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朝美は郁を保健室に連れて行こうとした。階段の隣の職員棟に続く渡り廊下を、郁の歩調に合わせてゆっくり進む。泣きじゃくるだけだった郁からこんな言葉が漏れた。
「先輩があんな人だなんて思わなかった」
朝美は立ち止まった。肩を押していた手が離れて、郁は首をかしげて朝美を見た。朝美は表情のない顔で郁をみつめていた。
「あんな人って、あんたそう言えるほど先輩のこと知ってたの?」
攻撃的な物言いに郁は怯んだ。
「遠くから見てるだけで、噂話だけを頼りにして、いざ直接話してみたら思ってたのと違う人で。あんたが勝手に思ってた人柄と違ったからってあんな人だと思わなかったって言われちゃ、先輩もいい迷惑だわ」
朝美のきつい口調に傷ついたけれど、この程度いつものことだ。ここで泣き入っていたら友達ではいられない。郁は言い返した。
「じゃあどう言えばいいのよぅ」
「先輩は最初からああいう人だったんだって思えばいいの」
「それじゃおんなじことじゃない」
結果的にひどい人であることに変わりがない。けれど朝美はにらむように注ぐ視線を外さなかった。
「違うわよ。そういうところがある人だと知ることと、思ってたとおりの人じゃなかったと思うことは全然違う。知っていこうと努力することと、勝手に人物像をえがいていくのと一緒くらいに違うよ。思い出しなよ。郁はさ、どうしてあたしと友達になったの?」
話題を変えられて郁はとまどった。
「きっつい顔して身長高めなせいで威圧感があって、おまけに口が悪くてさ。そんなあたしとどうして友達になろうとしたのよ」
「え……それは──」
自分勝手で高飛車だと嫌われている子だったけど、授業や掃除当番など何でも真面目にこなしている様子を見て悪い子じゃないと思って近付いたのだった。前にも訊かれて答えた話だ。なのにどうして聞くんだろう?
「勝手なことをしてるわけでも人のこと見下してるわけでもないことを、あんただけはわかってくれたよね。あたしは言葉選ぶのが下手で、思ってることを口に出さなきゃ気がすまない性格してて、それを直す気もなかったから嫌われても仕方ないって思ってた。けどあんたは『言葉はきついけど、誰かを傷つけようって考えてるんじゃないことがわかったから』って言ってくれた。あたしはそれがすごくうれしかったんだよ。見た目や噂じゃなくてあたしの中身を見てくれて。……あんたは今、先輩のことをうわっつらだけ見て中身を見てない。あたしがされて嫌だと思ったことをしてるんだよ?」
「朝美と先輩は違うよ。先輩がひどいことしたのは本当にあったことじゃない」
朝美はきまずそうに瞳をゆらして後ろ頭をかいた。
「それだけどさ、もしかして先輩聞いてたんじゃないのかな? 」
「何を? 」
「クラブハウスの横であたしたちが話してたこと。うっかりしてたけど、あたしたちってあのときサッカー部の部室に張り付いてしゃべってたんだよね。あんな薄い板くらいじゃ、きっと中まで丸聞こえだったよ。あんた殺されちゃうとか、お近付きになりたくないってさんざん言ってたよね」
聞かれてたかもしれないと言われてどきっとした。先輩の悪口を言っていたわけじゃないけど、聞いていたとしたらどう思うだろう。自分のせいじゃないのに何で嫌われなくちゃならないんだと思ったんじゃないだろうか。自分の失言に気付いて、郁は羞恥にかあっと顔をほてらせた。
どうしよう。
「聞いてたようだったら謝るんだね。盗み聞きした先輩も悪いと思うけど、聞こえちゃうかもしれない場所であんなこと言っちゃったあんたも悪いんだから。まぁ、あたしが言わせちゃった感じもあったから、悪かったって思うけどさ」
朝美は首をすくめてごめんと謝った。郁はいきおいよく首を横に振る。声は出なかったけれど、朝美は悪くないと言いたい思いは伝わった。朝美はほっとした笑顔を見せて郁の両肩に手を置いた。
「あたしはね、郁の目を信じてるよ。あたしのことを悪い子じゃないってわかってくれた郁の、人を見る目をさ。あんたが好きになった先輩だもの、きっといい人だよ」
好きと言われて顔をかぁっと赤らめた。好きは好きでも恋愛感情とは違う。憧れの範疇でしかない。口をぱくぱくさせて何とか否定しようとした郁に、朝美はわかってるよと言いたげににっと笑った。