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第一章 美しい女王達

 日々、取経の旅を続ける三蔵一行は、険しい山越えを終えて、新しい土地へと足を踏み入れるところであった。

 草木もまばらな岩山をやっとの思いで越えた後で、彼らを迎え入れたのは、天には小鳥がさえずり、地には柔らかな草花が咲き誇り、滴るような木々の緑には甘い香りの果実がたわわに実る、美しい地だった。

「悟空や、私達は天竺に着いたのではあるまいか」

 三蔵法師の呟きに悟空はカラカラと笑った。

「お師匠さん、冗談言っちゃいけません。天竺なんざ、まだ何万里も先か知れやしない」

「けど、兄貴、ここは確かに良いところだなあ。風の匂いを嗅いでいるだけで、腹が鳴って来ちまわあ。如意棒をちょいと使って、果物をいくつか取ってくれよ」

 八戒がねだると、悟空も満更でもなさそうに頭上の樹木を見上げた。

「ここの木の実の豊富なことと言ったら、花果山を思い出すなあ。お師匠さんも喉が渇かれたことでしょう。どれ」

 耳の穴の奥から針ほどの物を取り出して、ひょいと振れば、たちまちそれは悟空の手に合った長い棒に変わった。

 悟空が木の実を叩き落そうとしていると、背後に控えていた悟浄が声を上げた。

「兄貴、ちょっと見てくれよ。向こうのほうから、妙な連中がやって来るみたいだ」

「うん?」

 金晴眼を行く手に向ければ、一行に向かってずんずんと近づいて来る、金銀の煌きと真紅の旗印が目に留まった。

「ありゃあ、人間の軍隊じゃないか」  

 悟空の合図と共に、三人の弟子達はたちどころに白馬にまたがった三蔵の周囲を囲み、守りの体制に入った。

 悟空の言葉通り、現れたのは金銀の鎧を身にまとい、真紅の旗を掲げた、騎馬の軍隊だった。軍の先頭では栗毛の馬にまたがり、白銀の鎧をまとった、一人の武者が指揮を執っていた。

 いつでも戦闘にかかれるように悟空達が身構えていると、悟空達に近づく手前で軍隊は一斉に動きを止めた。

 指揮官の合図で軍勢は馬から降り、地にひざまずいて拝礼の形を取った。

 最前列で拝礼した指揮官が男にしては高く通る声で呼びかけた。

「そちらにおわするは、三蔵法師様ご一行とお見受けいたす。我らは怪しき者ではござりませぬ。(わたくし)花杜国(かとこく)の第二王女にして、軍機将軍、() 桜花(おうか)と申す者。国王陛下の命により、王宮に三蔵法師様のご光臨を賜りたく、お迎えに参上した次第にございます」

「王女が将軍だって?」

「ここは女人国か?」

 思わず呆れ声を上げた悟空と八戒を上目遣いにキッと睨む将軍は、姿かたちこそ勇ましいが、確かに無骨な甲冑も隠せぬ、うら若い少女らしいたおやかさがあった。

 あからさまに女と侮られて、内心はさぞ腸が煮えくり返っているだろうが、平常心を装って、桜花と名乗った少女は繰り返した。

「ここは花杜国。国王陛下のおわす王宮はここから馬で三日の道のりです。なにとぞ、三蔵法師様のご光臨を賜りたまえ」

「お待ちください。拙僧達は人家ひとつない山道を丸五日間進み続けて、やっとこの国に足を踏み入れたばかりです。それなのに、どうしてこの私の名をご存知なばかりか、お迎えがいらっしゃるというのですか?」

 戸惑った三蔵の問いに、少女は平伏した。

「簡単なことでございます。我が国の国王陛下は生まれつき、先見(さきみ)の才があり、未来の出来事を予見なさいます。陛下はついひと月前、天竺へ取経の旅に向かわれる途中の三蔵法師様が、三人のお弟子と共に白馬に乗って、花杜国へいらっしゃると予見なさったのです」

 三蔵はおろおろと自分を囲む三人の弟子を見回した。

「弟子共や、どうしたものかのう?」

「少なくとも、この人間達は妖怪の化けた者じゃありませんね」

 鼻をヒクヒクと動かして、悟空は答えた。

「迷うことはありやせんや。これだけ派手なお出迎えをしてくれたんだ。ご馳走が待ってるに違いありませんぜ。行きましょう、お師匠様」

 八戒は舌なめずりをせんばかりである。

「いずれにしても、この国を通る以上、国王陛下にお会いして、通行手形をいただく必要がありますし、誘いに乗って見られてはいかがですか?」

 ためらいがちに悟浄もうなずく。

「分かりました。お誘いをお受けいたしましょう。案内を頼みます」

 三蔵が答えると、見るからにホッとした気配が軍勢の中から現れた。

 その喜びように、単なる信心ではない何かを感じ、嫌な予感を覚えた悟空だったが、師匠が決めたことを覆すだけの根拠もなく、一行は花杜国の軍勢と共に、この国の王宮を目指すことになった。


 花杜国の軍勢に案内されて、三蔵一行は都の中心にある王宮へとやって来た。

 さほど贅沢ではないが、都には活気が溢れ、商人が行き交い、人々は自然に恵まれて、豊かに暮らしているようだった。

 見事な花園に囲まれた宮殿は、白い石壁で作られていた。

 軍勢は宮殿へと上る階段で止まり、桜花将軍が宮殿の内部への案内を申し出た。将軍は三蔵が白馬から降りると、うやうやしく将校に命ずることを忘れなかった。

「このお方はただの馬ではない。龍王のご子息が変じたお姿で在らせられる。長旅で疲れておられるであろう。充分におもてなしするように」

 玉龍(ぎょくりゅう)が驚いた様子でいなないた。悟空達も顔を見合わせる。今までの旅で、玉龍の正体をあらかじめ知った上で、丁重な扱いをする者などいなかったからである。

「なんでもご存知なんだな。それも王様の予知とか言うやつかい?」

 悟空の言葉に「御意」と短く答え、桜花は三蔵達を宮殿の奥へと導いた。

 すると、柱の陰から二つの影が揺れた。はしゃいだ声がして、影のひとつが姿を現した。それは華やかな服装の六、七才くらいの愛らしい幼女であった。幼女は真っ直ぐに将軍の胸元に飛びこんだ。

「桜花姉さま、お帰りなさい!」

「これ、桃花(とうか)。お客人の前で無礼だぞ。きちんとご挨拶をしなさい」

 桜花の諌めに、桃花と呼ばれた幼女は素直に姉から離れた。幼い手を合わせ、三蔵一行を拝礼する。

「花杜国第四王女、() 桃花(とうか)と申します」

 桜花は柱の陰でたたずんだままの、もうひとつの影に呼びかけた。

梨花(りか)、お前もご挨拶なさい」

 その声におずおずと柱から歩み出たのは十二、三才の内気そうな少女であった。柱からあまり離れない位置で、鈴の鳴るような、かぼそい声で少女は拝礼した。

「花杜国第三王女、() 梨花(りか)と申します」

 だが、すぐに恥ずかしそうに衣に顔を隠してしまった。反対に桃花は恐れる様子もなく、物珍しげに一行を見回した。

「このお方が三蔵法師様とそのお供の方々なの?」

 桃花の視線が八戒へと向かう。

「まあ! なんて大きなお鼻とお耳なの!?」

「桃花! 私は姉上のところに皆様をご案内するから、お前と梨花は下がっていなさい」

 幼い姉妹は姉の言葉に従い、ゆっくりとその場を離れた。

天蓬元帥(てんぽうげんすい)殿、末妹のご無礼、平にお許しを」

 深く頭を垂れられた上に、先の世の名を呼ばれて、さすがの八戒も度肝を抜かれた様子であった。

「玉龍のことと言い、驚いたな。全てお見通しってわけだ。じゃあ、俺様の名前も、悟浄の名前も当然知ってるんだろうな」

 悟空の問いかけに桜花は深くうなずいた。

「はい。あなた様は五百年前に天界を騒がせた、斉天大聖(せいてんたいせい)殿、そして、そちらにおわするお方は、捲簾大将(けんれんたいしょう)殿にございましょう」

 言い当てられて、悟空と悟浄は満更でもないような、しかし薄気味悪いような気分に囚われた。


 王宮の中心に当たる玉座の間に一行は案内された。玉座に座るは、天女のごとく儚げな美しさを湛えた妙齢の女性であった。

 一行を玉座の間に案内すると、先に立って歩いていた桜花は、己の兜を脱ぎ、玉座の横に控えた。その顔を見れば、年の頃は十六、七、顔つきは女王と似通ったところがあり、二人が姉妹であることはすぐに分かった。この女王こそが四人の姉妹の長姉なのであろう。

 女王は一行が入ってくるのを見ると、玉座から自ら降りて、平伏した。

「三蔵法師様の拝謁を賜り、光栄の至りでございます」

 三蔵は慌てて女王の元に駆け寄った。

「陛下、どうぞご尊顔を上げ、お立ちくださいませ。拙僧はただの取経の坊主。過分なお気遣いは無用にございます」

 三蔵の言葉にゆっくりとかぶりを振り、女王は平伏したまま、告げた。

「花杜国国王、() 蓮花(れんか)と申します。三蔵法師様にたってのお願いがあって、王宮へとお招きいたしました」

「願い事とは、はて……」

 以前、女人国で女王に結婚を迫られるという目に遭っている三蔵は、戸惑いながら問い返した。

 ところが、切羽詰った様子で女王が切り出したのは全く別の問題であった。

「なにとぞ、そのお力を持って、花杜国をお救い下さいませ。今、この国は恐ろしい妖怪に狙われ、危機に瀕しているのでございます」

 やはり、そう来たか、と悟空は考えた。

 三蔵は戸惑いつつも、律儀に答える。

「拙僧には妖怪を下す才はありませぬが、拙僧の弟子共は妖怪を下す能力を持っております。陛下のお困りの御事情を詳しく伺うことができれば、弟子達が陛下のお役に立てましょう」

 そこでたまりかねた八戒が怒鳴った。

「やいやい! そっちから王宮へ来いと呼び出しておきながら、いきなり頼み事たぁ、どういう了見だ!? こっちは長旅で疲れているんだぞ!」

 その言葉にハッと気づいたらしく、蓮花女王は背後に控える桜花将軍に袖を振って合図した。

「これは心焦るあまりに失礼を致しました。おときの用意ができております。まずは長旅の汚れを落とされて、ゆっくりお食事をなさりながら、わたくしの話を聞いてくださいませ。桜花、お坊様達を広間にご案内しておくれ」

「これ、八戒!」

 三蔵が叱りつけるが、八戒の心は既に食事に飛んでいるようだった。

 桜花将軍の案内に従って、四人が王宮の広間に行くと、そこには巨大なテーブルが置かれ、豪華な精進料理がところ狭しと並んでいた。しかも、続き間から漏れて来る匂いから、お代わりのための米が続々と炊き上げられている事が伺えた。

「八戒の大食らいも承知の上という訳か」

 五つ並べられた席のひとつに、小さな膳ではなく、ほかほかと湯気を立てたお櫃がそのまま置かれているのを見て取り、悟空は苦笑いをした。

 侍女が捧げもって来たたらいと清潔な布で、手足の汚れをさっと落とし、一行は席に着いた。八戒はこの国中の米を全て食らい尽くす勢いで食べ進み、城に仕える者達は総出で、次々に食事を運び込んできた。

 もともと小食な三蔵はじきに食事を終え、それを待っていたように、蓮花女王が現れた。女王は三蔵の隣に恭しく座り、事の発端を語り始めた。

「この国は森の実りと、森を切り開いた土地の耕作から資源を得ております。日々の暮らしを支えるためには、天候や地脈の流れをあらかじめ知っておく事が何よりも大切なため、わたくしの予知の力が国の民には役立つのです」

 「なるほど」と食事に集中する八戒以外の者がうなった。農耕を国の支えとしているのならば、先々の事が分かる女王の能力は便利だろう。

「花杜国の王家には代々、わたくしのような予知能力を持った者が生まれ、そのために国を束ねる王族として選ばれたと言われております。わたくしの前には祖父がこのような能力を持っていたと聞き及んでおります。五年前に父母が病にて相次いで身まかった後は、わたくしが即位し、この国を姉妹四人で支えて参りました。……ところが、三年前に国の北西に妖怪が棲みつき、青嵐大王(せいらんだいおう)と名乗って、大勢の手下を連れて、村々を襲っては収穫を奪い、若い娘をさらい、国を荒らすようになりました。軍機将軍が何度か軍を伴って討伐に向かったのですが……」

 言葉をとぎらせる蓮花女王に代わり、背後に控えた桜花将軍が後を継いだ。

「青嵐大王の力はすさまじく、我々は手下は抑えられても、大王自らが先陣に立たれると、その妖力でたちどころに兵達は倒され、退却せざるを得なくなるのです。その上、図に乗った青嵐大王は姉上の予知能力に目をつけ、『花杜国女王を己の后として、この国の玉座ごと寄越せ』と言い出す始末」

「わたくし一人が嫁いで、それで民が救われるのならば、わたくしごときの身の上は構わないのですが…」

 気弱げに口を挟む女王に、キッと視線を走らせて、桜花将軍が言い放った。

「姉上! そのようなお考えでどうなさいます! 残虐で破壊することしか知らない、あのような妖怪が、この国の王として君臨した上、姉上の予知能力を手に入れれば、この国どころか、近隣諸国を攻め滅ぼす事を企み、たちどころに花杜国は荒れ果ててしまうでしょう! ……三蔵法師様、今は我々がかろうじて陛下をお守りしておりますが、いつ何時、大王自身が陛下を奪うために王宮へと攻め入って来るか、分かりません。なにとぞお力添えを!」

「……お話は分かりました」

 三蔵法師はゆっくりとうなずいた。

「それはさぞ、お困りのことでしょう。悟空、八戒、悟浄、妖怪を退治してさしあげなさい」

「しかし、我々は取経の旅に急ぐ身……」

 悟空がためらいの言葉を発すると、それもまた見抜いていたかのように蓮花女王が言った。

「この国から西方浄土へと続く道のすぐ傍に、青嵐大王は居城を構えております。西方へ旅に向かわれるなら、いずれは相戦わねばならない相手かと存じます」

「それなら仕方ないな。八戒、悟浄、お前達はこの城で少し待っていろ。俺はその青嵐大王とやらの様子を伺って来る」

 八戒が目をパチパチさせた。

「珍しいな、兄貴。いつもなら、俺に働けって言って、俺を連れていくくせに」

「……嫌な予感がするんだ。青嵐大王というのは、相当、ずる賢い妖怪のようだ。狙っている女王のところに、妖怪の大好物のお師匠様がいると分かったら、女王とお師匠様を共に連れ去ろうと考えるかもしれない。そのための様子伺いだ。俺の留守の間に何かあったら、お前達はしっかりお師匠様と女王をお守りしてくれ」

 八戒と悟浄は真面目な顔で「分かった。任せてくれ、兄貴」とうなずいた。

 悟空は金斗雲(きんとうん)に乗り、北西へと向かった。

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