#05 五月雨 五月(後編)
――現在九時十五分。Maps居住区側のリビングルームにて。
ソファーに座り優雅に紅茶を味わっている五月。
かたや正座の体勢で、ぐったりと床に突っ伏している深夜子である。
「……で、寝待さん。そろそろ落ち着いて話をしていただけませんこと?」
「無念……」
ソーサーにティーカップをおいて一息。五月は思案する。
正直、有無を言わさず襲撃してきた目の前にいる深夜子に気を使う必要はない。
しかしながら、これから同じ現場で働く同僚であり、よりにもよってチームリーダーだ。先を見据えて穏便に話を進めることにする。
「別に、もう貴女を責めるつもりもありませんわ。どうしてああなってしまったのか、経緯を教えてくださいませ」
「うう……それが――」
当然ながら。
「はいっ!? なっ、ななな……」
深夜子の話が進む度に。
「ゆ、夢の話って……あっ、あああああ」
五月の眉間や額にはピキピキと血管が走り――。
「あっ、貴女っ! バッ、バカですのおおおおおおおおっ!?」
「ひいいっ! すまぬ……すまぬ……」
――お怒りでしょうそうでしょう。
あまりのことに五月はお説教タイムへと突入してしまった。
が、しばらくしてやっと目を覚ましたのか、深夜子から反省の意志がうかがえたので終了する。
その後は警護対象である朝日の話題へ切り替え、着任から昨日までの出来事を伝え聞いたのだが……。
「……貴女? いくら男性側からと言っても、その後の対応が論外ですわね。自制心と言うものがありませんの? 訴えられてもおかしくありませんわよ」
「はぅっ……面目ない」
こちらも問題だらけだった。
本当に深夜子がチームリーダーで大丈夫なのか? 五月に不安がよぎる。
「それにしても、神崎様……でしたわね。私も時間が無い中でしたが、そも特殊案件。内容は把握しておりますが……そんな無防備な殿方がいらっしゃるなんて――」
そして、ちょっと信じられない保護対象の話。五月は思案にくれる。
「んー、会えばわかるけど。朝日君はもう少し寝かせてあげたい」
「そう……ですわね。殿方に無理をさせるわけには行きませんわ。もうニ、三時間はお待ちしましょう」
五月は腕時計を確認して、どうしたものかと思いつつ紅茶をひと口。すばやく考えをまとめ、カバンからタブレットを取り出した。
「それでは、その時間で情報のすり合わせをいたしましょう。三人揃ってからのスケジュール組み立ても必要ですわね」
「おおっ……なんか仕事してる感。やるな五月」
「本来はチームリーダーの貴女の仕事ですわよ!」
どの口がそんなことを……ん?
「――って、さっきーてなんですの? さっきーって?」
「五月だから五月。いい感じ」
満足そうな表情を浮かべ、深夜子が右手でサムズアップしてくる。
「それから、あたし肉体労働派」
「んなっ!? ……はぁ、私が強引に異動になった理由がなんとなく理解できましたわ…………まあどうぞ、お好きにお呼び下さいませ」
なるほど。上司がやたら申し訳なさそうに異動命令をだしてきたことに合点がいく。
カチャリと眼鏡の位置を整え、心を落ち着かせようとするも自然とため息が口をついてでる。
なんせ深夜子がチームリーダーである以上、サポートに徹するしかない。……先が思いやられる。五月は天を仰ぐ。
「これは……どうやら貧乏くじを引いたようですわね」
「そんなことない! 朝日君の担当。絶対ラッキー」
そのぼやきに、深夜子が驚くほど敏感に反応した。
急に真面目な顔を向けて断言してくる。どういうことかと少し戸惑ってしまう。
「あの、寝待さん――」
「深夜子。あたしのことは深夜子でいい」
「そうですの? ――こほん。では、深夜子さん。貴女よくもそこまで言い切れますわね?」
「んー、だって朝日君だし。ま……はい」
前触れもなく、深夜子が書類を差し出してきた。
「え?」
「朝日君の写真とか、データにのらないやつ」
確かに、男性の個人情報は非常にセキュリティランクが高い。
遠方にいた自分を含むもう一人の担当には制限のかかった一部の情報しか届いていない。
それにしてもドヤ顔で写真を渡してくる深夜子の意図がいまいち理解できない。
五月は何気に手に取った写真に目を――――っ!?
「………………」
「五月、顔がハニワみたくなってる」
「――ハッ!?」
写真には天使が写っていた。
ありえない。過去の出会ってきた男性たちと比較にすらならない美少年。
危うく意識が飛びかけたところだったが、深夜子の一言とさらなるドヤ顔で冷静さを取り戻した。
「ちょっ!? こっ、こここんな美少年が存ざ――あっ! ああ……いえ。まっ、まあ、そうですわね。多数の警護任務経験がある私でも少々お目にかかったことのない。見目麗しい殿方だとは思いますわ」
「本物の朝日君はもっとかわいい。ふへっ」
「えっ? ほんと――ではなく。深夜子さん! チームリーダーなのですから、しっかりしていただかないと」
危うかった。深夜子の言うラッキーに激しく同意であるが、五月にも説教をした手前とエリートとしてのプライドがある。
あらやだ超お素敵な殿方ですわ、と同レベルに落ちるわけにはいかない。煩悩を振りはらって立ち上がった。
ここは一つ、深夜子にMapsたる者のなんたるかを示してやらねばなるまい。
五月はビシッと右手を胸の前に当てる。
「よろしいですか。確かに、このような素敵な殿方に泣きつかれてしまっては、警護任務経験のない深夜子さんには厳しいと思いますわ。ですが、我々は名誉あるMapsの一員ですの。そこは、きっちり、理知的に、かつ淑女的対応をするべきなのですわっ!」
「はぁ、そうなんだ」
まるで、なんのこっちゃい。と言わんばかりな深夜子の生返事。だが、ここで引くわけにはいかない。
「聞いたところですと……神崎様はきっと、まだ、不安にかられておられると私思いますわ」
「んー、そうでもない」
「いいえ、そんなことありませんわ。な、の、で、私がしっかり。しぃーっかりと神崎様のカウンセリングを致しますわ!!」
「ところで五月、さっきから鼻息ヤバイ。なんか期待してる?」
「んなあっ!?」
深夜子からまさかの率直な質問がかえってきた。
五月は顔が耳まで赤くなるのを感じる。
「なっ、ななな何をおっしゃいますの? わ、わたっ、私は深夜子さんにMapsの先輩として……こ、ここは神崎様への正しい対応を実践を持って教えて差し上げる。ということですわ!」
「へぇ、そうなんだ」
深夜子の視線が、わりとどうでもいい。と告げている。くっ。
「と、ともかく。まだ時間はありますから情報のすり合わせを致しましょう。特に神崎様の件を中心に!」
「ん、らじゃ。ま、時間になったら朝日君呼んでくる」
ついには、なんかめんどくさそうなので、適当に合わせましたよ的態度で深夜子にあしらわれた。ぐぬぬ。
――しばらくのち、深夜子は朝日を呼びにむかった。
すると、昨晩と違って朝日の調子も戻っており愛想全開である。
五月はあれこれと豪語していたが、大丈夫かな? と思いながらも朝日居住側のリビングにて合流。紹介を開始した。
◇◆◇
「んと、朝日君。今日着任のMaps二人目」
「初めまして、神崎朝日です!」
「はうっ――――」
残念ながら、演説で語った五月の自信は、朝日を見た瞬間にこなごなに砕け散った。
あっという間に顔全体が熱を帯びる。さらには酔ってしまったかのような高揚感。
何より――美しい。まるで、国宝級の芸術品を観賞しているかのごとしだ。
ただ見つめ、ため息を吐き出すので精一杯であった。
十数秒の空白のあと、なんとか気を取り直して挨拶をするも――。
「はっ!? あっ、あの、はわ、はわわ、ははは初めまして。わわわたっ私、さ、五月雨五月と申しますわ」
リアルではわはわ言う人になってしまった。
だが、朝日からは容姿なく追撃が放たれる。
女性の憧れ、下の名前で呼んでいいよ! からの下の名前で呼ぶね! コンボを食らい。ここで前後の記憶が飛んでしまう。
後で聞いたところ、深夜子が下の名前で呼びあえると嬉しいと言ったのをしっかり学習していたとのこと。
朝日様……恐ろしい子!
結局のところ。きっちりでも、理知的でも、淑女的でもなく。五月にとっての見せ場どころか、その間すら与えてもらえなかった。
完敗。
さらに、とどめの一撃となったのは朝日が少し恥ずかしそうに放ったこのセリフ。
「あの……五月さんってすごい美人ですよね。僕が今まで出会った中で一番綺麗な女性だと思いますよ!」
五月は確かに自分の容姿に自信は持っていた。
事実、女性としてはトップクラスに整った容姿である。もちろん五月自身も褒められ慣れているのだが、それは同性からのみ。
女性に対して消極的な世の男性からは――。
『まあ、見た目は悪くないですね』
『まあ、嫌ではないですけど』
『まあ、いいんじゃないですかね』
――と言ったところが五月が外見を褒められた記憶だ。
絶世の美少年から『貴女が一番綺麗だ』と褒められるなど未曾有の体験。
男性に対する経験、それに自制心はMapsの中でも常に最高の成績を修めてきた。しかし、今回は相手が悪かった、いや、悪すぎた。
人生で最高に感極まってしまった結果。自然と口からこぼれてしまったのは――。
「あ、あああ朝日様! こ、今回の任務ですけれども。わ、わわ私との、け、けけ結婚を前提にお願いできますかしら?」
結婚を前提とした警護任務だった。
「あうとー」
ずごん! 深夜子の一言と同時に五月の側頭部に衝撃が走り意識が刈り取られる。
炸裂したのは深夜子の空中まわし蹴り。五月は勢いよく、朝日の目の前でくるくると宙を舞うことになった。
「きゅううううう」
「ちょっ、えっ!? 深夜子さんっ、さ、五月さんっ。だ、大丈夫なの?」
「大丈夫、問題ない。ちょっとカウンセリングが必要」
朝日が驚いて駆け寄ろうとすると、深夜子になんでもない。と言わんばかりに淡々と引き止められる。
ダウンしている五月の両足をそれぞれ肩へと担ぎ、ずるずると引きずって部屋から消えていった。
「――はっ! 天使っ、天使を見ましたわ」
「天使でなくて朝日君。天使だけど」
深夜子は意識を取り戻した五月に、ジトッとした視線を送る。
「ふ、不覚ですわっ……はっ、私朝日様にご不興を!!」
嫌われてしまったのでは? と五月は顔を青くしている。
「それにしても結婚してとか、あたしよりひどい。まあ、でも朝日君なら大丈夫」
「そうなんですの?」
朝日の寛容さを知らないからだろう。五月は目を見開いて驚いてる。さもありなん。
「それで、五月少しは落ち着いた?」
「………………」
深夜子が確認すると、五月は何か考えているのかしばし沈黙する。
「……そう、ですわね。深夜子さん、それでは私は少々朝日様の資料を見直して、頭を冷やしてから戻りますわ。しばらくお任せできますか?」
「らじゃ、まかされた」
◇◆◇
朝日の元へ向かう深夜子の背を見送った五月は、思い出したあることを確認するため、朝日の資料を手に取った。
パラパラと資料をめくり進め、目的のページで手を止める。
「やはり……一年間で帰化。最悪はなりふり構わない取り込みも想定されてますわ。これは男性保護省……いえ、国の意向ですわね。朝日様にはお気の毒ですが、元の世界に戻れない前提の設定。実質Mapsに口説き落とせと言ってるようなもの……」
思ったとおりだった。
Mapsの業務規定には『原則として任務期間が継続して一年間以上のMapsが、警護対象男性の同意を得ることができた場合。婚姻ないし婚約することが許可される』とある。
「チャンス……」
自然と書類を持つ手に力が入り、フルフルと震えてしまう。
「これはチャンスですわ! あの天使のようなお方を五月雨家に迎えいれるチャンス――いえ、本日朝日様と出会えたこと。そう、これこそ運命ですわ! ああ、朝日様。私を世界一美しいと言ってくださった愛しの殿方。例えご自分の世界に帰れなくても、私が必ずや幸せにして差し上げますわ。この五月雨五月が必ずっ!!」
資料を机に置き、化粧道具を取り出してばっちりと身だしなみを整える。
鏡に写るは、決意に満ちて輝く自分の瞳!
五月は己を鼓舞するため、腰に手をあて高らかな笑い声を上げる。
さあ、愛しの朝日が待つリビングへいざゆかん!
「うふふふ……ほほほほ……おーっほほほほ!!」
――それにしても、世界一は盛りすぎでしょうに。
◇◆◇
「私としたことが、失態をお見せして大変申し訳ありませんでしたわ」
朝日の前で床に座り、五月は丁寧に三つ指をつく。
「それでは改めまして。私本日付けで警護任務に着任します、AランクMaps五月雨五月と申しますわ。私のことは五月とお呼びになってくださいませ。あ、さ、ひ、さ、ま」
「は、はい。こちらこそ……よ、よろしくお願いします。五月さん」
五月の静かな迫力に、なんとなく悪寒を感じた朝日だが……まあ気のせいかと思い。すぐに気を取り直す。
五月雨五月の警護任務が、今ここに始まった。