ふたたび嵐の予感です
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その日の夜、仕事を終えたレティは、枯れ大樹の枝のそばに座り込んだ。
枯れ枝はいつも通り枯れている。
けれど、老人曰く、本当には枯れていないそうだ。なんだか不思議だ。
そっと枝をつついてみたが、反応はない。
種を植えた場所も、特に変化はないようだ。
その時だった。
枯れ大樹の枝に触れていた指先に、ピリッと小さな刺激が来た。
「!?」
反射的に手を引っ込めたが、指先はまだしびれている。こんな事は初めてだった。
(今、何が……?)
呆然としていると、「レティ?」と声をかけられた。
「どうしたんだい、こんな時間に。いくら屋敷の庭でも、夜は冷えるよ?」
「ウィルさま」
立っていたのはウィルだった。外出から戻ったばかりなのか、長いマントを羽織っている。彼はマントを脱ぐと、ふわりとレティにかけてくれた。
「ありがとうございます。今、枝がちょっと」
「何?」
「……いえ、なんでもないです」
刺激が走った一瞬、言いようのない不安が突き抜けていった。けれど、確証はない。
「ウィルさま、私一度、グレーデに戻ってみようかと思うんですが」
「本気かい?」
「よく分からないんですが、そうした方がいい気がして」
理由はない。ただの直感だ。
けれど、どうしても気にかかる。
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
当たり前のように言われてぽかんとした。思わず間抜けな声が出る。
「へ?」
「君ひとりより、付き添いがいた方が心強いだろう。なんならルカもつけるし、嫌と言っても連れて行く。……それに、多分ルカも嫌だとは言わないと思うよ」
だから、大丈夫。
「あ……ありがとうございます」
「どういたしまして」
微笑む顔は今日もやさしい。手を差し出され、なんとなく従う。と、彼はレティを立ち上がらせ、部屋までエスコートしてくれた。
「日にちはすぐに調整する。少しだけ待ってて」
「分かりました」
ウィルはとても忙しい。
この間のように、のんびりお茶を楽しむ事もあるけれど、大抵は仕事に追われている。庭から部屋の明かりが見えるのだが、いつも遅くまで灯っている。その割に、朝は早い。
日がな一日、彼は領地のために働いている。領民もそんな彼を慕い、若き領主の評判はすこぶる良い。ルカだけはたまに微妙な顔をしているが、一番の味方は彼だと思う。
特別な理由もなく、里帰りに同行してもらうのは気が引けたが、ウィルは少しも迷わなかった。
「おやすみ、レティ」
「おやすみなさい」
部屋の前で別れ、ウィルは自室へと戻っていった。これから仕事の続きをするのだろう。本当に、いつ眠っているのだろうか。
思えば最初に会った日も、仕事の帰りだったらしい。
そのうち栄養のある薬草を使って、携帯食でも作ってみようか。
そんな事を思いながら扉を開けたレティは、室内にいる人物に気づいてぎょっとした。
「よう、チビもどき」
勝手に椅子に座ってくつろいでいたルカが、読んでいた書類から目を上げた。
「るるるルカさまっ!? 何してるんですか、人の部屋で!?」
「いや、お前に用事があったんだが、なかなか戻ってこないから。探すのも面倒だし、ここで待つことにした。一応マーサとサンドラの許可は取ったぞ」
部屋の外で待っていても良かったのだが、明かりが欲しかったと平然と言われ、怒る気力もなくしてしまった。
「私以外の人にしたら色々と問題ですよ……あとチビもどきってなんですか」
「チビだけど年頃だからチビもどき。合ってるだろ? あと、お前以外の女にそんな失礼な真似するはずねえだろうが。見損なうな」
その発言ですでに色々損なっている。
呆れて言葉もないレティをよそに、ルカは書類に書き込みを入れた。
「よしと。悪い、待たせたな」
「最初から待ってはないですよ……」
至極もっともな反論だが、相手は意に介さなかった。
「明日じゃちょっとまずいんだよ。――ほら、これ」
手を差し出され、反射的に受け取る。手のひらの上に載ったものに、レティは目を丸くした。
「これは……?」
「前に食いたがってただろ。領民の間で流行ってる雪解け飴。あともうちょっとで駄目になるところだったけど、間に合ったな。食え食え」
レティに渡されたのは、雪だるまを模した飴だった。
特殊な製法を用いているそうで、領内で大流行しているのだ。形を保っていられる時間が異常に短く、時間が来ると溶けてしまう。その瞬間、飴に閉じ込められていた風味が消えて、なんとも味気ないものに変わる。
話を聞いて以来、いつか食べてみたいと思っていたが、まさか覚えていてくれたとは。
急かされるまま口に入れると、シュワっと舌の上で溶けた。
「おおお……!」
「旨いか?」
「とてもおいしいです……! 溶けて消えます!」
「そりゃよかったな。ウィルに感謝しな」
「ウィルさまですか?」
目を瞬くと、ルカが笑った。
「覚えてたのはウィルなんだよ。買ってきたのは俺だけど」
「それはまた……なぜですか?」
「あいつに買う時間はないからな。旨い菓子を食わせるのはうちの家訓とか言ってたぞ」
「それはまた……いえありがたいですけど」
相変わらずだが、ちょっと不思議だ。さっき会った時には何も言っていなかったのに。
それを口にすると、「あーまあ」と、心当たりのある顔をされた。
「今は忙しいからな……。普通に忘れてたんじゃねえか?」
「それはまた……そんなにお忙しいのに、気にかけていただいて申し訳ないです」
「気にすんな。お前を可愛がるのは、ちょっとしたあいつのストレス解消だ」
それはまた。
「小さい生き物とか大好きなんだよあいつ。子供も割と好きなんだよな」
「私は年頃ですけども!?」
「大きい生き物も大好きだ」
そういう意味じゃない。あとその発言は色々と誤解を生みそうだ。
「……ちなみに聞きますが、私は動物と子供、どっちのくくりに入ってますか?」
「どっちもだな。俺もお前の実年齢をすぐ忘れる」
「忘れないでくださいよ!」
「一応は人間のくくりだから。……ああ、まあ、人間のくくりだとは思ってるから」
「なんで微妙に言い直したんですか?」
「細かいことは気にするな」
まったくもって細かい事ではなかったが、飴の力にレティは黙った。問いただすより、この飴をじっくり味わいたい。
椅子はルカが占領しているので、レティはベッドに腰かけた。もうひとつ飴を口に含む。
「ほんほにおいひいでふねえ……」
「口いっぱいに飴頬張って幸せそうな顔する十六歳って初めて見たな」
頬に手を当ててうっとりするレティに、ルカは呆れ顔で言った。
「それで年相応って言うのは、かなり無理があると思うぞ」
「……う」
「ドレスや宝石より、ケーキとクッキー選ぶだろお前」
「……うう……」
「色気より食い気だし、食い物やるって言ったらすぐついてくるし、結婚相手に大金持ちの貴族じゃなくて菓子職人選ぶだろ。しかも凄腕の」
「……ううう……!」
悔しいが、言い返せない。
「いいじゃないですか! 私はおいしいご飯が食べたいんですよ!」
「悪いとは言ってねーよ。あと菓子は食事じゃねえからな?」
「おいしければなんでもいいです!」
言っているうちに、あと二つになってしまった。ちょっと迷い、レティはひとつを差し出した。
「おひとつどうぞ。おいしいですよ」
「お前……そんなこともできるのか」
偉い偉いと頭をなでられる。繰り返すが、レティは十六歳である。この扱いはいただけない。
「私をなんだと思ってるんですか? お菓子くらい分けますよ。そうだ、もうひとつはウィルさまに差し上げてもいいですか?」
「おう、もちろん。この時間ならまだ起きてるだろうし、持って行ってやるか?」
「そうですね……」
どうしようと迷った時だった。
慌ただしい靴音が近づき、部屋の扉が開け放たれた。
「大変です! 咳流行りが、隣の領地で……! 村中が罹っているようです。こちらの領地にも病人が……!」
「!!」
レティとルカがそれを聞き、同時に立ち上がった。
お読みいただきありがとうございます。次回、ふたたび嵐の到来。




