素性が明らかになりました
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そろそろ二人が帰ろうとした時、慌ただしい足音が近づいてきた。
「マロリー、ヒルダ!」
「あなた!?」
息を切らしたグレーデ男爵が、髪を振り乱しながら現れた。
「お前たち、何をしているんだ!? いきなり他の領主の元を訪問するなど、無礼にもほどがあるぞ!」
「お父さま、なぜここへ?」
「連絡があったんだ。まったく、伯爵に何か失礼でもあったら……!」
「ご心配なく、グレーデ卿」
微笑みを浮かべたまま、ウィルがやんわりと口を挟む。
「お二人とは、楽しくお話をさせていただいていたのです。どうやら誤解があったようで、すぐに納得していただけました」
「そうなのか、二人とも?」
「ええ、もちろん」
「伯爵さまがおっしゃる通りですわ、お父さま」
口をそろえて言う二人に、男爵がほっと息を吐く。
「それならいい。帰るぞ」
「ああ、少しお待ちを」
そこでウィルが引き留めた。
「せっかくですから、当家の薬草師を紹介いたします。無口でひかえめですが、調合の腕は良いのですよ」
目くばせすると、ルカはすぐに引き下がった。
一礼して、背後の扉を開く。
その先に立っていた人影を見て、彼らが一斉に息を呑んだ。
――そこにいたのは、薄いヴェールをかぶった女性だった。
全身をまばゆいドレスに包み、見えるのは手の先と首だけだ。小さな爪のついた指が、透き通るように白い。首筋もなめらかで、触れてみたくなるほど儚げだ。
顔は完全に隠れているわけではない。深くうつむいてはいるが、その気になれば判別できる。それほどヴェールの素材は薄い。その布を通して、うっすらと化粧をした顔が見える。
長いまつげに、こぼれかかる淡色の髪。たっぷりとした艶を帯び、まるで金糸のように美しい。艶のある唇は淡く塗られ、白い肌を引き立てている。はっきりとは見えないが、かなりの美女だ。
「……ずいぶん美しい方ですな。お名前は?」
「レティシアと言います。同じお名前ですね」
ウィルがにこやかに紹介する。
「グレーデ卿、並びに奥方とヒルダ嬢。彼女が我が伯爵家の薬草師ですが――彼女の姿に、見覚えは?」
「いいえ、ちっとも」
すぐに三人とも首を振る。
彼らが捜しているのは、痩せっぽちでみすぼらしい小娘だ。間違ってもこんな美しいドレスを着た美女ではない。
ヴェール越しの顔も確かに違う。あの娘は間違っても化粧などしない。そんなお金はないからだ。
「そうですか。名前が同じだから、もしやと思ったのですが。本当に見覚えはないのですね?」
重ねて問われたが、心当たりはない。
もっと身分の低い相手なら嘘をついてでも手に入れるところだが、何しろ相手が悪い。伯爵家の庇護下にある人間を、強引に手に入れる事はできない。
再度否定すると、伯爵はあっさりと引き下がった。
「分かりました。では、お気をつけてお帰りください」
三人が出て行くと、ようやく静寂が訪れた。
「よしチビ、もう喋っていいぞ」
「……ぷっはあ!」
合図と同時に、レティはヴェールをめくり上げた。
「生きた心地がしませんでしたよ! ばれたらどうしようかと思いました!」
「その時は他人の空似で押し通すつもりだったよ。僕もまさか、本当に気づかないとは思わなかった」
ウィルが生ぬるい笑みを浮かべる。先ほどの作り物めいた表情とは違い、いつもの顔に戻っている。
「いっそヴェールはなくてもよかったんじゃねえか?」
「いや、それはさすがに。見られても大丈夫なようにはしたけどね」
「ちんちくりんはちんちくりんなんだけどな……」
勝手な事を言う彼らに、レティは「あの」と手を上げた。
「ところで、この恰好は一体?」
「うん、ちょっとした実験をね」
「じっけん?」
「本番はもう少し後になりそうだ。それにしても――うん、やっぱり思った通りだ。可愛いね、レティ」
微笑みかけられ、レティが顔を赤くする。
「い、いえ、それほどでも……」
「駄馬にも装飾とは言うが、元がアレでも化けたもんだな。上出来だ」
この人は褒めていないと思う。
あの時、指定された部屋に向かったレティは、中を見てぽかんとした。
輝くような白いドレスと、顔を隠す同色のヴェール。そのそばに数名の女性が控えている。
その後ろからやってきた別の女性が、がしっとレティの肩をつかんだ。
「さあやるわよ!」
彼女達はレティの服を脱がすと、ざばりと薔薇の香りのするお湯に突っ込んだ。そのまま全身を洗い立て、あっという間に拭き上げる。髪をくしけずり、爪を整え、鮮やかな手つきで着替えさせると、レティの顔に白粉をはたき、口紅を塗って、髪に香油を塗り込め、見る間に変装を完成させた。
最後にヴェールをかぶせる時、残念そうに「……隠すのはもったいないわねぇ」と言っていた。
あとは絶対に口を開かないよう命じられ、扉の前に立たされた――というわけだ。
気づかれるんじゃないかと思ってひやひやしたが、三人とも見破れなかったようだ。よかった。
大人びた化粧をしたレティを、二人が微笑ましそうに見つめている。その様子は年頃の少女を眺めるというより、親戚の子供がおめかししたのを見た時のような――もっと言えば、綺麗にブラッシングされた近所の犬を見ているような――顔だ。なんだか解せない。
ドレスも丈は長めだが、着心地がよくて涼やかだ。繊細なデザインで、裾には細かな刺繍が施されている。胸の辺りに詰め物をされたのが微妙だが、確かにラインは美しい。靴も踵を高めにして、大人っぽくしてあるようだ。もっとも、レティの年齢ならさほど珍しくもない。
「それはともかく、ひとつ確認してもいいかな。レティ、君、今……何歳?」
「……十六です」
「嘘だろ? どう見ても十二歳だろうが!」
「僕は多く見積もっても十四歳くらいかなと思ってた。正直、食べてる姿が小さい子にしか見えなくて」
見る目がなかったと、男二人が頷き合っている。
「……そうか、十六歳だったのか」
「……まあ、その、悪かったな、チビ」
しみじみと考え込む二人に、「お気になさらず」とレティは言った。
「私はおいしいものが食べられれば、何歳だってかまいませんので!」
「ああ、うん、ちょっと知ってた」
「それは承知してるんだが、扱いがな」
そうか……と男二人がまた考え込む。何か問題があっただろうか。
「もうひとつ確認するよ。君は行方不明のレティシア・グレーデ嬢で間違いないね?」
「……はい、そうです」
「さっき二人が言っていたことは本当?」
身支度に多少の時間を取られたが、レティへの仕打ちは星の数ほどあり、そのうちのいくつかは聞き取る事ができた。割とマイルドにされてはいたが、実際にあった事だ。
答えに詰まっていると、「分かった、いいよ」と頷かれる。
「君の正体が分かっただけで十分だ。というか、うすうす勘づいてはいたんだけど、どうにも年齢が合わなくて」
「いつからご存じだったんですか?」
「割と早いうちからだよ。年齢が間違っているのかと思ったけど、見た目の方が間違ってたとはね」
「だな。揚げ豆食いすぎて胸やけ起こす十六歳って初めて見た」
「言わないでくださいよ!」
あれはレティも反省している。だって……だって本当においしかった。ほのかな塩味がアクセントになって、カリッとした歯ごたえも最高で、いくらだって食べられるのがまずかった。
「ご飯がおいしすぎるんです……! 残せないほどおいしいんです……!」
「うん、それはよく分かるよ」
「ちょっと食いすぎだとは思うけどな」
二人がそれぞれ頷いている。レティの正体が分かっても、あまり変化はないようだ。
その事にほっとして、レティは居住まいをただした。
「私のこと、男爵家に送り返しますか?」
「そのつもりはないよ。レティが帰りたいなら別だけど」
「帰りたくても帰さねーよ。なんだあいつら。肥溜めに突っ込んでやろうかと思った」
即座に答えが返ってきてほっとした。
胸をなで下ろしていると、ウィルに聞かれた。
「レティはどうしたい?」
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