波乱の始まり②
クリスティーナが自分に宣戦布告したことを知らず、暇ではない国王、ガーウィンとティボルトは執務室で徹夜覚悟の国家予算の決済に明け暮れていた。
「――でもな、ガーウィン。実を言うと、俺はおまえが独身で通すと思っていたよ」
「なぜだ?」
ガーウィンは朦朧としている頭で答えた。それに対して、親友のティボルトは持ち前の爽やかな笑みを取り戻していた。
「いつまでたっても、女に見向きもしなかったからさ。おまえは男と女の区別が付いているのか分からなかったぐらいだったよ。表向きは公私ともどもパートナーを選ぶとか言っていても、結構能力重視だったよなあ」
「…男と女の区別ぐらいついていたさ。女じゃないと王妃にはなれないだろう?」
ただ、今まで女に興味がなかったのは確かだ。有能な宰相は自分の案件を早々と終わらして、王の邪魔をしようと椅子を近づけた。
「けれども、おまえのパフォーマンスを聞いたぞ。かなりの溺愛ぶりだったんだろう?」
「気のせいじゃないか?」
クリスティーナを射殺さんばかりに見た覚えはある。しかしティボルトは笑みを浮かべたまま突っかかる。
「五歳の子どもでもそういうぞ。好きな子ほど意地悪したくなる原理だよ。まあまあ、初心者のおまえはその道のプロに倣えばいい」
「…おれとあいつは政略結婚だぞ。そんなわけあるか」
「政略結婚だろうとなんだろうと好きになったものはしょうがない」
「好きになった? 俺があいつを?」
――そんなわけないだろう
けれども、なぜか声に出して言うことは出来なかった。そんな自分に戸惑う。
隣ではティボルトがニコニコと笑っていた。
「分からないものさ。時間はたっぷりあるから、それこそ、死ぬまでだ。じっくり考えればいいさ」
言い返そうとして、ガーウィンは頭を振った。寝不足の今、まともな考えが浮かぶわけない。もしも変なことを口走ったらそれこそこの悪友の言いなりだ。
ガーウィンは自分の隣に山積みに置かれた紙の束をとり、椅子に座ったティボルトに渡した。
「――俺には面倒な部署を回しただろう。暇なら手伝え」
「そりゃあ、面倒なものが重要な部分だからさ。失敗して首をはねられるのは嫌だからね」
「王命だ。今首をはねられなかったら手伝え」
表面ではしぶしぶとだが、そこまで苦に思っていないのだろう。ティボルトとはそういう人間だ。再び静かになった執務室に夜明けを知らせる日が差した。
太陽が完全に姿を見せたとき、すべてを終えた。
「まあ、今年の支出もすべて歳入内で抑えられたね」
「余剰の金と穀物は保管しておくように。昨年の麦はもう売っていいだろう」
「けれども、ガーウィン。少し気になることがあるんだが。見てくれないか?」
ティボルトがよこした紙を目をしばしばさせながら見ると、そこは王立研究所から提出された研究費要請書であった。
「…まあ、少し多いかな」
「だろう? 報告書を受けてみてもそんなに大した研究を今年始めたと聞いていないし」
「とりあえず『影』に調べさせてみるか」
ガーウィンは合図をすると暗闇に控えていた何の特徴もない男が現れた。それに用件をまかせる。
「感づかれないか?」
「大丈夫だ。研究者達は頭がいいように思われるけれど、一つのことにしか特化していないことがほとんどだ。実践からしてこちらのほうが専門だ」
ティボルトは立ち上がった。
「もう寝よう。すごい顔だぞ。仕事を終えたおまえの睡眠を邪魔する者はいない」
その時、執務室の扉が大きな音を立てて開いた。
「大変です! 側室様が、クリスティーナ様が消えました!」
「…何だと?」
国王の睡眠を邪魔する者がいたとしたら、それがクリスティーナである。