三話
カンダ宅から帰って自室に戻り、特にやることもなかったのでぼうっとして過ごすうちに零時を回った。そろそろ寝ようかと神山は椅子から腰をあげ、隣の部屋を訪問する。就寝前に侑祁の様子を確認するのは看視役の仕事だ。当然その時に彼が起きていたら、就寝時刻は先送りとなる。
入室すると中は静かであった。部屋の主はベッドで仰向けになって寝ていた。掛け布団を掛けずにそのまま上にのり、電気もつけっぱなしで、眩しかったのか目の上に腕を横たえてある。
布団を掛けなおそうと神山が手を伸ばした時、いきなり名前を呼ばれ、少しばかり驚いた。
「なんだ……起きてたのか」
そう言ってすぐ間宮――今は佐伯姓になったが――沙和子の言葉を思い出した。
(そちらでの様子はどうですか。あの子、眠れてますか)
(好きな子が亡くなってしまったんですもの、平気そうな顔をしていても内心はとても傷ついていると思いますわ)
そんなことは神山にもわかっている。だが、どうしても慰める気持ちより怒りのほうが湧いてきて、口を開けば説教ばかりしてしまう。
「神山……ひとつ、いい?」
ベッドに横になったまま静かに尋ねる。
「何だ」
「こんなこと今更言っても遅いかもしれないけど……。きっともう外に住まわせてくれないと思ったから、エリア5の家に帰るのは三時間だけって約束を破って翌日までいた。戻ったほうがいいって杢さんたちの説得を、僕が聞かなかった。だから、僕一人が悪い。杢さんたちを叱ったり処罰したりしないで欲しい」
侑祁の真面目な口調に、神山は思わず唇を噛む。あまりに不憫に感じて。
「……騒動以来、看視の――監視の目は俺だけじゃなくなったと考えるべきだ。おそらく、いや、確実に俺にも知らされていない目や耳がお前の周りにはあるはずだ」
――だから。
――カミサマはすべて把握しているから。
――わざわざ釈明する必要なんてない。
――そもそも騒ぎを起こしたのに外出の許可がおりるのは、そういう事情があってしかるべきなわけで……。
返事は遅かったが、全部を丁寧に説明せずとも了解した侑祁は感情のない声で「そう……。なら、いい」と吐いた。
それから軽く息をついてから言う。
「二人には長い間家族ごっこに付き合わせちゃって申し訳ないなぁ。しかも最後の最後まで迷惑かけて……困ったガキだよ」
神山はベッドの端に腰をおろす。指を組んでそれをじっと見つめた。
エリア1の部屋から出して一般的な暮らしを体験させてはどうかという提案が上に通るにあたり、侑祁の父母役を用意した。それが佐伯杢と間宮沙和子だった。
看視役がカミヤマから選ばれたので、平等をはかって今度は他の五名の内から適任だと思われる人物を挙げることになった。経歴や人格や品格などを調査し、本人との面接も重ね、慎重を期したら決定するまでに二年もかかった。
そうして選ばれた父親役の杢はカミキの部下であり、母親役の沙和子はクマシロの腹心の部下の娘で、プロジェクトの関係者ではなかったがその人となりが評価されたのであった。
「……もし、の話をする」
指を遊ばせかがら神山が静かに言う。
「珍しいね」
「珍しくそういう気分になった。――もし」
と予告通り切り出す。
「今回のことで何か処罰を受けても、佐伯さんと間宮さんは迷惑がったり、お前を恨んだりするような人達じゃない。そうだろ?」
「……うん」
小さく返ってきた。
「それに、お前が二人を逢わせたようなものだ。本当に夫婦になるとは思わなかったぞ」
「ほんとにね。びっくりしたよ」
くすくすと笑う声が耳に届く。それで少しばかり神山は安堵した。
「二人ともよくできた人達だ。だからお前の親に選んだ」
「うん……」
ふいにベッドが動いたのを感じて神山が顔だけで振り向いて見遣ると、侑祁が寝返りをうってこちらに背を向けていた。
「家に帰った時、沙和子さんに泣かれて、全然泣きやんでくれなくて、困った。そこで初めて、ああ、悪いことをしたんだなって思った。惺のことしか頭になくて、それで終わりたかった……。でも今は、反省してる。自分なりにだけど。沙和子さんを泣かせるようなことは二度としないよ」
「そうか……」
嘆息混じりに神山がこぼしたきり、どちらも口を閉じてしまい、しばし部屋に静寂が流れた。座ったまま身体をひねって侑祁の様子を窺ってみるが、壁のほうを向いているうえに、わざと隠すようにもってきている腕が邪魔で顔は見えない。手足を軽く曲げて、身じろぎひとつせずに臥している。眠ってしまったのであればいいが。
心配になり、声を落として呼びかけてみた。
「侑祁……。具合が悪いなら誰か、ジンボさんにでも来てもらうか?」
「……いや、……大丈夫」
力のない声が返ってきた。
「具合が悪いならちゃんと言え。なんでいつもひとに言おうとしない」
これには無言だ。
神山は顔をしかめて立ち上がると、侑祁を見下ろしてどうしたものかと思案した。このまま様子を見てみるか、誰かに来診してもらうか――。
「ジンボはカミサマたちの中で一番優しくて、……一番怖い」
唐突に侑祁がそう切り出す。何の話かわかりかねて神山は訝しげに首を傾げた。
侑祁は怠そうにだが続けた。
「ジンボはいつもたくさん可愛がってくれるけど、僕が死に目に遭おうが何をしようが、大丈夫? って心配はしてくれない。アダム以上には、僕を、佐伯侑祁を想ってはくれない。わかってはいるんだ、ジンボは骨の髄まで研究者で僕に対してもそれは徹底されていることだから、こう思う気持ちを相手に応えてくれるよう求めるのは間違いだって。前にもはっきり言われたしね、僕はきみの父親ではないよって」
侑祁はより身体を縮めて、小さく丸まる。
「べつにジンボに父親を求めていたわけじゃないんだけど、そう慕われるのは迷惑なんだとわかったよ。……わかって、ちょっとショックだった。でも、それでも僕はジンボが好きで、嫌われたくないし、失望もされたくない。ジンボにガッカリなんてされたら――!」
(……なぜ、死のうとした?)
山崎とまるっきり同じセリフを神山は口にした。山崎がそれを言う前、検査の合間にできた二人きりの時間のことだった。
その時は侑祁はこう答えた。
(うーん、どうしてだろう)と困ったように笑って(価値があると思った……から?)
(――価値?)
神山には甚だ疑問だった。
(うん。まあ、色々と理由はあるんだろうけど、この言葉が一番大きいかな、と)
侑祁は床を見つめる。
(数奇な人生を歩んできた者同士なら、なんか……いいかなって)
(何がいいんだ)
(なんだろうね。……なんか、納得してくれそうだったからというか)
(誰が)
これには答えないので、重ねて質した。
(カミサマたちが、か?)
返事はなかった。神山は嘆息した。
(するわけないだろう、納得なんて。論理が無茶苦茶だ。そんなものに価値があるわけない)
(――断定?)
(断定)
(じゃあ今度は神山の見解を聞かせてよ)
(はあ?)
(どうして僕が惺と心中を図ったのか)
(お前自身のことだろうが。俺の見解を聞いたところでまるで無意味だ)
(無意味でも面白いからいいじゃないか。――ねえ、神山ァ)
興味津々といった目で見つめてくる侑祁に神山は頭を抱えた。こういうことに限っては面白がって容易には引き下がらないから始末が悪い。
結構な時間を用して躊躇していたけれども、溜め息を吐くように述べた。
(檜山惺も心中も、十分条件にすぎない。ざまあみろ、と言うための)
侑祁は吹きだして、からからと笑った。
(ざまあみろって――なんでだよ。ていうか、それこそ誰に)
(…………)
当てはめる理由も人物も当然持ち合わせてはいるが、神山は口を噤むことにした。
(なに? 僕が誰かに憎しみを抱いているとか復讐を果たそうとしているとか、神山は思ってるの?)
(…………)
(おかしなこと言うねぇ、神山は。ほんと面白いよ)
視線を床に戻した侑祁は、自分にしか聞こえないような音量でぽつりと呟いた。
(……ざまあみろ、だって)