7.森の異変
朝起きると、足の上からシュヴァルツがいなくなっていた。そのまま祠の外に目をやると、出口すぐのところで角兎2羽の上に乗ってすやすやと眠っている。シュヴァは俺が起きたのに気付いたらしく、首をもたげた。
『とーさま、おはよー』
「おはよう。シュヴァ、朝から狩りに行ってきたのか?」
『ううん。夜、きたから捕まえた』
寝ている間に角兎が夜襲を掛けてきていたらしい。物音で気づいたシュヴァが、攻撃される前に仕留めてくれたようだ。風鹿を一緒に狩っていて気づいたが、角兎1羽ならシュヴァは余裕で勝てる実力がある。小さな体に怪我がないところを見ると、この獲物たちはそれぞれ違うタイミングで襲ってきたんだろう。
「気づかなかったよ。ありがとな」
シュヴァに近寄り一撫でして、角兎を捌いて朝飯にした。
☆
「おはよ――ってまた来てたのか?」
更に翌朝、3羽の角兎の上に丸まったシュヴァルツを見て俺は首を傾げる。
『うん。他にもいたけど、気づかなかったみたいだから放っておいたー』
「他にもいたのか……」
この祠の周りではあまり角兎を見ないと思っていたが、偶々だったんだろうか。角兎はテリトリー内の敵にはかなり敏感だ。シュヴァが言うようにこちらに気づかなければ素通りもするだろうが、寝ていた訳でもなく普通に歩きまわっていた日中の俺に、彼らが気づかないなんてことがあるんだろうか。
「まあいっか。飯食ったら今日も風鹿狩りに行こうぜ」
ここ2日で風鹿を5頭ほど狩っている。俺もシュヴァも、そろそろレベルが上がるはずだ。ちなみに、いつも狩りに使っていたおかげで風魔法はレベル2になっている。
湖までの道すがら、シュヴァの案内により角兎との接触を避けつつ(風鹿の方が魔力回復が多いので、出来るならそちらに狩りの時間を割り当てたい)、以前角兎を狩っていた場所まで辿り着いた。
「……やっぱり、なんかおかしいな」
昨日までは、祠から湖までの道で角兎を見かけることはなかった。
逆にこの場所までくると角兎がたくさんいて、ここからはシュヴァルツの案内で右へ左へ少し遠回りになりながらも森の中頃目指して進んでいた。
しかし、今日はただ森をまっすぐ突き進んできただけだ。それでも角兎には1羽たりとも出会わなかった。
少し考え込んでいると、シュヴァルツがふと俺を振り返った。
『少し先から、にんげんの血のにおいがする』
「え?」
聞き返した、次の瞬間だった。
「きゃああああああああああああああっ!」
咄嗟に身体が動いていた。
少女の悲鳴が聞こえた方向へ、訓練のおかげで反動がやや軽減されたダッシュを使い、森を駆け抜ける。
「シュヴァルツ、こっちであってるよな!?」
『うん』
急に走り出した俺に、何も言わずにシュヴァルツも着いてきてくれる。
それほど間をあけず、現場に到着する。
目にしたのは、この場所にはまだいるはずのない風鹿2頭と、いつかのⅮ級冒険者の子どもたちの姿だった。
剣士の少年は右腕から血を流し、まともに剣を構えることも出来なくなっている。魔法使いの少女はまだ回復魔法を使うことが出来ないようだ。必死にポーションらしき液体を少年の腕にかけているが、傷口はかなり深いらしく、流れる血の量が少し減っただけだった。それもすぐに尽きたらしく、少女は髪飾りに使っていたリボンをほどき、少年の傷口のすぐ上をきつく縛る。
「なんでこんなところに風鹿が……っ!」
「メリオ、イッシュ、下がって!」
残された盾役の少年が風鹿と対峙し2人を庇うが、少し離れたこの場所からでも、全身が震えているのが分かる。一度の突進でも耐えられるかどうか。
このままでは、風鹿の次の攻撃でこのパーティーは全滅する。
「シュヴァルツ、頼んでもいいか? 俺もすぐ行く」
『わかった』
風鹿狩りの手順は、俺たちの間で既にパターン化している。シュヴァルツが獲物を威圧して足止めし、そこを俺が仕留めに掛かる。
俺の短い言葉で、今回も通常通りの狩りとやることは同じだと認識してくれたらしい。
今にも突進しようと身を沈めた風鹿2頭と子どもたちのあいだに、木陰から飛び出したシュヴァルツが割り込んだ。俺はその間に、少し離れた木の陰へ移動する。今の場所では湖に戻る子どもたちと鉢合わせしてしまう。
「な、なんだっ!?」
「仔犬!?」
突如現れた小さな黒い魔物に、子どもたちから驚きの声が上がる。
風鹿の半分の大きさにも満たない小さな乱入者は、子どもたちを庇うように背を向けている。
『ヴォンッ!』
シュヴァルツが吠えた途端、威圧によってビタッと風鹿の動きが止まる。俺はそれに合わせて声を張り上げた。
「ここからまっすぐ戻れば湖までは魔物がいないはずだ! ここは俺たちがなんとかする! 今のうちに逃げろ!」
木に隠れているため、彼らの場所から俺の姿は見えないはずだ。
立て続けに起こる想定外の出来事に戸惑っているんだろう、子どもたちはその場からすぐには動こうとしない。
「で、でも……っ」
「いいから早く行けっ! その状態は長くはもたない!」
このままでは威圧が解けて、シュヴァルツにまで危険が及ぶ。自分の声に焦りが含まれているのが分かった。子どもたちにもそれが伝わったらしい。
「ごめんっ……!」
苦渋のにじむ謝罪と共に、彼らの姿は樹々の向こうへ消えていった。
「シュヴァ、すまない!」
子どもたちが十分に離れたのを確認して、威圧を放つシュヴァルツの元まで一気に駆け寄る。
子どもたちを助けるにしても、一目で魔物と分かる自分の姿を見られる訳にはいかなかった。近くに彼らが住む人間の村や町があるはずだ、その中で噂になって討伐隊でも組まれたら困る。
それでも少し前まで人間だった俺は、彼らを見捨てることが出来なかった。
威圧が解けかかっている風鹿に向かって、習得したばかりの風魔法を放つ。
それは小さな旋風を巻きながら、角鹿1頭を吹き飛ばし、木に叩きつけた。更にそこへ連続で風刃を放つ。風鹿は地面に落ちると、土埃を上げたまま動かなくなった。
新しい魔法は風刃の倍以上の魔力を使う。最近は固有スキルのおかげで魔力のストックに少し余裕があるものの、そう何度も使用するわけにはいかない。
残りの1頭はいつも通り、ミミの木の煙を使って仕留めた。
☆
風鹿の肉を一部切り取り昼食を摂ると、残りはスキルで魔力ごと吸い取った。戦闘前と同じくらいには魔力が回復している。
「今日はお互いにレベルが上がるまで風鹿狩るか!」
『うん!』
森の奥へ進んでいく。
そうしながら、俺はこの森の状況について考えていた。
普段いない場所にいた角兎。この世界にきてそれほど長くはないが、最初のうちは祠周りで彼らを見かけることはなかった。
「シュヴァ、俺が長いこと寝てた間に、祠の周りで角兎って見たか?」
『んー? みてないよ』
ということは、数日は連続で祠周りに角兎がいなかったことになる。
「……そうか、風鹿がテリトリーに入ってきたから追い出されたのか」
魔物にはそれぞれテリトリーがある。角兎は自分より格上の風鹿には戦いを挑まない。
俺はスキルとしては彼らに勝るものの、レベルが低いので同格として狙われている。
本来森の中頃にいる風鹿が森の端にやってきたせいで、彼らから逃げる角兎の縄張りも、そのままズレこんできたようだ。
「……? でも待てよ? じゃあ、風鹿は何から逃げてきたんだ?」
呟きと同時に、シュヴァルツが逆毛立つのが見えた。
高く吠える声に釣られて振り向くと、そこには俺を見下ろす、一頭の虎がいた。