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第十一話

 太陽も頂点を過ぎた昼下がり。


 闘技場の出場者控え室にて、"水晶剣"ロードは自らの出番を待っていた。


「ロード、ちょうし、どう?」


 普段と変わらない無表情で首を傾げるのは、アンジュ。


「問題ない。いつも通りだ」


「ロードはいつも通りすぎるけどね」


 やや呆れたような調子でぼやくのは、エクレール。


「昨日だって、明日は大事な試合だってのに、放っといたらご飯も食べずに一睡もしないんだもの」


「ひとりだと、くんれん、ばっかり、してた」


「いや、それはまぁ……悪かったよ」


 バツが悪そうに視線を逸らすロード。


 彼の疲労や食欲などの生理的欲求の感覚は常人とはズレている。本人にもその自覚はあるが、改善する意識がない。


 頼まれもしないのに世話を焼く、この二人の顔馴染みがいなければ、彼はとっくに斃れていただろう。試合に負ける以外の理由で。


 それが分かっているから、ロードもこうして直接非難されると返す言葉もない。


「あたしたちはキミの生命維持係じゃないんだからね、馬鹿ロード」


「あほロードっ」


「だから悪かったって……というか、面倒なら別にやらなくてもいいんだぞ。お前らだって暇じゃないだろ?」


「……ほんっとうに鈍いんだなぁこの男……!」


「ん?」


 一周回って感嘆の声を上げるエクレールに、分かっていない様子で首を傾げるロード。当然のように、彼はアンジュからの不満そうな視線にも気付かない。


「あたしたちだって、知り合いに試合の外で野垂れ死なれたら寝覚めが悪いんだから。それくらい分かるでしょ?」


「お、おう。すまん、無神経だった」


「いいよ、分かってくれたなら」


「……かんじんなことは、わかってない、けど」


「んん?」


 アンジュのぼそっとした呟きが聞こえて、ロードはそちらを振り返るが、銀髪の少女はぷいっ、と顔を背けてそれ以上何も言わなかった。


 これは機嫌が悪い時のアンジュだ。ロードにもそれ位は分かった。だが機嫌を直すにはどうすればいいのかは分からなかった。駄目駄目だった。


「あー、アンジュ……」


 それでも、苦し紛れに何かを言おうと考えて。


「……この試合が終わったら、飯を奢るよ。いつも作ってもらってる礼に」


 口から出たのはそんな捻りのない言葉だったが、アンジュの尖った耳はぴくんと反応を示した。


「……いっしょにたべる?」


「ん?食事を奢るのに、わざわざ別々に食う理由ってあるか?」


「ない、よね。……ならよし」


 こくん、と頷くアンジュ。どことなく喜んでいるような気配を察したロードは、なるべくいい物をご馳走してやろうと決める。


 要点からはピントを外すくせに、こういう所ばかり聡い男であった。


 その傍らでは、やれやれと言わんばかりに苦笑いを浮かべるエクレールの姿もあったりしたが、やはり彼らは気付いていないのだった。


 気を取り直したアンジュはロードの顔を見上げると、ぐっ、と小さな拳を前に突き出す。


 それを見て、ロードも軽く拳を上げる。


「じゃあ、さっさとかって、もどってきて」


「おう。お前も油断するなよ」


「わかってる、よ」


 赤毛の剣士と銀髪の剣士、二人の拳がこつん、とぶつかり合う。


「エクレールも、よろしく頼む。ここまできたら、悪いが最後まで世話にならせてもらうな」


「分かってるって。」


 金髪の銃士の拳もまた、そこに加わった。


「よし。それじゃあお互い――」



『良い戦いをしよう』



 それが、三人の剣闘士の開戦の号令だった。







「あーあ、ロードってば燃え上がっちゃってたなぁ」


 闘技場の中で最も高い外縁の壁上から、エクレールは舞台を見下ろしていた。


 そこから舞台までは相当の距離があるが、彼女の目には今戦いを繰り広げている剣闘士の剣も、魔物の牙もはっきりと見えている。


 集中すれば、観客席でひしめき合う客の中から、一人ひとりの顔を判別する事も可能だ。


 しかし今、彼女が脳裏に描き出す像は、開戦を告げた(ロード)が浮かべていた、心の底からの楽しそうな笑顔だ。


「あれはもう、対戦相手をバラバラにするまで止まりそうにないね……」


 彼はいつも、敵を求めている。


 自分の身も心もカラッポにして、ただの剣として戦える相手を欲している。


 久々に相手をする蛇王(バジリスク)という上級魔物は、あるいはレイジ・ブラックという魔術師は、よほど彼の琴線に触れたらしい。


「それにしたって、楽しそうな顔しちゃってさぁ……」


 いつになく生気に溢れた彼の横顔を見つめながら、エクレールはぽつりと呟く。


「あの笑顔を、あたしにも向けてくれたらいいのになぁ……っと、いけない」


 知らずに余計な言葉まで漏れていたのに気付き、少女はぱっと手で口に蓋をする。


 今、自分にはやるべき事がある。彼の頼みを、果たさないといけない。


 口と一緒に、自分の心にも、想いにも蓋をして。彼が一振りの剣となるように、自分は一粒の銃弾になる。


 その手には愛用のライフル。その銃身には、専用の消音機(サイレンサー)が取り付けられている。闘技場の喧騒の中であれば、その銃声を聞く者は誰もいないだろう。


 そこに込められた銃弾は一発のみ。


「できればあたしの方で仕留めたいんだけどなぁ……」


 姿勢を低くしてライフルを構えながら、エクレールは闘技場を俯瞰する。


 見下ろすのは、観客席の中でも一際立派に設えられた、屋根付きの貴賓席エリア。


 そこに座る事ができるのは闘技場に大金を落とす有力な貴族や皇族たち、そして研究とデータ採集のために特等席での観戦を許された魔術師のみだ。


 無音となった"雷鳴"は、獲物が現れる瞬間を待って、静かに行動を開始する。







「エクレールに、さきを、こされないように、しないと……」


 その頃、アンジュもまたエクレールと同じ事を考えていた。ただし、彼女の"先を越されないように"という決意はある意味でエクレールよりも重い。


 エクレールによる貴賓席での狙撃というのは、全ての手を打ち尽くした時の最後の手段だからだ。


 何しろ、狙撃は後が目立ち過ぎる。間違いなく騒ぎになるし、射殺体の身体から銃創や銃弾が見つかれば、真っ先に疑われるのは帝都唯一の銃使いの剣闘士、"雷鳴"である。


 エクレールも他の二人も、その危惧をはっきりと口にはしなかった。エクレールがやると言った時点で、彼女は全てのリスクを受け入れていただろうから。


 しかし、だからと言って汚い事を全て彼女任せにすれば、アンジュは絶対に後悔する事になるだろう。


「だから、わたしが、やらないと」


 彼女の役目は、闘技場内を自分の足で歩き回り、レイジ・ブラックと直接接触することだ。


 一見すると非効率的なやり方だが、何と言っても彼女はブラックの標的であり、無防備に動き回っていれば相手側から何か仕掛けてくるかもしれない。


 言ってみれば囮役なのだが、アンジュはそれが自分に適任である事を分かっていたし、ただの囮で終わるつもりもなかった。


 例えそこがどんなに警備の厳重な場所でも、アンジュは即座に武装を召喚できる。それは間違いなく彼女だけの強みであり、可能ならば彼女はためらいなくブラックの至近距離から刃を突きつけてやるつもりだった。


「まず、は……」


 彼女が最初に向かっているのは、闘技場地下にある魔物の保管所だった。


 一口に魔物保管所と言っても、魔物は種類ごとに様々な生態と能力を持ち、一緒にしておくと問題の起こる組み合わせも多々ある。例えば火蜥蜴(サラマンダー)木戦鬼(オーク)を同じ場所に詰め込めば、その保管所は間違いなく近日中に火事を起こすだろう。


 そのため、魔物の能力や強さに応じた様々な管理施設が闘技場内にはあり、危険度の高い魔物であれば専用の個室が設けられる事も珍しくない。


 彼女が向かうのはそうした魔物用の個室の一つ。当然、そこで管理されている魔物は蛇王(バジリスク)である。


 自分の魔物の試合の立会いに来た魔術師なら、試合前に一度は魔物の状態を確認しに来るのが普通だろう。鉢合わせになれれば最良だが、行き違いになっても行き先の手掛かりくらいは手に入るかもしれない。


 上級魔物の保管所は安全管理のために厳重な警備がされているのが常だが、彼女には"青の大公"アクアマリンの後ろ盾がある。その名前を出せば、本来なら一介の剣闘士では出入りのできない場所にも入る事ができるだろう。


 こういった虎の威を借る真似は好まないアンジュだが、今は有事という事で遠慮なく使うつもりでいる。アクアマリンも嫌がりはすまい。


「でも、さいごは……」


 地下通路に、少女の足音と囁きが反響する。


「さいごは、じぶんのちからで、きめなきゃ」


 自分が知らない内に始まっていた戦いを、自分の手で終わらせるために、アンジュは往く。







 "妖精剣"と"雷鳴"、二人の少女の暗躍の開始から、若干の時を経て。


 控えで待機していた"水晶剣"にも、戦いの時がやってくる。


 闘技場の係員からの呼び出しがあった時、ロードが思ったのは"あいつらは上手くやってるだろうか"だった。


 もしかすると、彼が戦うこの時には既にブラックは斃されており、自分達の戦いは山場を越えているかもしれないのだ。


 しかしその場合でも、ロードが戦う相手に変わりはないだろう。今日の目玉として設けた試合を闘技場の運営がふいにするわけがなく、何事も無かったかのように試合は続けられる。ブラックは蛇王(バジリスク)の創造主だが、蛇王(バジリスク)の運用にブラックが必須という訳ではないのだから。


 だから自分"達"の戦いが終わっていたとしても、"自分"の戦いはこれからなのだ。



 そしてロードが闘技場の舞台に立った時、その予想は確信に変わる。



『皆様、お待たせしました――』


 実況者が開幕の口上を述べる声は、既にロードには聞こえていなかった。


 戦いの時はいつもそうだった。音も、色も、臭いも、戦いに必要なものを除く全てが遠のいていく。


 それと入れ違いに、敵の息遣い、身じろぎや視線の動き、そして殺意。そんな情報が全感覚に押し寄せてくる。


 それと同時に思うのは、微かな高揚感。太陽の下では暑苦しい漆黒の衣装も、額を流れる汗も、もう気にならない。


 身体が動けば――いや、剣を握る、この右腕さえ動くのなら、それだけで己の肉体は万全だ。


 ロードの視線は、真っ直ぐに"敵"だけを見据えていた。


 その"敵"はロードが相対した敵の中でも指折りの巨体であり、また長大であった。一週間前に戦った漆黒の鎧蛇と比べて、その太さも長さも一回り以上違う。


 その身体を覆う漆黒の鱗の中には、金や銀の鱗が混ざり、貴族の装いのような彩りを作り上げている。


 特に頭部には様々な色合いの鱗が複雑な紋様を描き上げており、それはまるで冠のよう。


 その下にある紅榴石(ガーネット)のような赤い瞳からは、物理的な圧力すら感じるほどの殺気が発せられている。


 鱗の王冠を戴き、黒と金銀の装束を纏い、雄大なその身を闘技場に横たえて。


 君臨するは死を齎す邪眼の主。剣闘士という(かわず)共を呑み込む底無しの井戸。


 上級魔物、蛇王(バジリスク)の威容がそこにあった。


「こいつは……大物だな」


 誰にも聞こえぬ声量で、ロードはぼそりと呟いた。


 改めて、これを創ったブラックという魔術師の力量にだけは感服する。


 強者とは、一昼夜にして生まれるものではない。剣闘士にせよ、魔物にせよ、強大なモノを創るならば相応の修練に対価、そして時間が必要になるものだから。


 自分もまた、血の滲む修練の積み重ねによって今の力を得た身であるがゆえに。立場も、人種も、性格も、恐らく何もかも自分とは違うであろう男の事を、ロードは純粋に評価する。



 だから、容赦はしない。



 一切の慈悲なく、加減なく、この蛇の王を切り刻み、滅ぼす。


 この瞬間からロードの心と身体は、ただそれのみを思考して駆動する、一振りの剣となった。

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