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四話

 シーツをぎゅっと握りしめて侑祁はベッドに顔をうずめる。

 軽くこもった声が聞こえてきた。

「神山にはわからないだろうね。……お笑いぐさだろ、いい年こいて見捨てられるのが怖いだなんて。嫌いにもなれないから余計にまいるよ。離れたいのに離れられない。神山は僕を死にたがりだと言ったけど、逆だよ。死ねないんだ、ジンボのためにも。ジンボの望むような人間アダムになりたい、結果を出したい。そうじゃないと僕はジンボにとって何の価値もないものになってしまう気がするんだ……」

 眉間にシワを寄せ、神山は黙然と立ち尽くす。

 侑祁が齢三つになる頃から今まで二十年間、外に住みだしてからは常にとはいえないが、彼の看視を任されてからといもの誰よりも傍にいた。けれども、今度もまた初めて聞いた彼の胸の内に、神山は言葉が出なかった。

 この哀れなアダムに何が言えるのだろう。気休めの慰めや叱咤激励など到底口にする気にはなれなかった。

 自分に彼がこうして心情を吐露するのは、信頼しているからでも、心を許しているからでもない。端的に言えば、下に見ているからだ、と神山は解釈している。どうせ悪いようにはしてこられないし、こういう状況の時は強く反論してこないし、そもそも何を言われても僕に何の影響も与えない相手だ、と侑祁が無意識だろうが思っている、と。

 そして、その通りだとも神山は勝手に同意している。

 ――あの時と同じだ。

 神山は自分がショックを受けているのを認識した。外に出たいと幼い侑祁が泣いて訴えたあの時と、非常に似ている。

 侑祁の気分の落下は覚悟しているが、その内容までには及ばない。この心の動揺が何によるものなのか不明で、そんなもやのかかったような状態でいるのは神山にとって不快だった。

 哀愁漂う彼の丸まった背中を見て、手がピクリと動く。頭を撫でてやることくらいはできるだろう――、動いた手は固く握りこぶしをつくった。

(……聞いてるだけだ……)

 神山は、ただ聞いているだけ。何を言ってあげるでもなく、何をしてあげるでもなく。

 そういう対処を意図してとっているわけではない。本人はどうにかアクションを起こさねばと焦ってはいるのだ。だがひたすらにどうすればいいのかわからず、ややもすると侑祁のあのような言動によって少なからず受けたショックで動けなくなる、という情けない結果に終わってしまう。

「……侑祁」

 そっと呼びかけて、黙って待てども彼からの応答はない。もう一度名前を呼んでみるがやはり無視された。

 もう何も話す気がなくなったのだろうとみて神山は部屋の照明を絞る。

「隣に戻る。何かあったらすぐ呼べ」

 言い置き、狭い廊下に出た。ドアが閉まり一瞬現れた暗闇の後、頭上に小さなオレンジ色の明かりがともる。

「はあ……」

 ドアによりかかって深く息を吐く。胃にキリリと痛みが走った。

 神山は顔を顰める。胃痛にも、自分がこれからやらなければならないことができたことにも、悩まされて。

 侑祁の前から離れてようやく、申し訳程度に動くのが彼の常となっている。

 直面している時に何もしてあげなかった罪悪感か、憐憫か、同情か、ご機嫌取りか、はたまたこれみよがしに味方をアピールしてか、いずれかの気持ちをともなって――、神山は心の中でひとりごちる。

(どうしようもないな、俺は)


   *  *


「ついに明日だねー、神山」

 整然と建ち並ぶ建物と嘘のような青空とをみせるその大きな窓に手をついて、上機嫌に青年が声をかける。

「今度は神山も一緒かぁ。やだなぁ」

「それはこっちのセリフだ。何が悲しくて同居なんて」

「変な噂がたちそうだよね。おしどり夫婦とよくできた息子と……誰? あの中年男は? みたいな感じのさ」

「中年……」

「中年でしょ。おじさん」

「おじ……」

「おっさん、のほうがいい?」

「おい」

 中年の男はじろりとねめつけてから、軽く息をついて言う。

「まあとにかく、逐一報告が条件だからな、あんまり俺に世話焼かすなよ。定期健診も遅刻厳禁」

「はーいはい。大丈夫、大丈夫。今回の決定だって、ひとえに僕の素行のよさあってこそなんだから」

「よくもまあそんなことを臆面もなく言えたもんだな」

 心底呆れかえる男に、からからと無邪気に青年は笑う。それを見て男もまた自然と小さく笑みが浮ぶのであった。


 こうした二人のやりとりが繰り広げられるようになるまでの数年の間、諸処しょしょを駆け回る中年の男の姿が多数目撃されたとか。

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