寝起き
「…ウィン」
誰かが呼んでいる。母上? それとも口うるさい乳母?
「…起きろ。そろそろ朝議に遅れるぞ」
頬に冷たい触感を感じた。
その瞬間、覚醒する。
「調子はどうだ?」
目の前には疲れきったティボルトがいた。ガーウィンは放り投げられた冷たい布を受け取って、窓から差し込む朝日を浴びてのびをした。凝り固まっていた体中の関節が心地よい音を鳴らす。
久しぶりに熟睡したせいかいい気分である。
「上々だ。この数日のうちに溜まっていた疲れがすっかりとれたみたいだ」
「そうか。そりゃ、良かったな」
見ると、昨日まで元気だった麗しい青年はげっそりと窶れていた。
ガーウィンは頭を掻いた。昨日、何をしたのかさっぱり思い出せない。それどころか今さっき見た夢だって全くだ。確か、昔の頃の思い出であった気がするが――。
そうだ、昨日は徹夜で予算の決済をしていたはずだ。そうしたら朝、クリスティーナが逃げ出したという報せが入ったのだ。
それを王兵達に捕らえさせようとしたら、今度は国立研究所の研究費横領が発覚し、王兵が足りなくなったためティボルトに一時、諸事用を任せ自分も城を出たのだ。そして偶然にも目的の犯人とクリスティーナの両方を発見した。それから、執務室でティボルトと共に詳しく横領事件のことを突き止めていたら――?
「ティボルト」
「どうした」
「あいつにたやすく負けてしまった俺の首をはねてくれ」
清々しさも外の天気のようにどんより曇り、ベッドに突っ伏したガーウィンにティボルトは同情の手を置いた。
「ガーウィン、おまえを失えば、彼女を唯一鎮めうる権力を持つストッパーが消えてしまう。臣民のため君主は耐えろ」
「いいや。一度首をはねれば、あいつを楽々使いこなせる賢い頭が生えてくるかもしれん」
「今でもおまえは立派な王だ。生えてきた頭が馬鹿になるというリスクは冒したくない」
ガーウィンは石を詰め込まれたように重くなった頭を抱え、ため息を付いてベッドから起き上がった。
「それで、あいつの警護は大丈夫なのか?」
「とりあえずは」
冷たく絞った布で身体を拭き取り、朝議に相応しい衣服を身につける。
剣を受け取って腰にさせば、もう個人の感情は許されない。ちらりと鏡を一瞥すればそこには堂々とした君主が立っていた。
「朝議は宰相も立ち会わなくてはいけないという規則だが、ティボルト。おまえはもう寝ろ。そんな顔見たのは十の時以来だぞ」
「しかし――」
「いいから寝ておけ。そんな顔で朝議に来られたら皆も心配するだろう」
ティボルトは頷いた。
「ありがたい。そうさせてもらうよ。但し、いい加減な法を可決しないでおくれ。後始末が大変だ」
「ああ、研究資金横領事件の話もしなくてはいけないし。有能なおまえを患わせては将来に関わる。…それでは行くか」
ガーウィンとティボルトが美しい男の友情を繰り広げているとき、クリスティーナは意外とご機嫌で後宮にいた。
ご機嫌の理由は悲恋にくれた男装の少女である。
朝日がジャングルと化した後宮を照らしているとき、クリスティーナはその腕の中にニケを抱き、ルーフェスに傷つけられた心を慰めていた。恋に関するお話なら何でも構わないクリスティーナは、相手が失恋して自分も心から同情していても、ヒルのように貪欲に自分の欲望を満たそうとする。
「わ、私、ルーフェス様に嫌われたらもう駄目です。研究所に入れたのもルーフェス様の口添えがあったものなのに。私が何か誤解を招くようなことをしたからこんなことに。研究所にも泥を塗ってしまって…」
「大丈夫よ。今頃、ルーにもあなたが全くの無罪だという知らせが届いているわよ。側室がじきじきに言ったのだから従わない奴は死刑だわ。――まあねえ、言うのも何だけれどうちの弟は馬鹿だから一回じゃあ、分からないかもね。ねえ、あんな馬鹿弟なんて放っておいて、私と結婚しましょうよ!」
クリスティーナは熱心に言ったが、ニケはそんな言葉も届かないようで、ただふるふると涙を流すだけであった。
――全く、恋する乙女になんて罪なことをしているのよ!
クリスティーナは湧き起こる怒りをきりきりと抑える。怒りは下手すれば飛び火しそうであったが、それでも発散させるよりは目の前の彼女をどうにか慰めることが先決だという結論にたどり着いた。
クリスティーナはそばかすの散るニケの頬に手を添えた。
「ねえ、ニケ。だったら、一度、ここに住んでみない? ずっと、ルーの顔ばっかり見える所で暮らしてきたんでしょう? 一回離れて考えてみたらいいんじゃないかしら?」
涙に濡れた少女の顔が一瞬、驚きに満ちた。
「そ、そんな、滅相もない。私、こんな姿だし。だ、第一今、他の誰かにこの姿を見られたら、クリスティーナ様は!」
パニックを起こしそうになったニケを優しく押しとどめる。
「大丈夫よ。誰も部屋に入ってこないわ。それに私だってあなたを男の服のままここにいさせるつもりはないわ。まずは、衣装替えよ!」




