青蛙はもういない
井蛙、
という言葉がある。井の中の蛙、といえばわかるだろうか。
中学時代(私は東北の田舎で生まれ育ち、その地の中学校に通っていたのだが)、テレビゲームの得意な友人が、その腕前を自慢してきた。その友人は、私とはかなり仲のよいほうで、見る者によっては、「親友」といえたほどであったとも思うのだが、そんな彼でも、都市で暮らす私の従兄が、プロのゲーマーだということを知る由もなかった。
井蛙、という言葉の認知度と、私の従兄がゲーマーだということの認知度とが原因で、
「俺ん右さ出るもんはいねえ」
という彼のどや顔に対して私が発したジョーク、
「井蛙、うるせいあ」
というものは、いとも簡単にスルーされてしまった。
いや、そんな取るに足らない小話を書きたかったのではない。緑色の、つるつるとした背中の青蛙を見て、ふとそのことを思い出した、という事実を、手始めとして語ったまでのことだ。
大学が夏休みに入ると、田舎へ帰るのが約束だった。その地は、東京ではホームドアが要るなどと騒がれているこの時代に、線路があること自体、奇跡ともいえるようなところだった。
杉林を抜け、小さな駅につく。駅舎は、日に焼けた白いペンキ塗りの建物で、そのみすぼらしいおめかしをみると、大学近くの小粋な喫茶店の壁を思い浮かべて、笑ってしまう(その店は、私の行きつけで、一杯のアイスティーを頼んでノートパソコンを開けば、小一時間は一人でも平気でいられるような場所だった)。去年や一昨年は、中学生の妹が出迎えてくれて、両親への挨拶もそこそこに、二人で遊びに行ったりもしたのだが、今年は何でも高校の部活動の合宿とかで、精神の若い兄は、ここでの唯一の遊び相手には恵まれなかった。
大学三年というと、両親と将来の話でもしそうなものだが、私の場合、仙台にある伯父の工場で働くことが決まっていたため、特に話すこともなかった。
今思えば、これまでの両親との会話は妹あってのもので、そう考えると、両親との繋がりの薄さはもちろん、妹への愛情さえも軽々しく思えてきて、少し悲しい気分にもなる。
あまりに暇であったため、一人、散歩に出た。雲が出ていて、湿気もあったが、それでも心地よいくらいの日差しには恵まれた。赤いひなげしさえあれば、モネの絵にもなりそうな草原を抜け(私がモネの名を知ったのは、東京に出てからなのだが)、ほとんど水の涸れた小川の脇を歩き、時々、スマホをパシャリと鳴らす。今時はシャッター音を鳴らさない方法もあるらしいのだが、私にはその必要があるとも思えなかった。
去年の帰郷のとき、父からこんな話を聞いた。
「昔は、落葉広葉樹が山ば被ってた。秋さなっと葉が落ちて、腐葉土という土んなってな、雨水溜めて、そいつが川の水んなって流れてきたんだ。したっけ、今は常緑樹で、なかなか葉が落ちねえから、水が来ねえんだ」
脳裏に、かつて、まだ幼かった頃の妹と一緒に遊んだ、その川の水が浮かんだ。晴れた日、水の飛沫と、あどけない笑顔……、そのイメージが、ぼんやりと浮かんできた。
父の話を聞いたとき、私には、川というと、荒川や隅田川、そして、高架の陰の日本橋川などがすでに身近な存在となっていた(日本橋には、気に入りの飲食店があった)。
しかし、隣で遠くを見つめるように佇んでいた父や、去年はまだこの地の中学校に通っていた妹にとっては、川といえば、こういう小川が全てなのだろう。もしも妹が、幼い頃のこの川での思い出を覚えていたのなら、外へ出て、例えば、電車の窓から大きな河川が流れゆくのを見たとき、なんと思うことだろう。
懐かしい、
けれども、どこか治らない気持ちで、ひっそりとした故郷の自然を眺めていた私は、思いもかけず、小さな生き物の、瑞々しい姿を足許に見つけた。
そいつは、草の陰から姿を現した。つるつるとした、その青蛙の背中は、皮を剥いた空豆のような、鮮やかな緑色をしていた。その美しさが、どういうわけか、私の心を笑わせた。
「こいつは光合成ができそうだ」
心中にそう呟くと、不意に辺りが暗くなる。豊かな雲は、小生意気な中学生と違い、私の取るに足らないギャグを楽しむ術を心得ていたのであろう。少なくとも、そのときの私のおどけた風流心は、そう解釈した。
東京の大学に通う私には、恋人はいなかった。が、恋人のような女性はいた(というのは、私の主観による認識がそうだというわけでもなく、恐らく、他の友人から見たらそう思えなくもない、という不思議な仲だったが、私はその友人たちの視線を密かに嬉しがってもいた)。彼女も、同じ大学に通う三年生である。
例の喫茶店に初めて彼女を誘った日、あるいは、お決まりのアイスティーを飲みながら、モネの睡蓮について熱弁を振るった日から、半年ほどが経ったある金曜日のこと(その頃には、互いの物の好みなどは一通り伝えあっており、会話の種もだんだんと変わってきていたのだが)、大学近くを歩いていて、若い女性が連れ歩く小犬を見た彼女が、こんなことを言った。
「ペットになりたい」
彼女の家は都内にあり、両親と一緒に暮らしているそうなのだが、トイプードルを一頭飼っているという。彼女のスマホにはたくさんの画像が保存してあり、私も以前に何度か見せてもらった。鮮やかな茶色い毛色で(レッドというらしいが)、耳には黄色いリボンをつけている、そんな可愛らしい小犬が、真っ白なソファに寝そべって、首だけ起こし、こちらを見つめている……、そんな画像を記憶している。
「ペットじゃ大学には通えないよ」
「だから羨ましいの」
「狭いよ、ペットの見る世界なんて。それこそ、あれだ、『うるせいあ』ってやつだよ」
私の中学時代のギャグの話は、すでに彼女にも話してあった。
彼女はそれ以上、何も言わなかったが、その週末、どういうわけか、彼女からの連絡が来なかった(その頃は、私ではなく、彼女のほうから、私のスマホに他愛ないメッセージを送ってくることが多かった)。後から思えば、あのときの彼女は、微笑みつつも、どこか切実な顔を見せていたような気もした。
月曜日になり、大学へ行っても、彼女の姿は見かけなかった。私は妙な想像から、
「ペットになりたいって、俺の?」
という、思い切ったメッセージを送ってみた。彼女からの返信は、案外すぐにきた。
「なわけないじゃん」
括弧書きで、「笑」という文字も添えられていた。
その後、再び彼女とその話をすることはなかったが、ありがたいことに、彼女との不思議な仲は、今も続いている。
降るか、
いや、降らなかった。緑色のつるつるとした青蛙は、もうどこかへ行っていた。
どこか、
見つけ出すのは容易ではないけれど、この叢のどこかにいることは確かだろう。
青蛙、叢、目の前の小川、そして、かつて遊んだ小川の記憶……、後ろには、ひなげしのない草原……、そういえば、ここでもよく、転げまわって遊んでいた……。ふと、こんな考えが頭に浮かんだ、
モネの絵なんか、知らなくても良かった。
思えば、東京に出てからの私は、色々なものを知ってしまった。荒川、隅田川、日本橋……、大学、小粋な喫茶店、お洒落なリボンをつけたトイプードル……、あの子も、そのうちに入るのだろうか……。
「蛙になりたい」
心中に、そう呟いていた。あのつるつるとした青蛙に向けて、あるいは、この地の、ひっそりとした自然、全てに向けて。
空が暗くなった。が、青蛙は出てこない。
青蛙はもういない。
何だ、結局、都合よく理解してくれる者なんていないじゃないか。笑おうともしたが、あのときの彼女の、切実な顔が思い浮かび、うまく笑えなかった。薄暗い雲の下、私は、もと来た道を戻っていった。
東京に戻ってからも、ふと、田舎の青蛙の、つるつるとした緑色の背中を思い出すことがある。彼女にその話はしない。
彼女は、鮮やかな色をしたメロンソーダをすすっていた。炭酸の泡が、ぷくぷくと浮き上がってくる。
妙な気を起こした私は、こう、言ってみた。
「こいつは光合成ができそうだ」
ちなみに……、
「井蛙」と書いて「せいあ」と読むが、
「青蛙」と書いて「せいあ」とは読まない。
どうでもいいですね、ごめんなさい(笑)