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三元一次方程式

作者: 蒼波リョータ

私たちは、どれだけ世界を真摯に感じているのだろう。

 中学3年の秋頃、授業の一環として2日間の職業体験があった。基本的に自分で受け入れ先を探し、1人で参加することになっていた。私は家から近いとか単に興味があるからとかいう理由で、視覚障碍を持つ小学生の先生をやることにした。

 初日の朝、学校に行くと柔和な笑顔の女性が出迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました。沼岡視覚特別支援学校教諭の宮澤恵子です。どうぞよろしくね」

「今日と明日、お世話になります。幡野中学校3年の常田龍一です。よろしくお願いします」

注意点や体験の流れの説明を受けた後、すぐに教室に向かうことになった。思いの外あっさりと視覚障碍者とその生活を見られることになり、心の準備は不足気味だった。

 いざ子供たちと対面したときに最初に思ったのは、失礼極まりないが「人の目の印象って大きいんだな」ということだった。別に同じ年頃の子たちと特段の違いはないのに。

 簡単な自己紹介を済ませ、早速授業に取りかかった。教科は国語。題材は新美南吉の『ごんぎつね』。つい数年前と立場は逆転したが、こうして学校で勉強したことを懐かしく思い出した。普通より気持ちゆっくりすることを意識しながら、普通の授業のように音読を始めた。しばらく順調に進めていたが、小学生向けの既知の文章を相手のペースで読んでいることや、反応があまり見られないことに早くも退屈していた。一通り読み終えた後は宮澤先生にバトンタッチし、語彙の確認をしたり、登場人物の気持ちについて話し合ったりするのに加わった。みんな緊張していたのか、あまり活発ではなかった。

 休み時間に所在なげにぼーっとしていると、1人の女の子が話しかけてきた。

「お兄さん、授業、つまらないの?」

ストレートで素直と言えば子供のかわいらしさとして聞こえはいいが、それにしてもずけずけと踏み込んでくる。

「いやぁ、そういうわけではないんだけど。こうやって面と向かって読むことってそんなにないし、難しいなぁと思って」

ちらりと名札を見遣る。4年生、新垣すみれ。すみれちゃんか。

「ふーん」

「僕も何年か前に学校で習ったやつなんだけどね、ちょっと緊張しちゃって」

「そうなんだ。宮澤先生は上手だから、教えてもらいな!」

「そうだね、そうするよ。ありがとう、すみれちゃん」

苦笑しつつ答える。表情は見えないはずなのに、見透かされている気がする。適当な話題で取り繕うことにした。

「新垣すみれちゃん、いい名前だね」

「そうなの!お花の名前なんだよ」

「うん、すごくかわいくて綺麗なお花だよ」

言ってしまってから悔やむ。彼女は自分の名前となっているその花を見ることはできない。あの儚げな美しさを伝えられるだけの言葉は、私の中にはなかった。

「スミレはね、3月から5月くらいに咲くの」

「そうか、春の花なんだね」

「うん、わたしの誕生日も4月なんだ!」

「ますますぴったりな名前だね」

「お母さんが言ってたんだけどね、スミレは小さいけど道端とかいろんなところで咲くんだって。とっても元気なお花なんだって!」

「ふふ、人間のすみれちゃんも元気だよね」

「うん!あとね、色がたくさんあってね、紫とか白とか黄色とかピンクとか、いろいろあるの!それでね、それぞれ花言葉っていうのも違うんだって!」

「おお、物知りだね」

人が得る情報の8割から9割は視覚に由来する、と言われている。それが故に私たちは、見える情報に依存しがちだ。私はスミレがどんな花か知っている。写真を並べられて「この中からスミレを選べ」と言われれば、即答できるだろう。しかし私がスミレについて知っているのは、それだけだった。すみれちゃんの方が、圧倒的によく知っていた。知ろうとしていた。私はなんとなく見ていて、なんとなく知った気になっていただけだった。そしてこんなときに「百聞は一見に如かず」という残酷な諺が脳裏を掠めてしまう自分にも嫌気が差した。果たして、この世界をより具に“見ている”のはどちらだろうか。

 その後もいくつか授業の補佐をして、子供たちと一緒に給食を食べたり遊んだりしていたらあっという間に1日目は終了した。


***


 職員室でその日の振り返りをしていると、宮澤先生が言った。

「常田くんは自分で本を読むときも、あんなに楽しくなさそうなの?」

先生は優しく笑っていたが、言葉は鋭かった。そんなにわかりやすくマズかったのだろうか。

「・・・いえ、別に。ただそんなに演技をする必要はないかなと」

「うん、それはそうね」

「僕の読み方や表現で、子供たちの受け取り方が決まってしまうのもどうかと思って」

「言いたいことはよくわかるわ。私も最初はそうだったから」

宮澤先生が苦笑する。

「ちょっと目を瞑ってもらってもいいかな」

言われた通り孤独な暗闇の世界に入ると、宮澤先生が『ごんぎつね』を読み始めた。抑揚の付け方や間の取り方、決して大げさな表現ではないがすっと心に入ってくるセリフや心情など、端的に言って上手だった。私は確かに色彩や手触りを感じた。温かい。言葉が生きている。

「まだ、そのまま目を瞑っていてね」

朗読を終えた宮澤先生は一息つくと、再び最初から音読を始めた。先程よりは平板な調子でやや機械的な印象だが、内容は知っているので場面は見えてきた。しかし徐々に、あることに思い至った。そもそもここの子供たちには、思い浮かべることのできる情景の記憶やそれを元にした想像力はあるのだろうか。そして情感のない声を聞き続けているうちに、不安が襲ってきた。宮澤先生は怒っているのだろうか?面倒くさいと思っているのだろうか?この声は、本当にさっきまで目の前にいた宮澤先生の声なのだろうか?

「はい、もう目を開けていいよ」

既に音読は終わっていた。モノクロで無機質で、冷たかった。言葉は死んでいた。私は光の世界へ戻ってきた。

 常田くんがどう感じたか深くは聞かないけど、と前置きしてから、宮澤先生は滔々と話し始めた。

「大げさに読む必要はないけど、常田くんが本を読むときと同じように、子供たちが本を聴けるようにしてほしい。耳で読めるようにしてほしい。私たちは見えるから、文字の羅列から書き手の息遣いや想いや温度感、登場人物の鼓動や感情を自分で感じ取ることができるし、いろいろと想像することもできる。でもここの子供たちは、程度にもよるけど、間に立って言葉を伝えてくれる人がいないとそれは難しい。もちろん点字もあるけど、生の人の声の持つ力には代えられない」

朧げな記憶だが、こんな内容だったと思う。時計の秒針の音だけがやけに大きく響いていた。

 私の中に自分の言葉が沁み込むのを確認したのか、再び宮澤先生が口を開いた。

「そういえば常田くんは、なんでこの仕事を体験しようと思ったの?」

「・・・なんとなく、です」

「そう」

「・・・すみません」

再び秒針が動き始める。

「私もね、ずっと先生をやっていたわけじゃないのよ」

「そうなんですか」

「昔はホテルスタッフとして働いてたの。高校を卒業してすぐに。コンシェルジュっていうのを目指してね」

「へえー、コンシェルジュ」

「全国展開してる大手のホテルが地元にあったのよ。最初の数年間は下っ端として、なんでもがむしゃらにやってたわ」

「・・・それ、何年前の話ですか」

「えーっと・・・って、女性に対して年齢がわかる質問はしないの」

「え?あぁ、すみませんそんなつもりは・・・」

思わぬところで落とし穴に嵌りそうになる。

「そこでね、ある女の子に出会ったの。中学生くらいの子だったかな。お父さんとお母さんと3人で泊まりに来てた。ちょうど私が20歳の頃だったから、今から25年前かな」

宮澤先生が悪戯っぽく微笑む。穴というよりちょっとした凹みだったようだ。

「その子はね、視覚障碍者だった。詳しくはわからなかったんだけど、先天的なものではなくて、事故か何かで数か月前にそうなったばかりみたいで」

25年前に中学生くらいの女の子で、後天的に視覚障碍者になったばかりで、父と母と3人で旅行をしている・・・。

「最初はね、年頃の女の子なのにそんな状態だなんて、しかもせっかく景色の綺麗な観光地に来たのにそれを見れないなんて、“かわいそうだな”と思っちゃったのよ。でもね、ご両親が常に優しく寄り添っていて、喋りかけていて、愛情を注いでいて。視覚障碍なんかに、って言ったらちょっと不謹慎なんだけど、負けないように強く生きようとしているのが伝わってきて、私も何か”してあげたい“と強く感じたの」

意図的だろうか、やや強調された言葉が耳に残った。そして、甲斐甲斐しく世話をする両親・・・。

「ただ、その子はご両親に対してさえ心を閉ざしてしまっていた。せっかくの家族旅行なのに、心ここに在らずというか、あんまり楽しんでるようには見えなかった。でも考えてみれば当然よね。青春真っ盛り、無限の可能性に満ち溢れて、明るい未来を夢見ていたのに、一気に真っ暗闇の奈落の底だもの」

「それはとても・・・今の僕が同じ状況になったらと思うと・・・」

死んだほうがマシだと思います、という言葉を飲み込む。

「他のお客様の対応もあったから、特別何かをしたというわけではないんだけど、常に気にかけてはいたの。何かあったらすぐにお手伝いできるように。結局3泊していったのかな。それで最後のご夕食のときに・・・今でも忘れられないんだけど」

宮澤先生が深く息を吐いた。何か意を決しなければ話せないような出来事が起こったのだ。私は次の言葉を待った。急かさないだけの分別はあった。

「ご両親がね、写真を撮ろうとしていたの」


 「すみません」

 「はい、何かお困りでしょうか?」

 「あの、家族の写真を撮ってもらってもいいですか」

 「かしこまりました」


「本格的な一眼レフカメラを渡されてね。そんなの初めて持ったから、焦っちゃって。ぱぱっと何枚かだけ撮ればよかったのに、いろいろと使い方を教えてもらってたのよ。そしたら急に」


 「写真は嫌だ!」

 「いいじゃない。撮りましょうよ」

 「嫌だって言ってるの!」

 「何がそんなに嫌なの?」

 「・・・お母さんもお父さんも、何にもわかってない・・・」

 「もう子供じゃないんだから。そんなに駄々こねてないで、な?思い出作りだよ」

 「そうよ、記念に、ね?」

 「だからそれが嫌だって言ってんの!!私は何も見えないのよ!!あなたたちの自己満足でしょ!!

 私はこんな姿、残して欲しくないの!!」


「あんなに大きな声を出すなんて思ってなかったから、びっくりしすぎて固まっちゃって。レストラン内も一瞬凍り付いたんだけど、すぐに先輩が飛んできて」


 「お客様、どうされましたか」

 「あっ、いや・・・すみません、お騒がせして。何でもありません。大丈夫です」

 「さようでございますか。何かありましたら、お気軽にお声がけください」


「それですぐに落ち着いたからよかったんだけどね。去り際に先輩が私を見て訝しげな顔をするから、そこでようやく身体が動いて。すぐに一眼レフをお返ししたの。しばらく持ってたからなのか、なんだか妙に重く感じたのが、今でもこの手に残ってる」

「・・・大変でしたね」

「たとえご両親でも、どれだけ愛情をもって接しても、一度凍ってしまった心を溶かすのは難しいんだなって。一歩間違えれば粉々に砕け散ってしまうんだなって。結局、見える人に見えない人の気持ちはわからないのよ。“かわいそう”とか“~してあげる”っていうのは上から目線の言葉で、自分本位の考え方なんだなって痛感したわ」

その女の子の叫びには、怒りや嫌悪感から始まって、苦しさやもどかしさ、最後には深い悲しみや諦念がこめられていたように思えた。私はその場にいなかったから当然わからないし、いたとしてもそれだけ複雑な彼女の心情を理解することは到底不可能だっただろう。

「その後はご両親も口を噤んでしまってね。しばらくしてレストランを出るときに謝罪されたんだけど、私もどうしていいのかわからなくて」

「・・・誰も悪くないというか、悪意がある人がいないのがまた難しいですね」

「そうね、もし全て自分のせいだと思う人がいたら、おこがましいにもほどがあるわね」

宮澤先生が自分の身体を抱きしめるようにしながら、ゆっくりと頷く。

「その一件があってから、自分の至らなさとか働く意味とか急に真面目に考え始めてね。思えばコンシェルジュになりたいって、自分のことしか見えてなかったなって。もちろん、接客業だからお客様のことが第一なんだけど、結局自分の目標のための駒みたいなものだと無意識のうちにみなしてたのかなって。改めて、もっとしっかりと人と向き合いたいと思ったの」

軽い気持ちで職業体験に参加し、なんとなくという理由を口にしてしまった自分に、忸怩たる思いを抱いた。

「それで一念発起して今の仕事に就いたんだけど、それも失敗の連続でね。あのとき強烈に“視覚障碍者の気持ちはわからない”って心に刻み込まれたはずなのに。喉元過ぎれば熱さを忘れるってまさにこのことかと。油断か驕りか、私の思い込みや独りよがりで傷つけてしまうこともたくさんあったわ。そして今でも、上手くいかずに反省することの連続なのよ」

宮澤先生がぎこちなく微笑んだ。私への励ましと、自身への後悔とが混ざり合っていた。

「さて、昔話はこれくらいにしてと。何か聞きたいことはある?」

「・・・あのそういえば、さっき、25年前とおっしゃってましたよね」

「そうよ、何度も言わせないでよ、歳がばれるから」

我ながら話題を変えるのが下手だなと思うが、これだけはどうしても聞いておきたかった。

「地元のホテルとも言ってましたけど、場所はどの辺りですか?」

「あら、言ってなかったかしら。長野よ。長野市とか小布施町とかその辺り。今はもうそのホテルはないんだけどね」

「長野市、小布施町・・・、なるほど」

「何か気になる?所縁でもあるの?」

「あっいえ、特には。単純に、どこなのかなぁって」

「そう・・・。のんびりしていていいところよ。最近はあまり帰省できてないけど」

宮澤先生がぎゅっと握った自らの手を見つめている。記憶を辿り、遠くの故郷へと想いを馳せているのだろう。私も時を遡り、不確かな記憶を頼りにある人を想ってみる。

「さっきも言ったけど、私たちに視覚障碍者の気持ちは完全にはわからないの。でもだからと言って、理解することを放棄してはダメ。寄り添うことを諦めてはダメ。わからないものはわからないと割り切ったうえで、共に生きていこうと頑張るの。まぁ、あくまで職業体験だからそこまで求めるのはちょっと酷かなぁとは思うのだけど」

 いつの間にか、窓が黒い鏡となって私の姿を映し出していた。もうすっかり日が暮れてしまったようだ。

「あとね、聴く力に関してはみんな物凄く敏感で、読んでいる人の心の機微や気分には繊細に反応するのよ」

鏡像の私は、黙って頷いていた。


***


「ただいまー」

「おかえり、龍ちゃん。ご飯できてるわよ」

「サンキュー、ばあちゃん。じいちゃんもただいまー」

「おぉ、おかえり」

聞きたいことは山積していたが、ひとまず逸る気持ちを抑え、腹ごしらえをすることにした。

「いただきまーす」


「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。はい、お茶どうぞ」

「ありがとう」

湯気が立ち上り、お茶のいい香りに包まれる。

「職業体験はどうだったの?」

「大変なのは覚悟してたけど、予想よりずっと大変だったよ」

「それはそうよ、普通の学校の先生だって大変なんだもの、ねえ」

「そうだな。ずっとやってたけど、楽だと思ったことは一度もなかったな。まぁでも龍一がこの仕事を選んだのも必然というか。このじいちゃんばあちゃんの娘の子供だもんな」

「そのことなんだけどさ、お母さんについてちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「おお、何だ?」

「お母さんってさ、中学生のときに事故に遭ったんだよね」

「・・・あぁ、そうだ」

いきなり踏み込みすぎたかなと思う。

「中学3年生くらいの頃だっけ」

「えぇ、進級してすぐだったわね・・・。ちょっと浮かれすぎちゃったみたいで」

「あぁ、もっと地に足をつけるように言っておけばな・・・」

あまり湿っぽい方向には行ってほしくないので、軌道修正を図る。

「それでお母さんが退院してからさ、頻繁に家族旅行をしてたんでしょ?」

「そうね、家にいても塞ぎ込んじゃうし、なんとか元気になってほしかったし。気分転換にでもって」

「その旅行で長野って行ったことある?」

「長野か、行ったことあるぞ。2,3回目の旅行だったかな?なぁばあさん?」

「えぇ、小布施とか行きましたね。写真があったはずよ。ちょっと待っててね」

祖母が席を立った。私はまだ少し熱いお茶をぐっと飲みほした。この後のことも考えつつ、お茶のおかわりを淹れに台所に向かう。祖父は腕を組んで何か考え込んでいた。

 居間に戻ると、テーブルの上に大量のアルバムと写真が並べられていた。

「旅行以外のも含めて、全部持ってきちゃったわ」

「こうして見ると、随分たくさん撮ったんだなぁ」

「その長野旅行のは、どれ」

「えーっと・・・、あった。これよ」

1冊のアルバムを受け取り、中を開いた。几帳面な祖母らしく、日付や行先、行程などのメモが挟まっていた。写真を見ているうちに、うっすらと予想していた通りではあるが、ある不自然な点に気がつく。何も知らない風を装って、無邪気に聞いてみた。

「景色の写真が多いね。あとは建物とか、食べ物とかかな。人が写ってるのは・・・じいちゃんばあちゃんが写ってるのは何枚かあるけど、お母さんが写ってるのは1枚もないんじゃないかな」

「あ、あら、そうかしら」

「他のアルバムはどうなんだろう」

ざっと調べてみて初めて分かったことなのだが、恐らく事故後から成人式までは、母親は一切写真を撮らなかったらしい。あるいは、写ってはいたが現像しなかったか、何かのきっかけで廃棄したのかもしれない。とにかく、幼少期から中学3年生になる頃までと、成人式以降、私の幼稚園の入園式の頃までしか、母親の写真は見つからなかった。

「確かにこれだけ綺麗な景色とかお寺とかだったら、そっちばっかり撮りたくなるよなぁ。カレンダーとかにできそう」

「じいさんは風景写真が好きだったからね」

「あぁ、そうだな。いつか医療が発達して娘の視力が回復したら、見せようと思ってたんだ」

嘘だと直感した。正確には、半分は本当だが、半分は別の理由があるのだろうと思った。それだけでは母親が写らなかったことの説明にはなっていない。やはり、宮澤先生が話していた女の子と、私の母親は・・・。

「でも、結局それは叶わなかったんだよね。僕が5歳のときに死んじゃったんだっけ」

「えぇ・・・そうよ。まだ30歳だったのに・・・」

「本当は一緒に納棺しようと思ったんだけどな、残しておきたくて」

「懐かしいわねぇ・・・。この振袖の写真なんか、いい写真ね。本当に綺麗」

「あぁ、いい顔してるよ。いろいろあったけど、きっと楽しい人生を生きたと思う」

「そうね」

各々が過去を振り返っていた。すでにお茶は冷えきってしまったようだった。

「お父さんは全部知ってるの?」

「さぁな・・・じいちゃんたちから話したことはなかったからな」

「・・・元気にしてるのかね」

父親は、母親が亡くなってから私が10歳になるまでは男手一つで育ててくれた。しかし妻を失った悲しみは癒えることなく、仕事の忙しさも相俟って、ついに心を病んでしまったのだった。母方の祖父母に面倒を見てもらうことにしたと告げられたとき、私は何も言うことができなかった。何か言ったところで何も変わらないことはわかっていた。そうするしかなかった。私が最後に見た父親は、子供のために子供と離れなければならない寂寥感を滲ませ、疲弊し憔悴しきった顔で、ひたすら謝罪の言葉を口にしていた。

「龍一にも、迷惑かけたわね」

「いや、そんな・・・こっちこそ、ちょっと荒んでたし・・・ごめん」

「まぁ、あそこの壁の穴も、今となってはいい思い出だな」

「それはもう忘れてください」

思わず笑みがこぼれる。

「そうだ、写真何枚か借りてもいい?」

「えぇ、どうぞ」

覚えているか定かではないが、宮澤先生に見てもらおう。長野旅行のアルバムから風景の写真と、母の成人式の家族写真を選んだ。

「じゃあ、明日も早いし、お風呂入って寝るね」

「はいよ」

通学カバンに写真をそっと収め、浴室へと向かった。


***


 職業体験2日目。この日も国語の授業があった。前日と同じく『ごんぎつね』の読み上げから始めた。オーバーな表現はしないが、耳で読めるよう、心を込めた。私は見えるから、見えない人の気持ちはわからない。でも宮澤先生の伝えたいことはなんとなくわかったのだった。宮澤先生がどれほどの想いで子供たちと向き合っているのか、私がどれほどいい加減な態度で子供たちと向き合っていたのか。あのとき、宮澤先生の2度目の音読を聞いたときに感じた不安は、暗闇の中では耐えがたい恐怖へと変わった。昨日の私は子供たちにこんな思いをさせていたのかと激しく後悔した。

「『おれと同じ一人ぼっちの兵十か』」

唐突に、ごんの行動の理由がわかった気がした。ごんは孤独だった。誰かに構ってほしくて、家族や友人がいる人が羨ましくて、いたずらを繰り返していたのだろう。しかし寂しさは免罪符にはならないし、行動だけでは想いは伝わらなかった。

 朗読を終えて顔を上げると、すみれちゃんが手を挙げていた。

「お兄さん、泣きそうだったね」

虚を衝かれて固まっていると、宮澤先生が助け舟を出してくれた。

「どの辺りでそう感じたのかな」

「兵十のお母さんが死んじゃって、ごんが『おれも兵十も一人ぼっちか』って言ったところ。本当に悲しそうだった」

その言葉で本当に泣きそうになったがグッと堪える。

「そうですね。先生も、とても気持ちがこもっていると思いました。じゃあ、なんでそこで悲しくなったのか、みんなで考えてみましょう」

前日の様子が嘘のように、子供たちは積極的に意見を述べ始めた。単に昨日仲良くなって緊張がほぐれたからなのか、物語の内容に馴染んだからなのか、別の理由なのかはわからなかった。しかし、光を失ったはずの瞳は確かに輝いていた。


***


 全ての課程が終わり、2日目の振り返りを先生にチェックしてもらっているときのことだった。

「昨日はちょっと厳しいこと言っちゃって、ごめんなさいね」

「いえ、全然いいですよ」

「昨日と今日では見違えるように上手になってたわね。感心しちゃった」

「ありがとうございます。・・・あの、昨日の話なんですけど」

宮澤先生が書類を繰りながらちらりとこちらを見る。

「実は僕の母親が昔、宮澤先生が働いていたホテルに泊まったことがあるかもしれないんです」

「あら、すごい偶然ね。もしかしたら会ってたのかしら」

「確証はないんですけど、恐らく・・・。僕の母親、中学生のときに事故に遭って視覚障碍者になったんです」

宮澤先生の手が止まる。

「3年になってすぐのときらしいです。その後、たまたま長野に旅行してたみたいで」

「そうだったのね・・・じゃあ、あの子が常田くんの・・・。なんだか、ごめんなさい。一番身近にそういう人がいるのに、私なんかが偉そうにぺらぺらと」

「あっいや、僕が5歳のときに死んだので、正直あまり記憶はないんです」

「それは・・・」

甲高い声を上げ、木枯らしが通り過ぎていく。私は家から持ってきた写真を差し出した。

「見覚えありますか?」

「・・・懐かしい景色。あの頃を思い出すわ。でも、確かに場所は近いけどこれだけではなんとも・・・。成人式の写真も、あのときからは数年経ってるし、おめかししてるでしょうから・・・」

「そうですよね・・・」

「ご両親の顔も、自信はないわね・・・25年も前のことだから」

無理もない。いくら印象的な出来事でも、いや、むしろ出来事が強烈だったからこそ、顔までは覚えていないようだった。

「ごめんなさいね。でも、振袖の写真、とっても綺麗よ。凛とした美しい方ね。こんなにいい顔をしてるんですもの、きっと楽しい人生を生きたと思うわ」

祖父母と同じ言葉にハッとする。偶然の一致だろうか。

「・・・ありがとうございます。母も喜んでると思います」

祖父母を問い詰めてホテルでの話を聞けば、真実に行き着くだろう。しかし、そんな野暮なことはしたくなかった。する必要はないと思った。もう充分だった。宮澤先生と私の母親が交わり、母親が私を産み、私と宮澤先生が交わった。時を越えて、場所を越えて、3つの点はつながった。そんな気がした。そう信じたいと思った。

 窓の外には、夜の帳が下り始めていた。


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