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六話



 酷い耳鳴りの中、英二はずしり、と響く低い音を聞いた。強く打った頭ををさすりながら、周りを見渡す。


 暴力的な魔力の氾濫は、会場を見るも無残な姿に変えていた。土をそのまま利用した壁は所々壊れ、ステージは原型を留めていない。人数分だけあった椅子やテーブルも、爆発源を中心に吹き飛ばされ見る影も無い。

 幸い死体等は無いが、ぱっと見ただけでもどれだけ破壊の威力が凄まじかったか分かる。よく助かったな、とため息を吐いたところで、英二は助かったのではなく、助けられた事を思い出した。


「……リズ!」


 近くにはいない。名前を読んでも返事は返ってこない。


 あの綺麗な金髪はどこへ行った。焦りながら視線を巡らす。壊れて足場の無いステージ。剥がれかけた土の壁。

 そして粉々に砕けたテーブルの下に散らばった金の糸を見つけ、英二は立ち上がり駆け寄った。


「おい、リズっ! 大丈夫か!?」


 確実に聞こえる距離のはずだが、返事が無い。

 最初に会ったときとついさっき。二度目の命の恩人。死なせたくは無い。

 うつ伏せのリズの背中に乗った大きな木の破片を投げ、英二は体を揺する。


「……エ、エイジ。揺するのは勘弁してくれないかい? ……か、体中が痛いんだ」


 右手を力無く上げるリズを見て、エイジは安心して座り込んだ。


「ったく、あんな無謀な事するなよ。善意にも限度ってモノがあるぞ」


 言葉とは裏腹に、精一杯の感謝を込めて、英二はリズに被さる残りの細かい破片をどかしていく。


「あれは善意じゃなくて、責任だよ。義務と言っても良い。君を守る、と口にしたからには、そうしないと格好悪いだろう?」


 リズは地面に両手をついて立ち上がろうとするが、腕に上手く力が入らない。しかたない、と諦めて英二に手を伸ばした。


「エイジ。すまないが手を貸してくれ。どうも自分じゃ動けそうに無い」


「手だろうが何だろうが貸すさ」


 英二はその手を取る。手のひらから伝わる暖かさは確かな命の証明だ。

 力を入れて、リズの体を引き上げる。女の子とはいえ人一人は重い。だがその重さに更に安心する。


 そしてその暖色のドレスが、瞳と同じ紅に染まっているのを英二は見た。痛々しいほど生命を主張する紅。


 驚きで何も言えない英二に、リズはその紅い部分を見ながら冷静に言った。


「ああ、丁度飛ばされた時に繰魔術が切れて、木片が刺さってるみたいだね。まだまだ修行が足りないな」


 やれやれ、とリズは腹に刺さった横広い木片を指す。

 傷の悲惨さと比べて危機感の無い表情。そんなちぐはぐなリズを見て、我に返る英二。


「だ、大丈夫なのか? それ」


「大丈夫かと言われれば、大丈夫じゃないかな。とりあえず止血したいから、私のスカートを適当な場所から千切ってくれないかい?」


 大丈夫じゃないのかよ、と英二は慌てながらもなるべく優しくリズを仰向けに寝かせ、スカートのほつれた場所を両手で掴んで、ありったけの力を込めた。

 柔らかい手触りの布は呆気なく引き裂かれ、肉感的な太股が露わになる。少し多く千切り過ぎたかもしれない。だが、英二にそれを気にする余裕は無い。


「千切ったぞ! 次はどうすればいいっ?」


「……次はこの木片を抜いてくれると助かる」


「抜けばいいんだな!?」


 スカートだった布を手早く傍に置き、英二は木片に手を伸ばそうとした。しかし、数センチ手前で止まる。


 元はテーブルの骨組みの一つだったであろう木片は、改めて見ると大きく、歪だ。その歪に尖った先が腹部へと中ほどまで侵入している。ドレスで見えないが、この木片はリズの柔肌を貫いて、脆い部分を傷つけているのだ。その痛みはどれほどだろう。冷静そうに見える表情の下でどんな激痛と戦っているのか。

 英二はごくり、と口の中に溜まっていた唾を飲んで、止まっていた手を動かした。


「いくぞ」


 こくり、とリズが頷くのを見て、英二は木片の上部をそっと掴む。リズの眉が苦しげに歪む。

 英二が慎重に引っ張ると、木片は嫌な手応えを残してリズから離れた。血が滴る先端は直視できない。

 形の良い額に脂汗を浮かべながら、それでも平静な表情でリズは言った。


「それじゃ最後にその布で傷口を押さえて貰って良いかい? 場所が場所だから、申し訳ないけど直に押さえて欲しいんだけど」


 直に、という言葉に英二は少し困惑したが、すぐに頭を切り替えて頷いた。怪我の手当てに羞恥心を持ってもしょうがないし、事は一刻を争うのだ。

 半分が紅く染まった木片を放り投げ、せめても、と上着を脱いでリズの下半身を隠す。布を右手に持ち、英二は短く伝える。


「悪い」


 ああ、とリズの声を聞きながら、短くなったスカートと手探りでたくし上げ、英二は上着の隙間から右手を突っ込んだ。

 傷の位置には分かりやすい紅い目印がある。傷口を広げないよう、これ以上血が出ないよう、英二はしっかりと右手で押さえつけた。


「……っ!」


 滑らかな肌の感触。ほんの少しだけ声を漏らして、リズは大きく息を吐く。その動きが英二の手にも伝わる。

 じわり、と布が湿り気を帯びた熱さに浸食されていく。初めて感じる他人の血の熱さは、英二の心に底知れない不安を積もらせた。


「ふう、とりあえずはそのままで頼むよ」


 落ち着いたリズの様子を見て、英二もどうにか不安を振り払う。

 リズは顔を横に向けて、視界に入る会場の惨状にため息をついた。


「酷い有り様だね。灯りが生きてるのが奇跡、って感じかな」


 壁の電灯はひび割れながらも光を放っている。破壊の衝撃を考えれば、幸運としか言いようが無い。

 英二も同じように改めて会場を眺めて、ふと爆発の瞬間を思い出す。


「ってか、あの爆発は何だったんだ? でっかい球みたいなモノは見えたんだけど」


「ああ、あれは多分あの杖のせいだろう。多分、あの少女があの黒い杖を使って起こしたんだ」


「あれも魔法ってやつか?」


「いや、厳密には違う……っいたた」


 傷に響いたのか痛がるリズ。

 あの杖も魔具とか言う物なのか。気にはなるが英二はそれ以上聞くのを断念して、更に会場を観察する。

 すると、ステージだった場所の一部から逞しい、赤い布の巻かれた肌色の何かが生えた。


「…………リズ、あれ何だと思う?」


「ん? ……手、かな。もしくは腕」


 だよなぁ、と英二が返す間に、その手は引っ込んだ。そして更に大きな物体が生える。


「流石のライヤー・ワンダーランドも死ぬかと思ったぜ!」


 細かな瓦礫を飛ばして、ライヤーは片手を天に突き上げた後、英二達に気付いてあっけらかんと笑った。


「おう、お前らも生きてたか! 良かったな!」


 英二はどこか憎めない男の無事に少し安心した。リズも毒気を抜かれたのか、ふう、と軽く息を吐いただけだった。

 ライヤーはぐるりと壊れた会場を見渡して、声に真剣さを混ぜた。


「ったく、この嬢ちゃんにはお仕置きが必要だな」


 自分の肩についていた木屑を払って、ライヤーはクジュウの少女を瓦礫から引き上げる。

 気絶した少女の手には、黒い杖がしっかりと握られていた。








「へえ、エイジはクジュウの民じゃないのか。それどころか、自分がどこ出身かも解らない、と」


「ああ。自分でもよく分からないけどな」


 興味深げに言うライヤーに、英二はぶっきらぼうに返事をした。異世界なんて信じて貰えないだろうから嘘をついているが、あまりその辺に触れられるとボロが出る。


 ついさっき、とりあえず出口を確認してくる、と言ったライヤーが出口を見に行ったが、爆発の衝撃で塞がれているらしく、すぐに戻って来た。クジュウの少女は気絶したまま目を覚まさないし、リズは怪我があるのであまり喋らせないようにしている。

 出口が開くまで他にやることもない。不思議な状況、というのを認識しながら、英二はライヤーと話していた。


「ライヤーはどこ出身なんだ?」


「はっ、それは言えねえな。反帝国組織の頭領なんてやってると、秘密にしなきゃいけねえことが多いんだ」


 反帝国組織、という言葉にリズが反応したのを、英二は傷を押さえる右手から感じる。

 そんな変化に気付かず、ライヤーはあぐらをかいた脚に、行儀悪く頬杖をついた。


「ま、こんな変な状況だ。たまには良いか。せっかくだから、腹割って話そう」


 おちゃらけた雰囲気が消え、真剣な表情でライヤーは言った。


「俺はブルゾ地区の出だ。姫様には『幽霊地区』とでも言った方が早いか?」


 英二には地名を言われても分からないが、リズには思う所があったらしい。体の強張りが英二の手に伝わる。

 ライヤーは英二をちらりと見た。


「英二は知らないか。早い話が、ブルゾ地区は貧民街みたいなものさ。ただし、実際は存在しない事になっている、自治体すらない無法地帯だがな」


「ブルゾ地区……」


 ブルゾ地区とはただ単に、たまたま人とゴミと悪意が重なって出来ただけの盆地だ。正式名称は、無い。ただ、一般からはブルゾ地区と呼ばれ、貴族からは『幽霊地区』と呼ばれる。

 ライヤーは唇を歪める。


「何故、幽霊地区と呼ばれるのか。それは、貴族の妾の子を捨てる絶好の場所になってるからさ。そこに捨てられれば戸籍など存在しない、幽霊の子が出来上がる。そして貴族は捨ててからこう呟くのさ。『強く生きてくれ』ってな」


 最高の冗談だろ、とライヤーは皮肉げ言った。

 英二は何も言えない。リズも黙ったままだ。

 ライヤーは指を一本立てた。


「一年。俺が『ラクセルダス』を作ってから、ここまで大きくするのにかかった時間だ。早すぎる、と思わないか? リズ・クライス・フラムベイン」


 リズは答えない。ライヤーは続ける。


「国民は変革を望んでるんだよ。休戦後も重税は変わらない。とってつけたような奴隷解放令は実際には張りぼてだ。国民も馬鹿じゃない。分かっている。この国が次の戦争の準備をしているのは明らかだ、と。永き戦争の歴史がこの国の進んだ道だが、もう違う道を進むべきなんだ」


 リズはゆっくりと首を横に振り、喋りだす。止めない代わりに、英二は止血に集中する。


「その道が正しい、とは言えないだろう? ライヤー・ワンダーランド。私だってこの国は変わらなければいけないと思っている。しかし、お前の組織がやっている事をお前は知っていない」


「知ってるさ。俺の組織だ。奴隷の解放。紛争地帯の鎮圧。戦争孤児の保護」


「盗賊まがいの略奪行為。粛正という名の虐殺。毒性の高い麻薬『マタニティ』の流通元もそれに追加しておけ」


 ライヤーは驚きに身を乗り出した。


「おいおい。本当にラクセルダスがやったのか? そんなモン俺は知らねえぞ」


「全てがそう、とは言わない。だが、そいつらは手首に赤い布を巻いていた。それに単発の犯罪者にしては犯行が計画的過ぎだった。ある程度以上の組織力が無ければ不可能だ。特に麻薬の流通」


 ごほ、とリズが苦しげに咳をする。英二は心配して視線を送るが、リズは止めない。


「今、この首都アスリナに入っている麻薬の殆どは『マタニティ』だ。そして『マタニティ』の原材料であるケミカはこの国では殆ど採れない。採れるのは隣国『クレアラシル』だけ。そして――」


 ごほっ、とまた咳をするリズの代わりに、英二は呟いた。


「その『クレアラシル』と取引が出来て、精製する資金と技術があって、尚且つこっちの首都まで入り込めるのはラクセルダスだけ、か」


 あまりこの世界に詳しくない英二でも分かる。いくら停戦したからといって、つい最近まで戦争していた国とすぐに取引を始めるとは思えない。いつ戦争が再開するか分からないし、麻薬の原材料なんて危険な物なら尚更だ。

 しかし、ライヤーのラクセルダスは反帝国組織。上手くいけばフラムベインを中から破壊出来る。ラクセルダスにとっても資金源になる。正に利害が一致している。


 心当たりがあるのか、ライヤーは押し黙って考え始めた。


 重苦しい沈黙の中、この面倒な事態に打つ手は無いか、と英二は思考を巡らせる。しかし一般人の英二にはスケールが大きすぎて見当もつかない。映画やドラマとは違うのだ。救世主が出てきて全て解決、なんて簡単な問題ではない。早々に諦めてある意味対照的な二人を見比べた。


 二人は考え込んでいる。早い話が二人共、現状の認識が違うのだ。互いに、自分が組する組織の認識と実態が離れ過ぎている。まだ二人はそれを消化し切れていない。


 崩壊しかけの帝国と、肥大のせいで腐り始めた組織。それぞれの頂点に組する二人。どちらが悪くて、どちらが良いなんて分からない。

 ただ、一つだけ英二にも分かる事がある。


「リズとライヤーって、結構似た者同士だよな」


 弾かれたようにリズとライヤーは首を横に振った。


「いやいやエイジ、それは無いから。こんな厚顔無恥な男とどこが似てるんだい?」


「いやエイジ、それはねえわ。俺はこんなに頭でっかちじゃあねえぞ?」


 リズとライヤーは少し睨み合った後、空気が抜けたように息を吐く。

 そんな様子がおかしくて英二が笑うと、ライヤーも軽く笑った。


「はっ、なんだか気が抜けたわ。もしかしたら、そうかもな」


「私は違うと思うけどね。ま、今はこんな真剣な話をしても気が滅入るだけかな」


 そうだな、とライヤーが返事をする。ステージで対峙していた時の、白刃で心臓を狙い合っていたような雰囲気はもう無い。


 英二が少し安心していると、ライヤーは倒れたままのリズを見て、何気なく言った。


「なあ、リズ」


「…………なんだ? ライヤー。私はそれなりに苦しいんだけど」


「俺と付き合う気はねえか?」


 突拍子も無い台詞に英二は思わずライヤーを見る。いたって真面目な表情。ライヤー・ワンダーランドが普通とは違う性格、というのはこの短い時間でわかっていたが、流石にそれでも英二は混乱した。この発言に何の含みがあるのか。

 そんな英二に気付かず、リズは同じく何気なく返した。


「それはいわゆる求愛か? 残念だがこれっぽっちも無い。来世に期待してくれ」


「いや、俺、結構本気だぜ? よくよく見れば言われるだけあって美人だし、頭は良いし胸でかいし。俺好みだ。皇族とか組織とか関係無しに、どう?」


「まったく無いな。というか、良くこの状態で口説けるね」


 リズは自分の紅く染まった腹部を指す。そこに服の下から手を突っ込んでいる英二は気まずい。

 ライヤーは英二に向き直り、リズの胸辺りを指差しながら、真面目な顔で言った。


「エイジ、この乳はもう揉んだのか?」


「揉む訳無いだろっ。俺とリズはそんなんじゃ無い!」


 含みも何も無く、本当に告白だったらしい。それに加えていきなりな質問に、英二は思わず声を荒げた。

 ふむ、とライヤーは顎に手を当てて頷いた。


「そうか。じゃあリズ、一生のお願いだから揉ませてくれ。一緒に殺し合った仲だろ?」


「うん。今からでもまた殺し合おうか?」


 淡々と答えるリズから殺気が漏れる。冗談だ、と言ってライヤーは両手を上げた


「ったく、分かってたけど脈無しか。結構本気なんだけどな」


 当たり前だ、とリズが強く言うと、ライヤーは軽くため息を吐いた。

 リズはそんなライヤーと英二を見比べた後、にやりと笑う。そして怪我人とは思えない素早い動きで英二の左手を掴み、自分の胸に押し当てた。


「ほれほれ」


「おいリズ!? 何やってるんだよ!」


「ん? いや、私達ってこの調査の間は愛人関係じゃないか。だから、英二を巻き込んだお詫びに、と思って」


 リズの口から漏れる忍び笑いが、いま言った言葉を完全否定している。

 仰向けの片方は英二の手の形に姿を変え、もう片方は衝撃でふるふると震える。言葉にならない柔らかさ。英二は思い知った。これが世の男達を魅惑してやまない感触なのか、と。

 むにむに。ふるふる。二種二様に自己主張する巨丘。ライヤーは眩しそうに目をつぶった。


「くっ、弾力、大きさ、形っ! これが噂の『皇帝姫の胸は皇帝級』の実力かっ!?」


「さっきまでの真面目な雰囲気を返せ!」


 リズの悪ふざけから左手を取り戻し、英二は拳を握った。決して感触を思い出す為では無い。そして、おふざけが好きなところなんか、特に似た者同士じゃないか、と改めて思った。


 高いソプラノが不機嫌に響く。


「…………うるさい」


 唐突に聞こえた声。三人は同時に同じ方向を見た。

 英二と同じ、黒い髪と黒い目。歳は英二より少し下だろうか。起き上がった上半身はやや起伏に乏しいが、それが逆に彼女の儚い雰囲気を醸し出す。薄いベールは華奢な体を最低限にしか隠していない。

 まだ、意識がしっかりしていないらしく、ぼんやりとした表情で猫のような目を擦る姿は、それこそ愛でられる要素を詰め込んだ小動物のようだった。


 その目が、しっかりと英二を見た。


「ああ、こんな所にあたし以外のクジュウの人間がいるはず無いのに、幻覚が見えるわ。それとも天国かしら。どちらにしてもたまったもんじゃ無いわね」


「人の顔見て酷い言いぐさだな、おい」


 少しむっとしながら英二は返したが、少女は返事をせずにリズとライヤーを見る。そしてはっきりと目を開き、思い出したように叫んだ。


「あっ! 傲慢男と怪力女!」


「おいおい、わざわざ身を挺して助けてやったのにひでえ言いぐさだな。お嬢ちゃん」


 ライヤーは呆れた声を出す。リズは面倒なのか返事をしない。

 ぼんやりとした雰囲気から一転、少女はこの場から逃げ出そうとするが、上手く立ち上がれず動けない。

 英二は少女の持つ黒い杖を指差した。


「ライヤー、また爆発されたらヤバくないか?」


「いや、多分大丈夫だ。あれだけの魔力を使って気を失ってたんだ。今のお嬢ちゃんにあの杖は使えねえし、しばらくは満足に動けねえよ」


 原理は分からないが、ライヤーが大丈夫と言うからには大丈夫なんだろう。

 英二はとりあえず納得して、未だ逃げ出そうとする少女に声をかけた。


「なあ、名前は何て言うんだ? 俺はエイジ・タカミヤだ。別に俺達はお前に何もしないから、とりあえずそこから教えてくれ」


 少女は同じクジュウの容姿の英二の言葉に、少しだけ警戒心を解く。


「…………ルル・トロンよ。その、それ……」


 猫のような視線がリズの傷口へ向かう。


「爆発から俺を庇ってくれたんだ」


 英二はルルから目を逸らさない。ルルは持ったままの黒い杖に視線をやって、ぼそりと何かを呟いた。その言葉が聞こえたのか、片手を上げるリズ。

 ライヤーはルルに話しかけた。


「ちなみにあの爆発からお嬢ちゃんを助けたのはこの俺、ライヤー・ワンダーランドな」


「……っ! そうっ、何が助けたよっ! あんた達さえ来なけりゃ、あたしは今ごろ逃げ出して、久し振りの美味しい料理でも食べてたっていうのにっ」


 突然、思い出したようにまくし立てるルル。英二は首を傾げる。


「逃げ出す?」


「そうよっ。奴隷を引き渡す時に持ち物は返される。あたしはこの杖さえ手に入れば抜け出すのは簡単だったのに、あんた達がめちゃめちゃにしたのよっ」


 それを聞いたライヤーは腕を組む。


「それって、俺達が助けても同じ事だろ? なんだってわざわざあんな爆発を……」


「違うっ!」


 ルルは黒い杖をライヤーに向けた。ステージに晒されていた時の様な、憎悪と嫌悪に彩られた表情。


「虫酸が走るのよっ。あんた達みたいに上から人を見て『助けてやる』なんて言える人間が! あたしはあたしの足で立ってるの。人の助けなんていらない!」


 ライヤーは大丈夫と言ったが、何かの間違いでまた爆発が起きたらたまったものではない。英二は慌ててルルを制する。


「ま、まあまあ。危ないからそいつは下げてくれ」


「うるさいっ! 大体あんたもクジュウの民のくせして、なんでこんな奴らと仲良くしてるのよっ」


「あー、ほら。仲が悪いよりは良い方が良いだろ? だからほら、そいつを下ろしてくれ」


 ちっ、と大きな舌打ちをしてルルは杖を降ろした。

 焦ったり安心したりと忙しい英二とは対称的に、ライヤー落ち着いたまま言い放つ。


「別に『助けてやる』なんて大層な志はねえよ。ただ、道具の制御も出来ないお嬢ちゃんがここから逃げ出せた、とは俺は思えねえな」


「そんなこと……!」


 英二はライヤーの挑発的な発言に冷や冷やしながらルルを見る。

 ルルは強く唇を噛み締めて黒い杖を握り直し、英二達から顔を背けた。ライヤーが【クルミ割り】を腰の鞘から取り出す。


「魔具ってのは繊細なんだ。特殊な能力を使うには訓練と資質が必要だし、一つ誤れば暴発の危険が存在する。最も、それに見合う対価はあるけどな」


 そう言ってライヤーは【クルミ割り】でぐるりと破壊された会場を指し示す。

 粉々になったステージ。原型すらないテーブル達の残骸。一個人の力としては明らかに過剰だ。

 ライヤーは【クルミ割り】を地面に軽く突き立てる。


「この【クルミ割り】も本気を出せば、この辺一帯を砂漠化させるくらいは出来る。さっきの戦闘じゃ能力を抑えてただけだ。まあ、途中からそんな余裕は無くなって、掠るだけで腕の一本くらいは一瞬で持ってく威力だったがな」


 さっきの爆発で今は壊れちまってるが、とライヤーは【クルミ割り】の刃の側面を軽く叩く。鈍い音がした。


「お嬢ちゃん。どういういきさつでその魔具を持ってるのかは知らねえが、これだけは言っとく」


 ルルは黒い杖を抱き締めるように抱える。

 ライヤーは【クルミ割り】を地面からゆっくりと引き抜いた。刃は鈍く光を放つ。


「強い力が危険なんじゃない。その力を芯から理解出来ないのが一番危険なんだ。悪い事は言わない。そいつに頼るのは止めとけ」


「…………うるさいっ! あんたに関係ないでしょ!」


「俺は親切だからな。忠告はしたぞ」


「余計なお世話っ!」


 上手く力の入らない脚で立ち上がり、ふらふらとルルは英二達から離れた。そして少し距離を取った場所で腰を下ろし、呟く。


「これしか無いのよ。あたしには」


 その言葉は空洞の会場に静かに響いた。

 商品として売られていた少女の過去を思って英二が視線を下に落とすと、黙って聞いていたリズと目が合う。紅い瞳が僅かに揺れた気がした。

 リズはルルへと顔を向ける。


「なあ、ルル。私の事は知っているか?」


「……リズ・クライス・フラムベイン。フラムベイン帝国の第三皇女で、史上二人目の女皇帝として期待されている。容姿は端麗、頭脳も明晰。『皇帝姫』の異名に恥じない化け物。牢屋の底にまで名前が聞こえてくる有名人でしょ? はっ、あたしとは住む世界が違うわ」


「知ってるなら話は早い。単刀直入に訊こう。君は今、この国をどう思ってる?」


 質問の意味を掴めなかったらしいルルは瞬きを数回した。そして言葉を咀嚼した後、皮肉げに口を歪めた。


「何? ここで『この国は駄目。助けて!』とでも言ったら、余所者のあたしをお姫様は助けてくれる訳?」


「人は人種に関係なく平等だ。出来れば、そうしたいと思っている」


「馬鹿にしないで。そういうのが一番嫌いなの。あたしは助けなんていらない」


 激しい拒絶。何がそこまで彼女を駆り立てるのか、英二には検討もつかない。ただ少し、この日本人の容姿を持った女の子に憐れみを覚えた。そして、その憐れみこそ、もっとも彼女が嫌っているものとも理解する。英二に出来るのは沈黙だけだ。

 でもまあ一つだけ言えるのは、とルルは可笑しそうに言った。


「あたしがステージに出た時。ステージから見たあいつらの嬉しさと驚きの混じった顔。必死に景品のあたしを競り落とそうとする表情。結局、あれが人間の本質よ。平等なんて、そんなもの現実には存在しないわ」


 リズはそれ以上言葉を紡がなかった。場に重苦しい沈黙。

 ちなみに、とライヤーが沈黙に臆さず話し出す。


「お嬢ちゃんを競り落とした商人は代行者だ。本当の落札者はこの国の宰相のラック・ムエルダ。早い話が仕組まれた競り、ってやつだ。実際には落札金額に関係なく、ラック・ムエルダの元へと嬢ちゃんは連れて行かれる予定だった。オークションを盛り上げるのも商会の仕事。額縁の中の宝石、ってとこだな」


 最大の目玉は最大の見世物。理解出来なくも無い。英二は話を聞いてそう思った。エンターテイメントとしての盛り上げは必要だ。それは次の奴隷売買の繁盛へと繋がる。

 しかし、リズは別の部分に衝撃を受けたらしい。英二はリズの体が強張るのを右手に感じた。


「……ライヤー。それは、本当か?」


「このヤマはアリスナにおける奴隷流通の重要な拠点だったからな。時間かけて、用意周到に内通者まで送り込んでたんだ。確かだぜ」


「そうか……あの方が……」


 独り言のような声が、自然とリズの唇からこぼれた。

 

 奴隷解放令に表されるよう、ラック・ムエルダは人格者として有名だ。振る舞いに派手さは無いが、堅実な政治的手腕を持つフラムベイン帝国の中心人物の一人で、リズも何度か会った事がある。その時の印象は、風評通りの真面目な人物というものだった。

 国の中での立場が高くなればなるほど、悪い噂は付きまとう。当然、ラック・ムエルダにもそれはあったが、リズはそれは間違いだと思っていた。出世を妬んだ少数派が言っているだけだ、と。

 奴隷解放令でのし上がったラック・ムエルダは、国一番の奴隷収集癖がある、という根も葉もない噂は。


 そのラック・ムエルダが奴隷を買っていた。奴隷を禁止し、人を助けるために尽力していた、と思っていたラック・ムエルダが。

 リズは頭痛を抑えるように額の髪を掴む。


「言っただろ。この国は腐ってる、って。何だったら後で証書でも持ってきてやろうか? 爆発で重要書類の保管場所は埋まっちまってるが、探せば見つかるだろ。今なら直筆の署名つきだぜ」


「……いや、いい」


 予想以上に今回の調査は収穫だ、とリズは思った。しかし、それは思うだけで、何故か感情までは届かない。いつもなら忙しくなる、と体に沸き起こる使命感が、今は無い。

 英二が明るく声を出す。


「ま、まだ確定じゃないんだし、今は思いつめるなよ。リズ」


 ああ、とリズは返事をして、自分のやけに掠れた声にまた気が落ちる。自分のなすべき事。根幹の部分が揺らいでいる。


 リズは手をどかして天井を眺めた。この国の実態はどこにある。取り繕った外見の裏には何がある。そしてそれは一体誰のためのモノなのか。

 限りなく深い泥沼に漬かっているような、そんな気がした。


 不意に、天井に亀裂が入った。


「っ! まずい、天井が落ちるぞ!」


 リズは痛む腹部を無視して、声を張り上げた。英二が上を向く。亀裂は凄まじい早さで広がっていく。恐らく、目に見える外面とは裏腹に、内側は既に崩壊していたのだ。壊れていない振りをして、限界が訪れれば一気に崩れる。そして崩れた後に待つのは――――。


「全員集まれ!」


 助かるための最善の行動をリズは瞬間的に構築する。その本能に近い思考に従い、体は勝手に動く。それはリズ・クライス・フラムベインとしての純粋な行動で、魂に染み付いた矜持だ。


 その言葉は、助かるための言葉。犯罪組織の頭領も、異国の少女も、異世界からの来訪者も、分け隔てなく従う。


 そして、天井が降り注いだ。



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