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墓場で君と踊ろう

作者: ギョウザ44

 八年振りに訪れた祖父母の家は、幼い頃の記憶よりも小さかった。小さいと言っても三階建てで庭付き、部屋数だって僕の実家の倍はある。でも昔、僕が昔遊びに来ていた頃は、家の中は迷路みたいに入り組んでいるように思えて、よく探検をしては迷子になって泣いていたものだ。あの頃よりも体も大きくなり、目線も高くなった。小さい自分の世界はもう見えない。なんだか悲しい。


 何年も使われていない建物だっていうのに、隅々まで掃除が行き届いている。なんでも近所に住んでいる方々が定期的に掃除を行ってくださっているそうだ。祖父母が他界してからもう八年近く経つというのに、いまだに慕われている祖父母が何だか誇らしい。

古い柱にそっと手をやる。木材の滑らかな手触りと程よい涼しさ、嗚呼……僕はこれが大好きだった。よく柱に背を預けて眠りについたものだ。


急に祖父母に会いたくなった。祖父は僕がくたくたになるまで遊びに付き合ってくれた、祖母は僕の為に毎日果物を買ってきてくれた。あんなに大好きだったのに、あんなにも大好きだったのに、僕は祖父母の事を忘れてしまっていたような気がする。

「おじいちゃん、おばあちゃん……遊びに来たよ」

 そっと呟いた。幼い頃と違う自分、幼い頃と違う世界。僕が遊びに来る日には、祖父は僕が来る一時間も前から家の外で待っていたのだという。

もう、誰も僕を待ってくれてはいない。

もう、だれも僕と遊んではくれない。

悲しみが胸から溢れて、ひとすじの滴になる。

なんて自分は調子の良い人間なんだろうと、悲しみと共に怒りが湧いてきた。あんなにも自分の事を愛してくれた祖父母の事を、僕は最近まで忘れていた。気にしないで生きていた。だというのに今更になって悲しいだなんて……、こんな大事な事を忘れてしまっていた癖に。

 

 祖父母の家を後にし、お寺へと向かった。家から真っすぐ歩くだけなので、八年振りでも迷わずに付く事が出来た。

 お寺は幼い頃の記憶より、やはり少し小さい。

そして僕は自分の失敗に気が付く。

(しまった……墓参りなのに、線香も、お花も忘れてしまった)

 周りにそういったものが売っているお店は無い。

(線香なら、住職さんに言えば売っていただけるかもしれない)

「すいませーん!」

 大きな声を出してみたけれど、返事は無かった。蝉の声だけが辺りに響く。

 仕方なく、軽くお参りをして、隣の墓場へ向かう。記憶を辿りに祖父母のお墓を探した。

 それはすぐに見つかった。周りに比べて立派で綺麗なお墓だった。これも誰かが手入れをしてくれているようだった。

 お墓の前でしゃがみ、手を合わせ目を瞑る。

「おじいちゃん、おばあちゃん……お久しぶりです。長らく来なくて申し訳ありません。次に来る時には必ず線香やお花を用意するので、今回は手ぶらですが許してください」


 それから僕は今まであった出来事や、近況等を報告した。どれくらいの時間が経っただろうか、五分程度だったかも知れないし、三十分ほどだったかもしれない。突然隣に誰かがいるような気がした。それは俗に言う人の気配がしたというものなのかもしれない。そんな感覚は初めてだった。

 気配のした方へ顔を向けると、そこには白い服を着た髪の長い女性が立っていた。膝下まである白いワンピースと大きな麦わら帽子。何処か懐かしく、だけど見た事の無い、そんな曖昧な容貌が僕を少し不安にさせた。

「すいません。立ち聞きするつもりは無かったのですけれど、貴方みたいな若い人が一生懸命にお墓参りをする姿が……なんだか珍しかったものですから」

 彼女が僕に一礼する。自分がしゃがんだままなのを思い出し、僕は慌てて立ち上がった。膝がなんだか痺れる。

 何を言ったら良いものかわからず、とりあえず思いついた言葉を発した。

「貴女もお墓参りですか?」

 僕の言葉を聞いて、彼女が――くすっ、と笑う。麦わら帽子の陰に隠されていた素顔が覗く。白い肌と、大きな眼、美しいその顔はまるで仏蘭西人形のように見えた。

「僕は何か、おかしい事を言ったでしょうか?」

「ええ……。だってお墓参り以外でこのような場所にいるとしたら、逢い引きをする恋人同士……若しくは幽霊くらいのものですよ」

 彼女の言う事は尤もだ。間抜けな質問をしてしまったと、顔が赤くなる。

「短いながらも私には足がついていますし、逢い引きであるのならば知らない男の人に声を掛けたりはしません。ですから私はれっきとしたお墓参りなのです」

 ワンピースの裾を両手で摘み、彼女は数センチほど上げて見せた。

「申し訳ありません。馬鹿な質問をしてしまいました」

「いえ、私こそ笑ってしまってごめんなさい。でも、こんな場所で逢い引きというのも、なんだか古い恋愛小説のようでロマンティックじゃありませんか?」

「お墓で逢い引きがロマンティックですか?」

「お墓で逢い引きはロマンティックです」

 不思議な女性だと思った。腰まである長い黒髪、宝石のような瞳、まるでどこかの令嬢のような容姿と大きな麦わら帽子がアンバランスで、それが逆に親しみやすさを彼女に与えている気がする。

「あっ……」

 彼女が小さく呟く。

「どうかされましたか?」

「すいません。私はもう行かなくてはなりません。名残惜しいのですが……機会があったらまたお会いしましょう」

 そう言うと彼女は少し速足で歩き去って行く。何だか突然世界からひとりぼっちにされたような気がして、僕は少し寂しかった。

 祖父母のお墓に別れを告げ、僕はお寺を後にした。帰る途中、住職さんと出会った。とりあえず軽く会釈をしてすれ違ったのだけど、聞きたい事があって僕は住職さんを追いかけ声をかけた。

「すいません、お聞きしたい事があるのですが……」

 皺の深い住職さんは、快く僕の問いに答えてくれた――。


                       ○


 次の日――、僕はまたこの場所を訪れていた。祖父母のお墓に花と線香を供える、強い日差しを墓石が反射する。僕は眩しさから少し目を細めて、辺りを仰いだ。陽炎の向こうに白い人影が見える。

「また……いらしたのですね」

「昨日は花と線香を忘れてしまったのです。ですからもう一度来ました」

 大きな麦わら帽子に隠れて、表情をうかがう事が出来ない。しかしなんだか彼女は少し元気がなさそうに思えた。

「本当に――、貴方のお爺様とお婆様はとても慕われていたのですね……。私もかくありたいものです……」

 彼女の儚げな声を聞きながら、僕は住職さんから聞いた話を思い出していた。

 暫く――無言の時間が続く。

「どうかされたのですか――」

 夏の暑さのせいだろうか……、それとも緊張のせいだろうか。玉のような汗が流れる。僕は意を決した。

「住職さんに、貴女の事を聞きました。貴女は――」

 言い終わる前に、彼女は僕に背を向ける。その背中はなんだか震えているような気がした。

「貴女は――本当に――!」

「今夜……」

 僕の言葉を遮って、彼女が口を開いた。

「もし、真実を知りたいのなら……今夜、午前二時にここにきていただけませんか?」

 そう言って彼女は走り去って行った。


               ○


 夜間の墓地は昼間のそれとまったく違う顔を見せる。夜の墓地は街灯も少なく、数歩先は完全な闇だ。手もとの懐中電灯の明かりは心許無く、月は雲に隠れていた。人の心に潜在的に埋め込まれた闇への畏怖が先へと進むことを戸惑わせる。

 しかし、立ち止まるわけにはいかない。彼女がこの先で待っているのだから……。

 懐中電灯の明かりと、昼間の記憶。それを頼りに墓地の奥へ、奥へと進んでいく。

「来てくださらないのではないかと思っていました」

 闇から声が聞こえた。

 声のへと、歩みを進める。闇の中に白い人影が見えた。

「貴女は……貴女は本当に―― !」

 彼女の姿が見えた途端、思わず大きな声を出してしまう。

「ええ……、貴方が和尚様から聞いた通りです。私は、こんな所にいてはいけないモノなのです」

 それは分かっていた事だった。しかし、心のどこかに違って欲しいという思いがあったのだろう。彼女の口から直接答えを聞いた時、言うに言われぬ思いが全身を駆け巡った。

「そんな、そんな顔をしないでください。私が全て悪いのです……。貴方がご家族のお墓を拝んでいらっしゃるのを見たとき……、羨ましいと思ってしまいました。そして気づけば私は貴方の傍に立っていたのです」

 僕は歩みを進める。

「……! こちらに来てはいけません。私の……、私の顔を見ないでください」

 彼女の言葉を無視して、彼女の基へと近づく。

「その言葉は、まるでイザナミのようですね。でも僕は髪飾りも櫛も、桃もありません。さあ、僕にその美しい顔を見せて下さい」

 懐中電灯を投げ捨てて、僕は彼女の手を取り引き寄せた。彼女の体は凍っているかのように冷たく、華奢で、それはまるで氷の造花のようであった。

 その時雲が散り、月明かりが僕等を照らす。

「泣いて……いたのですか」

「だから……見られたくなかったのです」

 流れる一筋の涙は、月明かりに金剛石のように輝いて、彼女を彩る。

「それでも貴女は……、いや、だから貴女は美しい。僕は貴女の事が」

「駄目です!」

 僕の言葉を遮るように、彼女が大きな声を出した。

「それ以上言ってはいけません。言えば、貴方も私も戻れなくなってしまいます」

「しかし僕は……!」

「貴方の想いはとても嬉しい。でも、それは違うのです。子供が目新しい玩具を気にいるように……、珍しいモノに心魅かれているだけ。きっと貴方はいつの日か本物を手にする事が出来ます。だって貴方は素晴らしい人。だから……私の事は忘れてください」

「忘れることなんて!」

「夢……だったのです。貴方がみたのは白昼夢。そう……ただの白昼夢」

 彼女は笑う。いや、笑おうとしていた。半分泣いて、半分笑う、ちぐはぐな笑顔で僕に語りかける。

「それに、イザナミはイザナギと相容れる事は出来ないのですよ」

 そう言って彼女は僕の手を払い、ちぐはぐな笑顔で一歩、また一歩と深い闇の中へと消えていく。

「待ってください! 最後に……せめて最後に僕の願いを聞いてはいただけませんか! そうでなければこの先ずっと僕は貴女を引きずったまま生きていく事になる!」

 彼女が立ち止まった。自分でも卑怯な言い方だと思う。しかしこうでも言わなければ彼女はこのまま消えていってしまう。

「僕と……、僕と踊っていただけませんか?」

 僕の言葉を聞いて呆気にとられていた彼女は、しばらくして、くすっ……と小さく笑った。

「お墓でダンスだなんて……、貴方は本当に面白い方ですね」

「古い恋愛小説では、逢い引きした二人はダンスを踊ると相場が決まっているのです。それに、お墓でダンスなんてロマンティックじゃないですか?」

「お墓でダンスがロマンティックですか?」

「お墓でダンスはロマンティックです」

 二人、見つめ合い、笑った。そしてどちらともなく手を取る。彼女の腰に手を回した。

しかし僕にはダンスの経験なんて無い。この後どうしていいかわからず、あたふたしていると、彼女はまた、くすっと笑い、僕の体を引き寄せる。二人の体が密着して、気恥かしさから顔が真っ赤になるのを感じた。

「踊られた事がないんですね。よくそれで私をダンスに誘えたものです。これでも私はダンスには結構自身があるんですよ」

 彼女が声を発するたびに、彼女の吐息が僕の首筋にかかる。

「今回は私がリードしますので、付いて来て下さい」

 彼女がゆっくりと、動きだす。彼女の動きに合わせてぎこちないながらも、どうにか踊って見せた。

 彼女がステップを刻む、僕が不格好ながらもそれについていく。世界が広がる。こんなにも狭い場所で踊っているというのに、それを感じさせないのは彼女の技量故だろうか。

「ダンスに一番必要な事はなんだかわかりますか?」

 初心者の僕は素直に「わかりません」と言った。

「気持ちです。相手を思い遣る気持ち。それが地番大切な事……技量なんてものはその次です。貴方は先ほどから私の足を踏まないように一生懸命ですね。優しさが伝わってきます」

 彼女の吐息を首に感じて、時折言葉を交わしながら、僕等は踊った。時間が過ぎていく。それは早く、早く、夢の時間が一瞬であるように……。

 彼女の瞳が僕を見つめる。それは今までよりも強く、強く。

「もうすぐ、夜が明けます。それが最後……、私達のお別れの時です」

 僕は足を止め、彼女を強く抱きしめた。そして自分の唇を彼女の口元へ、まるで蜜に吸い寄せられるかのように。

 しかし彼女はそれを拒む。僕の両ほほを手で覆い、見つめる。

「それは出来ません。だから最後の時まで、私と踊って下さい」

 僕は彼女から体を離し、お時儀をしながら手を差し出した。彼女がその手を掴む。僕は彼女の体を強く抱きよせ、ダンスを踊った。

 時間が過ぎていく、過ぎていく。このまま世界が凍りついてしまえばいいと思う。そうしていつまでも僕等は踊る、踊る。

 しかし泡沫の時は、無慈悲で無粋な朝日によって溶かされてしまう。

 彼女の感触が段々と、段々と曖昧なものになっていく。

「僕はイザナギとは違う。最後まで、貴女の事を見ています」

 曖昧になっていく彼女の瞳を見つめ、僕はそう呟いた。

 日が昇り、闇の時間が終わる。

「ありがとうございました。今なら私は胸を張って言う事が出来ます。私はこの世界の誰よりも幸せでした。それが例え、ほんの些細な時間であったとしても……私は幸せでした。きっと、神様はいるのです。だって……こんな私なんかの最期が、こんなに素晴らしいのだから!」

 彼女の目から涙が零れた、きっと、きっと僕も泣いているのだろう。

「だから……、だから貴方のこれからもきっと幸せがたくさん待っています。生きてください、一生懸命生きてください。そして、いつの日かまた出会いましょう……。でも、私は一生懸命生きた貴方でなければ、会いませんからね」

ぐちゃぐちゃに泣きはらしながら、最期に、彼女は――、笑った。

 そして彼女は消えていった。

 呆気なく、まるで最初からそこに何もなかったかのように、彼女は――、消えていった。

 全身の力が抜けて、膝から地面に倒れこむ。涙も、鼻水も、ありとあらゆる体液を流しながら、僕は嗚咽を漏らす。

 しばらくして、泣く力も無くなった頃、足もとにあった大きな石を手に取った。手が震える、それは疲労からなのか、緊張からなのか、僕にはもうわからなかった。

 両手で持った石を高く掲げる。日の光が眩しい、目がくらむ。

 ソレを振りおろそうとした時、一瞬――彼女が脳裏に浮かんだ。

 彼女の笑顔が、泣き顔が、声が――。

 持っていた石を投げ捨てて、太陽に向かって大きな声で叫ぶ。


「僕は馬鹿だ!」


 目覚めた蝉達の鳴き声が辺りに響いた。


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