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第十話

 それからの数日間は、平穏な日々が過ぎていった。


 もちろん、剣闘士に本当の意味での平穏はない。ロードにも、アンジュにも、エクレールにも、それぞれの試合があり、命懸けの戦いを行う義務がある。


 それでも、対戦相手は彼らにとって危険というほどの強者ではなく、下級の魔物や中堅以下の剣闘士ばかり。


 上級の魔物や剣闘士同士の試合というのは、月に数度の"注目試合"として扱われ、そう頻繁には行われない。それらを抱える魔術師や貴族の面子にもかかってくるからだ。


 上級剣闘士が圧倒的な技量で勝利する姿は、観客の注目の的となる。もちろん、あまりにも実力差の大きすぎる"興醒め"な試合が組まれることはない。下位の者が上位の者を倒す番狂わせも起こりうる。闘技場の運営にとって大事なのは、いかにして"盛り上がる"試合を提供するかだ。


 その点、ロード達三人は過不足なく人々の期待に答え続けている。相手に応じて適度に力を抜きつつ、決して油断はしない。それは闘技場で戦い続け、生き延びるためにも必要な技術だった。


 こうして試合で番狂わせを起こされる事もなく、予想していた魔術師(ブラック)からの再度の襲撃や妨害もない。つまるところ彼らはいつも通りの日常を送っていたのだ。


「……はぁ」


 そんな順調なこの数日間のことを、アンジュはほんの少しだけ不満に思う。


 いつものアンジュなら、平穏な日々は喜ばしいことのはずだった。元々彼女はトラブルや事件を好むような性格ではない。"今"にそれなりに満足している彼女は、なるべく静かに、変わらない日々を過ごせるだけでも十分だった。


 だから、アンジュが不満だったのはこの日常に対してではなく、日常を作り出すピースの一部……ロードとエクレールという、彼女の知人たちに対してだった。


「わたしもう、こどもじゃ、ないのに」


 年齢の上では一番年下だが、そういう問題ではない。


 年齢より実力が全ての闘技場で、ここ最近自分は彼らに"子供扱い"されている気がする。それが問題だった。


 自分が、"妖精剣"が、"水晶剣"や"雷鳴"に実力で1歩か2歩、遅れを取っていることは認める。けれど、それは一方的に彼らから身を案じられ、守られるほどの差ではないはずなのに。


 その差を埋めるためにも、私は一年間鍛錬を重ねてきたはずなのに。


「そんなに、たよりないの、かなぁ」


 アンジュが狙われていると知った時、ロードはちょっと茶化すように、それでも当然のように"守る"と言った。


 嬉しくなかったわけではない。少し、うん、少しは嬉しかった。けれど、それ以上に悔しかった。


 不可視の追跡者インビジブル・ストーカーの襲撃にあったときも、そう。魔物を撃退したのはエクレールで、自分は何もできなかった。あの時の自分には今でも腹が立つ。


 ロードも、エクレールも、それがまるで当たり前の事のようにアンジュを守ってくれている。そんな彼らの庇護をついつい受け入れてしまっている自分を、アンジュは受け入れ難かった。


 もっと強く。もっと前へ。立ち塞がる敵は、全て自分の手で薙ぎ払えるようになりたかった。


 そうでなければ、自分は胸を張って"剣闘士"だと名乗ることができない。剣闘士ですらない自分は、一体何者になる?


 決まっている。ここに来る前と同じ、何者でもない"ヒトデナシ"に戻るだけだ。


「いやだ」


 そう考えた時、思わず気持ちが声となって漏れていた。


「わたしはもう、ここをはなれたく、ない……」


 その声が震えていることに、彼女自身も気付いていた。


「みとめられたい、ひとがいるから」


 それは周囲から迫害を受け、逃げ惑うばかりだった頃の彼女には無かった望みだった。


 大勢の喝采を浴びたいわけではない。ロードに、エクレールに、アクアマリン。自分に居場所を与えてくれたたった数人の信認が欲しかった。


 承認欲求。人が人として生きる上で生まれるその欲望が、今のアンジュを突き動かしていた。


「だから、つよくならない、と」


 そんな思いを抱えて、アンジュは今、闘技場地下に作られた訓練施設の中にいた。


 彼女の周囲には、四方に一定の距離を置いて、不恰好な等身大の木製の人形のようなものが立っている。


 それは木戦鬼(オーク)と呼ばれる下級の魔物で、単純な命令、動作のみを行う、剣闘士の訓練用として大量に提供されている魔物だった。


 闘技場の舞台を縮小して模したような訓練場の中央で、アンジュは懐から青色のベルを取り出し、からん、とそれを鳴らす。


 すると、それまで木の洞そのものだった木戦鬼(オーク)の瞳に赤い光が宿る。ベルの音を合図にして、音の主を攻撃せよとの命令を受けている魔物達は、腕を振り上げてアンジュへと襲い掛かる。


 下級とはいえ魔物は魔物。その身体能力は優に人間を上回る。その拳を叩きつけるだけで、人の骨くらい小枝のようにへし折れるだろう。


 対するアンジュは、剣どころか鎧すら装備していない。まるで私室で寛いでいる時のような軽装だ。


 それでも彼女は動揺した風もなく、眼前に迫る魔物達を見据えながら、小さな声で一言呟く。


「こいっ」


 その瞬間、アンジュの手の中に剣が現れた。


 まるで巨人用にあつらえたかのように巨大で、無骨。鋼よりも重厚で、黒曜石よりも黒いその片刃の刀身だけで、少女の身長を上回る。


 それをアンジュはまるで重さを感じていないかのように、両手でしっかりと柄を握って保持している。


 大地の妖精(ドヴェルグ)が鍛え、妖精の血を引く者のみが使い手となれる、生きた武具。それは主の意思に応え、呼びかければ何処にでも現れる。


 この魔剣こそが、アンジュが"妖精剣"と呼ばれる証だった。


「やぁ、っ」


 両脚で地を踏みしめ、腰を捻り、全身の力を無駄なく腕に伝えて、アンジュは出現した大剣を横一文字に振り抜く。ぐるりと、その場で円を描くように。


 頑丈な木材で身体を持つはずの木戦鬼(オーク)達は、まるで雑草を刈り取るかのようにばっさりと胴体を切断され、崩れ落ちていく。


 一太刀で四体の魔物を倒したアンジュだが、訓練はこれで終わりではない。訓練場の四方の門から新たな木戦鬼(オーク)が続々と姿を現し、銀髪の少女の元へと殺到する。


 アンジュはそれらを近付いてきた傍から大剣で切り伏せ、攻撃を受け流していく。木戦鬼(オーク)の動きは単調で、油断さえしなければアンジュの敵ではない。


 だが、押し寄せる魔物の群れにはきりがない。何体かが纏めて襲い掛かればあるいは彼女でも危ういかもしれないし、物言わぬ木の人形をひたすら破壊し続ける単調な行為は、除々に精神を消耗させていく。


 どんな熟練の戦士でも、集中力が切れればミスを起こす。訓練場の木戦鬼(オーク)の中には他とは違う動作や攻撃を行う個体も混ざっており、剣闘士がきちんと集中を維持できていて、突発的な事態にも対応できるかを試す仕組みになっている。


 訓練開始からおよそ1分が経過したところで、アンジュにも最初の不意打ちがやってくる。一体の木戦鬼(オーク)が、拳で殴るのではなく、蹴って(・・・)きたのだ。


 これまでになかった攻撃にも、アンジュは冷静に対処する。手先の僅かな動作で大剣の切っ先を操れば、人形の脚は少女の身体に届く前に断ち切れた。


 そのまま5分、10分と訓練は続く。体当たりしてくる人形、フェイントをかける人形、死んだ振りをする人形など、次第に手のこんだ攻撃を仕掛けてくる木戦鬼(オーク)の群れを、アンジュは悉く返り討ちにする。


 この木戦鬼(オーク)を用意した魔術師は、下級の魔物にどうやって多彩な動きをさせるか相当入れ込んだのだろう。一つ一つは単純な命令(プログラム)でも、それを組み合わせる事で様々な動作(モーション)を行わせているのだ。


 一度に現れる木戦鬼(オーク)の数も増えていく。除々に激しさを増していく魔物の猛攻に、アンジュの額からも一筋の汗が流れ落ちる。


「もっと、はやく、もっと、するどく」


 己を叱咤するように呟きながら、アンジュは大剣を振るう。その剣速はとうに常人の動体視力を上回り、刃は黒い竜巻のように荒れ狂う。一撃で数体の木戦鬼(オーク)が宙を舞い、木屑を撒き散らして動きを止める。


 まるで表情を動かさないまま、踊るように四方八方から迫り来る敵を切り伏せる少女のその姿は、見る者がいればさぞや幻想的に映っただろう。


「もっと、もっと、もっと……っ!」


 しかし、数に物を言わせて愚直に攻めかかる魔物の群れに、アンジュの剣もやがて対応が遅れがちになる。十体を倒せば二十体が新たに迫り、二十体を切り捨てれば三十体の新手が攻め寄せる。


 そして訓練開始から数十分後のこと。アンジュが正面に迫った木戦鬼(オーク)を真っ二つにした丁度その瞬間、別の木戦鬼(オーク)が彼女の背後から拳を振り下ろした。


 迎撃の間に合わない最悪のタイミングからの一撃。瞬時にそれを悟ったアンジュは一瞬だけ顔をしかめ、


「こいっ!」


 強く、鋭く、そう呼びかける。


 その直後に木戦鬼(オーク)の拳が叩きつけられる――だがそれは、小さな少女の背中に届くことなく、虚空より出現した白い金属板に阻まれていた。


 それは鎧の一部(パーツ)だった。最初に出現した胴部分に続いて肩当が、篭手が、脚甲が、全身鎧のパーツ全てがアンジュの周囲にふわりと浮かびながら顕現する。


 これもまた、妖精の鍛えし武具のひとつ。主の命に応じて現れ、自在に動く純白の装甲。


 本来ならばそれは防具であり、護りのための道具である――だが、今のアンジュはそれを身に纏う事は無く、違う命令を続けて下す。


「いけっ」


 それは攻撃の指示。


 アンジュの言葉に反応して、純白の鎧はバラバラのパーツのまま、彼女の周囲を高速で旋回し始める。


 勢いよく宙を舞う金属の塊は、その速度と重量だけで十分な凶器と化す。アンジュの周囲に接近していた木戦鬼(オーク)は次々と白き鎧に激突されて吹き飛び、運良く直撃を免れた者もその後に続く黒き大剣によって切り払われる。


 その状態を維持したまま、アンジュは初めて訓練場の中央から歩を進める。その足取りはまるで散歩のように軽く、それでいて大地を滑るように速い。


 これまで敵を待ち受けるだけだった彼女は今、自ら距離を詰めながら、まさしく鎧袖一触とばかりに敵を蹴散らしていく。それは訓練場を舞台とした、一人の少女による死の舞踏だった。


 白と黒が織り成す破壊の嵐の中心で、少女の白銀の髪が舞う。もはや彼女に近付ける者は誰もいない。


 訓練場内にいた木戦鬼(オーク)は瞬く間に一層され、場につかの間の静寂が満ちる。


 門からまた魔物の増援が現れる前に、アンジュは懐から赤いベルを取り出し、ころん、と開戦の青いベルとは少し異なった音を鳴らす。


 ベルの音が訓練場に響きわたると、門の向こう側で待機していた無数の赤い瞳の輝きが消え、同時に気配も消失する。


 訓練の終了を確認してから、アンジュはほっと息を吐く。


「もういいよ。かえって」


 ぽつりと呟くように帰還の命令を下すと、黒の大剣と白の鎧は直ちにその場から姿を消す。


 部屋に戻ったら手入れしてあげないと、と忠実なる武具たちに感謝の気持ちを捧げてから、アンジュは改めて今回の訓練の結果を振り返る。


 大剣一本で木戦鬼(オーク)数百体は倒しただろうか。常識的に考えれば驚嘆に値する成果だが、まだ足りない、と彼女は思う。


「ロードなら、もっと、はやい。もっと、するどい」


 遠い視線の先に思うのは、闘技場に来てからずっと見てきた剣闘士の勇姿。


 彼ならば木戦鬼(オーク)ごとき、剣一本でこの倍は軽く切り捨てただろう。血の力や異能の武具に頼ることなく、己の技量のみで。


 その姿はアンジュの目標で、憧れだった。それに少しでも迫りたくて、こうして剣のみの訓練も続けてきた。


 けれど、その度に感じるのは彼との力の差。試合でも模擬戦でも、アンジュは一度もロードに攻撃を食らわせた事がなかった。大剣も、鎧の乱舞も、全てその剣で受け流されてしまうから。


 ――実際には、僅か一年で上級剣闘士と刃を交わせるほどに急成長したアンジュが異常なのだが、それは本人にとってはどうでもいいことだった。


「んー…。どうすれば、ちかづける、のかな」


 首を傾げるアンジュ。彼女が口にした願いはやはり"認められる"ことで、"勝つ"ことではなかった。


 少しでも、彼に近付きたい。もっと彼と一緒にいたい。少女の心をそっと締め付けて願いを溢れさせているのは、そんな思いだった。


 それはエクレールの言うような恋心よりも、もう少し複雑な気持ちだとアンジュは思っている。名前をつければ壊れてしまいそうなその思いが、いつから彼女の中にあったのかは分からない。


 分かっているのは、"これ"が今のアンジュを形作っている、大切なものだということ。


「……あの、まじゅつし。わたしが、じぶんで、たおせば」


 少女は呟く。その声に強い決意を滲ませながら。


「すこしは、みとめられる、かな」


 自分の手で、この一件に幕を引く。元々は自分の問題なのだから、それは当然のことだろう。


 けれど、その"当然"を積み重ねる事が、信頼を得るには必要なのだと彼女は知っている。


 彼女が信頼する人達もきっと、"勝利"という"当然"を積み重ねてきたのだから。


「よし。あしたは、がんばろう」


 ぎゅっ、と小さな拳を握りしめて、アンジュは訓練場を後にする。


 まずは汗を流したいな、と思った。汗で濡れた服のままで、また"ひどい格好"と言われたくはない。ちょっと傷ついたんだから、もう。


 それが済んだら、装備の手入れをして、明日に備えよう。


 明日はロードと蛇王(バジリスク)の試合の日。


 傍迷惑な魔術師に、引導を渡す日だ。

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