが花に変わり、次から次へと降ってくるのだ。それに合わせて、きらきらした光が降り注ぐ。

 いつの間にか、大樹は白い花を一面につけ、鮮やかに咲き誇っていた。


「これは……」

 差し出したレティの手のひらに、花びらが落ちる。

 白いドレスを着て、光の粒を浴び、いっぱいの花びらをまといつかせながらたたずむ少女は、まさに女神のように見えた。


「……緑の乙女だ……」

 フォンドア子爵が呆然と呟いた。


 花びらとともに、少しずつ大樹が崩れていく。地面に落ちた花は風に吹かれ、空気に混じって消えていく。いつの間にか大樹はずいぶん小さくなって、ほとんど形をなくしてしまった。

 今ではレティの目の高さほどしかない。

 それに気づき、レティははっと目を見張った。


「駄目! まだ――……」

 また失うなんて嫌だ。

 そう思った時、小さく息を呑む。


 ほとんど崩れかけた木の表面が剥がれ落ち、中から――()()()()が現れたのだ。


 生まれた大樹――正確には若木だが――は、つやつやした色をたたえていた。

 幹から枝が伸び、音を立てて成長していく。背丈はそれほど変わらないが、見る間に葉を茂らせて、しなやかな枝を覆っていく。深い緑ではなく、ウィルの瞳のような若葉の色だ。


 その木につぼみがつき、ひとつ、またひとつと白い花を咲かせる。

 呆然とするレティの背後で、「お見事」という声がした。


「五十年以上も前に見た光景そのものだ。久しぶりだね、お嬢さん」

「え……?」

「覚えていないかい? 地力溜まりの話をしただろう」

 杖をついた老人に、レティは「あっ」と声を上げた。


「腰痛のおじいさん!」

 にこにこ笑う顔は、確かに見覚えのあるものだった。


「お嬢さんのおかげで、ずいぶん楽になったんだよ。本当にありがとう」

「それはよかったですね。私も嬉しいです!」

 でも、あれ、と首をかしげる。


「今日はなんだか、服装が違っているような……」

「おや、気づいていなかったのかい?」

 やってきたルカが小声で耳打ちした。


「――先々代のフォンドア卿だ。今でも影の実力者で、逆らえない公爵もいるって話だ。粗相がないように気をつけろよ」

「……ええー……!?」

「というかお前、ずっと近くにいただろうが」

 なぜ気づかないと、ルカは呆れた顔だ。


「だ、だだだって、ちょうどお顔が見えなかったんですよ!」

「場合によっちゃ非礼で外交問題だな」

「申し訳ございません……っ」

 土下座する勢いのレティに、老人は笑って首を振った。


「いいんだよ。嘘をついて申し訳なかったね、お嬢さん」

「いえ、それは別に」

「また会えて嬉しかったよ。そうそう、腰痛の薬を注文してもいいかい? 今度はちゃんとお金を払わせてくれないか。前の分も含めてね」

 いたずらっぽく笑われて、レティもほっと笑みを浮かべた。

「……はい!」


 フォンドア子爵はまだ呆然としている。

 だが、横にウィルが立った事に気づいて目を向けた。


「――どちらが本物かは、これで明らかになったようですね」

「……ああ……」

「あとは子爵にお任せします」


 その言葉に無言で頷き、ヒルダ達を振り返る。

 彼らも動きを止めていたが、子爵に見つめられて我に返った。


「先ほども伝えたように、婚約の件は撤回する。不服があるなら申し立ててもらいたい。全面的に相手をする」

「し、子爵さま……!」


「――それと、このことは国王にも伝えておく」


 それを聞き、三人がその場にへたり込んだ。

 若木が風に吹かれ、涼やかな音を立てていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。あと一話です。よろしければお付き合いください。

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