#51 情報
――嵐のあとには静けさが訪れる。
朝日たち四人は朝食をすませ、テーブルを囲み熱いお茶でほっとひと息ついている真っ最中。
……とは言え。
「あの――」「えと――」「その――」「んと――」
「「「「あっ、どうぞどうぞ」」」」
お互いにチラチラと顔を見合せ、照れ八割、気まずさ二割のご様子。
牽制球飛びかう微妙なやり取りを続けること約十五分。
ぎこちなさを残しながら、本日の予定を話し合い始める。
「――で、今日これからどうすんだ? 現地で決めるって話だったろ」
梅が湯飲みでお茶をすすりながら、朝日に確認する。
「うん。午後の予定は大体決めてるんだけど。午前中は、お店が色々あったふもとの温泉街に行きたいなと思ってるんだ。ついでにお昼もそこでどうかな?」
「あの……朝日様。そちらは一般区域になっておりますので、あまりおすすめはできませんが……」
男性特区扱いとなるのはホテル敷地内まで、しかも今は『国納め』の時期で人も多い。
朝日の希望に対して、五月が不安を口にする。
「でも、ここはあの条令が無い地域でしょ?」
「あら? 朝日様よくご存知で」
あの条令とは、男性権利保護委員会が制定している『指定区域内では、男性の近辺に警護官は一人のみ』と言う。やたら面倒くさい規則である。
しかしながら、議決権は地方公共団体(この国では区)にある。
都市部である曙・武蔵区はともかく、男権の影響力が弱い地方では施行されてない場合が多いのだ。
つまり、この双羽区では、深夜子ら三人が揃って朝日のそばで身辺警護が可能となる。
そしてそれは朝日にとって重要なことでもあった。
「もちろん帽子と、それから女性の多いとこではマスクもするし……。でもね。僕、ずっと深夜子さんたちとみんないっしょで街を歩いたり、買い物したりしたいって思って、今日すごく楽しみにしてたんだ。だから、いいでしょ? みんなでデート!」
「「「――――っ!?」」」
朝日が自分の気持ちを伝え、はにかんだ笑顔を向けた瞬間。
まるで反発する磁石のごとく、三人がくいっと顔ごと目をそらした。
揃いも揃って息を詰まらせ、顔どころか耳まで真っ赤になっている。
あれ……? 朝日は何か違和感、いや既視感を覚える。
この空気はどこかで――。
しばしの間、記憶をたどって思案する。そして……朝日の中で一つの仮説が浮上した。
では、とりあえず横に座っている梅に実験対象になっていただこう。
ちょうど背を向けているので「ねえ梅ちゃん。どう思う?」と抱きついてみた。
いつもであれば『こら、朝日。だ、か、ら、いちいち抱きついてくんなっての! ――ったく、しょうがねえ奴だな……わかってんよ。ま、いいんじゃねえのか?』と女前な返事がくるところだが……。
「にょわあああぁっ! おいこら朝日!? な、何を、ぎゅっ、て……ちょ、こら、背中に胸板があたるから…………じゃねえっ」
目を明後日の方向に泳がせて、梅が動揺しまくっているのが背中からでも手に取るようにわかる。
うん。せっかくなのでもうひと押ししてみよう。
「いや、そうじゃなくて――んまっ、まあ、べ、別にいいんじゃねえかああああああっ!? こらぁあっ! みっ、みみみ耳にふー、ってするなぁあああ!! あ、や、ダメ……や、やめっ……ヤメロォー!!」
聞いた記憶のある叫び声をあげると同時に、床を転がって朝日から離脱するも――。
ゴンッ!!
――柱の角に頭をぶつけ、声にならない声を漏らしてうずくまる梅であった。
「あれ? これって……もしかして?」
続けて朝日の視線がキラーン! と深夜子、五月へ向かう。
「ふへっ!?」「はいっ!?」
――三分後。
「ぷっ、ぷっしゅー。あ、あしゃひきゅん、て、手加減……希望……亡くなったお祖父ちゃんに……再会した……」
「ふわああああああ、朝日様……五月は、五月は……はううううう」
温泉地らしく、顔から湯気を吹き上げる深夜子と五月。仲良く轟沈である。
どうやら朝日のキスと告白の効果で、出会った当初レベルまで耐性が逆戻りしたらしい。
これはこれで面白いのだが、せっかくの全員デート前にこれでは先が思いやられる。
なので……。
「みんな大丈夫? 困ったなぁ……それじゃお出かけできないよね。んー、えーと……、あっ! やっぱあの話はなかっ――――」
「「「全然大丈夫(だぜっ)(ですわっ)!!!」」」
強制的に立ち直っていただいた。
◇◆◇
さて、ワンクッションもあってか、深夜子、五月、梅、それぞれが自分なりの想いを噛みしめながらデート――いや失礼、身辺警護の準備に移る。
任務完了手前の手前、予約の予約状態ではあるが、この世界の女性基準ならば、まごうこと無き『大勝利』だ。
嬉し恥ずかしな興奮も、時間が経過するにつれて実感へと変わる。
温泉街へ四人で繰り出して朝日の警護をして歩く。もう何度となく繰り返した日常の行為。
しかし、日常だからこそ、当たり前だからこそ、頭の中でより実感が際立ってしまう。
ただいま深夜子ら三人の中で、最も実感が際立ってしまい、やたらとテンションが高いのは――。
「ああっ、目に映る全てが薔薇色! こんな素晴らしい日がありましたでしょうか? いいえありませんわっ!!」
――の五月である。
今日は過去になくお化粧のノリもバッチリ。
服装はどうやって旅行先で調達したのか、理解に苦しむ新品の高級ブランドスーツに高級アクセサリーの数々。
その美貌も相まって、恐ろしく目立つオーラをたれ流し中だ。
すれ違う女性たちも、帽子をした朝日ではなく五月に目を奪われている。
足を止めたり振り返ったり、何人かは物陰から好奇の目を向けて、あれこれとささやきあう。
(ちょっと何よ……あのめちゃくちゃな美女。芸能人? あ、でも警護官かな……他にも二人いるし、本職?)
(でも、なんかさっきから変なこと口走ってるわよ。動きも怪しいし……クスリでもやってんじゃない?)
最初は五月が残念な評価をくだされているだけであったが、少しすると朝日の存在に気づく者も出てくる。
(いや、あれ隣にいるの男の子でしょ。やっぱ警護官……にしては仲良さげに――ちっ、見せびらかしやがって)
(……あっ、もしかして内定組ってやつ? クッ! 見るんじゃなかった目が腐るわ羨ましい嫉ましい爆発しろ)
背後からコソコソと聞こえる嫉妬の数々。
当然、ハイテンションな五月の耳はつぶさにそれをキャッチ。眼鏡のレンズがキラリと輝き、愉悦ゲージはぐんぐん上昇中だ。
さらには、これ見よがしに朝日の腰へ手を回して抱きよせ、温泉街の道行く女性という女性から愉悦をかき集めている。
「あ……あの、五月さん? なんかいつもと違う、と言うか、その、……張り切り過ぎと言うか……。もう少し落ち着いても、いいかなって」
憎悪まみれの空間に耐えかね、朝日がやんわり五月に言い聞かせる。
このままだと、女性たちに(五月が)襲撃されかねない。気がする。
「いえいえ朝日様! 五月は、貴方の五月はいつもと寸分たりとも変わりませんわっ!」
すごく違うと思います。
「ただっ! そう、ただ朝日様にふさわしい女性として、自然に、それはもう自然に振る舞っているだけですの!」
すごく不自然だと思います。
「あはは……そ、そうなんですね」
しかしながら、その勢いの前に朝日も同意する言葉を漏らすので精一杯。
五月の熱弁は加速する。
「そうなのですわっ! それに朝日様。五月雨ホールディングスの傘下企業は多種多様な業種で全二十一社、もちろん全てが中堅以上の規模ですの。そのグループ売上は来期で五兆円超えの見込み。総資産も二百兆円に迫っておりまして……ま、さ、に、朝日様にふさわし――――あれっ?」
「朝日君、こっちのお土産屋さんが有名店。温泉水を使ったサイダーが美味しいってガイドブックにある」
「ほんと! じゃあ、買っていこうかな」
「おっ、団子を作り売りしてんじゃねえか、焼きたてうまそうだな」
「あはは。梅ちゃんさっきから食べてばっかだね」
残念。いつの間にやら朝日は深夜子と梅に連れられ、お土産店へと向かっていた。
自分の話に夢中になってしまい、まったく気づいてなかった五月。これは恥ずかしい。
唖然とする己に注がれる、周りの女性たちからの”ざまぁ”な視線がちょっと心に痛い。
「はっ!? えっ!? ちょ、ちょっとお待ち下さいませーーーっ」
舞い上がりすぎたことに赤面しつつ、朝日の後を追う五月であった。
――時間はちょうどお昼時。
「あっ、あそこだ。おそばが美味しいお店なんだって」
「うわっ、朝日君。ここめちゃ行列だけど……大丈夫?」
ガイドブックを片手に、朝日が深夜子たちを連れてきたのは、温泉街でも有名な老舗の蕎麦屋だ。
超人気店のようで、店外にまで長い行列ができており深夜子が心配している。
しかし、心配ご無用。
朝日がホテルの案内係に、おいしいお昼ご飯が食べれるお店を訪ねたところ。確認から予約の手配まで準備万端。
手元のガイドブックには、大きく”人気店のため予約不可”と書いてあるのだが、関係なしでバッチリ予約済み……さすが男性優遇に余念のない世界である。
「神崎様、お待ちしておりました。二階のお座敷を取ってありますのでご案内します」
店員の案内で、行列待ちの女性たちを横目に入り口へ向かう。
朝日はともかく、深夜子たちには『ちっ、いいよな勝ち組は』的視線が送られている。
その雰囲気に少し片身がせまい朝日と、ここでもちゃっかり愉悦ゲージを補給している五月。
それを深夜子と梅が押し込むように店内へ。
老舗らしく木造の和風建築な店内。階段を上がって二階の座敷へと通される。
座敷は十畳ほどの広さの和風個室、人目を気にせず落ち着けて一安心。
――なはずが、そこには予定外の先客が一人。
それが誰かを認識して、苦虫をかみつぶしたような顔の五月が口を開く。
「……どうして貴女がここにいらっしゃるのかしら? 万里さん」
ジトッと五月が視線を向けた先には、ごきげんで座布団の上にあぐらをかいている万里の姿があった。
深夜子と梅は、気まずそうにチラチラと万里へ視線を送っている。
昨日、万里が朝日の窮地を救った話を聞いているので、あまり強く出れないのだ。
「あっれあれぇ? みなさん冷たいねぇ~。美人さんからウチの坊ちゃんに連絡があって、お昼をごちそうしてくれるってからやって来たんだけどねぇ~」
深夜子ら三人の視線が朝日に集まる。
「うん。その……万里さんにちゃんとお礼してなかったでしょ? だから、今日のお昼をいっしょにって主君に頼んだんだ」
朝日の説明で、しぶしぶながら納得の五月たち。
広めの座卓に五月、万里が隣り合わせ。朝日、梅、深夜子が向かい側に座る。
――注文を済ませてしばらく。
人気メニューの天ざる蕎麦などを中心に、ずらりとテーブルに料理が並ぶ。
もちろん梅、深夜子の前には蕎麦のみならず、カツ丼、天丼などのご飯メニューも盛りだくさん。
「あ、そう言えば万里さん。主君は?」
「ああ、坊ちゃんは来ないよ。と言うより『特区外に平気で外出とか、相変わらずキミは変わってるね! いくらボクが前衛的な男と言っても、さすがに付き合い切れないよ!』だってさぁ」
「あはは。なるほど」
「でも、この後のホテルで合流する話はOKじゃない」
実は、夏の件が解決して以来。
朝日と主はメールでやりとりしたり、ネットゲームなどで交流を深めていた。
なんだかんだと貴重な同年代の男性。しかも、一般的なおとなしい男性よりも強気な主は、朝日と話が合うことが多かったのだ。
昨日、同じ温泉に来ていることがわかったので、いっしょに遊ぼうと朝日が持ちかけたのである。
それからしばらくは、朝日と主の話題を中心に食事がすすむ。
――が、何故か途中から、梅と万里による蕎麦の大食い合戦が勃発。結果は梅の圧勝。
相変わらず理解不能の大食いっぷりを見せつけた。
挙げ句。
ただいま朝日、深夜子と食後のデザートを選んでいる真っ最中。
その光景をなんとも言えない表情で見つめる五月の肩に、突然万里が腕を回して引き寄せた。
「あ~そうだそうだ。なぁ、お嬢様」
「いきなり、な、なんですのっ!? 暑苦しいで――」
(うちの社長ルートの情報でさぁ……)
(!? ……何かありましたの?)
耳打ちする万里の声色で内容を察して、五月も声をひそめて耳を傾ける。
(ああ、どうも昨晩から桐生傘下の暴力団連中が本館側に入ってるらしいねぇ)
(桐生の? ……でも、万里さん。五月雨も海土路も、そもそも桐生と同じ経推同盟の企業。昨日の件も三社通じて決着済みですわ。どうしてまた?)
(あ~、確かオタクのオチビちゃん。前に一度奴らとやらかしてんじゃな~い? 昨日はあたいが間に入ったけどさぁ、元は同じく美人さんが原因。ヤクザもんが二回連続で同じ相手に面子を潰されたとあっちゃあねぇ……わかんだろぉ)
(しかし、一度収めた問題を蒸し返して……以前に、同盟内での表だった揉め事はご法度ですわ。それに、桐生関連の暴力団と言えば”鬼竜会”ですわよね。今更、その傘下組織の連中ごときが……何もできる事はありませんでしょうに)
(影嶋一家)
(なっ!?)
その一言で、五月の顔色が変わった。
(ありゃあ? やっぱり。お嬢様ともあろう者が知らなかったのかい? 前回も、今回も、オタクらと揉めたのは影嶋一家の連中じゃない)
(そんなっ……!? よりにもよって……あの)
五月が絶句する理由。
――指定暴力団『影嶋一家』。
武蔵区に本拠地を置く。構成員三十名程度の小規模ながら、過激な武闘派で知られる暴力団。
表向きには組織に所属していない単独勢力とされる。
しかし、実態は国内を二分する大型組織の一つ『鬼竜会』の。つまりは、桐生建設関連の末端組織にして実働部隊である。
(まあ、海土路も五月雨も、鬼竜会と揉めることはないけどさぁ、ヤクザもんの定番は『こいつらが勝手にやりました。ウチらは何にも関与してませ~ん』だよねぇ?)
(…………それは)
万里の言う通りだ。
影嶋一家は鬼竜会(桐生建設)と無関係の体で、荒事をこなしている実働部隊。
つとめて冷静にしていた五月だが、動揺が隠せない。
(それからもう一つ。どうも影嶋の若頭までお目見えしてるらしいねぇ)
(……影嶋……不知火)
(さすがお嬢様、よくご存知で。んじゃ、すまないけど。あたいも社長からあんまベラベラしゃべるなって言われてるもんでさぁ)
(いえ、万里さん。これで充分。情報、感謝しますわ)
(そうかい。ま、今すぐどうこうって話じゃないからねぇ。この後は、ウチの坊ちゃんと遊ぶ約束もしてるみたいだしさぁ)
(ええ、この件は今晩にでもゆっくり検討させていただきますわ。万が一にも朝日様へ害が及ぶなら、五月雨と桐生で戦争も致し方なしですわね)
(ははっ、怖い怖い。それにオタクにゃ、あのオチビちゃんがいるじゃな~い。影嶋一家と言えど一筋縄じゃいかないだろうねぇ――)
五月と万里がヒソヒソと密談をしている間に、朝日たちのデザートタイムは終了。
万里と別れて一旦ホテルへと戻ることになった。
――その帰り道。
「あの……朝日様?」
ふと朝日が五月の手を取って、心配気に顔を見上げていた。
五月としては、顔に出さないよう心掛けていたつもりだったのだが……朝日は何かを察したようだ。
その手をきゅっと握りしめてくる。
「あの……五月さん。さっきから、ちょっと表情が暗いみたいだけど……大丈夫かなって思って。その、僕にできることが――――うわぷっ!?」
「ん゛ま゛あ゛っ、な、ん、て、お優しい! 大丈夫、なんでもありませんわ。もう、朝日様ったら! そんなに五月のことを……ああ、五月は本当に幸福者ですわあああああっ!!」
五月はあえて過剰に反応し、気取られないように努力する。
だから、あえて自分の胸に朝日の顔が埋まるように抱きしめた。とても心地よい。
「ふぁっ!? 五月、公衆の面前でそれはアウト」
「おいこら! 突然朝日を抱きしめて何してやがんだ!?」
この迫真の演技に、深夜子たちも想定通りの反応。ゆえに五月は動じない。
これは素振りなのだ。朝日に心配をさせないためなのだ。
決して欲望からなどではない。
すっごくいい匂いだし、胸元でジタバタする朝日は超可愛いし、ずっと抱きしめていたい。
しかしッ、それでもッ、五月雨五月にやましい気持ちなど微塵もないのだッ!
それから、深夜子らの物理的ツッコミ付きで朝日と引き剥がされてしまった。とても名残惜しい――ではなく。
五月は頭の中で、冷静にこれからの対処方法を組み上げる。
あとわずかで手に届くところまで来た愛しの朝日との任務完了。
何人たりともその邪魔は許さない。――そして、無論それは五月だけに限られたことではないのだ。




