表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
根絶やし伯爵と枯れ枝令嬢  作者: 片山絢森
【第一部】根絶やし伯爵と身寄りのない娘
2/93

泉のほとりでお昼寝しました


(どうしよう……)


 あまりの出来事に、レティは途方に暮れた。

 末端とはいえ貴族のレティが、いきなり外の世界で暮らしていけるはずもない。どこかで野垂れ死ねという事だろうが、いくらなんでもひどいんじゃないか。


(もっとこう……自害用の毒とか! いや死なないけど! 下働きさせるとか! 今までもしてたけど! 追い出すにしてももっとこう……なんていうか……なんていうか……)


 すべてにおいて、雑だ。


(せめてもうちょっと気合いを入れてほしかった……)

 がっくりと肩を落とした時、ひらりと一枚の紙きれが落ちた。


「……ボールドウィン伯爵家?」


 それは、伯爵家の召使いとして働くなら住む場所は用意してやる、という紹介状だった。

 ボールドウィン家はグレーデ家と領地の一部を接する大貴族で、平たく言えばお隣さんだ。もっとも向こうの方が大分格上で、こちらと親しい付き合いはない。レティも、一度か二度くらい姿を見かけた事はあったが、それ以上の接触はなかった。


「召使い……」


 侍女ではない。掃除や洗濯などを行う使用人だ。

 この時代、高貴な身分の方に仕える侍女は、貴族の令嬢や夫人も多い。しかし、下働き担当の使用人は、平民から選ばれるのが常だった。

 それを承知で使用人になるか、それともここで野垂れ死ぬか。

 迷ったのは一瞬だった。


「行こう、ボールドウィン伯爵家に」


 レティは頷き、力強く一歩を踏み出した。



    ***



 それから、およそ三刻後。


「……いつまで歩いても、お屋敷に着かない……」


 ひーはーと喘ぎつつ、レティは流れ落ちる汗をぬぐった。

 ボールドウィン伯爵家の周囲には森があり、北と東をぐるりと取り囲んでいる。レティは東から来たので、今は森の中だ。

 日光が足りないのか、木々はあまり元気がない。それとも、この辺りではこんなものだろうか。


(それよりも……)


 森が、終わらない。

 ボールドウィン伯爵家が名門なのは知っていた。当然のように、領地も広い。

 だから、森が深いのも納得している――けれど。


「このままじゃ、着く前に野垂れ死んじゃう……」

 へろり、とレティは草の上に倒れ込んだ。

 荷物の中には、お情けで恵んでくれた水袋が入っている。口をつけると、生ぬるくなった水が数滴、喉に落ちた。


「……うう、おいしい」

 どんな水でも水分は水分。喉を潤す水、最高。

 だが、これで最後の水も飲み干してしまった。


「あとは泉か小川でもあれば……ん?」

 その時、レティは耳を澄ました。

 どこかで水の音がする。


「これは……命をつなぐ予感……」


 荷物をつかみ、レティは立ち上がった。

 道を離れる不安はあったが、いざとなれば戻ればいい。幸い、この辺りには特徴的な木が何本か生えている。それを目印にすればいいだろう。

 それに――どっちにしても水がなければ、これ以上は進めない。


 藪を払い、草を踏み、歩き続ける事しばし。

 レティの目の前に、こんこんと湧き出る泉があった。


「わぁ……!」


 澄んだ明るいエメラルドグリーンの水。日差しのせいか、水色と緑が入り混じり。宝石のように輝いている。岸に近いところは濃い水色で、底まで透き通っていた。

 泉には小魚がいて、すい、すいっと泳いでいく。

 歩き始めてからずっと、ほとんど水分を摂っていなかったレティにとって、この泉は正に天からの贈り物だった。


「女神さまのお慈悲に心から感謝いたします……!」


 一呼吸半で祈りを済ませると、レティは泉に飛びついた。

 両手ですくい、喉を鳴らしてごくごくと飲む。冷たい水が喉を流れ、ほてった体が冷やされていく。ついでに顔も洗い、レティはほっと息をついた。

 どうやら、渇き死にだけはしなくてよさそうだ。


 せっかくなので本格的に休憩する事にして、レティは荷物を紐解いた。

 マロリーが入れるよう命じたのは、レティの普段着、エプロン、靴下、下着が二組、底のすり切れた布の靴。なぜか片方しか入っていない。それから縁の欠けた写真立てと、鏡と(くし)、古い日記帳に、ハンカチが一枚。あとは埃をかぶった本が数冊と、小物を入れておいた箱。それから部屋にあった雑多なものが、ところ狭しと詰め込まれていた。


 母親の形見である宝石のついたブレスレットと、金と真珠があしらわれた指輪は入っていない。


 それから――縁を切る、という意味なのか、小枝が一本。


 グレーデ家では、身内との縁を切る際に、木の枝を折って渡すという風習がある。グレーデの領地以外では根づかず、花や実をつける事もないため、どこでなりと野垂れ死ねという意味だ。割とひどい。

 レティに渡されたのは枯れ大樹の枝で、その中でもとびきり気難しい木だった。

 これはつまり、二度と帰ってくるなという意味をとてもとても上品にした、完全なる絶縁宣言だ。


(マロリーおばさま、やることが(おとこ)らしくて清々しいわ……)


 褒めてはいけない。

 一方レティが用意した鞄には、着替え以外はほとんど入っていなかった。細々したものが数点、水筒が一本、いざという時のための非常食。

 作り方は簡単で、小麦粉と塩、数種類の木の実、乾燥した葉などをすり潰し、それらをよくこねて丸めた後、一口サイズに切り分けてから焼いたものだ。一本の棒状にまとめられ、ちょっと小腹が空いた時にはつまめるようになっている。クッキーのようなものを想像してもらえればいいだろう。

 ぱくりと一口頬張ると、じんわりとした滋養が染み渡った。


「お……おいしい……」


 正確に言えば、とてもおいしいものではない。

 木の実はがりがりするし、ちょっと渋いし、薬草効果のある葉っぱにはえぐみがある。それでもこれはレティにとってのご馳走で、貴重な栄養源だったのだ。

 泉の水をお供に、さくさくと非常食を頬張っていると、ふと眠気がやってきた。


(ちょっとだけ、お昼寝しよう……)


 知らない森で寝てはいけない。

 だが、疲れ切った体は、心から休息を欲していた。

 こてんと首を落とし、レティはそのまま眠り込んだ。

知っている森でも寝ちゃ駄目だ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ