(2)いじめ ――大頭領――
改修中。
茜王国・女王の容姿を記しておきましょう。
彼女は今年で十六歳になります。
身長は百六十五センチメートルで、体重は内緒です。
顔立ちは、モンゴロイドとしては、クッキリした良いものでしょう。色白ですが、健康的なモノです。スタイルは かなり良い部類に入るでしょう。
少し吊り目勝ちの二重瞼、黒瞳。ストレートの黒髪は、腰の付近までありましたが、肩にかかる程度にカットしてしまいました。
これだけでは、特に目立たない(こともありませんが)、どこにでもいそうな少女に思えます。
しかし、正面から彼女を見た者は、誰もが皆 狼狽した様子で目を逸らし、身を隠すような仕草で遠ざかって行くのです。
彼女の容貌は、整ってはいますが、超絶美少女という訳ではありません。まあ、そう言う輩も いないではありませんが。
もっとハッキリ分かる特徴がございます。
魔眼だという者もおります。ならば、それは『魅了』の逆作用であり、それでは魔眼の意味がないのでは……。まあ、そのように働く「眼の力」が強いのです。
彼女の瞳には「嘘つき、弱虫、卑怯者、馬鹿が大嫌い」だという、その性格が如実に現れております。
見た者の心までも吸込むような漆黒の瞳には、誰もが自身の過去を省みてしまい、その後ろめたさに目を逸らさずにおれない、そういう気分にさせる力があるのです。
幼いころは そうでもなかったそうですが、彼女自身は特に構えるでもなく、普通にしていて それですから、注視(意識、無意識関係なく)されると、当然ながら その程度ではすみません。睨まれると腰を抜かしたり、失神する者もいます。
彼女の両親からして、彼女の眼に怯え 避けておりました。他人が耐えられる筈がございません。
茜王国の執事長夫妻と側近達は、とても希な例外だと言えるのです。
彼女は十歳の時、ニッポン国の小学校に通っていた時期がございました。
――この頃は、彼女の魔眼も 現在ほど強力ではありませんでした。
彼女は、基本的に自宅にあって(外出が少ないのは、危険が伴うから)、気儘に 興味あることを学習していたのですが、義務教育ということで、時々学校に通っておりました。
しかし、笑い噺にもなりません。
当時は、彼女と対等に対話できたのは、専門を極めた 今の執事長夫妻くらいで、この時点では『チビ』でさえも まだ能力不足でした。茜王国は建国前でしたから側近も存在しておりません。
誰が、何を、どう教育するつもりだったのでしょうか。平等と十把一絡げを履き違えた、ただの押付け。それに違いないと思います。
このようなエピソードがございました。
■■■
茜の籍があるクラスで「いじめ」があった。
両親のいない、遠い親戚に育てられていた少女に対し、国会議員の息子が その取巻きを介して、悪質な嫌がらせをしていた。他の生徒は、我が身可愛さに、見て見ぬふりをしていた。
しかし茜に関しては、そもそも出席日数が少なく、クラスメイトの誰にも興味がなかったので、それに気付いていたら反って可怪しいのだが。
彼女は、その被害者である少女がトイレで泣いているのを たまたま見かけて、気紛れに声をかけただけだった。
「ふーん」
事情を聞きながらの茜の返事。
それは興味がなさそうにも聞こえる あまり抑揚のない声だ。泣くばかりの少女を見て、どうしようか迷っていたのだ。
この少女がどう思い、どうしたいのか分からない。その背景も知らない。彼女が、それを甘んじて受け入れるつもりであったなら放っておく方が良い場合もある、などと。
無言で少女を見ていた茜は、彼女の「……くやしい」という言葉を聞いて決めた。
これは放っておけない。
茜は左手のリストバンドを口元に寄せ、小さな声で「チビ、調べて……」と指示を出した。回答を待たず その場を後にした茜の瞳には、理不尽に対する怒りが見えていた。それは、話した少女が怯えてしまい、腰を抜かしてしまうほどのものだった。
茜が教室に戻ると、もう次の授業の準備が済んでいて、担任も来ていた。
当然、取巻きと共に 例の国会議員の息子もいた。
茜は廊下で彼の存在を確認した後、まっすぐ その席まで行き、睨みつけて命じた。
「立ちなさい! 卑怯者」
たかだか十歳の少年である。彼女の命令に抗う気力などある筈もない。身体が自然に その言葉に従い、立ち上がった。
国会議員の息子は、真っ青な顔で硬直している。
文句を言おうとした彼の取巻きは、茜の一睨みで腰を抜かして座り込んでしまった。
教室中に緊張した空気が駆け抜けた。透き通った氷のように冷たい彼女の声には 明らかな怒りがあったからである。
茜は自身の右手を見て、ゆっくり それを開いた。拳骨はダメだろうな、と。
彼女は、左足に力を込め、右手を振り上げた。
茜の右掌は、ほぼ水平に、少年の左頬に当たり、そのまま振り抜かれた。
パン! 場違いに軽い音が教室内に響き渡った。
頬を打つ音と共に、彼の身体は弾き飛ばされた。教室との境にある窓ガラスを割って廊下の壁に衝突して止まった。外部と廊下を仕切っている窓のガラスが衝撃で粉砕され舞い落ちる。ガラスの欠片が落ち尽くすと、教室内の全ての音が消えた。
国会議員の息子は左頬の奥歯をへし折られて口から 少しばかりの血を流していた。顔や体中を、落ちて来た 割れたガラスの破片で傷つけられながらも、泣き出すこともできず、失禁して、震えていた。
「担任! あなたも、知っていて放っていたでしょう」
茜の怒りは担任にも向けられた。
彼女は、この教室に着くまでに チビに調べさせていたモノを確認していた。学校と、そこの教師、平の国会議員のセキュリティのなど、無いも同じである。
チビがサラリと調べただけで、全てが明らかになった。実行犯は 確かに国会議員の息子だが、元凶は放置した教師連中や、彼等の家庭環境にあったのだ。特に、目の前にいる担任が、一番 質が悪い。
担任の教師は、黒板に背中を押し当てて、冷や汗を盛大に流しながら震えていた。
「な、何のことかな。わ、私は何も知らないよ」
それでも言い逃れようとした。
その言葉に、茜は怒りよりも呆れを表情に浮かべた。もうこれ以上 あいつの言葉など聞きたくもない。さすがに右手は少し赤く腫れていたので、左手で傍にあった椅子を取って、何の躊躇いもなくオーバスローで投げつけた。
甲高い打撃音と、モノの砕けた音。重いものが床に落ちた音が、静まり返った教室に響いた。
人間の潰れた音ではなかった。
外れたのだ。
椅子が黒板に、それでも教師の位置とは いくらも離れていない場所に当って、バラバラに壊れ、黒板が二つに割れて、床に落ちたのだ。
「ヒッ!」担任の教師は、目を剥いて座り込んだ。
「ちッ」女の子らしからぬ舌打ちをして、茜が 他に何か『右手で』投げることが出来る物を探していると、それを察した教師は、慌てて教室から逃げ出そうとした。
四つん這いから立ち上がり、彼が教室の扉を開けたのと、茜がボールペンを取り上げて投げつけたのは、同じくらいのタイミングだった。
担任の教師は、廊下を走って逃げて行った。脹脛に孔があき、血をダラダラ流しながらも、その痛みさえ感じ取れないほどの恐怖に怯えながら。
教室の扉には、血に濡れたボールペンが突き刺さっていた。
あれほどの事があったのだ。ただで済む筈がない。相応の処分が下された。
まずは、懲戒解雇とされた者。当然ながらクラス担任の教師。そして、体育と音楽の教師と教頭、彼等も「いじめ」を知りながら放置した罪である。いじめっ子の父親の国会議員は懲戒免職となった。
親権剥奪に課せられたのは、いじめっ子の両親。
保護者義務放棄の罪は、いじめられていた女の子の保護者である、親戚の夫婦。彼等は彼女の発する「いじめ」の訴えを無視し続けたのだから、当然の報いと言える。
子供達は どちらも被害者と言うことで、県立の教育施設に居住することになり、そこから別々の学校に通った。
校長は「いじめ」の事実すら知らなかったようで、管理責任不備により更迭され、別の学校で教頭から やり直すことになった。
取巻き連中は、親と共に厳重注意。親は何も知らなかったようだ。
■■■
――え、茜は裁かれなかったのかですって?
何故でしょうか。彼女は ただ単に、誤った事をした同級生を窘めただけでございます。罪になど 問われる筈がないでしょう。
現在、あの いじめられていた少女は、茜王国のメイド隊にいます。
中学を卒業すると直ぐに来国し、「働かせてください」でした。メイド長と女王は苦笑して、それを認めたそうです。
彼女の能力では『親衛隊』は無理でした。それでも十年間働き、帰国した時点での彼女の技能は、秘書二級試験を楽に合格できたといいます。
その後、勤務先で会った男性と結婚したと聞いています。
――あれから約四十年後の お話です。
元いじめっ子は、成人して政治家になりました。
市会議員、市長、県会議員、県知事、国会議員、そしてニッポン国の大統領にまでなりました。
彼が常に語っていた言葉がありました。それは「私は、どんな理由があっても、絶対に卑怯者にだけはならない」です。
事実、彼は どんな圧力にも屈することなく国をリードして行きました。そう、残りの期間と あと一期、あと六年間 彼が大統領を勤めていたならば、ニッポン国は世界でも最高クラスの文化国家になっていたことでしょう。本当に残念でなりません。
彼が三期目の途中で大統領を辞任したのは、ある低俗な週刊誌の記者が発した 軽い気持ちの質問が原因でした。
「大統領は、昔『いじめ』をしたことがあったそうですね」
「はい。ありました」
全く躊躇のない答に、記者の方が驚いた顔をしていたそうです。
「……ああ、あれを償えと。
分かりました。それならば、私は 本日付けで大統領を辞任致します」
記者会見は その時点で打ち切られました。
「引継ぎなどの準備がありますので失礼します」と言って、大統領は席を立ったのです。
もちろん大騒ぎになりました。
そして、彼は その日の内に辞表を提出し、引き止める多くの人々に謝辞を述べながらも決意を翻すことはありませんでした。「私は、卑怯者にだけはなりません」というのが大統領としての最後の言葉でした。
自らの行為には責任をとる、彼にとっては当然のことでした。
――調査すると、彼もまた被害者であることが、簡単に分かりました。しかし、もう後の祭り。取り返しはつきません。
雑誌記者は全国から猛烈な非難を浴び、会社は彼を懲戒解雇しました。
しかし、その記者の所属していた会社は、彼の記者の後を追うように、瞬く間に倒産致しました。続いて、その親会社や関連企業までもが連続して倒産したそうです。
誰もが、それらの会社を信用しなくなったのが原因だそうですが、当然でしょうね。元大統領は無私の人で、とても国民に愛されていたのですから。
元大統領が家に帰り、自分の秘書を務めていた妻に ことの次第を告げると「まあ、しょうがない頑固者ですね、皆さま お困りでしたでしょうに」と言いながら、柔らかな笑顔を浮かべて あっさり受け入れました。
彼が入浴を済ませ、食後に居間で寛いでいると、妻が話しかけました。
「二人で『茜王国』に移住しませんか?」
妻の提案に、少し考えた元大統領は「私などが入国させて頂けるだろうか?」と、妻に疑問形で不安を投げ返しましたら、彼の妻は笑顔で答えました。
「たぶん大丈夫ですよ。私は あの国の『メイド隊』の一員だったのです。大して お役にはたてませんでしたが、きっと融通して頂けると思いますよ」
このニッポン国の元大統領は、その後、茜王国で大頭領に就任されたそうです。




