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七話



 崩れ始める天井。その中でリズが始めに取った行動は、見極める事だった。

 どこに何が落ちてくるか。どう力を加えれば、全員が助かるための空間を確保出来るか。

 紅い瞳は一瞬で状況を把握する。英二はすぐ隣で天井を見ている。ライヤーは大きめの瓦礫を避けた。ルルは転げるように足元に滑り込んでいる。


 怪我をしているが、やるしかない。まだこの心臓は動いているのだ。


 リズは体内の魔力を練り上げる。速く、それでいて密に。


 本来、人は魔力を魔力として扱えない。魔力とは形の無いもの。あやふやで、捉えようの無いもの。故に形を与えなければならないのだ。例えば触れた物を砕く力や、衝撃を生む破壊球へと。紋様、言葉、あるいは魔具によって。

 しかし、繰魔術とはそれらと一線を画す技術。魔力を魔力として操り、体内で循環させる。結果、使用者の体はこの世の理から半歩ずれ、爆発的な身体能力の向上や驚異的な耐久力を有するに至る。

 そして最大のメリットは、デメリットが無い、と言う事だ。

 魔力は循環させるだけなので消費しない。特に負荷の増大や副作用も無い。強いて言えば多少集中が必要なくらいだが、リズは鍛錬によって瞬時に発動、持続が出来る。ただ、流石に気を失えば持続は出来ないが。


 リズの体に魔力が満ちる。体が軽くなる感覚。いや、世界が薄くなる、と言った方が適切かもしれない。

 天井に一際大きな亀裂が走った。一番大きな、厚く平べったい天井の破片。


 リズは一呼吸で立ち上がり、ずれ始めた天井の破片を見据える。これさえ凌げば空間が出来る。

 天井を悔しげに睨むライヤーの【クルミ割り】は壊れている。座り込んでいるルルには魔力が無い。


 英二は片手に血の付いた布を持ったまま、天井に手を伸ばしている。絶体絶命の状況下。しかし、何の力も無い英二の目には、しっかりとした命の輝きがあった。初めて会った時と同じ、諦めていないあの目だ。

 もし、自分が一人でこの状況に陥ったらどうするだろうか。悔しがるか。諦めるか。それとも。


 英二に天井が支えきれる筈が無い。しかし、自分は英二を守る責任がある。ただ口にしただけの約束だが、それを破るつもりは毛頭無い。何故か、と問われれば、そうしたいから、と答えるしかないだろう。

 自分のなすべきこと。守るべきもの。その答えは自分自身の心臓の鼓動にある。


 国のため、という自分の根幹は揺らいだが、自分自身は案外揺らいでいないらしい。澄んだ思考が加速していく。


 リズは軽く口元を緩めて、英二より高く両手を上に伸ばした。








 地鳴りのような崩壊の音は鳴り止まない。一度壊れ始めれば、呆気なく全てが形を崩す。


 英二は今にも落ちて来そうな天井を見る。あの一際大きな亀裂の欠片はどれほど重いのだろう。避ければ助かるか。


 いや、リズがそばで倒れている。


 英二はそれだけ思うと、膝立ちのまま両手を上げた。せめて少しだけ着地点をずらせれば、全員が助かるかもしれない。

 生と死が隣り合わせのこの状況で、他人の身を案じている自分が意外だった。


 もしかしたら、自分は変わりたかったのかもしれない。

 現代の生活の中で英二はただ生きていた。周りに流されて何となく大学へ進学しようか、と考えていた帰り道。大衆に埋もれる自分。不自由は少なかったが、代わりに何かが無かった。


 その何かは決して生きるために必要ではないが、きっと大事なモノだ。

 それを掴むために、英二は膝立ちのまま、ずれ始めた天井へと手を伸ばす。


 だが、それより高く、しなやかな手が中空に伸びた。


「リズ!?」


 英二が隣を見ると、さっきまで倒れていた筈のリズが立ち上がっている。ドレスは紅く染まったままだ。

 時間は止まらない。英二の驚きを飲み込むように、大きな天井の欠片は落ちてくる。圧倒的な質量。


「ぐっ!」


 硬い土で出来た天井にリズの手が僅かに食い込む。だが速度を落としただけで、落下は止まらない。


「っぁぁあ!」


 痛い程に力む体が地面に圧力の歪みをつける。それでもリズは全ての力を込め、天井を支え続ける。

 間近で見れば理解できる。人が一人リズを手伝ったところで、助けにはならない。そんな無慈悲さが荒い土の表面に漂っていた。


 迫る天井。速度を落としつつも増していく死の恐怖。


 そして英二の手が触れる前に、欠片は動きを止めた。


「…………止まった?」


 沈黙の中、ルルが呆けたように呟く。

 操魔術の作用か、リズの体は僅かに発光している。光のある場所では分からないだろうが、完全な暗闇になってしまったこの空間では、僅かにだが互いが見える程度に。

 ライヤーは肺に溜まっていた息を吐く。ぼんやりとした空気が揺れた。


「さっすが皇帝姫さん。助かったぜ」


 リズが支える欠片の下には、三人が入るだけの隙間が出来ている。判断力と規格外の膂力と、運。それをもってしても奇跡的だが、結果として全員が生きている。

 ルルはリズの足元に。ライヤーは背中側に身を寄せる。ひとまず、全員が潰れる、という事態は避けれた。安堵の空気が狭い空間を包もうとする。


「おいリズ! 大丈夫かっ!?」


 ただ、リズの正面にいた英二だけは、安堵とは程遠い声を出した。


「血が……また血が出てるぞ!」


 膝立ちのままの英二の顔は、芯の通った柔らさと、そこから湧き出る熱い液体に触れている。生臭い匂いが英二の頭をかき乱す。


「問題…………無いっ……!」


 リズの腹部から漏れ出る血。その勢いは明らかにさっきより増している。英二の耳に聞こえる心臓の鼓動に合わせ、どくどくと、規則的に。


「問題無い訳……くそっ」


 今、全員の命はリズに集まっている。支えるのを止めろ、とも言えず、英二はとにかく服の上から傷を押さえた。血に染まった布でも無いよりはマシだ。

 だが、それでもリズ自身が力を込めなければいけないせいで、流血は止まりそうにない。

 事態に気付いたライヤーが立ち上がり、リズと同じ様に天井を支えるが、通常の力では足しにもならない。それでも腕が震えるほど力を込めながら、ライヤーは叫ぶ。


「ぐっ、お嬢ちゃん! な、何とかならねえかぁ!?」


「出来るならやってるわよっ!」


 ルルはもう一度破壊の球を出そうと黒い杖を何度も握り直すが、変化は無い。


 ずり、と天井が一段下がる。


「ぐうっ…………!」


 リズからうめき声と血が零れ落ちる。既に相当の血を流している筈だ。

 ライヤーが必死に力を込めるが、天井は徐々に下がり始める。そもそもリズ一人で持っているようなものなのだ。リズが血を流し続け、弱り続けているこの状況は死へと着実に向かっていた。

 ルルが諦めたように、黒い杖を握った手を解く。乾いた音を立てる黒い杖。


「こんなことになるならもっと楽しい事やっとけば良かった……」


「このライヤー・ワンダーランドがっ、こんな所で死んでたまるかよっ!」


 ライヤーの怒号とは裏腹に天井はまた一段下がる。既に英二のすぐ頭の上だ。


「うるさいっ! もういやっ! なんであたしばっかりこんな目にあうのよっ!」


 ルルの叫び声を、英二はどこか遠くに感じていた。

 両手と顔にはリズの生暖かい血の感触。ライヤーがルルに何かを言っている。金色の、癖の無い髪からほのかに漂う香りが血に匂いに紛れ込む。太陽とくすぐったさを混ぜたような、優しい香り。また天井が下がる。

 苦痛で歪むリズの唇が動くが、ライヤーとルルの悲鳴でかき消される。小さい声より大きい声が聞こえるのは当たり前だ。それは聞こえないはずの言葉。


 だが、英二は確かに聞いた。


「生きるんだ」









 英二は両手をリズから離し、拳を握った。

 すぐ上にある死の重圧。焦燥。こびりついた顔の血を袖で拭う。極限状態のせいで、頭の中が氾濫している。

 そして、ぐちゃぐちゃの思考の中、自分の体が酷く熱い事に気付く。今にも体が燃え尽きてしまいそうな熱さなのに、それは体に良く馴染んでいた。


「生きるんだ」


 口にすると自然と拳に力が入る。どこまでも、どこまでも強く握る。普段なら考えられないほど強く力が入っている気がするが、今はそんな事はどうでも良い。また少し天井が落ちた。


「生きるんだ。そして守るんだ、高宮英二。お前の両手は何のためについてる?」


 自問自答。過熱しきった頭でも、答えは分かりきっている。


 この世界に来て、自分は守られてばかりだ。しかも自分と同じ歳の女の子に。

 たしかにその女の子は強い。力も、技術も、頭の良ささえ自分よりも上だろう。

 しかし、それでいいのか。守られて、守られて、挙句の果てには、その女の子すら巻き込んで自分は死のうとしている。


 ああ、なんて格好悪い。


 英二は上を向く。


「簡単だっ! ぶち破るためだろうがぁぁあああ!!」


 熊のような獣、コリストの時と同じだ。勝てる筈もない、出来る筈もない。英二は普通の現代人。喧嘩なんかしたことないし、ましてや魔力なんてモノは操れない。

 勢い良く天井に向け、拳を振る。無謀な行為だ。一般人がどう足掻こうとこの状況は覆らない。無意味。後、数秒もすれば四人は天井に潰され、大地の一部に変わる。


 そう、高宮英二が一般人で普通の現代人だったなら。


 ここは異世界で、高宮英二は異世界人。


 ならば、奇跡は起こる。それが、女の子を守る男の子ならば当然だ。


 リズが支え切れなくなり、急激に天井が落下を始める。声にならない誰かの悲鳴。


 英二の拳が、天井に触れる。







「これはまた…………酷い状態だな」


 皇居の警備兵であるモッズは住民の『大きな音がした』という通達を受けて、ミスラム商会の前に来ていた。

 本来ならば街の警備が駆けつけるべきだが、現場が皇居近くだった事、急を要する事態だという事で皇居の警備兵が臨時でかり出されている。

 同じく皇居の警備兵のダリアが、つい先程崩壊したらしいミスラム商会の建物を見つつ、モッズに後ろから話しかける。


「モッズ、見てないで仕事しろよ」


「分かってる。避難や怪我人の有無は?」


「最初に原因不明の大きな音がした時に、通りの人間は離れてたらしいし、別に建物が爆発とかしたわけじゃない。ミスラム商会で働いてた人間も最初の轟音で避難してる。今の所は被害ゼロ。表向きはな、って俺が上司だぞ。なに報告させてんだ」


「表向き?」


「聞けよおい……まあ、良いか」


 ここまで崩れてるなら逆に安心だ、とダリアは足元の瓦礫を蹴飛ばし、周りを見回した後に小声で言った。


「噂じゃあな、ここには秘密の地下会場があって、夜な夜なあくどい催し物が開かれてるらしい。今回のこの事件もそれがらみじゃないか、って言われてる。見てみろよ」


 ダリアの指差す先にモッズは目を凝らす。


「……何か、妙だな」


「だろ? 崩壊前の建物に比べて、あの辺りから明らかに基板が下がってる。まるで、あるはずの無い地下会場が陥没したかのようにな」


 その言葉を聞いてモッズが商会の残骸へと入ろうとするが、ダリアはそれを慌てて止めた。


「モッズ! 『この場には入らず、避難と怪我人の保護に終始せよ』って命令が上から出ただろうがっ」


「地下会場があるんだろう? ならば今、探れば何か見つかるかもしれない」


「この頭でっかちが! それをさせない為の命令だっ。少しは頭を使え!」


 モッズは周りを見渡して、声を潜める。


「どういう事だ? 命令は軍の上部からだろう?」


「ったく、そこまで考えたら分かるだろ。早い話が、見つけられちゃマズい、って言うのはお偉いさんにとっても同じなのさ」


「…………上部と商会の地下会場が繋がっている?」


「あんまり口に出すなよ。殺されても知らんぞ」


 考え込む堅物の同僚の肩を、ダリアは軽く叩いた。融通の効かないこの同僚であり、部下であり、友人である彼には信じがたい事実かもしれない。


「まあ、一応推測の域は出てないんだ。あんまり考え過ぎるな」


 口ではそう言っても、ダリア自身は殆ど確信している。モッズには伝えないが、ダリアの女遊びや飲み屋で得た情報は、おぼろげながらも確かにその事実を肯定していた。

 モッズは腕を組んで考えている。


 今日は姫様もいない。あのお転婆な皇帝姫は、またどこかで悪を裁いているのだろう。ダリアはモッズの冗談の通じなさそうな顔を見てため息を吐いた。

 さて堅物の代わりに仕事するか、とダリアが柄にも無く気合を入れ歩き出すと、モッズが呼び止める。ダリアはせっかくのやる気が霧散するのを感じながら振り向いた。


「なんだよ、モッズ」


「何か聞こえないか?」


「あ?」


 ダリアは目を閉じ、耳を澄ます。耳は良い方だ。どんなにうるさい飲み屋でも的確に聞きたい会話を探り出す。


「……なんだ? 太鼓? にしては変な…………」


 規則的な気もするが、それにしては下手なリズム。小さな音だが、確かに聞こえる。

 その音は振動に変わっていく。途中で異変に気付き、ダリアは弾かれたようにモッズへ指示を出した。


「商会の下だ! 何か起こるぞ、全員退け!」


 モッズは走り出して周辺の警備兵に呼びかけ、ダリアも商会を背にして距離を取る。振動が大地を揺らす。

 ダリアが目を凝らすと、元商会の床が僅かにだが動いていた。音に合わせて上下に、まるで何かがその下で暴れているかのように。


 地面の振動が頂点を迎えると同時に、残骸が下から吹き飛んだ。


 瓦礫が宙を舞い、離れていた警備兵達にもいくつか降りかかる。だが訓練された警備兵は的確に防ぐ。

 そして吹き飛んだ場所には空洞。そこから、のそりと何かが出てくる。


「っ! 姫様!」


 その中の人がリズである事に気付いたモッズが駆け寄る。明らかな命令違反だが、緊急事態だ。ダリアは舌打ちして声を張り上げる。


「姫様がいる! 総員救出に当たれ!」


 一瞬迷った後、警備兵達はミスラム商会の残骸へと足を踏み入れた。こうなれば処罰は出来ないだろう。仕方ない、姫様救出という緊急事態なのだから。


 今しがた現場に到着したラック・ムエルダが苦虫を噛み潰したような顔になる。ダリアはそれを横目で見て、ますます確信を強める。普通、ラック・ムエルダはこんな現場に来るような立場の人間では無い。やはりここには何かがあった。


 遅れてダリアもミスラム商会の残骸へと足を踏み入れる。リズとその一向の三人は怪我や疲弊が酷く、担架に載せて運ばれていた。特に血まみれのリズとクジュウの少年は見た目にも危険だ。 リズの担架を追いかけながら、泣きそうな顔のモッズと、一緒になって追いかけるその他の皇居の警備兵から視線を外して、ダリアはしゃがむ。ここなら全ての人間から死角だ。さっき残骸と一緒に吹き飛ばされたのか、地面に落ちていた鍵の束を素早く懐に隠す。


 ダリアは危うい物には近寄らない性格だ。見て見ぬ振りは日常茶飯事。危ないと分かっていてそこに首を突っ込むのは馬鹿のする事だと思っている。

 ただ、その性格故に発達した、嗅覚のような部分がダリアに伝える。この鍵は自分に災厄を与えるが、同時にラック・ムエルダが隠したがっていた重要な証拠でもある、と。

 この国は今、ねじ切れようとしている。長年積み重ねてきた歪みが、もうすぐ頂点に達する。この鍵はきっとその要素の一つだ。そんな予感がある。


 もしもの時は全て捨てて逃げ出しますか、と考えて、ダリアは立ち上がる。モッズの顔が浮かんだが、石ころを蹴って消す。執着は自分には必要無い。この鍵は様子を見て姫様にでも売りつけよう。


 ラック・ムエルダ直々の指揮の下、街の警備兵が残骸の処理を始める。


 ダリアは静かに、影のようにその場を去った。



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