#01 寝待 深夜子
寝待深夜子は男性保護特務警護官(通称Maps)である。
男性保護省本庁舎、立派な二十階建て高層ビル。その五階にある『特務部警護課』の一室。
深夜子の眼前には書類が山と積まれている。現在、それとにらめっこの真っ最中。
「ふああ……むう、今日も暇。それにしても、毎日ひたすら書類チェックして判子を連打。もはや判子の達人。どうしてこうなった?」
あくびをかみ殺すと同時に、そんなぼやきが口をついて出てしまう。
デスクチェアに背をもたれて、きっちりと切り揃えられたミディアムストレートの黒髪を左右へと規則正しく揺らしながら考える。
こんな仕事をする為に、Mapsになったのではないと――。
『国立男性保護特務警護官養成学校』――競争率は常に千倍超。
仮に合格しても、待っているのは在学中に半数が脱落すると言われる”地獄の教育過程”三年間。音に聞こえし公安職公務員養成学校である。
深夜子はその狭き門をくぐり抜け、軍隊経験者ですら裸足で逃げだすそれを耐えぬき、見事卒業したのだ。余裕だったけど。
しかし、自分の置かれた現実の前に、その過程はなんの意味もなさない。
気を入れなおすために、ふんっと伸びをする。返す動きで机に向かい、再び大量の書類チェックを進めようとするが……。
「ん?」
デスクの傍らに置いてある業務用スマホが呼び出し音を鳴らした。
壁の時計をながめると現在十一時三十分。昼休憩の時間も近い。ひょいとスマホを手に取り、発信元を確認して深夜子は少し眉をひそめた。
仕事が増えませんように、と願いつつ通話マークをタップする。
「こちら判子の達人」
『ふむ。今日のノルマを三倍にして欲しいのか?』
「大変失礼した。こちら寝待深夜子」
『やれやれ……まあいい。突然ですまないが、急ぎ私のところへ来てくれ。業務は中断してかまわん』
「ん、らじゃ」
なんの用だろうか? まあ、仕事の追加ではなかったのでよしとしよう。
さらりと思考を切り替え、深夜子は鼻歌混じりにパンツスーツのポケットへとスマホをしまう。散乱する書類を束ね、処理中のタグがついた引きだしに手早くしまい込む。
それからデスクワークで少しこった肩をほぐして席を立つ。
エレベーターに乗りこんだあとは、軽く身だしなみを整えて準備完了。目的の階へ到着するのを待つだけだ。
――七階へ到着。
しばし廊下を進み『警護課長室』の前で立ち止まる。
明らかにノックが必要な場所、という思考は深夜子に存在しない。さらりと扉を開け放ち、ズカズカと部屋に入って声をかけた。
「はーい、呼ばれて飛び出て深夜子さーん! やっちー、もしや独り飯が寂しいから、今日はあたしとお昼をいっしょ――うごおっ」
深夜子の脳天に衝撃が走る。背後から拳大の何かが頭頂部にめりこんだ。いや、間違いなく拳だ――鈍い痛みが頭に、鈍い音が脳内に響く。
「このアホ! 部屋に入る前にノックくらいはしろ。それと私のことは課長をつけてと呼べといつも言っているだろうが!」
衝撃が残る頭を手で押さえながら、深夜子は振り返る。そこにはパッと見三十代前半。黒髪を後ろで束ねた大柄な女性が拳を握り、自分を見下ろしていた。
身長166センチの自分より10センチ以上高く、一回り以上大きな体格。少し筋肉質な身体つきだが、出るとこは出ていて健康的なプロポーション。
キリッと整った眉にわずかに下がり目で知的な雰囲気の美女。彼女の名は『矢地亮子』。自分の上司であり、所属する課の責任者でもある。
ちなみに、この世界の女性の平均身長は170センチ。男性は160センチである。
何十世代にもわたって保護され続けてきた男性は、女性にくらべて身体能力も弱く、体格も小柄になっているのだ。
「失礼した。これは反省」
「はぁ……毎度のことだが、お前がS評価で配属されたことがいまだに信じられんな」
矢地はジトッとした視線を深夜子に向ける。毎度のことだが、何度注意しても少し期間があけばこんな感じだ。
「ふっ……逮捕術、格闘術、射撃術。三冠!」
ならば! と言わんばかりに、深夜子は殴られた頭をさすりつつ残った片手でサムズアップ。
己の優秀な学校卒業時の実績をアピールしてくる。まったくコイツは……。
「ああ、そうだな。史上最年少の十三歳でMaps養成学校に合格。実技はすべて首位、座学でも男性学は上位常連。だのに一般常識欠如のアホっぷりを披露して、現在警護任務面接を十連敗中の寝待深夜子さんだったかな?」
「げふぅ! そ、それは言わないで……心に、心に来るから」
せっかくなので皮肉を食らわせてやる。
事実、深夜子はMapsとしての評価と現状があまりにもアンバランスなのだ。
Maps養成学校では卒業の際、その成績に応じた評価がなされる。ランクは上からS、A~Eの六段階となっており、ランクが高いほど男性警護に着任できる確率が高い有利な職場に配属される。
そのSランクが日々デスクで書類業務など、異常と言わずしてなんと言おう。
「まあ、それだけが理由……とは言わんのだがな」
矢地はちらりと深夜子に目を合わせる。
「むう、あたしの目は生まれつき。いわゆる不可抗力」
それは心外、と深夜子は口を尖らせた。
「うむ、それはわかっているさ――」
と言ってはみるが、事実深夜子の目つきはとても怖いのだ。
猛禽類を思わせる眼球に、切れ長で鋭い目の形。それがせっかくの細くキリっとした眉、整った鼻に少し薄いながら形の良い唇。
すべてを悪い意味で引き立てる要素にしてしまう。
スレンダーながらスタイルも悪くなく、総合的に見れば美人に分類される容姿なのにだ。
まさに天は二物を与えず。いや、身体能力的に軽く三物以上持っている彼女。
それゆえ天が調整をしたのではなかろうか? 真相を知るよしもないが、実に残念な話だと矢地は思う。
「――女性からすれば、見慣れれば問題ないとは思うのだがな」
そう、女性であればさほど問題ではない。それは深夜子も理解していることだ。
ただし、男性目線の場合はどうなるだろう? 人の印象は見た目九割と言われている。
この世界の男性は管理される側である。社会の運営は、常に人口の大多数を占める女性によって行われてきた。
男性は権利が確立する近代社会まで、宝石や貴金属と同等であり、それでいて愛玩動物であり、はたまた性奴隷だったのだ。
世の中では女性に対して、大半の男性が何かしら嫌悪感や恐怖感をいだいているのが現状だろう。
矢地はふと思い返す。過去の深夜子と警護対象たちの面接は――。
『また機会がありましたら……』
『ちょっと、常にいっしょには……』
『この人怖いです……』
『何人か人を殺してますよね……?』
――散々な結果ばかりだった。
何度かは面接の場を持たせようと、努力をしているらしい場面を見かけたこともあったが――。
『んー、でもあたしSランク(じー)』
『はうっ……で、でも』
『考え直したほうがいい(じーー)』
『す、すみません。ほんと……む、無理なの……で』
『ならば致し方なし!!(くわっ!!)』
『ひいぃーーーーっ、ゆ、許してっ、殺さないでーーっ!!』
『あれ?』
――このザマであった。
あとで聞いてみれば『えーもーそんなー、あたしってば怖くないですよー(きゃぴるんッ)』と、深夜子なりに媚びて萌え萌えアピールをしたつもりだったとのこと。
さすがにこの時ばかりは、無言で肩に手を置いてやるのが精一杯だった。本人はめげずに努力しているようだが、もちろん結果はお察しだ。
そして、天に調整されたらしく深夜子にはもう一つ欠点がある。
「それで……その三冠の深夜子さんは、前回の面接がどうして失敗したと考えている?」
回想を終え、矢地は話の続きとばかりに、顔をずいっと深夜子へ近づけながら質問を投げかけた。
「んー、警護対象と趣味があわなかったから!」
てへぺろっ! と効果音でも入りそうな勢いの舌を出し片目で、深夜子がサムズアップを決める。
これだ。
矢地はこめかみに血管が浮かぶのを感じる。同情は憤怒によって塗り替えられる。
流れるように右手を差し出して、深夜子の顔面をガッチリと捉えた。
「そ、の、ア、ホ、さ、加、減、がいかんと言ってるだろうがぁーーーっ!」
「ほぎゃあああああああああ! やっ、やっちーのアイアンクローはダメえええ。死ねる。それ死ねるからーーーっ!」
「課長をつけろと言ってるだろうがああああああ!!」
ギリギリと顔面に指が食い込み、深夜子の頭蓋骨が音を立てて軋む。
「ふんげえええええ! やっ、ややや矢地課長。ギ、ギブ、ギバーーップ!!」
この通り。空気が読めない上に、耳に余る言葉使いっぷり。
Maps養成学校時代でも対話、交渉など対人能力関連の成績は壊滅的だった。
自身の外見にコンプレックスがあり、それを払拭どころか悪化させるコミュニケーション能力。
これぞ負のスパイラル。
改善させる努力はしているが、深夜子のマイペースに巻き込まれるのが日常となっている。本日も怒りのお説教へと続く矢地であった。
◇◆◇
お説教タイム終了。
「で、――深夜子。お前を呼んだのは他でもない。本日付けで男性警護任務に着任してもらう」
「ふえっ!?」
突然の言葉に深夜子は固まってしまう。矢地から差し出されたのは辞令の書類であった。
「聞こえなかったか? 本日付けで男性警護任務に着任だ」
「着任? ……いや……まだ面接が……あっ!」
突然の通達に深夜子は困惑する。が、腐ってもSランク、ハッと気づく。
「もしや特殊保護案件?」
「ご明察、そのとおりだ。とにかく資料に目を通してくれ」
ドサッ、と目の前に分厚いA4サイズの資料が置かれた。深夜子は早速、手にとって読み始める。
「今回は保護男性の特殊性から、上の判断でX案件となった。Sランクのお前を含め、他メンバーもAランク以上の計三名でチームを編成する。――と言っても、私の管轄でAランク以上は人手不足だ……お前以外はな! お前以外はな! 良かったな色んな意味で!」
「むう、言い方……」
おのれ、大事なことでも無いのに二回も言われた! 深夜子はジトッとした視線を矢地に送る。
「ふっ、まあ良かったじゃないか」
それだけで人を殺せそうな深夜子の目力だが、矢地には慣れたものだ。
軽く受け流し、率直な気持ちを口に出して背をたたいてやる。なんだかんだと深夜子の能力は買っているし、配属直後から手間がかかりっぱなしの可愛い部下なのだ。
『特殊保護事例X案件』
男性保護法の中でも最重要設定事例。保護対象が出身地不明、かつ国際規定文化圏外国人であることが前提条件となっている。
他にも色々と細かい条件や設定があるのだが、今は割愛させていただこう。
簡単に説明すると『この男性。別の星からでも来たんじゃないですか? ヤバくないですかね? あ、でも男性ですから! 我が国で保護しますとも。ええ、超保護しますとも!』案件である。
「それにしてもX案件とは驚いた」
「そうだな。私もこの仕事に就いて十年以上になるが、初めてだよ。知ってはいたが、実際にお目にかかることになるとは思わなかった……たしか、二十年以上前に一件だけ事例があったはずだが……」
「人員配置がS込みのAで三名構成……これも驚き」
資料に目を通すことわずか数ページ。その条件に深夜子は驚きを隠せない。
「上からのお達しだ。理由は資料を読み進めればわかる……にわかには信じれん内容だがな」
本来MapsのS、Aランクと言えば、Bランク以下を率いて男性警護を行うチームリーダーの役割を担う立場だ。
他ではいわゆる社会的地位の高い要人男性、国際的来賓男性客など、非常に重要な案件での身辺警護を任される。
国の上層部判断とは言え。人数も少なく優秀なS、AランクMapsを一人の保護男性に三人も配備するのだから、その特殊さが伺えた。
さらに対象である保護男性の情報ページに入ったところで、深夜子は自分の目を疑う。
「矢地課長。これ意味がわからない。男女比率がほぼ一対一の国から来たとか、どこのラノベ?」
「そうだろうな。実際、相当に物議をかもしたそうだが、ウチの調査課連中が出してきた資料だ。少なくともデタラメではないさ」
あり得ない……そう思いながらも、深夜子は再び資料を読み進めた。そして、その情報量に圧倒される。
日本という国名。その人口や地理、地形。大量の聞いたこともない地名や固有名詞。
国や社会の構造、科学技術、生活水準や文化レベルにそう大差はないが、男女についての常識は決定的に違っていた。
その内容の濃密さは、深夜子が愛してやまない『男女比率逆転・あべこべ小説』の設定魔に部類される作家が、仮に男女比一対一の世界観で作ったとしても足元に及ばない完成度と思われる。
これは、この資料は本当にとんでもない。深夜子は真剣な表情を矢地へと向ける。
「……ヤバい。この資料があれば『小説家をやろう』で一作書ける。書籍化間違いなし!」
「ほう……どうやったらその感想に行きつくのか――お前の顔面に詳しく聞かせて貰おうか!!」
矢地の右手が光って唸る。
「ふおわあああああっ! しっ、失言。ややや矢地課長様。か、勘弁。マジ勘弁! こ、これ以上は、もう顔の形変わるからダメえええええ!」
いちいち明後日の方向で飛んでくる回答に、矢地はこめかみを押さえる。
「……まあいい、証明できない情報はさほど重要ではない。世間にこの資料の内容が公表されるわけでもないからな。彼が仮に異世界の住人であろうと、宇宙人であろうと、我々のすることは変わらない。いつもどおりに男性保護を最優先だ」
「ら、らじゃ! 最優先! それはもう最優先!」
アイアンクローの恐怖から、反射的にオウム返しをしてしまう深夜子。
そんな中、ふと頭をよぎるのは保護男性自身の情報。異世界人? 宇宙人? 穏やかでない単語に、つい変な想像をしてしまう。
いそいそと資料に目を通しなおすこと数ページ。本日最大の衝撃に襲われた!
「んなああああああああっ!? やっ、ややややっちー!!」
「なんだ。今度はどうした?」
「こっ、こここここれ、保護対象の写真がCG。絶対CG」
深夜子が絶叫してしまった理由。それは保護男性の写真。
そこに、この世のものとは思えない美少年が映っていたのだ。
「これはフォトショさん過労死案件。盛りすぎにも程がある」
「いや、実物だ。……まあ、私も事前に面会してなければお前と同意見だったろう。とんでもない美形だよ。結婚していなければ、私も警護担当に立候補していたところだな」
「くっ、その地味な勝ち組アピール」
これは悔しい。深夜子は思わず苦々しい顔を向けてしまう。
なんせ自分の上司である矢地亮子、彼女はすでにMaps現役時代に警護任務を成功させている。さらには、その実績から三十代にして課長へ昇進している正真正銘の勝ち組なのだ。
「ははは、まあそう言うな。正直一生かかってもお目にかかれないレベルの男性だ。私も素直な感想だよ」
「まあ……それは……確かに……ふへっ」
だが、ネガティブな思考も美少年の写真の前には消え去るのみ。気がつけば目が釘付けになってしまい、生返事になっていた深夜子だった。
視線はそのまま特殊保護対象男性のプロフィールへ。
彼の名前は『神崎朝日』、年齢は自分より一つ年下で十七歳。身長164センチ、体重52.5キロと、多少やせ形でバランスのとれた体型だ。素晴らしい。
何より、顔のパーツ全てが奇跡と呼べるレベルで整っている。セミロングウルフヘアの黒髪、パッチリとした二重の瞳に、左目の泣きぼくろ。あらやだ素敵。
年齢よりも幼げに見え、やたらと庇護欲をそそる中性的な顔立ち。やばい、これもう尊すぎじゃないですかね。
そして、特に印象深いのは健康的な肌つやとしっかりした体格。
深夜子にとって男性とは、細くて筋肉も少なく弱々しい存在だ。しかし、写真のラブリーマイエンジェル朝日たんは違う。
別の世界から来た、と言われても納得せざるを得ない。正真正銘、規格外。絶世の美少年である。
「これはテンションストップ高」
写真を凝視していると、ついゴクリと唾を飲みこんでしまう。そんな深夜子に、不安そうな矢地の視線が突きさってくる。
「おい、頼むから顔あわせでやらかすなよ」
「ふへっ、かわいい……むふっ……うひっ」
最高の美少年を無条件で身辺警護できるという最上級の幸運。不安は吹き飛ぶ。
自分はこの時のために男性警護業の頂点と言われるMapsになったといっても過言ではない。
ついつい夢がふくらむ妄想をしてしまい、深夜子の精神はいつの間にか現実から旅立っていた。
「おいこら深夜子!」
「はっ!? ……ら、らじゃ、がんばる。これは人生で一番がんばる!」
「……まあよし、すでに一通りの処理は完了している。保護対象と面談して、問題がなければそのまま任務に移行だ。追加メンバーの着任は明後日以降の予定となっている。お前がチームリーダーになるので、合流と着任後の指揮は頼んだぞ」
深夜子と矢地。それぞれ期待と不安を抱え、美少年との面談室へと向うのであった。