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#47 偶発

今回の後半よりシリアスパートに入ります。

※苦手な方はご注意下さい。


 現在の時刻はちょうどお昼時。

 しかし、混雑を心配する必要はない。なんせ五月調べで本日の男性客は、わずかに二十三組。

 対してこの別館『海神(わだつみ)』の部屋数は百二十室。圧倒的ガラガラである。

 新築独特の匂いが残る絨毯張(じゅうたんば)りの通路に「うえっへっへっへ。おっすしー! おっすしー!」と、ご機嫌な声が響く。


「あはは。梅ちゃんほんとに楽しみなんだね」

「あの……大和さん。恥ずかしいので十メートルくらい離れていただけませんこと?」

「うっせー! 金持ちは黙ってろっての。へっ、四十五分で五千円。最低十倍は食ってやんぜ――」

 五月の冷たい視線もなんのその。バチンと拳を手のひらで打ち鳴らして梅が気合いを入れる。

「あら、大和さんにしては控えめな目標ですわね」

「――原価でな!」

「意味がわかりませんわっ!?」


 余談だが、おおよそ一般的外食系の原価率設定は20~30%台である。飲食店バイト経験のある梅ならではの謎目標なのだ。


 二十一歳社会人女性が「いやっほー!」と、一番乗りとばかりに回らないお寿司食べ放題会場へ突撃する。

 赤みがかった茶髪のショート天パにパッチリとした可愛い猫目。149センチの低身長かつ八重歯がチャームポイントの子供体型。

 スーツ姿でなければ、遊園地の入場券を手に持ってはしゃぐ子供にしか見えない。


「うおっ、すげえな! 本当に高級寿司屋まんまじゃねえか?」

「ほんとだ。これテレビのグルメ番組とかで見るアレだね」


 ここは別館一階にある大型ホール。

 そこに丸々高級寿司店舗を再現したブースが十箇所、つまりは十店舗分。ホールの中に建てられている状態であった。

 まさに。男性客へアピールする為の金に糸目をつけないイベント会場と言えよう。


 案内係に誘導され、入り口から少し離れた店舗(ブース)へ通される。

 すでにいくつかの店舗(ブース)には、客が入っているようだ。

 朝日たちは高級寿司屋らしい木製の引き戸をガラガラと開けて暖簾(のれん)をくぐる。それらしい造りなのだが、屋根がないので多少シュールではある。

 店内はもちろん職人たちと対面のカウンター席。威勢のよい挨拶が飛びかう。

「「「!?」」」

 ――が、ここで朝日、五月、梅は目を疑う。誰もいないはずのカウンター席に、すでに女性客が一名座っていたのだ。


「ふぁっ、ふぁさひふんふぁてっふぁ。ふぇふぁふぉうぃふぃうぃお!(あっ、朝日君待ってた。めちゃおいしいよ!)」

 リスのように頬を膨らませた深夜子が高級寿司を満喫中。ボタン海老の尻尾を口からはみ出させ、嬉しそうに手を振っている。

「「うおおおおおおいっ(ですわっ)!!」」

「はっ? えっ? み、深夜子さん? なんで? どうやってここに……」

「ふっ……朝日君。それは乙女の秘密」


 深夜子はごくりと口いっぱいの寿司を飲み込み。人差し指を唇に当てる。


「な、に、が、乙女の秘密だっつーの。深夜子てめえ、窓から飛び降りてショートカットして来やがったな?」

「いやいや、僕らの部屋って八階だよ?」

「ぐっ、梅ちゃん。ネタばらしはマナー違反」

「えええええっ!?」

 朝日の記憶だと、窓側は確か渓谷だったような……。

「……貴女方。もう少し人間らしい振る舞いをお願いできませんこと?」

「おいちょっと待て! なんで俺までワンセットにしてやがんだよ!?」

「その発想がでる時点でおかしいですわっ!」


 日頃ならば五月のツッコミを皮切りに、にぎやかなやり取りが始まるのだが、今日は事情が違う。

 梅は深夜子に負けじと席について注文を始める。


「いくぜ深夜子!!」

「らじゃ、梅ちゃん!!」

 

 そう、俺たちの五千円四十五分の戦いはこれからだ――――ッ!! 第一部完。


 とはならず。深夜子と梅の食べ放題時間が残り十分を切った頃。

 脅威の食べっぷりに、青ざめた職人たちが食材の心配を始めている。

 その横ですでに満腹になって、五月と温かいほうじ茶を飲んでくつろいでいた朝日がふと席を立つ。


「あら、朝日様どうかなされまして?」

「ちょっとお手洗いに行ってきますね」

「そうですか、それでは――」

 同じく席を立った五月が、ただひたすらに寿司を口へと放り込み続ける二人に目をやってため息一つ。

「――(わたくし)が付き添い致しますわ」

「あっ、五月さん。お手洗いだけだから大丈夫ですよ。ここ建物内だし、それに特区(・・)ですよね」

「そう……ですの?」


 朝日の反応に、腕時計を見ながら五月は思案をめぐらせる。

 自分と朝日はすでに食事を終えている。

 だが日ごろ、外出中にトイレ前待機されるのを朝日は恥ずかしいとの理由であまり好まない。

 確かに本日の現場は男性客と警護官、後は施設の職員がいる程度――いや、とは言えど少しでも近い場所で待機すべきであろう。


「それでは朝日様。そこのブラックホール二人を置いて先にお店を出ましょう。(わたくし)、会場入り口のロビーでお待ちしておりますわ」

「ふぁっふぃーふぁぼんば!(五月(さっきー)頼んだ!)」

「ふぼぁべぇばふぁふふぃ。ふでゅふぉっはっへっははふぉ!(すまねえな五月。すぐ追っかけっからよ!)」

「貴女方は食べるかしゃべるかどちからにしてくださいませっ!!」


 ラストスパートと言わんばかりに食べ続ける二人にあきれつつ、五月は朝日を連れて会場を後にするのであった。


◇◆◇


 運が悪かった。ということは誰にでもある。


 この超大型リゾートホテル別館『海神』は、ワンフロア面積が非常に大きい。

 トイレの数もそれなりにあるのだが、この世界で女性用トイレと男性用トイレの設置数は、必然人口比率が影響している。

 いかに男性福祉対応と言えど、女性用トイレに対して二分の一程度の設置数である。

 そして、朝日がロビーで五月と別れて一番近い(・・・・)と思った男性用トイレの案内標識。これが、たまたま遠い方向のものだった。


 ――結果。


「あれ……? もしかして、これ逆方向に来っちゃった?」


 朝日はフロア案内図をながめつつ、独りごちている。

 どうやらトイレを出てから、自分が来た方向と反対にぐるりと建物を半周してしまったらしい。

 いわゆる大型ホテルあるある。

 通路の突き当たり。左右対称の似通った場所が、フロア内に複数あることで方向を見失い、道に迷ってしまったのだ。


「あー、早く戻らないと五月さんが心配しちゃうな。えーと、こっちを突っ切れば早く戻れるかな?」


 迷ったと言っても、ここは男性特区でしかも建物内。朝日は特に問題ないと考える。

 スマホで五月に連絡を取ることはせず、元のロビーまで最短距離と思われる通路へと駆け出した。


「――あっ!?」


 少し進んだ先の曲がり角で、出会いがしらに何者かとぶつかってしまった。

 相手は驚いた程度だったようだが、朝日は反動で床にしりもちをつく。

「ごっ、ごめんなさい。ちょっと急いでて……」

 しかし、走っていた自分が悪い。朝日はすぐに謝りの言葉を口にした。

「おいおい、何やって――えっ? ……だ、男性? こっ、こりゃあ申し訳ない。ウチらの不注意で……あ……」

「あ、あの……?」


 鉢合わせでぶつかったのは、警護官らしき制服姿の女性二人組の一人。

 共に身長は180センチ程度で、朝日よりずいぶんと体格もよい。

 一人は茶髪のショートヘアで、顎が小さくカマキリを思わす風貌。もう一人は黒髪のミディアムヘアで、特徴の薄いのっぺり顔だ。

 茶髪の警護官は、ぶつかってきた朝日が男性であることに気づき、下手にでるも何やら固まっている。

 いや、朝日の顔をまじまじと見つめて固まっている。


 そう、運が悪かった(・・・・・・)のは、何も道に迷ったことのみでは無い。


 こちらでの暮らしにも随分と慣れ、道行く女性を引き寄せる自分の外見に、いつしか朝日は外出中に帽子を被るようになっていた。

 しかし、今日は温泉旅行初日で浮かれていた。しかも建物の中、つい帽子を忘れていたのだ。

 警護官二人の顔はみるみる紅潮し、とろけるような表情で鼻息荒く朝日に迫ってくる。


「おいおい。めちゃくちゃ可愛い子……もしかして、キミ温泉の妖精?」

「うひょお、こんな子初めてみたわ。あっ、君どうしたの? 今、一人なのかな?」

「えっ……いや、――――っ!?」


 朝日の背筋に悪寒が走る。

 女性たちに言い寄られるのには、もうある程度慣れている。

 それよりも問題は、この二人の制服に見覚えがある(・・・・・・)ことだ。

 似たようなデザインをどこかで見たことがある。しかも、何か嫌な印象――――そうだ、新月(わかつき)に連れられて行った『経済推進同盟の会合』。その会場でトラブルになった相手。

 色は違えど、同じ柄の制服と同じ金バッチをつけている。


「ははーん。もしかしてさあ。道に迷っちゃったりしてるう? だよねえ。ここって広すぎで造りも悪いし、オネーサンたちも困っちゃってねえ。あはははは」

「そうそう。だからさ、あたしたちが送ってあげよっか? ね!」

 ニヤニヤとしながら、茶髪と黒髪の警護官たちが近寄ってくる。

「あ、その……僕は、戻る場所はわかってますから……」

「なぁに! 遠慮しないでいいんだよお。オネーサンたちがキミのこと警護しながら送ってあげるよお。一人で困ってる男性をさあ。放置できないんだなあ、これが。オネーサンたちそういう仕事だからあ」


 断ろうにも、矢継ぎ早にあれこれとまくし立てられる。

 言っていることは警護官らしい内容ではあるが、茶髪の目は全然別のことを語っている。

 ――むちゃくちゃ可愛い男の子を見つけた。これはちょっとくらいおいしい目(・・・・・)を見てもいいんじゃないか、と。


 朝日にとって、本当に運が悪かったこと。

 それは、出会ったこの連中が国内大手ゼネコン『桐生(きりゅう)建設』の運営する警護会社の者であったことだ。

 彼女らは健全な民間男性警護会社を名のり、まじめに仕事をしてはいるが、実のところ中身は関連暴力団の組員たち。

 獲物(・・)を見つけてしまえば、その本性がたちどころに現れる。


「まずはちょっと事情を聞かせてくれるかな。そうだ! 君、のど渇いてない? ほら、そこに自販機コーナーあるから行きましょう」

「大丈夫だよお。お茶でもしながら、ねえ。それから、さっきオネーサンとぶつかっちゃったでしょお。なので怪我とかしてたら大変じゃない。調べてあげるねえ」

「そそそ、君みたいな可愛い子が怪我してたら、大変だもんね。うふふ」

「いや……ぼ、僕は……近くに警護官が待ってますので、一人で戻れ――――あっ」

 そう言って彼女たちの間を抜けようとしたが、茶髪に腕を巻き取られて抱き寄せられる。

 深夜子たちとはあきらかに違ういやらしい手つき。


 何より彼女らが言う自販機コーナーは、通路から離れて袋小路になっている。

 朝日は強烈に嫌な予感を覚える。間違いなくこの女性たちと行って良い場所ではない。

 しかし、逃げれられない。

 あまりにも身体能力に差がある上に、二人に挟まれ逃げる隙間を潰されているのだ。

 戸惑っている間に、黒髪も朝日の肩へと手を回してきた。やっぱり手つきはいやらしい。


 このままでは何をされるかわからない。


 叫ばなくては、助けを呼ばなくては――――だが、声が出なかった。思っていた以上に朝日の身体を恐怖が支配していた。

 手が震える。涙が溢れそうになる。

 脳裏に浮かぶのは深夜子たちの顔……どうしよう……どうすれば? そう思った瞬間。


「はぁ~い、そこのオタクら二人。ストッ~~~プってねぇ」


 朝日の記憶にある誰かの声が響いた。



 ――時間は少し巻き戻る。

 こちらは、本来朝日が戻ってくるべきロビーである。


 結果的に、五月が異変を察知するのに若干の時間を要した。

 朝日が大きい方の用を足していると思って待っていたからだ。


「……八分三十秒経過。あら、朝日様の平均所要時間をもう二分超えておられますわね。もしやお腹の調子でも悪くされたのかしら?」

 ――それから経過すること、もう二分。

「……十分……三十秒!? まさかっ!!」

 ここで行動開始。

 朝日が向かったトイレの場所が遠方であったこと。帰り道に迷った可能性に気づく。

 深夜子、梅に緊急メールを送って、五月は駆け出した。

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