気持ち①
国王、宰相、側室を狙った大胆不敵の暗殺劇は、ガーウィンがすぐに箝口令を敷いたおかげで広まることはなかった。王国はいつものように夕暮れに染まっていた。
足に包帯を巻いて輿に抱えられて後宮に戻ったクリスティーナは真っ青な顔をしたニケに出迎えられた。
「クリスティーナ様! 襲われたと聞いて、大丈夫ですか!」
「ええ、足をひねっただけよ。どこもやられてはいないわ」
ニケの手を借りて、ベッドに腰を下ろす。ニケは慌てて氷と布を用意してクリスティーナの足に当てた。熱いお茶と、夕食を手配してもらい、他に出来ることはないかとおろおろしているニケを逆になだめる。
「いやねえ、足をただひねっただけよー。明日になったらまた歩けるようになるわ。ガーウィンに押されて捻挫しただけよ」
「ええっと、国王陛下が?」
ニケがまごついたのを見て、これ以上悪いイメージを与えるのも気が引けたので、少しだけガーウィンを擁護してあげたい気分になった。
「そう。でも、逆にガーウィンがかばってくれなかったら今頃、死んでいたし、捻挫だけでよかったという言い方もあるわね。――あんな、山羊面でも意外といいところはあるから、そんなに怖がらなくてもいいのよ」
「いえ、国王陛下をそんな!」
ふるふると首を振るニケにクリスティーナは思い当たる。
「そう言えば、ルーだってガーウィンと同じぐらい頭が固くて、山羊顔で、可愛くなくて、いいところは数えるほどしかないけれど、それと似たようなものね」
国のトップと、国の頭脳を同時にけなせるのはクリスティーナだけに違いない。しかし、ニケはこの雌豹の前で小さな声をあげた。
「そ、そんなことないですよ? ルーフェス様だって素敵なところはたくさんあります」
「どこに?」
真顔で聞き返されたニケは一瞬、黙ったが頬を赤らめて一つ一つ挙げ始める。
「いつもはしかめ面なんですけれど、たまに笑ってくれるところとか。寝顔が可愛いところとか。駄目なところはきちんと言ってくれるところとか。それから、――」
夢中になっているニケはクリスティーナが怒りで震えていることには気が付かなかった。
「たまにお茶をいれてくれることとか」
その言葉に今にも立ち上がって、ルーフェスの所に行こうとしたので、ニケは慌てて押しとどめる。
「あの、クリスティーナ様! まだ足は危ないですよ!」
「あの馬鹿弟、せっかくニケちゃんを譲ってやったというのにそんなちんけなことしかしてないの? 別れなさいと言ってくるのよ!」
「いいえ、そんなこと! 私、十分幸せです!」
必死のニケの訴えに、クリスティーナはぴたりと動きを止める。
「幸せ?」
「は、はい。例え何もしてくれなくても、ルーフェス様の側にいられるだけ私は十分幸せなんです…」
ニケは手を胸で組み合わせて必死に言う。
「クリスティーナ様もありませんか? 好きな人の側にいればそれで私は生きていられるっていうこの気持ち」
「それが、恋する乙女の本能よね。けれどね、あの馬鹿弟…」
肉食獣のごとく歯ぎしりするクリスティーナだったが、ひたむきにこちらを見つめてくるニケを見ると、自然に荒い息も収まってくる。
クリスティーナの暴走に日々振り回されている国のトップや頭脳としては是非とも欲しい能力である。けれども、そんなことに無自覚な少女がこれまた無意識に化け物とも言われる令嬢を鎮めている。
恋人の残像を胸に顔を赤らめている少女。それに今にも食らいつかんと舌なめずりしている雌豹。少女の恋人がそれを見ていたら、すぐに姉から自分の恋人を離すだろう。けれども、ここに彼女の恋人はいなかった。
「誰だって、完璧じゃあありません。けれど、悪いことを知れば、それだけ素敵なことがより輝いて見えるんです。クリスティーナ様もそういうのはありませんか? 相手が何をできる、こんな物を持っている、だけじゃなくて、すべてが好きになったことは?」
クリスティーナが結婚の条件としてあげたこと、第一に美男子であるのに越したことはない。更に話がうまくて、性格が優しく、仕事が出来て、料理が出来て、逞しくて、それでいて繊細で―――。
けれども、ニケはそんなことじゃなくてその人のすべてが好きになったことはと聞く。
「そうじゃなくても、全くタイプじゃないのに何か気になってしまう人とか」
咄嗟に、山羊に似た仏頂面が浮かんできたが、慌ててうち消す。
「そんな人はいないわ」
すると、何とニケはふんわりと微笑んだではないか。
「今、嘘つきましたね」
「え?」
その無邪気で飾らない笑顔の前では何も隠せない。ニケは少し悪戯っぽく言う。
「今、頬っぺたが赤くなりましたよ。――誰でもいいんです。ああ、この人あまり気にくわないけれども、何か気になってしまうって人」
気にくわない、でも気になる。
――ガーウィンのくせに格好いい
いつもはきついことしか言わないのに、しかめ面ばっかりなのに。けれども自分をかばってくれたあの背中、そしてあの笑顔。
いつの間にかシーツの下で心臓がどくどくと波打っていた。それにも関わらず、キュウと締め付けられる。今日はとっても疲れたのだろうか。
そんな感触、感じたことなく思わず手をやった。
ニケはクリスティーナのその手に自分の小さな手を重ねた。
「それが、私がルーフェス様に感じている気持ちなんです」




