#34 観戦
怒れる五月VS新月による場外乱闘の決着がついた頃。
梅はあっという間にニ回戦も勝ち進み、決勝戦へと進出していた。
今、朝日たちがいる個室型VIP席。ここは奥一面がガラス張りのカウンター席となっている。
しかも、リングを近くで見下ろせる場所に設置されているので、非常に迫力ある観戦ができる。
そのカウンター席に隣り合わせで、座る朝日と深夜子。もちろん梅の出番待ちだ。
――ガシャン。
突如、予選決勝のリングがライトアップされ、同時に機械音が鳴り響いた。
「うわっ、深夜子さん。あれ!?」
「おおっ! これは金網デスマッチ」
驚く朝日が指さす先を見て、深夜子も声をあげる。
なんと天井から、吊り下げられたスチールゲージがリングを囲むように降りてきた。
設置完了にあわせてアナウンスが始まる。
『さあ、お待たせしました。これより予選決勝戦。このリングではピックアップマッチとして、注目のレスラー、マスク・ド・ピカテューが金網デスマッチへと挑戦します! では、選手入場ーーーっ!!』
会場の観客たちも盛り上がりはじめた。声援と口笛が飛び交う花道。
アナウンサーの紹介コールにあわせて、マスク・ド・ピカテューこと梅がリングへと進む。
颯爽とした足取りで金網の扉とロープをくぐりぬけ、リング中央へ到着。
――バチンッ!
と、ここで照明が落とされて会場がざわめく。
もちろんこれは演出。続けて、派手なカラーライトが対戦相手の花道を照らし出す。
爆音でテーマ曲と思われるBGMが鳴り響き。ドライアイスの煙の中から、赤いフードに身を包んだ巨体が姿を現した。
「うわっ、深夜子さん見て! 梅ちゃんの対戦相手の人……あんなに大きいの?」
「朝日君、心配しなくても大丈夫。梅ちゃんだし」
深夜子の謎な大丈夫理論はともかく。梅が心配な朝日、リングから目が離せない。
観客の反応から察するに、巨体の対戦相手は人気があるレスラーなのだろう。
アナウンサーがよりテンション高く、紹介コールをはじめた。
『――注目の金網デスマッチ。その牢獄に囚われた149センチ、49キロ”小さなチャレンジャー”マスク・ド・ピカテューに対するは――この夏、不慮の事故で右手首を骨折して暫しの休場。しかし、ファン待望の復帰を果たした”打撃殺しの肉体”身長203センチ、体重218キロ! ボンレス公子だぁああ!! これこそ正に、究極の体格差対決!! 会場も予選決勝とは思えない盛り上がりを見せております!』
大きな観客の歓声。熱気に包まれた花道の上で、ボンレス公子はフードを投げ捨て、巨体をさらす。
丸々とした肉体を包むピンク色のレスリングスーツ。スキンヘッドながら、人の良さそうな恵比寿顔。その両目にはハートマークのペイントが施されている。
飛び交う声援に応え、にこやかな笑顔で『困ったことがあったら、な~んでも言ってくださ~い』とマイクパフォーマンスをしながらリングへと向かう。
アサウンサーの説明によると、ボンレス公子は巨体を駆使した豪快なレスリングとは真逆に、優しさあふれるおだやかな物腰が人気のレスラーなのだそうだ。
ちなみに本業は男性警護業と噂されている。
『おおーーーっと! ここでボンレス公子がパフォーマンス。なんと、セコンドに指示をして、ゲージの扉に大きな錠前を付けたあーーーっ! さらにっ、外から鍵を掛けさせてせているぞーーっ!! まるでお前は私の獲物だ。もう逃がさないぞ、とでも言わんばかりだーーっ!? あーーーっと、さらにっ、扉の鍵がセコンドからボンレス公子に手渡される。これはーーーっ!?』
にやり、と笑みを浮かべ。公子は指でつまんで鍵を吊り上げる。
それをまざまざと梅に見せつけてから、マイクを使って煽りを入れる。
「ふぉ~ほっほっほ、オチビちゃん。なかなかの強さのようですが、私と当たったのが運のツキですね~。さぁ~、逃がしませんよぉ~!」
つまんだ鍵を、公子は口の上へと持って行く。
かばっと口をあけ、ベロンと出した舌の上へ鍵を乗せると――。
『飲み込んだぁーーーっ!! これは強烈な意思表示! 絶対に獲物は逃がさない! 自分を倒さない限り逃げ場はないぞ! その決意とも言える行為! まさに、まさに金網デスマッチ! そして、ここで運命のゴーーーーングッ! ボンレス公子VSマスク・ド・ピカテューのガチンコ対決スターーートだぁ!!』
朝日たちと観客の声援入り交じる中、試合は公子の先制攻撃からスタートした。
「ふぉ~ほっほっほ! まずは小手調べですよ~オチビちゃん。この私の張り手を受け止められますか~~? ぬううんっ!!」
ドカドカと巨体をゆらして、公子が助走をつける。
リング中央。がばっと左腕を振りかぶり、体重218キロを乗せた張り手を梅へと叩きつけた!
「へっ!」
もちろんプロレスルール。相手の攻撃は受け止めるのが基本だ。
が、公子は違和感を感じる。今、奴は鼻で笑った?
しかも、微動だにしない。完全なノーガード状態。
豪快な張り手が、梅の無防備な顔面に直撃する。鈍い激突音が響き渡り、観客席から悲鳴や歓声が巻き起こった。
そして――!
「いっ、いてえよぉ~~~っ!!」
自分は鋼鉄の塊でも殴ったのか?
そんな錯覚に襲われるほどの衝撃と激痛が、公子の左手に返ってきた。
そして驚愕。
気がつけば、目の前にはノーダメージだと言わんばかりに、肩をぐいぐいと回しながら距離を詰めてくる梅の姿!
「んだよ。どっかで見たことあると思ったら、チャーシューじゃねえか? 右手治ったのかよ」
「なぁっ!? ちょちょちょちょちょ、そそそそその声は!?」
まさかの一言。公子の脳裏に恐怖がよみがえる。
右手、右手首を開放骨折した夏。自分どころか圧倒的強者である蛇内万里、流石寺姉妹らを、たった一人で病院送りにした怪物の声。
「おいおい、せっかくの予選決勝だってのによぉ。チャーシューが相手とかテンション下がんな」
「きいいいやああああああああーーーっ!!」
『あーーーっと! どうしたボンレス公子!? 突然走り出して金網にすがりつき、狂ったように泣き叫んでいる! これは新しいパフォーマンスなのかぁ! おっと? そして、扉に向かって……開けようとしたーーーっ!? 自分が鍵を閉めさせたんじゃないのかぁーーー!? 当然開かない。すると、今度は、しゃがんで? なんとーーっ! 吐いたぁーーっ!! 嘔吐だぁーー!! ストレスか? ストレスなのか? まるで毎週の月曜日。出勤前のサラリーウーマンのようだあーーーっ!!』
「どうしたよ? ああ、鍵を吐き出したいのか。いいぜ顔見知りのよしみだ……しっかり吐き出させてやんぜっ!!」
ニヤリと口元をゆがめ、ボキボキと拳を鳴らしながら、怪物が近づいてくる。
その姿に、ただ絶望をする公子であった。
――さて、一方でこちらは会場の裏側。
丸だ――ボンレス公子が、非常に気の毒な目にあっている頃。大会運営本部は騒然となっていた。
「なんだ……なんなんだ、あの化け物は?」
「ちょっと……一回戦。パイルドライバーで、相手がマットにめり込んでるんだけど? 漫画でしか見たことないわよ。こんなの」
「あの……二回戦の決まり技。ラリアートした方が骨折TKOって、どういうこと?」
「誰が連れてきたんだよ? 強いとかそんなレベルじゃないぞ」
「そ、それが五月雨ホールディングス関連企業の推薦枠で参加らしく……」
「さっ、五月雨だぁ!? と、とにかく……アレの戦いを見たレスラーたちが次々対戦拒否を。このままではメインイベントが組めません」
「くっ……仕方あるまい……奴を使うぞ」
「なっ!? 女帝ですか? しかし、奴は前回対戦相手を半殺しにして出場停止中のはず!」
「……かまわん。マッチが組めなかったらそれこそ大事だ。やむを得ない。化け物には化け物だ」
などと、そんな相談が行われている間に金網デスマッチの(主に衛生面の)惨劇は幕をおろす。
その他のリングでも、予選決勝は次々と終了。
ここで休憩時間。メインイベントに備えて、中央リングの改装が開始された。
◇◆◇
時間は午後六時。改装時間中はディナータイムとなっている。
朝日たちのいるVIPルームには、座敷と呼ぶにはおしゃれなリビング風のスペースもある。
クッションやソファーにテーブルセット。壁面には大型モニターが設置されており、くつろぎなから観戦も可能となっている。
豪華な料理が置かれたテーブルで、朝日を囲んで深夜子たちは和気あいあいと食事中だ。
「はい、深夜子さん。あーん」
「ふへっ、おひょ、うへへ。い、いいの? 朝日君。ぬへへへへ。あ、あーーん」
さっそく深夜子が奇声――ではなく、照れ笑いらしき声を発している。
くねくねと身体をよじらせながら、朝日がフォークに刺して運んでくれるお肉をパクリ。
まさかの幸運。
本日、ディナーコースはステーキメイン。色々な部位が選べたことから「違う部位を頼んで交換しよう」と朝日が持ちかけてきた。
その時はなんとなく「いいよ」と受けたのだが、これが大正解。
数分前の自分にグッジョブしなくてはなるまい。
「ふはぁ、おっ、おいひい……と、とろけるっふぅ」
本当に上質で、とろけるように柔らかいお肉だ。でも、それ以上に表情筋がとろけちゃう深夜子であった。
なるほど、これがメシの顔!!
「ちょっと、深夜子さん! Mapsともあろう者がそんなはしたないマネを――って、なんですの? その何か言いたげなお顔は」
お肉を咀嚼しつつ、深夜子はジトっとした視線を五月に送る。
……自分だって、朝日の隣をしっかり確保してべったりのクセに。
「ふぁっふぃふぁって、ふぁふぁふぃ――」
「あっ、五月さんもどうぞ。はい、あーん」
ツッコミを入れようとしたところで、朝日が五月にもスッとお肉を差し出した。
「ふぇ? ……はひぇええええ!? わ、わわわわわ私に? そんな、ちょ、いやですわ。もうっ、もう朝日様ったらぁっ、そんな積極て――――ではなくて、その、わ、私たちは勤務中ですわ。いや、そもそもMapsとして…………ハッ!?」
最初は顔を真っ赤にして、あたふたとしていた五月だったが、ピキーンと天啓が走ったかのような表情に変わった。
あっ、これは――。
(そうっ、そうですわ! 本日ここに私はMapsとして来てはいませんの。いや、来てはいけないのでしたわ。つまり、今ここにいるのは朝日様を世界の誰よりも愛する淑女五月雨五月。まさに天の時と地の利と人の和が満ちた瞬間! これはいただくしかありませんわ。朝日様の愛を!!)
――とか考えてるに違いない。
「は、はわわわわわわ。あ、あああ朝日様。んあ、あああぁ――」
ふにゃふにゃでれでれの顔で、五月が口をだらしなく広げて……。
――パクッ!
「ううーん、朝日ちゃーん。とーってもおいしいわー、ママ感激よー」
「お母様あああああっ!?」
ちゃっかり割り込んできた新月が、朝日のあーんをかっさらっていた。
「五月ママ、グッジョブ! ふひっ、五月仕事中だもんね」
「んなっ!? くっ……ひ、非番。そう、やっぱり今日は非番ですわ。非番にしましたわ。なので朝日様! さあ、五月に朝日様の愛をもう一度」
「ちょっと待って、今度はあたしが朝日君にあーんしてもらう」
「深夜子さん、何をおっしゃっておられますの! 順番から言えば私が――」
「ねえ、朝日ちゃーん。もっかいママにー、あーんしてー」
「え、あ、はい。あーん」
「「うおおおおいっ(ですわっ)」」
結局この後しばらく。
親鳥に餌を与えられるヒナ鳥のように、朝日のあーんを堪能した五月と深夜子、プラス四十四歳人妻であった。




