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国立智弘先輩は、郁が通う中学校の三年生で、サッカー部のレギュラーでキャプテンもつとめている。運動部をまとめる主将もつとめていて、全校集会では運動部関連の報告をするために壇上にのぼる。あごが細く、目鼻立ちもほっそり整った中性的な容姿から女子の注目を集め、校内一の有名人になった。かくいう郁も、生徒会役員より先に先輩の顔を覚えた一人である。
子猫を拾った翌々日、郁は黒い折畳み傘と白いタオルを腕に抱いて、もう片方の手で頬に手をあててぽやんとしながら言った。
「もうどうしたらいいんだろー」
先輩は猫にタオルを、郁に傘を貸してくれた。話しただけでも夢のようなのに、まさか傘を貸してもらうことになるなんて。
プレハブでできたクラブハウスの陰に一緒に隠れてくれている朝美が、いつもは張りのある声にため息を混ぜて言った。
「どうしようも何も、返すだけじゃない。せっかくだから一人で行ってお近付きになっちゃえばいいのに」
郁の気持ちを知っての発言だったが、当人は血相を変えて叫んだ。
「そんなことしたら殺されちゃうよ! 」
思わず大声を出してしまった郁は、慌てて口を押えて辺りを見回した。人影は見あたらずほっとする。朝美は腰に手をあててため息をついた。
「親衛隊のこと? そんなのいるわけないじゃん」
「すっごい噂になってるのに? 」
郁は口をとがらせて抗議した。
先輩には恐い親衛隊がついているという噂がある。近付く女子は吊るし上げをくらい、告白した子に至っては口では言えないほどの目に遭わされて学校に来れなくなったという。校内の誰もが知ってる噂だ。
親衛隊なんてアイドルじゃあるまいし、ありえないと郁も思う。けど、火のないところに煙はたたない。当然何かがあったはずだ。それが何なのかわからない分怯えをつのらせて、郁は身震いした。
「一人じゃ恐いからついてきてって言ったんじゃない。傘は助かったけど、これ以上お近付きになんかなりたくないよ」
先輩は今、一人で部室に入っていったところだった。校舎の影にあるため目立たず、あたりに人はいない。返すには絶好のチャンス。
「先輩が出てきたらすぐ返して終わりだから。それまで、ね? ね?」
「あーはいはい」
ドアの開く音がした。郁は安全確認よろしく左右後ろ人目がないのを確かめて飛び出す。
「あ、あのっ」
声をかけると先輩は立ち止まって振り返った。朝美が後ろにいてくれることを頼りにしつつ力いっぱい傘とタオルを差し出した。
「こっこれ、ありがとうございました!」
地面と水平になるくらい頭を下げる。これで終わりだ。ほっとするのと同時に残念なような。
が。
「今部活中だから」
地面を擦る音がして郁が状況が飲み込めず顔を上げると、先輩はきびすを返して歩き出したところだった。校舎の角に姿を消してしまう。つぶやきが口をついて出た。
「え?」
手元に残された傘とタオルに目をやり。
「え?」
もう一度先輩の消えた方を見て。
「えええ~?」
朝美が横に立って、同じ方向を一緒に見ながら後ろ頭をかいた。
「ウチのサッカー部って、部活中に貸した物を受け取っちゃいけないほど厳しかったっけ? 」
「そ、そんなに厳しかった? 」
「いや、知らないから聞いてるんだけど」
傘とタオルを握りしめ、郁は途方に暮れるのだった。




