昔の話をいたしましょう
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むかしむかし、この領地は豊かな土地でした。
花は咲き乱れ、緑が茂り、おいしい果実が一年中実ります。天空と大地を司る女神に愛された、とても美しい場所でした。
その中心にあったのは、途方もなく大きな木でした。
幹は大人五人でも抱えられないほど太く、根は地の底の国まで続き、その梢は天界の足元をくすぐるほど高いのです。
決して枯れない、永遠の緑を有する大樹。
その葉は翠玉のように輝き、花は雪のように白く、かぐわしい香りを振りまいています。その木に守られた土地は、永遠の幸福を約束されたも同然でした。
――しかし、ある時。
この地に病がはびこり、多くの人間が倒れていきました。
彼らはなすすべなく苦しみ、血を吐き、どんどん命を落としていきます。それを見かねたこの地の長が、大樹に跪いて頼みました。
――どうか皆を助けてください。そのためなら、豊かな実りは要りません。いい匂いのする花も、たっぷりの果汁を持つ果物も、よく太った作物も。
何もいらないから、彼らの命を助けてください。どうか――どうか。
三日三晩、長は眠る事も忘れて祈りました。
四日目、意識もうろうとした彼の前に、ひとりの女神が現れました。
大樹は彼女の化身であり、命のひとかけらだったのです。
彼らの事を、女神はよく知っていました。彼女は村人の頭に手を触れて、微笑みを浮かべて消えました。
はっと気づくと、長はひとりで立っていました。
女神の姿はありません。夢かと思った彼の上に、一枚の花びらが落ちました。
ひらりと風に吹かれたそれは、大樹から落ちた花でした。雪のように白い花弁。
何気なく目を上げた彼は、呆然としました。
真っ白な花が咲いていたはずのそこに、一面の実が実っていたのです。
リンゴによく似ていましたが、色が違います。その色は黄金。光り輝くような色でした。
震える手で実をもぐと、途端に清らかな香りが立ち上りました。彼は誘われるように一口食べます。彼も病に侵されていたのです。
果実を口に含むと、爽やかな気持ちに満たされました。
熱が下がり、激しい胸の痛みが消えています。あれほど苦しかった体も、なんともありません。
彼は大樹にお礼を言い、急いで実を持ち帰りました。
黄金の実のおかげで、人々は命を繋ぎ留めました。
その噂は国王の耳にまで届きました。いたく感銘を受けた国王は、大樹のある一角を下げ渡し、長に爵位を与えました。その名は、今は伝わっておりません。家が分かれたとも、土地が分かたれたとも聞いています。ですが、それは後世の話です。
しばらくして、人々はお礼に向かいました。
用意できる限りの花や水、その他いろいろな捧げものを持って、彼らは大樹の元へと赴きました。
けれど、そこで彼らは愕然としました。
大樹は一枚残らず葉を落とし、あれほど立派だった幹は見る影もなく縮み、表面は白くひび割れて、ぱらぱらと風に吹かれていました。
あれほど美しかった花も、一枚も残っておりません。
たったひとつ残っていたのは、一粒の果実の種でした。
彼らはそれを抱きしめて、長い間泣きました。
それからしばらく時間が過ぎて、長が願った通り、ここは不毛の地になりました。
何も知らない、心無い人々が、それは呪いのせいだと言います。
けれど、彼らは知っています。
これは人々の命を救ったためで、大樹の慈悲の心だと。
今はもう、知る人も少なくなった昔話。
真実は大樹と人々の中に、ひそやかに息づいているのみです――。
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「……とまあ、これが俺の知ってる話だ」
長い話を終えると、ルカは手元の水袋から一口飲んだ。
「ふわぁ……」
「根絶やし伯爵の方が面白いんで、いつの間にかそっちの方が広まってるが、本来はこれが正式な話だ。と言っても、俺も母方の祖母に聞くまでは知らなかったから、あんまり有名な話じゃないみたいだが」
「全然違う話じゃないですか。領主は根絶やしどころか、人助けしてますよ」
「俺に言うなよ。歴代当主が腹黒なのは本当だしな」
あんな噂が広まる理由も分からなくはない、と真顔で言う。たびたび思うが、この人は主人の事が嫌いなんだろうか。
――だが、それよりも。
(なんだか、似てる……?)
その話に出てきた大樹と、グレーデ領の枯れ大樹が、ちょっぴり似てやしないだろうか。
こちらでは「永遠に失われた緑の大樹」と呼ばれているらしいが、花の色といい、実の色といい、妙に共通点がある。
「ルカさま、その大樹は今どこに?」
「山火事か何かで燃えたらしいが、よく知らない。今は残ってないと思うぞ」
「そうですか……」
実物があるなら見てみたかったが、仕方ない。
しょんぼりしていると、「ああ、でも」とふと思い出したように彼が言った。
「そういえば、続きがあったな。領主の血を引く者が祈りを捧げると、大樹の力になるらしい――とかなんとか」
「本当ですか?」
「ああ、昔聞いただけだから確かじゃないが、そんなことを話してた。……それがどうかしたか?」
「いえ、なんでも……」
もしそれが本当なら、ボールドウィン領にも枯れ大樹と同じものがあったのだ。
枯れ大樹に祈りを捧げると、豊かな実りを与えてくれる。
それならば、ボールドウィン領の実りが悪かったのは、そのせいでは?
そして今、それが解消されているのは。
(私が、枯れ大樹の枝を持ってきたから……?)
そして、枯れ大樹の枝が光を飛ばさなくなったのは、グレーデではなく、ボールドウィンに根づこうとしているから――では、ないだろうか。
だとすれば、今、グレーデは。
そう思った時だった。
「ご報告します。屋敷で人が暴れていて……あの、人を出せと。レティシアはどこだと、大騒ぎで……!」
「!?」
ルカとレティが同時に顔を見合わせた。
お読みいただきありがとうございます。次回、嵐の予感。




