輪島会長のデート現場なら速水は居心地が良くない
お盆を過ぎた、ある日である。
日曜日なのに夏休みなのでその休日感とかありがたみがまるでない。そのうえ、速水さほりはいたたまれないほどの居心地の悪さを感じていた。
「あのぉ、私お邪魔なんじゃないんですか」
ストローから啜ったアイスレモンティにまじった氷片を奥歯でかじってから、おそるおそる尋ねる。いや、自己主張からの逃避を試みていた。
「誘ったのはこちらなのだから、気にしなくて」
輪島は悠然とアイスブラックコーヒーをストローで啜っている。ちらりと視線を動かすと、彼女の隣の男子は軽く肩をすくめて苦笑いをこらえているのが分かった。名村から何かしらの言質を取れれば脱兎のごとくこの場から退散できるのにと言う気持ちが恨めしささえ催しそうになる。デート現場に遭遇したばかりではなく、須田の手伝いをしながら少なからずプライベートの情報を仕入れていたせいかもしれないが、敵味方なんていう勢力があるわけでもないのに、どことなく副会長寄りになっている無意識みたいなものが輪島から距離を作ろうとしていた。とはいえ、相談事を持ち込んだ張本人は自分自身だったのでその引け目みたいなものもないわけではない。だから、コーヒースタンドに誘われて断り切れなかったのだ。断る言い訳が浮かばなかったわけではないのだが、いなされてしまうのは容易に想像できた。
「何か進展はあったのかしら」
やはりあの件の話になるだろう。とはいえ、
「特段ありません。バイトでもできれば出会いを望めましょうが、幾分」
ちらりと生徒会長を上目遣いで見る。アルバイトはできないことはない校則なのだが、何かの条文と同じで申請しなければならない。しかも、教員が許可しなければできない。つまり、面倒なのである。その面倒な手続きを面倒がらずに勤しむクラスメートがいることは知っていた。が、いざ自分となったら、それよりも優先したいことがあった。
「クラスの子たちと連絡を取り合ったりはしないのかしら」
「ええ、してますけど。私の周りですよ。陽キャはいないので合コンなんてありませ」
つらつらと吐くようにしていたが、言い切らないうちに両手で慌てて口を押えた。
「合コンがダメなんて校則はないわ」
相変わらず大きな抑揚なく話すので真面目に言っているのか、ボケをかましているのか判別がつかない。
「会長、校則に合コンなんて書くわけないじゃないですか」
つまりはボケだったというわけだ。会長の後輩も彼氏もツッコミはへたくそだ。速水が大きく気になったのはそこではない。
「もう、何度言ったら直すのよ。せめてプライベートは名前で呼んでよ」
そこだった。彼氏はいまだに役職で呼んでいる。彼が須田の友人であることはすでに知っていたから、輪島の後輩に当たる。とはいえ、交際を始めたというのなら上下もへったくれもなくなるのではないか。それがどうにも速水には納得できなかった。中学以来の癖とか、どっかの誰かさんがのたまわっていたような敬意みたいなのがあったとしても、屁理屈以外にないし、交際関係にそんなのを用いる必要も必然性もないはず。そんな推論の前に感情が嫌悪に近いものを催していた。
「ほんと、付き合ってんなら名前呼ばないと」
刺すようになったのは声色ばかりではない。自覚はなかったようだが、視線がそのものになっていたようで、
「ありがとう、速水さん。他人事なのに真剣になってくれて」
輪島から感謝までされた。が、どうにも感情が平穏になってくれない。(ヒトゴト?)一つのフレーズが胸の中で反復すると、虫唾が走るほどの熱が頭にあふれ出そうになった。理由は、なんてことに頭が回るはずもなく、ドラマにあるようにテーブルを盛大に叩いて立ち上がりそうになった。
「友和はどんなだい」
名村からの一言で苛立ちの熱は別の熱に一気に変換し、アイスレモンティの残りを一気に飲み干すことになった。ストローをグラスから抜いて氷をあおった。
「行儀悪くてすいません」
嚙み砕いてから今更の謝罪。柔和な笑みは気にしないでとのことらしい。輪島はそのままアイスコーヒーを啜った。名村もアイスコーヒーを啜ったが、それは女子二人の間合いを理解できずに手持ち無沙汰をごまかすようだった。
「屁理屈眼鏡野郎ですね、相変わらず」
名村の問いに簡素に答える。どうして副会長の名が出て来るとか、何か聞いているのかとか、いろいろ優先的に聞き返すこともあるのだが、そこには頓着せず正直に答えたという自覚はない。
「ボヤキ加減が友和に似てるけど」
「止めてください、ほんと。もうボヤけなくなるじゃないですか」
ストローで破片の氷しかないグラスの底をツンツンとつついている。明瞭だった先ほどまでの感情のブレはもう上級生は感じなくなっていた。むしろ、もっと分かりやすくなった。マグマが押し寄せて来ると思いきや、一面花畑になったのだ。艶やかではない。パステルのような、のどかな色彩の花。化学で合成された芳香ではない。それでもかぐわしささえ漂ってくるようだった。
そこからまあ出るわ出るわ。愚痴が。なんの義務のない手伝いをしている分際だが、だからこそ言いたい放題にもなるわけだ。副会長の舌打ちがビビるとか、副会長のキーボードの叩き方が感情に左右されていてイライラしている時のは聞いていられないとか、須田のランチが簡素すぎる時があるとか、須田の午睡の仕方とか。アイスレモンティをおかわりして、その半分を瞬く間に吸い上げるくらいに口内と咽喉を酷使するくらいに。気が済んだのはその残り半分をあおった後で
「じゃあ、私帰りますね」
合気道の達人のような身のこなしで席を立った。見送った名村はふと
「会ち」
台風一過の安堵を示そうとした。が、言葉が詰まった。席を移動して真向いになった輪島の目が笑ってなかった。気を取り直す。
「輪島さん、いったい何が望みなんですか」
「もっとデートにふさわしいトークをチョイスしてもらいたいのだけれど」
グラスの縁を指先でなぞる。爪がつややかに光っている。
「後輩の女子をおちょくっておいて今更デート云々ですか」
いらだっているわけではないがどこかとげがあった。
「おかげで彼女の人となりが分かったでしょ。伝聞の情報と検証してごらんなさいよ」
それでも輪島にとってはどこ吹く風で、
「いや、その必要はありません。予想よりもよくしゃべる子でしたが」
「でも耳障りが悪いわけではないでしょ」
「ええ、友和がツッコミに回るのが目に浮かびます」
「でしょうね」
鼻から大きく息を吐きながらそう相槌を打つ輪島はどこか遠くを見ているように、名村には見えた。
「あなたでもできたと思いますけど」
名村は視線をそらせて神妙に言った。確信犯的に念を押すように、あるいは強く訴えかけるように。
「さあ、私たちも出ましょう。行きたいところがあるの。彼女の服を選ぶのも、彼氏の務めよ。ほら」
そそくさと席を離れる輪島の背を見ながら、
「似たもの、……いや、いいや」
ため息をついて名村は後を追った。