腕の中が熱いです
***
パメラと別れたすぐ後の事。
馬を引き出した直後、レティはウィルを引き留めた。
「ウィルさま、ナイフをお持ちですか?」
「あるけど、どうしたんだい?」
「ちょっとお借りしてもいいでしょうか」
言われるまま携帯用のナイフを差し出すと、ウィルはちょっと首をかしげた。一刻も早くこの場を離れなければならないはずなのに、何をするんだろうといった顔だ。
レティは黄金の果実を取り出して、地面に置いた。
そして、さくりと二つに切る。
「レティ?」
「ウィルさま、ここで別れましょう」
その片方を差し出しながらレティは言った。
「片方はボールドウィン領の人たちに食べさせてください。一口で効果があるんです。たくさんの人が助かるはずです」
「君はどうするんだ?」
「グレーデ領の人たちに配ります。全員は無理かもしれませんが、できる限りは。パメラが予防薬を配ってくれました。それなら症状は軽いはずです」
本来なら、最初からそうするべきだった。あの時は必死だったせいで思いつかなかったが、今からでも遅くはない。
「二手に分かれた方が効率がいいです。病気で苦しんでいるなら、家族も起きているはずです。夜明けまで、できる限り回ります。きっと早い方がいい」
「でも、君ひとりじゃ」
「大丈夫です。……ですが、その、非常にずうずうしいお願いなのですが、もし一息ついたようでしたら、あの、お迎えに来てはいただけないでしょうか……?」
ウィルは目をぱちくりさせた。そんな顔をすると、いっそあどけなく見える。いつも微笑んで余裕のある彼にしては珍しい。
(やっぱりずうずうしかったかもしれない……)
レティはちょっぴり目をそらす。元気になった村人に頼んだら、途中まで馬で送ってくれるだろうか。いや、そんな交換条件は申し訳ない。
根性で歩こうと思っていたら、ふわりと視界が覆われた。
「――いいよ、迎えに行く」
レティを抱きしめて、ウィルが柔らかい声で囁いた。
「必ず行くから。待ってて」
「はい!」
答えたが、腕は外れない。ますます強く抱きしめてくる。
「……あの、ウィルさま?」
「……参ったなあ……」
小声で呟き、ウィルはそっと体を離した。月光の下で、綺麗な蜂蜜色の髪が光っている。
「ものすごく心配だけど、行くよ。君には大樹の加護がある。きっと守ってくれるだろう」
「ウィルさまもです。きっと守ってくださいますよ」
頷くと、ウィルは馬に乗って行ってしまった。駆け去った後に、うっすらと光の帯が残っている。
レティも村へ向かって歩き始めた。
村人との交流はほとんどないが、道なら頭に入っている。ごくたまに、森で採れた薬草と引き換えに、小麦や砂糖を分けてもらっていたのだ。
彼らはレティが領主の娘だった事は知らない。レティも口にはしなかった。
けれど、あの人達はグレーデの住人だ。
(助けなきゃ)
そこでふと、老人の言葉を思い出した。
ボールドウィンには地力溜まりがあると言った。地形による場合と、何か理由がある場合の二つだと。そう――たとえば、とんでもない力を必要とする種子の発芽と成長は? それによって成長した木が花を咲かせ、黄金の果実を実らせる。
そのために、ずっとこの土地が力を蓄えていたとしたら。
だとすれば、あの木の正体は。
「……枯れ大樹……?」
あの種子は、枯れ大樹のものだったのか。
ようやく謎が解けて、レティはなるほどと頷いた。その間も足はゆるめない。村に続く森の道を懸命に歩く。
この森は、レティが十年過ごしてきた場所だ。多少足元が悪くても、目をつぶっていたって歩ける。
息を切らし、歩き続けた先に、ぽつんと小さな明かりが見えた。
月明かりではない。もっと小さくあたたかな、炎の輝きだ。
「……着いた!」
レティは目を輝かせ、明かりを目指して駆け出した。
***
***
そして、その後は――。
突然現れた見慣れぬ少女に驚いていたが、村人はすぐに従った。
レティに差し出された果実を齧り、体が楽になった事に驚く。回復した村人が次の家を教えてくれ、レティは次々に病を治した。数件目で、小麦を交換してくれた村人と再会し、レティの身元を保証してくれた。とはいっても、「森でよく会うお嬢ちゃん」といった説明だったが、それだけでも十分だった。
不思議な事に、どれだけ齧っても果実はなくならなかった。
いつの間にか形が戻り、何人に分け与えても減らない。村人はそれを奇跡と言った。
「お嬢ちゃん、女神さまの使いなのかい?」
そう聞かれたが、レティは笑って首を振った。
それを言うならパメラだ。命がけで村人を助けてくれたやさしい子。
けれど、それを聞いた村人は首を振った。
「いんや、お嬢ちゃんも同じだよ」
こうやって助けに来てくれたじゃないか、と。
今の領主や、着飾った奥方様や、上の娘とも違う。粗末な服を着て、化粧気もまるでないが、村の人々を助けてくれる。自分の身も顧みずにだ。
「ありがとう、お嬢ちゃん。心から感謝するよ」
「…………」
レティはちょっと言葉に詰まった。それから元気よく頷いた。
「はい!」
その後もレティは病人の居場所を聞き、黄金の果実を食べさせて回った。村人が手伝ってくれた事もあり、作業は驚くほど早く進んだ。
途中、手伝いに来ていたルカに見つかり、それはもうこっぴどく叱られたが――村人のとりなしで収まった。でも一度拳骨を食らった。とても手加減されてはいたが。
果実を見せると、ルカも目を丸くしていた。ウィルの事は言わなかったが、気づかれている。多分。
それでも果実を与え続け、やがて最後のひとかけらがなくなった。不思議な事に、病人の最後のひとりが食べ終えた直後だった。
すべての村人が回復したのを見届けると、すでに日が上りかけていた。
「……終わったな」
途中から馬に乗せてくれていたルカが呟く。レティも疲労困憊している。
「そうですねえ……」
「他のやつらは先に帰したから、俺たちも帰るぞ。あと少しで、領地境の見張りが来る時間になる」
彼らは病が回復したのを知らないはずだから、他領の人間がいるのはまずい。
「あの、でも私、お迎えが来ることになってるんですが」
「……一応聞くが、誰だ?」
「ええと……」
目をそらしただけで分かったらしい。一度息をついた後、ルカはそれはそれは怖い顔になった。
「森からボールドウィンの領地までは一本道だ。どうせ途中で行き合うだろうし、問題ない。……てかお前、あとで絶対説教だからな」
「つつしんでお受けいたします!」
「まあいい。……お疲れさん。よくやったよ」
「へ?」
聞き間違いかと思って見上げると、ルカはそっぽを向いていた。左の耳がちょっぴり赤い。
「ルカさま、今なんと?」
「あーいい。なんでもない」
「気のせいでなければ、私をねぎらうお言葉だったのでは……!?」
「聞こえてんのかよ! タチ悪いな!」
「聞き間違いかと思ったんですよ。そうじゃなくてよかったです!」
「いちいち言うな! 照れるだろ!」
真っ赤な顔でわめきながら、ルカはレティを乗せたまま馬を駆る。黒い馬はルカの愛馬だ。毛並みがつやつやとして美しい。
にぎやかに去る彼らを見送り、村人は無言で頭を垂れた。
お読みいただきありがとうございます。みんなも元気になりました。




