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第二話

 闘技場(アリーナ)とは、観客が知るような剣闘士達が戦う舞台と観客席だけの世界ではない。


 剣闘士達の控えや休憩所に訓練施設、それ以外にも彼らが戦う"魔物"の収容所など、闘技場運営に関わる多くの施設は、闘技場の地下(・・)にある。


 そんな地下空間の中の一室、戦いを終えた剣闘士のための休憩所で、"水晶剣"ロードは戦いの汗を拭っていた。


 そこは傷ついた剣闘士の手当てを行う簡易救護施設にもなっており、包帯や医薬品の設備も整っている。とはいえ、ここに来るのは大した怪我のない者だけだ。


 重傷者は正規の救護施設へ。


 そして死者は墓場へ。


 戦いを終えた剣闘士の行く場所は、この三つだ。


 濡れた布で汗を拭うロードの身体には、血を流す傷は一つもない。


 あれほどの数の刃を剣で受けたにも関わらず、彼はその身には一太刀も受けることなく勝利したのだ。


 彼はいつものように(・・・・・・・)無傷のまま、戦いの熱を冷まし……ふと、休憩所の扉越しに立つ人の気配を感じ、置いていた剣の柄に手をかける。


「けいかい、しないで。わたし、だよ」


「……だったら殺気を消せよ、アンジュ」


 扉を開けて姿を現したのは、白銀の髪をなびかせた人形のような少女。つい先程までの彼の仕合の相手。


 "妖精剣"アンジュがそこにいた。


「おつかれ、さま。いいしょうぶ、だった」


「おう、お疲れ。……それを言い返したくて来たのか?」


「いわれっぱなし、だと、かちにげされ、た、みたいだし」


 少女の言葉は抑揚がなく、途切れ途切れで若干聞き取り辛い。声そのものも少し掠れているが、涼やかな声色と相まって浮世離れした印象を強めている。


 人と会話することに慣れていない、深窓の令嬢。闘技場に立つ姿を知らない者ならば、彼女のことをそう評するかもしれない。


「実際、勝っただろうが。いや、にしてもその前にだ」


「……?」


「なんでそんなひどい格好なんだ、お前」


「ロード、かえるまえに、いそいでた、から」


 呆れたようなロードの顔を見て、アンジュは自分の姿を改めて見下ろす。


 今の彼女は、闘技場で見せたような鎧姿ではなかった。純白の全身鎧を脱ぎ捨てた下に少女が身に付けていたのは、飾り気のない白いワンピース状のインナーだった。


 鎧の下からでも動きを妨げないようなタイトな作りになった衣服は、汗に濡れてぴったりと肌に張り付いている。透けた生地の下からは、体のラインがはっきりと浮かび上がっていた。


 すらりとしなやかに伸びた脚、小ぶりに丸みを帯びた尻、きゅっとくびれた腰に、布を押し上げて豊かに存在を主張する胸の双丘。


 ほのかに火照った白い肌と相まって非常に艶かしいその肢体を隠しそうともせず、アンジュは首をかしげる。


「……そんなに、ひどい?」


「勘違いした馬鹿が沸きそうなくらいにな」


 血の気が多く手が出るのも早く、色を好む連中も多いのが、剣闘士という生き物である。


「きても、おいかえすから、だいじょうぶ」


「余計な面倒事を起こすな、って言ってるんだ。お前の得物じゃ手加減がきかないだろ」


 呆れた様子でロードがはぁ、と溜息を吐く。


「殺すなら試合中に殺せ」


「ん。わかった」


 迷いなくこくんと頷くアンジュ。


 闘技場(ここ)では死はただの結果でしかない。重要なのはどう殺すか、そしてどう死ぬかである。


「分かったなら、もう帰れ。というかさっさと着替えろ」


「……"ひどい"のほかに、かんそう、ないの?」


「感想?他に何を言えっていうんだ」


「……ううん。きいた、あいてが、わるかった」


 アンジュの表情は変わらない。だが、微かに落胆したように肩を落とした。


 それに気付かないまま、ロードは脱いであった自分の衣装の上着を掴むと、アンジュの傍に近付いてそれを羽織らせる。


「とりあえず、部屋に帰るまではそれを着とけ。ないよりはマシだろ」


「いい、の?」


「この後も一暴れしないといけないからな。そんな暑苦しいもの、いつまでも着ていられるか」


 肩をすくめながらロードは汗を拭いた布を放り捨て、愛剣の吊られた剣帯を腰に巻きなおす。


 鞘から水晶の剣を引き抜き、刀身の状態を確かめる彼からは、再びあの鋭く張り詰めた気配が放たれていた。


「また、しあい、なの?」


「ああ。今日はあと2戦、ぶっ続けでご指名らしい。まったく剣闘士使いの荒いことだ」


「ロード……」


「ま、構わないけどな。闘技場(ここ)を運営する奴らが俺達を馬車馬のように働かせるのはいつもの事だ」


 透明な剣に部屋の灯りが反射し、口元に獰猛な笑みを浮かべた青年の顔が映る。


「向こうがこっちを人間扱いしないなら、俺もヒトデナシらしく戦い抜くだけさ」


「そう、じゃあ、がんばって」


「何だ、応援してくれるのか?」


「いちおう、でし、だから」


 真顔で告げるアンジュを見て、ロードは嫌そうに顔をしかめる。


「誰があの煽り文句を考えたんだかな。剣を教えたって言っても少し手ほどきした程度で、あとは我流だろ、お前の剣は」


「じゃあ、また、おしえて、くれる? ししょう」


「やめろ、慣れない呼び方をされると背筋が寒くなる」


 本気で顔をしかめるロードを見て、アンジュの表情が微かに変化する。人形のような無表情から、年相応の少女らしい微笑みに。


 からかってやがるな、とロードは思う。先ほどの敗戦の意趣返しだろうか。


 あるいは手加減(・・・)されたことに腹を立てていたのかもしれない。もっとも、それについては奥の手(・・・)を使わなかったアンジュもお互い様だとロードは考えている。


 ……それ以前についさっき、少女の大胆なアピールをばっさりと斬って捨てた事については、彼は気付いてすらいない。


 何にせよこれから彼は当分の間、"弟子"にこうやってからかわれることになるのかもしれない。


「やれやれだ。もう行くからな、俺は」


「にげる、の?」


「試合だって言っただろうが」


 それ以上反応を見せて相手を楽しませるのも癪で、さっさと外へ向かおうとすると、くすくすと笑う少女の声が背中から届く。


「よいたたかいを、ロード」


「ああ、せいぜい楽しんでくるさ」


 肩越しに軽く手を振って、青年は休憩室を後にする。


 そのまま振り返る事無く、彼は再び戦場へと舞い戻っていった。

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