ニケとの再会
クリスティーナは憤然たる勢いで床を踏みつけ、どんどんみすぼらしくなっていく研究所を通り過ぎる。
ここは研究者達の助手の部屋がある塔だ。扉に小さく名前が掲げられているのを見つけ、ノックをする。
「ニケちゃん? いる?」
部屋の中からばたばたと音が聞こえて、扉が勢いよく開けられた。
「すみません! 遅くなって。…あっ!」
「お久しぶりね」
悠然と微笑むクリスティーナは、男しかいない研究所でまるで光り輝く太陽のごとくである。ニケは女神のように神々しい気を放つクリスティーナに目を眩ませる。
「ごめんなさいね、いきなり訪ねたりして。外で立ち話もなんだから中に入ってもいいかしら?」
女でもおちてしまいそうな笑顔にニケは頬を紅潮させる。
「はい、どうぞ!」
いきなりのお客も純粋な笑顔で接待である。特別綺麗な子ではないけれども、その素朴さがたまらなく可愛い。
「お邪魔して迷惑だったでしょう」
「いいえ、僕もクリスティーナ様に久しぶりに会えて嬉しいです! あの、たいしたものはないですが、紅茶を用意しますね! あ、これは僕が焼いたアップルパイです。良かったら食べてください!」
――何この健気な子。可愛すぎるわよ!
あんな弟にはもったいない。むしろ私が結婚したい!
ニケが丁寧に紅茶をいれる姿にきゅんきゅんするクリスティーナである。
それに、今は男の子の格好をしているのだが、実は女の子なのだ! 女の子の特徴が見られない細い体つきなのだけれど、実は女の子なのだ!
ルーフェスには愛やらなんやらと言ったものだが、実際は目の前の男装娘の可愛らしさにノックアウトされて、すぐにでも連れ去りたいクリスティーナである。それでも感情を抑えているおかげで、ニケの目にはクリスティーナは女の鑑のように映っていた。
せわしなく部屋を動き回るニケに尋ねる。
「どう? 研究所は。ルーにこき使われて辛いことはないかしら?」
「いいえ、そんなことはありません。師にはいっぱい学ばせてもらっています」
心から幸せそうな笑みを浮かべニケは言った。
「ルーは今あなたのこと、どう思っているの?」
「え?」
ニケはぽっと顔を赤らめた。
「…そんな、僕のことは、たぶん、出来の悪い助手としか見ていないでしょう。まだ、叱られることも多いし、――そうじゃなくても、こんな姿だし。あ、でも、この前、僕の論文を誉めてもらいました」
小さな胸に恋心を押し隠そうとするニケを冷凍保存して、毎晩眺めたいものだ。
だが、その危険な思想は、完璧な美貌の影に隠れ、ニケの目には相変わらず美しい令嬢クリスティーナが映っていた。
「ルーったら、先ほどようやくあなたのこと女の子と知ったのよ」
「え、ルーフェス様が?」
クリスティーナは憤然と頷いた。
「ルーにあなたのことどう思うって聞いたらね、男だから結婚できないと抜かしたのよ! お互いが好きだったら、性別の差なんて関係ないのにね! だからね、ニケ、あなたのことを性別というフィルターで決めつけたルーのことが許せないなら、私と一緒に逃げましょう!」
「ルーフェス様が私を想っている…?」
呆気にとられていたニケは信じられない口調で呟いた。
クリスティーナの言葉は予想していた結果を引き起こさなかった。ニケは自分がルーフェスに好かれているとも知らなかったのだが、それが、今、明るい太陽の下、真実が晒されたようなものなのだ。クリスティーナが言った不穏な言葉など一片の影に過ぎない。
ニケはウルウルとした目でクリスティーナを見つめた。何度も口の中で口の中で言い直し、そして尋ねる。
「あの、ルーフェス様は私のこと何て言っていまし――」
その時だった。
大きな音を立てて扉が開かれ、大勢の王兵が流れ込んできた。たちまち、彼らは部屋の中の二人を囲む。乙女の花が飛んでいた部屋はたちまち加齢臭に満ちる。
「え?」
怯えた表情を見せたニケを背中にかばいクリスティーナはまだ開けられたままの扉を睨みつける。窓を確認したが、既に王兵達で塞がれている。
扉の向こうから現れたのは、予想していたとおり、国王のガーウィンであった。目の下に隈を作り、まさに凶暴な山羊面でクリスティーナを睨みつける。彼の後ろにはおそるおそるといった顔のルーフェスがいた。
「ガーウィン」
「王兵、まず私の婚約者をこちらに」
何があったか分からない顔のニケを残し、クリスティーナの身柄は確保された。その時、袖にニケの弱々しい抵抗を感じてクリスティーナは最初に宣言する。
「ガーウィン、この子には何の罪もないわ。私が勝手にここに逃げ込んできただけだもの。私の処分を決めるのは外に出てからにしましょう」
ガーウィンは苦い顔を作って見せた。
「残念だが、私がわざわざ研究所まででてきた本来の目的は、純情な婚約者を回収しにきたのではない。おまえにはすみやかに城まで戻ってもらう。――ニケ・アビエイター、おまえを国から研究所に援助された大金を横領した罪で逮捕する」
「横領?」
クリスティーナだけではなく、ニケさえも目をぱちくりさせた。
「そうだ。調べてみると、国から研究資金として与えられたお金がすべて君の元に集まって、それからその後がつかめなくなっているのだ。確か、君はルーフェス・ゴドフリーの弟子で彼の会計も担っていたよな」
「は、はい」
ガーウィンはちらりとクリスティーナを見た。
「我が婚約者と共にこの子も城へ」
「ニケ、君は…!」
ひどい金欠に悩むルーフェスはニケを驚愕の思いで睨みつける。今まで、爪に火を灯すように研究を続けていたのだ。それなのに、自分の身近にいた弟子がぬけぬけとお金を横領していたとは。
好きな人に厳しい目で見られて健気な男装娘は真っ青になる。
「そんな、ルーフェス様、私はそんなことしていません!」
必死に誤解を解こうとするニケを王兵達は押さえる。
「ちょっと、あんた達! 私のニケに何するのよ!」
暴れようとするクリスティーナとて女の非力だ。呆気なく押さえられる。
クリスティーナはすばやく自分を取り押さえた王兵の顔を覚える。後でそれなりの報復を受けてもらおう。その様子を見ていたガーウィンは最後に命令を下した。
「二人を速やかに城に護送するように。――そうだな、その子の見張りは数人で十分だろう。残りは我が婚約者が逃げないようすべての神経を使え」




