#49 妄想
今回は後半がお色気パートとなっております。
※苦手な方はご注意下さい。
午後二時三十六分。朝日たちが宿泊している『紫陽花の間』の大広間にて。
「あぁん? 五月、そりゃどういうこった!?」
「ですから、今回の件について我々はもうノータッチだと言ったのですわ。この宿泊施設は国を中心に多数の大手企業が出資して、色々な事情が絡んでますの。桐生建設もその一社。それと問題の二人には会社を通じて、しかるべき罰を――」
と、説明途中で梅が五月の胸ぐらに掴みかかり、唾を飛び散らしながら喚きたてる。
「知るかぁっ、五月ぃ! そのクソ女どもの泊まってる部屋をすぐ教えろ! 絶対に生かしちゃおけねぇ……バラバラにしてやんぞ! こんちくしょうがぁああああ!!」
「ちょっと、大和さん。おちっ、落ち着いて!」
万里の介入で朝日の件はひと段落した――はずだった。
だが、あれこれと五月の説明を聞いている途中、導火線に火がついてしまった梅が爆発したのだ。”大人の事情”だと説明するが、耳を貸そうともしない。
怒り心頭、容疑者の居場所を教えろとしつこく五月に詰めよる。
どうやって宥めたものかと悩む朝日に、何やら無表情で無言を貫く深夜子。
そんな二人を横に、ガクガクと梅に揺さぶられ続ける五月も我慢の限界。バシッとその手をはねのけ、ビシッと腰に手をあて厳しい表情を向けた。
「大和さん、いい加減にしてくださいましっ。これはMaps本部の決定事項でもありますわっ。黙って従いなさいませ!」
その一言で梅の動きがピタリと止まる。
ジトッと暗い視線を五月に向け「そうかよ……わかったよ……」と呟き、ポケットから何かを取りだしてテーブルに投げ捨てた。
「はい? 身分証に……腕章……や、大和さん?」
「これを……これを我慢すんのがMapsだってんなら…………やめたぁ――――っ!!」
どこかのサラリーマン並のぶち切れっぷりである。
「ちょっ!? やっ、ややや大和さん。ストップ、ストップですわーーーっ!!」
「わああっ、梅ちゃん待って! 僕なら、僕なら大丈夫だから」
どこから取り出したのか『特攻』の二文字が刺繍された鉢巻を締め、梅は部屋を飛び出そうとする。
あわてて五月と朝日が引き止めるが収まらない。
そこへ終始無言を貫いていた深夜子が、ふらりと梅の背後に近よる。ゴキゴキッと右手の指を鳴らすと、人差し指と中指で二本貫手をつくった。
「ほわっちゃあ」
「ぐがあっ!?」
一瞬にして五ヶ所。深夜子の二本貫手が梅の背中に突き刺さる!
「寝待流格闘術――『楔打』」
「深夜子、てめえっ!?」
「これでしばらく動けない。梅ちゃんは待機」
深夜子がいつになく冷ややかに言い放つ。
「んなっ、何しやがった? 身体が……むぎぃ!?」
梅が動かそうにも身体の自由がきかない。何やら怪しげな技を深夜子にかけられたようだ。
「助かりましたわ深夜子さ――――ひっ!? あ、あの……深夜……子さ、ん?」
五月がかけよって礼を言おうとするが、深夜子の顔を見た瞬間に固まってしまう。
その横をすっと通り抜けると、深夜子は朝日を優しく抱きしめた。
「ごめんね……朝日君。怖かったね、辛かったね。でも大丈夫だから」
「え……あの?」
「そんな怖い目に会わせたやつ……許せない。……ふひっ、だけど安心して朝日君。すぐそいつらは『愚かなことをしてすみませんでした。お願いしますから殺してください』って泣いて謝ることになる」
「はいいっ!?」
口調も内容も色々とヤバ過ぎる。
抱きしめられていた朝日は深夜子の肩に手をそえ、身体を押し離して顔を見合わせる。
「深夜子さん、ちょっと何を言って――――ひっ!?」
目を合わせた瞬間、朝日は息を詰まらせた。
深夜子の猛禽類を思わす瞳は光を失い、大きな黒眼にはどんよりと闇が渦巻き、その口元はうっすらとにやけている。はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。
「ふひ……梅ちゃんだとすぐ殺しちゃうでしょ? あたしが適任。絶対楽には殺さないから――ふひっ、ふひひひっ」
これはアカンやつである。
「ちょっと深夜子さーーん!」「落ち着いてくださいませーーっ!」
「おう! じゃあ任せたわ深夜子!」
「「任せたじゃなーーーーい(ですわっ)!!」」
完全に闇の世界の住人と化してしまった深夜子を、五月と共に引き止めながら、この二人が現場に鉢合わせなくて本当に良かったと思う朝日であった。
◇◆◇
「ふにゃあぁぁぁぁ……あさひくんそこおぉぉぉ……」
うってかわって、今の深夜子は蕩けるような表情で艶っぽい声を出している。
畳の上でうつ伏せになり、その背中には朝日が乗って肩甲骨から肩へと指圧マッサージ中だ。
周辺には、すでに骨抜き状態にされた五月と梅が、恍惚の表情で転がっている。
結局、闇堕ち一歩手前の深夜子を引き止めるのに朝日が取った行動。
それは「ずっと僕のそばにいて欲しいな(はぁと)」のハグから始まる愛の囁きとスキンシップ。
その効果たるやシンプルにして絶大、ラストエリクサーも裸足で逃げ出す効きっぷりであった。
――ところが、それを見た梅と五月に副作用が発生。「あー、やっぱ今からカチコんでくるわー」「気が変わりましたわ。五月雨と桐生……戦争ですの」と、非常に分かりやすい反応をみせる。
結果的に、空気を読んだ朝日による全員マッサージフルコースとなったのである。
ちなみに、深夜子はジャンケンで敗れ三番手となり今に至る。
「ふう! 深夜子さん。これでおしまい」
「んんんあぁぁぁありがとうぅぅぅぅ」
ほぐし終えた深夜子の背中を、朝日はパンパンと軽く叩きながら撫でる。
そして、その表情には小悪魔的笑みが浮かぶ。
油断している深夜子を確認。
その背中から降りると見せかけ「ふうっ、僕疲れちゃった」とおぶさるように抱きついて、肩に両手を添えた。
「はひいっ? んにょああああああっ! あ、ああああああ朝日君!?」
突如の不意打ちに、深夜子はビクッと海老反ってしまう。
さらには首に追い討ちとばかりに、朝日の両腕が軽く巻きついてくる。
これは恐るべき密着感! 背中に全神経が集中する。
だんだんと朝日の体温が感じられてヤバイ、のみならず、左耳には吐息が感じられて、もう超ヤバイ。
「深夜子さん……もう……大丈夫?」
きゅっと朝日の抱きしめる腕に力が入り、耳元で吐息を吹きかけるように囁かれた。
深夜子の精神の法則が乱れる!
「あひゃん!? だ、だだい、だいじょぶ? いや、だいじょぶくない? も、もうちょっとそのままで、ふひっ。あ、あしゃひきゅんのあいがないと、み、みやこしゃんはこわいしとに……な、なっちゃうかも……とか、いってみたり、その、ふへへ――――へぶぅっ!?」
「調子に乗ってんじゃねえよ!」「ですわっ!」
深夜子の頬を挟むように、左右から梅と五月の蹴りが畳を這った。
――さて、しばらくして夕食の時間になる。温泉らしく、すでに全員浴衣姿だ。
この朝日たちの宿泊する『紫陽花の間』は、入口すぐが二十畳の大広間になっている。
その大広間を中心に、左側は温泉が引いてある大型の風呂場や洗面所。
右側には襖で仕切られた十畳ほどの和室が二つある。
上から見るとちょうど『ト』の字に襖がある形で、全て外せば四十畳の大部屋になる造りだ。
その大広間に、鍋料理を中心とした海鮮メニューが、仲居たちによって次々と運び込まれている。
朝日は初日の夕食に、上げ膳据え膳の部屋食を選んでいた。
メインの鍋は寒ブリのしゃぶしゃぶ。
ご飯は特製の鯛めし(おかわり自由)。
刺身はふぐ刺しと旬の魚の盛り合わせ。
天ぷらはかぼちゃ、さつまいもなど冬の旬野菜に車海老。
椀は鯛のあらの赤出汁。
他は海鮮茶碗蒸しと小鉢に漬物、実に豪勢だ。
もちろん「うおおおっ、ま、じ、か、よ!」「フグタさんキターーー!!」などと、梅と深夜子が大興奮なのはお察しの通り。
一方、「ふわああああっ!? あ、ああ朝日様、こ、こここれはっ!?」そう驚愕する五月が手に持っているのは、日本でもお馴染みの一升瓶。
いわゆる日本酒と同じもので、この国では米酒と呼ばれている酒である。
「これっ、これは入手困難の超プレミア品『純米大吟醸原酒黒幻』ではありませんの!?」
「あっ、なんかいいお酒ありますか? って聞いてみたんですけど、やっぱり僕じゃよくわからなくて……オススメだそうですよ。その、こっちにも日本酒があったんだって思って、それにしました。えへへ、五月さん気に入ってくれました?」
「気に入るも何も、大当たりですわ朝日様! さすが、さすがは朝日様! 私のことを想って選んでいただけるなんて……ああ、五月は幸福者ですわ」
「あいかわらずの酒飲みだな……お前。でも、いいのかよ?」
梅が呆れ半分に五月に確認するのは、朝日家で施行されている禁酒令のことだ。
「えっ? あ……ま、まあ大和さん。今日は家でなくて出先ですし、少しくらいは……オホホホホ」
余程飲みたいのか、苦しい言い訳の五月。
そこに朝日が助け船、と言うよりは自分の気持ちを述べる。
「梅ちゃん、今日は特別だよ。それに僕も明日まで部屋で過ごすし、みんながお酒を飲んでも問題ないでしょ。仕事を忘れて、とまでは言わないけど……その、もっと旅行らしく、楽しく過ごして欲しいなと思って」
「そっかよ。ま、ならいいんじゃねぇか? 深夜子はどうよ?」
「無問題。部屋の入口や窓に罠設置完了。飲んでよし寝てよし」
「ちょっ、み、深夜子さん。入口はまずくない!?」
お片付けの仲居さん危機一髪。
「でも朝日。お前は飲んだらダメだかんな?」
「えっ、僕が? なんで? やだなあ、僕未成年だよ。お酒なんて飲むわけないじゃん」
「「「えっ? ……あっ、はい」」」
ここで、過去二回の惨劇を朝日が覚えていないと言う。まさかの事実が発覚しちゃったのであった。
◇◆◇
――あわただしい初日も終わり、全員が寝静まった深夜〇時を過ぎた頃。
大広間で寝ていた深夜子が、布団からもそりと出てきて「むう……暑い……」とこぼしながら眠気眼をこすっている。
季節は冬だが、室内は暖房がよく効いており少し暑い。
日頃あまり酒は飲まない深夜子であったが、今回朝日のお酌に加えて、プレミアム大吟醸の恐ろしく良い飲み口が災いした。
果実酒を思わすほのかな吟醸香。辛口ながら水晶を液体にしたかのようなまろやかな口当たり、そして最後に残る良質な米の甘味。
思わず痛飲してしまう。
就寝時の部屋割りは、五月と梅が入り口近くの和室、朝日が奥側の和室。
深夜子は入り口の警戒役も込みで大広間――だったのだが、真っ先に撃沈して気がつけば布団の中であった。これは不覚。
ちなみに五月は一升瓶をおかわり、梅はビールの大瓶を十本以上空けていた。どうかしている。
そんな状況を思い出しつつ、深夜子は自分の体調を確認をする。人より肝臓の働きが良いのか、酔いは抜け始めていた。
すんすんと身体を匂うと、アルコールを分解した分だけ汗の臭いも気になる。
あっ、そうだ。――深夜子の目に、ふと風呂場への扉が映った。
大広間は風呂場へと直結。そう言えば食後に撃沈したので風呂に入っていない。
せっかくの温泉、ひと風呂浴びてから寝直そうと考えた。
電気はつけずに部屋のカーテンを静かにあける。
今宵はちょうど満月。月明かりで十分な光を確保できる。何よりも、渓谷から海まで見渡せる景色がとても目に心地よい。
どうせみんな寝ていると、その場でバサリと浴衣、続いてTシャツを脱ぎ捨てる。
深夜子の控えめながら形の良いふたつの膨らみ、ツンとした優しい尖端を、淡い月の光がうす紅色に照らす。
艶やかなセミロングストレートの黒髪を後ろで軽くまとめ、べっこう柄のバンスクリップで止める。
うなじから引き締まった腰まで、筋肉質だがしなやかできめ細かな肌の曲線が、艶かしく月光を反射していた。
ショーツ一枚の姿で軽く伸びをすると、深夜子はご機嫌で風呂場へと向かった。
――さすがは男性宿泊施設。風呂場も実に豪華なつくりだった。
せっかくの風景なので、窓のブラインドも全開にして、広々とした檜造りの湯船に浸かる。
ライトはあえてつけず、月明かりのみで幻想的な景色を楽しむ。
嫌な汗もさっぱりと流れ、酔いが抜け頭も冴えてくる。
身体が温まったところで湯船から上がり、その上段にある温泉が流れ込む石畳へと腰をかける。
天窓から月を見上げ、物思いに耽っていると、ある出来事が深夜子の脳裏に再生された。
『あれ? ねえ、深夜子さん。なんか鼻にゴミついてるよ?』
『うえ? ゴミ? むう! こんな時に! んー、とっ、取れたかな?』
『取れてないかも? うん。じゃあ僕が取ってあげるよ。こっち向いて』
『そ、そう? はい』
――――そして重なった愛しい朝日の柔らかい唇。
「むへっ、ふへっ、うへへへ」
何度思い返しても色褪せない心地よい感覚。だんだんと深夜子の思考は妄想へと加速していく。
(むふふ、もしかしたら風呂場のドアが開いて――)
『深夜子さん来ちゃった』
『なっ!? あ、朝日君。どうしてここに? そ、それにバスタオル一枚とかやったね――いや、ダメ、はしたない』
『えへへ、いいの! 今日は深夜子さんの背中を流してあげようと思ってさ』
『せ、背中? ほんと? う、うん、ありがと。お願い……するね』
(最初は普通に背中を洗ってくれる朝日君。だけど……だんだん手が前の方に――)
『ちょっ、ちょっと朝日君!? 前はっ、前は自分でするから!』
『だーめ。僕がちゃんと洗ってあげるから』
『いや、で、でも――うひゃっ!』
『ん? どしたの深夜子さん?』
『や……その、そこは……それに……洗うじゃなくて、朝日く――あっ……』
(そう……言って、あ、さひ君の手が優しく……あたしの、んっ……はっ、……それから人差し指で……あっ、ふぁ――)
『ダメ……朝日君』
『えーと。あっ、そうだ! 下も洗わないとね!』
『し、下? 下ぁっ!? そ、そそそそれはダメ。危険が、危険がデーンジャラス!』
『あはは、何言ってるのもう! 深夜子さんったら。脚だよ、脚を洗うの。すぐに変な想像しちゃうんだから。深夜子さんのエッチ』
『ふえ? 脚? あ、あー、そっか、脚だよね。そうだよね。脚なら仕方ない、うん。あは、あははははは……』
(そう言い……ながらも……朝日君の手は、あたしの……あ、しでな……くて……ふあっ! んっ……して……は……あぁ……んふっ……あ、さ……指が……あんっ……あたしの――)
「ダメ……んっ……あさ、ひ、くん……あさひ、くん……すき、朝日君すきっ! ああっ」
いつの間にか深夜子の肩に置かれていた左手、太腿に置かれていた右手は場所を変え、妄想している朝日の代役を務めていた。
しばしの間、温泉の流れる音に混じり深夜子の切なく艶かしい声が響くのであった――。
◇◆◇
「や、やってしまった……朝日君を汚してしまった……」
風呂から上がり軽く浴衣を羽織りつつ、深夜子はそんなことをぼやいている。
どうやらその後の妄想で、攻守逆転展開があったようである。
言葉の割にはやたらスッキリ、成し遂げたぜ! と言わんばかりの清々しい表情の深夜子。鼻歌交じりで帯を乱雑に浴衣に巻いて結び、軽い足取りで布団へと向かった。
「ふんふんふーん。あっ、そだ……あたしの布団の中に朝日君がいて『深夜子さん待ってた』とかもいい……むひゅふふ」
風呂場でしっかり発散したはずなのだが、まだまだ妄想の勢いは止まらない。
引き続き、布団の中で続きを楽しむ気満々。そのテンションと同様に、深夜子はバサリと勢いよく掛け布団をめくった。
「ふえっ!?」
瞬間! 目を見開いて、完全に固まる深夜子。
その目に飛び込んで来たのは、自分の布団ですやすやと寝息を立てている朝日の姿であった。
――果たしてこれは妄想か現実か!?




