#15 遭遇
「まずいですわ! これはまずいですわ! 大和さん、急ぎますわよ!!」
「うっせえ、わかってんよ! くそっ、あのデカ蛇女。ねちねちとくっちゃべって時間取らせやがって」
『朝日が海土路主に絡まれている』
不安的中。五月のスマホに深夜子からのヘルプメールが届いていた。
五月と梅は猛ダッシュで朝日の元へと向かっている。
「貴女が喧嘩腰になるからですわっ。私事前にお伝えしましたわよね! 会場ではおとなしくして欲しいと!」
「んだよ! だから俺から手を出してねえだろ!」
全力で走りながら言い争う二人。
梅の反応とそれを止める五月の姿が愉快だったのか、つい先ほどまで万里に絡まれていたのだ。
結局、満足するまで梅をからかった万里はフラフラと何処かに行ってしまったが、どちらにせよ同じように待合室で合流する事になるだろう。
何よりも武闘派警護官揃いと評判のタクティクス。そんな連中に囲まれ怯える朝日の姿を想像するだけでおぞましい。
もう予定の合流時間も過ぎている。五月の焦りは逸る一方だ。
「とにかく! いくら深夜子さんでも一人だけでは荷が重いですわ」
「おい、そのよ……なんたら主ってのは、そんな性質悪ぃのか?」
五月の危機感にいまいちピンと来ない梅が質問をする。
「そうですわね。悪い、悪くないはともかく。海土路造船の御曹司で容姿端麗、頭脳優秀、運動神経も抜群、殿方のグループ内では常になんでも一番……と言うのは有名な話ですわ。当然気位もその分――」
「――お高いってか? あー、そりゃあ嫌な予感しかしねえな」
「ええ。それにしても……理解していたつもりでしたが、私たちも感覚が麻痺してたのかも知れませんわね。朝日様があそこまで目立たれてしまうとは……想定していませんでしたわ」
そう、朝日は五月の想像を遥かに超えて会場で目立ってしまったのだ。
十一番ルート壊滅の件も理由の一つではあるが、何よりも海土路主に意識されてしまった最大の原因は別にあった。
◇◆◇
それは、朝日が受診している場所とは別の体力測定会場でのこと。
そこではちょうど50メートル走が行われていた。
たった今、一人の男性がゴールしている。
身長161センチで中肉中背。髪型はキノコヘアこと坊ちゃんカット。
日本基準で言えば、まあ平凡な顔立ち。体格も含めてとにかく全てが平凡。
しかし、この世界基準ならば健康的な美男子。それが『海土路主』十八歳である。
「ハァ……ハァ……よし、どうだ!?」
『ただいまの記録――8.96秒です』
「よし、やったぞ! どうだ! ついに9秒を切ったぞ!」
この世界における男性の体力基準値は、日本人女性の平均値を下回る。
その代わりにと言うべきかは微妙ではあるが、女性は日本人男性の体力平均値に対して二倍以上の数字を叩き出す。
女子中学生にして日本人成人男性と互角以上の体力と言う恐怖だ。
いかに男女間の体力差が激しい世界かお分かりいただけるだろう。
そんな男性たちの中で、主は全国トップクラスの記録保持者であり、日々訓練の賜物と自負がある。
「おおっ、さすがなのですよー主様。今回は他の種目もばっちり大幅記録更新ですよ」
「ふんっ、当然だな。ボクは他の奴らと違って手を抜いたりしないからな」
不遜な態度で豪語すると、主はタオルで汗をぬぐいつつスポーツバッグを開けて水筒を取り出した。
「はいなのですよ。さすがな上に素晴らしいのですよ!」
そんな主をやたらと褒め称えるのは、身長160センチに満たない小柄な女性警護官。
牛乳瓶の底のようなぶ厚いレンズのメガネをキラリと輝かせている。
三つ編みになっている寝癖のついた茶髪は、雑に結ばれて左右非対称、裾がはみ出たりとズボラな着こなしのスーツ姿。
見た目がどうにも残念さんな彼女の名は『流石寺月美』。
これでも海土路家お抱え男性警護会社タクティクスの幹部だ。
「まあな、ハンドボール投げもついに14メートル超え。背筋力も81キロで新記録更新だ。これじゃあ今回の体力測定記録はボクが一位を総取りになっちゃうかな? ふふふ」
「それはっ、もうっ、当然なのですよっ! あっ、すぐにデータを確認しますから、ちょっとお待ちくださいですよー!」
自信たっぷりの主に、調子を合わせ小気味よい返事をする月美。
ノートパソコンを操作して、今回の体力測定記録結果を呼び出す。
前回、前々回と主は多くの種目で二位、三位だった。
その悔しさをバネに半年間、日々トレーニングをこなした成果がでている。
全種目一位は困難でも、相当数の種目で一位を取れるであろうと月美は考えていた。
「おっ、出ましたですよー。はいっ、まずは握力からですよ! これの一位はもちろん主様……って、あれれ? 何、このID? ん……主様が、二、位? え……なんで……ですよ?」
モニターの表示を前に月美が固まる。
「なに!? そんなはずは無いだろう。ボクの握力記録は今回28.8キロだぞ。平均値を4キロ以上超えているんだ。じゃあ、一位の記録はどうなっているんだよ?」
想定外の結果に、主の声色が不機嫌になっていく。
「はっ、はいですよ! すぐに、すぐに調べますから……ですよ」
ビクビクしながら、月美は一位の記録を呼び出した。
「え……と――――んなああああっ!?」
データが表示された瞬間。
月美は思わず驚愕の声を上げてしまった。ぶ厚いメガネの位置を何度も直しては画面を見る。
そして、そのまま呆然とするしかなかった。
「おいっ、月美!? どうした、一位の記録は!?」
「え…………あっ!? は、はい……その……ですよ……あの」
もごもごと口ごもる月美。その態度に主は察して一人呟く。
「ああ、確か前回27キロ台を出してた奴が三人いたな……もしかして、今回は29キロ台の記録を出した奴がいたのか? ……ちっ」
こみ上げる悔しさ、僅差で負けたのかと舌打ちをする。
気分を紛らわせるため、主は持っていた水筒のコップにスポーツドリンクを注いで口をつけた。
「一位の記録41.8キロ……」
「ぶばっはああああああああああああっ!?」
スポーツドリンクが空中に噴霧され、虹を描く。
もちろんお察しの通り。今回の男性体力測定は朝日が問答無用で一位総ナメである。
なんせ体力の基準が違う。朝日の体力はこの世界の男性と女性の中間地点に近い。
その容姿のみならず次々と打ち立てられる凄まじい記録の数々。
ギャラリーは、まるでオリンピックのスター選手でも観戦しているかの如く、熱狂しまくることになる。
「うええええぇっほ! げええぇっほ! な、なななななんだよその記録!?」
「む、無茶苦茶なのですよ……」
まさに理解不能。
たしか男性の握力世界記録が30キロ台前半だったはず。
月美が記憶を探っていると、むせていた主が混乱気味に詰めよってきた。
「おいっ、他だ! 他の記録はどうなっているんだ!?」
「は、はいですよ。え、えと……50メートル走が…………6秒9ぅ?」
「えええええっ!?」
「ハンドボール投げは……に、26メートルぅ!?」
「うえええええええぇっ!?」
「は、ははは背筋力……ひゃ、ひゃひゃ136キロおおおぉ!?」
「会場にオスゴリラでも混じってたのかよ!?」
「なん……なの……で……す……よ……」
これはもう、競うとかそういったレベルの記録ではない。冗談としか思えない数値。
データ画面に釘付けになりながらも月美は思案する――記録データとして呼び出せる以上、管理と扱いの厳しい男性個人情報が入力ミスだとかエラーだとかなど思えない。
困惑は深まる一方であった。
一方、苦虫を噛み潰したかのような表情の主、ブチブチと親指の爪をかじっている。
イライラを募らせている証拠だ。
しばらくすると、ハッと何かに気付いたかのように声を発した。
「そうか……わかったぞ! 替え玉だ! 女を替え玉を使ったに違いない。誰だ? 今回はボクに負けそうだからって……こんな卑怯なマネをしたのは? おい月美、すぐに調べろ! 調べて来い! 今すぐにだ!」
「わっ、わわわかりましたですよ主様。あっ、付き添いを姉者に代わって貰うですよ……す、少しだけお待ちなのですよぉー」
その剣幕に慌ててスマホを取り出す。
月美は姉に連絡をして理由を説明する。――それから約十分。会場に月美とは似ても似つかぬ女性が現れた。
太ってはいないが、少し丸っこい月美とは色々正反対。
痩せ型で身長は172センチ。オールバックの黒髪を後ろで纏めてポニーテールにしており、切れ長で細い目が狐を思わすサムライ的風貌。
万里ほどではないが中々の威圧感を纏っている。
「坊っちゃん、妹者、待たせたのう。近くにはおったのだが、付き添い変更の手続きに手間取ってしもうたわ。それにしてもなんぞ面白そうな話じゃの」
カラカラとしゃべりながら二人の側へやって来たのは月美の姉、『流石寺花美』。
流石寺姉妹――忍者の末裔を自称し、戦闘は元より諜報や破壊工作を得意としている。との噂が流れる腕利きの男性警護官だ。
海土路造船お抱えの民間男性警護会社タクティクス。
元SランクMapsの腕を見込まれ、リーダーを務める蛇内万里。それを流石寺花美と月美の姉妹が補佐官役として支える。
この三人を中心に約三十名からなる武闘派警護官で構成されている組織である。
◇◆◇
――情報収集をする為に、月美は男性たちの待合室があるフロアへとやってきた。
「はあ……主様はかっこよくて素敵だけど、人使いが荒いのですよー。ぶーなのですよー」
ぶちぶちと愚痴りながら、移動中に買ったパック牛乳のストローを口にくわえる。
とりあえずは待合室にいるであろうタクティクスメンバーから聞き取りだ。――と、まさかの即ビンゴ。
メンバーの数人がしっかりと件の記録保持者を見学済み。しかも、鼻息荒く、懇切丁寧に、説明をしてくれた。
体力測定会場は検診と違って、見学可能な屋内運動場で実施される。
付き添いの警護官以外でも出入り可能なので話題沸騰だったらしい。
そのメンバーも話を聞きつけて見学に行った口であった。
「ええ、それはもう神崎朝日様は凄かったです。まるで天使の様に愛らしいお顔! 花よりも可憐で素敵な笑顔! そんな繊細で儚げな美しさをお持ちの方なのに50メートルを走る姿はとても凛々しくて力強く、まるでサラブレッド! 背筋力をお測りなる時には、あの悩ましく情欲的な掛け声……はぁ……会場では失神者も続出だったんですよ。それも当然ですよね。なぜなら神崎様はあの――」
「ちょっと何言ってるかわからないですよ」
その神崎朝日様とやらはあちこちでファンを獲得した模様である。
メンバーたちは、まるで神話に出てくる美の男神でも見てきたかの口調。目はハートマーク。頬を紅潮させ、恋する乙女がごとき興奮状態だ。
こいつら……本当に屈指の武闘派で知られるタクティクスのメンバーだったけか?
力説を続けるメンバーたちに、ジト目で冷たい視線を送る月美だった。
「あーはいはい。もうわかったですよ。充分ですよ。それで、その神崎さんはどこの待合室にいるですよ?」
「はい。十番ルームで、たくさん男性方に囲まれていましたよ。やたら目つきの悪いMapsが一人、やたらベタベタ神崎様にまとわりついてるんで、ひと目でわかりますよ。あのクソ女、ちょっと神崎様の担当だと調子コキやがって……」
「その情報やたら私怨が混ざってるですよ」
それはともかく! と、しつこく語ってくるメンバーを月美は雑にあしらい待合室をでる。
目的は話題の本人が滞在する待合室だ。月美は足取りを早めた。
◇◆◇
目的地へ到着。部屋に入って中を見渡す……確かに、数人の男性が部屋の左隅に集まって歓談が行われている。
きっとあの集団だ。
月美は抜き足でこっそり近づいて聞き耳を立てる。
そのグループの中心にいる男性が、やたら賞賛され話題にされているようだ。なるほど、彼が噂の『神崎様』なのだろう。
するすると警護官たちの間を抜け、”彼”が見える位置まで移動した。そして――。
「はああああああっ!?」
ビシィッ! 分厚いメガネのレンズにヒビでも入ったかの衝撃!
飲みかけのパック牛乳は左手からするりと抜け落ち、床に転がる。
「……なっ、なっ……なん、なのですよ……アレ? お、おとぎ話に出てくる王子様? ……なの……ですよ」
創作でしか見たことのない美形。これは自分の目がおかしくなったのか?
メガネをはずして姉とは違ってパッチリとした瞳をこする。身体はかなしばりにでもあったかのようだ。
ちなみに髪型などはアレだが、可愛い系美少女だったりする月美である。
それはともかく。さすがにタクティクスの幹部、なんとか気を取り直して待合室を後にする。
その足であちらこちらに聞き取り調査をした結果、恐ろしいことに記録は全て事実。
さらには十一番ルート壊滅事件も浮上。
独自の情報網も駆使して、彼が特殊保護対象男性であること。それから外国人であることがわかった。
だが、それ以上詳細な情報は恐ろしくガードが堅く調べ切れない。
どちらにしても、そもそも素直に報告したところで信じてもらえる自信が全くない……だからと言って報告しない選択肢もない。
朝日のあまりもにあまりなハイスペック振りに、月美はロビーで一人頭を抱えてしまう。
「こっ、こここれは困ったですよ。記録もほんとにほんとだったですし……いったい何者ですよ、あの超絶素敵王子様は? めちゃかわいいですよ……へへ……ふふ……っ!? おっと、いかんいかんですよ。月美は主様一筋なのですよ。でも……コレ……どうやって主様に報告するですよおおおおお」
とにかく、できるだけオブラートに包んで主へ報告しよう。
でも、どうやってあのとんでも情報をオブラートに? 頭痛を覚えながらトボトボと歩く月美であった。
◇◆◇
――それから少々時間は経過する。
一方の朝日たちは待合室から脱出してロビーへと退避していた。
「うわあああああっ……つ、疲れたぁ」
「うん。朝日君お疲れ様」
朝日を囲んでいた男性たちは、思いのほか好意的だった。
しかし、とにかく質問攻め。どこから来たかに始まって、家族構成、好きな食べ物、趣味、と定番どころはことごとくである。
「こんなにしゃべったの何時以来かな……はは」
「でも、朝日君。うまく話できてたよ」
男性保護省制作の設定を使って、愛想よく、無難な身の上話に終始した。
その甲斐あってか、何人かとはメールアドレスの交換する程度に仲良くなれた。
「それにしても途中のあれはびっくりしたな……なんかすごい雰囲気だったもん」
というのは、ある男性が朝日の好きな男性のタイプを質問してきた時だ。
まあ、どこの世界でもたまにある話だが、この世界ではワケが違った、何よりも女性たちの反応が。
――その瞬間。
それまできっちりと仕事をこなし、静かだった周りの警護官がガタタッっと一斉に起立『はなしは聞かせて貰った! それは聞き捨てなりませんな詳しく!!』と猛烈に熱い視線が朝日に集中。
ぶっちゃけドン引きだった。
「こほん……で、朝日君。実際のところは?」
「えーと、それは――って、ちょっと!? うっ、しかも深夜子さんなんでメモ出してるの?」
「ふっ、もちろん妄想の――」
ジトッ、と朝日は少し冷たい目線を向けてみる。
「ナンデモアリマセヌ」
うーん、この世界では百合的なアレになるのか? まあ、苦笑するしかない朝日。
そんな不健全なテーマはさておき、やはり最大の話題になったのは自分の体力測定についてだ。
まさかこんなに体力差があるなど思いもしなかった。これの言い訳には苦労した。
「別に特別身体を鍛えてるわけじゃ無いんだけどね」
「あれは誤算。朝日君の体力とか筋力とか初めて知った。これは今度家でじっくりゆっくりねっとりべったり身体を隅々まで調べるべき。あたしと二人きりで」
「いや、今日もう全部調べたでしょ」
「くっ!」
堂々のセクハラ宣言をしている深夜子はもちろんスルー、ここで朝日はふと気づく。
軽いトラブルはあったものの健康診断はもう終了している。事前の打ち合わせでは、もう五月と梅が合流しているはずなのだが……。
「あれ? まだ、五月さんと梅ちゃん戻って来ないね」
「ん、そう言えば。うーん、これはちょっと時間かかりすぎ。メールしてみ――」
では連絡を取ろうかと、深夜子がスマホを取り出そうとしたその時。二人に声が掛かった。
「やあ、キミが神崎朝日クンだね。ちょっとボクと話をさせて貰えないかな?」
声の主は、花美、月美を筆頭に、タクティクスメンバーを十名ほど連れている海土路主であった。
「ねえねえ、五月さんって握力どの位なの?」
「え? 私はだいたい85キロ位ですわね」
「リンゴ握り潰せるくらいなんだ……」
「職業的には平均値ですわね」
「ふーん。じゃあ深夜子さんは?」
「あたしの最高記録192キロ」
「「!?」」
「え? え? じゃ、じゃあ梅ちゃんは?」
「俺か? こないだ計った時は278キロだったな」
「「!!!???」」




