もう言葉もありません
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着替える時間も惜しかったので、レティは厩へと足を向けた。
ウィルに言っていこうかと思ったが、それはやめる事にした。
雑用をしている時に、馬の手入れも教えてもらった。乗り方も教わったから、ひとりでも大丈夫だ。
それに、近づくのが禁止なら、どっちにしろレティは中に入れない。
(なんとか忍び込んで……これを、パメラに食べさせないと)
果実を懐に入れ、落ちないように縛りつける。
厩に着くと、レティは呼吸を整えた。
――よし。
鞍にまたがろうとした時、ぐいっと腕を引かれた。
「――レティ?」
そこにいたのはウィルだった。なぜだか息を切らしている。
「どうしたんですか、ウィルさま?」
「それはこっちのセリフだよ。こんな時間にどうしたんだ?」
ウィルは分厚いコートを着ていた。どこかに出かけて帰ってきたところかもしれない。彼は息を整え、レティの姿を素早く見た。
「……その恰好で、馬に乗るつもりかい?」
「そ、れは……」
「行き先は聞くまでもないな。――グレーデ?」
それは質問ではなく確認だった。レティは思わず身をすくめた。
「……見逃してください!」
「それはできないよ、レティ」
「行かなくちゃいけないんです。これをパメラに届けないと――!」
懐にしまってあった果実を突き出すと、ウィルの目が見開いた。
「……これは?」
「急に生えてきたんです。白い花が咲いて、果実が実って……。よく分からないけど、パメラに食べさせなくちゃいけないと思うんです。だから、だから、行かないと……!」
「落ち着いて、レティ」
大丈夫、と肩を押さえられた。
「邪魔をするつもりはないんだ。言い方が悪かったね。――僕も一緒に行く」
「は……?」
レティはぽかんとした。
ウィルは真面目な顔でこちらを見ている。綺麗な若草色の瞳に迷いはない。彼が冗談で言っているのでないのは明らかだった。
「だ……駄目ですよ! ウィルさまは領主さまですよ!? もし病気が移ったら……!」
「君の薬を飲んでいる。加えて僕の体は丈夫だ。簡単にはかからない」
「ですけど、もしも!」
「……偶然だけどね、レティ。僕がこんな恰好をしているのはどうしてだと思う?」
「は……?」
「君を連れて、お忍びでグレーデに向かうためだよ」
聞き間違いかと思い、レティはまじまじと彼を見た。
今何か、ものすごく妙な事を言われた気がする。
「夜なら見張りもいないだろうし、そもそも近づく人間はいない。ようやく仕事を抜ける算段をつけてきたのに、君の部屋はもぬけの殻だ。僕がどれだけ焦ったか分かるかい? グレーデに行くなら、馬を使うだろうと踏んで直行した。間に合ってよかった」
流れるように言われ、レティはますますぽかんとした。
彼の目は至極まともだ。おかしくなったわけではないらしい。
真面目な顔で、当たり前のような口調で、一緒に行くと宣言する。
こんな時なのに微笑みながら、ウィルは言った。
「行こう、レティ。その子を助けよう」
「……で、でも」
「大丈夫だよ。行こう」
――助けよう。
その言葉の力強さに、レティははっとした。
見る間に目がうるみ、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。それをぬぐい、レティは答えた。
「……はい!」
頷くと、ウィルがコートを着せかけてくれた。
「レティは前へ。コートの前をしっかり合わせて、フードをかぶって。夜の森は冷えるよ」
「ウィルさまは?」
「これくらいでどうにかなるほどやわじゃない」
レティを馬に乗せると、ウィルも続いてまたがった。
「飛ばすよ。しっかりつかまって」
そこへ見張りらしき男がやってきた。
「おい、そこで何を――え、ウィルフレッドさま?」
「ちょっと出かけてくる。朝には戻る」
返事を待たず、二人と一頭は飛び出した。
(パメラ、間に合って)
馬上でレティは祈っていた。
夜の森は闇が濃く、月明かりがなければ走れない。けれど、レティの手にした果実のせいか、周囲がほのかに明るく見えた。
「変な感じだな。光っている範囲は小さいのに、ずいぶん遠くまで見える気がする」
「森が力を貸してくれているんでしょうか」
「かもしれないね。――はっ!」
わずかに馬足をゆるめたのも束の間、ウィルはふたたび速度を上げた。
彼の馬術は非常に巧みだった。決して無理はさせないのに、最大限に走らせる。それでいて、乗っていられないほどでもない。確かにしがみついていなければ振り落とされそうだが、背中を支えてくれる安心感に、ずいぶん気持ちは楽だった。レティひとりだったなら、とっくに追い抜かれていただろう。それだけ彼の腕は確かだった。
これなら間に合う。
それは確かな希望だった。
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レティは知らなかったが、森にも変化が訪れていた。
彼らが通った後は、淡い光に包まれていた。
光はやがて広がっていき、薄く薄く、森全体を覆い尽くす。
それはとても幻想的な光景だった。
だが、彼らはその事を知らない。
馬はぐんぐん速度を上げて、やがてその影は見えなくなった。
お読みいただきありがとうございます。走る、走る。




