表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

五話


 リズは冷静な人間だ。本来の性質がそうであるうえに、皇女たるべき教育によって積み上げられたその冷静さは、特筆すべきものがある。


 常に水平さを意識しろ。それを失った戦いに得る物は無い。

 三人目の剣の師はそう言っていた。自分もそう思う。


 そんな事を頭の隅で考えて、リズは奪った剣をぎり、と強く握った。


「…………貴様は、反帝国組織『ラクセルダス』のライヤー・ワンダーランドで間違いないか?」


 硬く押し出された声。ステージの下では貴族と商人が狂騒し、それをラクセルダスの構成員が鎮めようとしている。

 ライヤーはそんな会場の様子をちらりと見て、楽しそうに口を歪めながら、リズへと短剣を上げた。


「ああ、愛と自由の徒、ライヤー・ワンダーランドだ。宜しくな、リズ・クライス・フラムベイン」


 紅い瞳は皇族の証。例外は、無い。

 リズは瞳の色を変える魔術が途切れている事に気付き、反射的にライヤーから目を逸らした。僅かな隙が生まれる。


「お手合わせ願うぜ!」


 強い踏み込みにステージの床が軋む。一気に距離を詰めたライヤーは、鋭い切り上げを放った。


「くっ!」


 寸前で受け流し、距離を取るリズ。ライヤー・ワンダーランドの技量は高い。ただの一撃でリズはそう判断する。更に、それに加えて。


(せめて私の剣があればっ!)


 リズの剣は受け流した分だけ、ぼろぼろに削れていた。

 受け流すだけでここまで剣を消費する、というのは本来ならば有り得ない。

 本来ならば。


「どうだい、なかなかにイカす剣だろ?」


 ライヤーはその短剣をくるり、と曲芸のように回した。


「この魔剣の名前は【クルミ割り】って言うんだ。能力は斬りつけたモノ自体を脆くして、破壊する力だ。木だろうが、岩だろうが、金属だろうが、な」


「…………何故、そんな事を私に教える」


 戦闘において自分の情報を与えるのは、愚かな行為でしか無い。

 ぼろぼろになった剣をそれでも構えるリズに、ライヤーは【クルミ割り】の切っ先を向けた。


「そのちゃちな剣じゃ、俺の攻撃は二度防げない。俺は平和主義だから、無駄な殺生はしたくないんだ」


 へらへらとしたライヤーの表情が、変わる。厳しく、先を見据える視線。


「投降しろ、リズ・クライス・フラムベイン。お前には帝国に対する取引材料になってもらう」


 反帝国組織『ラクセルダス』は、革命派の中で最も大きな組織だ。目的として、未だ緊張関係にある隣国との完全和平、実態として残っている奴隷の解放、現皇帝の降任を掲げている。

 実働人員は一万を超え、水面下の賛同者は十万を超えると言われているラクセルダスの頭領。

 その重みを肩に載せた男の眼差しは、強い。


 奴隷の解放や和平という点において、ラクセルダスとリズの行動は似ている。

 しかし、決して両者は相容れない。それは立場であったり、犯罪組織だったりと様々な理由がある。


 ただ、今のリズを支配するのは個人的な感情だ。

 リズはゆっくりと剣を下げ、その紅い瞳を隠すように顔を伏せた。


「貴様は『マタニティ』という言葉を知っているか?」


「マタニティ? ……確か、最近出回り始めた麻薬の名前がそんな名前だったような……」


 【クルミ割り】を片手でくるくる回しながら、もう片方の手を顎に当て、ライヤーは呟いた。


「まあ、そんなモンにハマるような馬鹿は、死んでも治らねぇ。それとも皇帝姫さんは興味でもあるのか? 止めとけ。あれはロクなモンじゃねえよ」


 大仰な仕草で話すライヤー。リズは答えない。代わりに壊れかけの剣が、強く握り過ぎたせいで悲鳴を上げる。

 ライヤーは気にした様子もなく、リズに手を差し出した。


「俺の組織の情報網は広い。お前が俺達と同じ志を持ってるのは知っている。今回もこのオークションを潰しに来たんだろう?」


 ライヤーはステージを指し、良く通る声で言う。ほとんど沈静化した会場。その構成員達が、各々の手首に巻いた赤い布を掲げる。ぱらぱらと、散発的に。


「お前がもし、ラクセルダスに加担すれば、人民の心は動く! 下らない戦争や、いわれのない弾圧は終わるんだ! リズ・クライス・フラムベイン! お前が陰で汚職や不祥事を潰している事を俺達は知っている! だが、もっと根本から変えられるんだ! 平和な、戦いの無い世界にっ!」


 ライヤーが【クルミ割り】を掲げると同時に、ステージ下で構成員が湧き上がる。重ねるように上がる赤い布。怒りとも、歓喜ともとれるその光景。

 その布達の所持者は、肌の浅黒い痩せた男や、リズと同じ肌の色の髪の短い女性だ。各々が逃げようとした貴族や商人を押さえつけながら、分け隔てなく布を掲げている。このフラムベイン帝国に変化を望む、命ある民達。

 行動は歓声に変わる。喝采と、虐げられていた者達からの光ある眼差しに、ライヤーは腕を組み頷いた。


「言いたい事はそれだけか?」


 会場を満たす歓声を切り裂く小さな声。ライヤーは背筋に走る悪寒に従い、横に飛んだ。続いて起こる、まるで大木でも振り回したかのような風切り音。

 ライヤーが避けた先を見据え、リズはぼろぼろになった剣をゆっくりと構え直す。不意打ちなどは本来の彼女にとって恥ずべき行為だが、それを気にする余裕は既に無い。


「確かに、お前の言う事も一理ある」


 見開いたその瞳は、怒りの深紅。脳裏によぎるのは一人の女性。


「だが、私はお前を認めない!」


 繰魔術。このフラムベイン帝国には現時点で、リズ以外に使える者は居ない。

 魔力を純粋に自分の体のみで操り、自身の肉体を強化する術。


 リズはステージに一つ足跡を刻み、鋭い刺突を繰り出す。いかに剣が悪くとも、当たれば只では済まない。

 首を曲げ、寸前で欠けた刃をライヤーは避けた。そのままカウンター気味に右膝をリズの脇腹に叩き込む。


「っかてぇ! これが噂の繰魔術ってやつか!」


 膝蹴りを受けても微動だにしないリズから、ライヤーはあえて距離を取らない。足を掬うような剣閃を最小限の跳躍で回避し【クルミ割り】をリズの頭上から振り下ろす。


「うらっ!」


「くっ!?」


 頭上で【クルミ割り】を受けた剣は、ほんの少しだけ時間を稼いで、剣の原型を無くした。

 稼いだ時間で素早く距離を取るリズ。しかし、手元には刃の無くなった剣しか無い。


「諦めろ。もうお前に勝ち目は無いんだよ!」


「…………だからといって、貴様の組織が行った非道を許せるか!」


 剣を投げ捨て、爆発的な速さでライヤーの懐に入るリズ。【クルミ割り】を振る隙も無い。


「んのっ! 馬鹿やろうがぁっ!」


 強襲してきたしなやかな右脚を避け【クルミ割り】を振ろうとするライヤー。だが、それより早くリズが次の攻撃を繰り出す。

 素手とはいえ、繰魔術の強化は容易く人を破壊する。対する【クルミ割り】も生身で受ければただでは済まない。


 どちらかが一つ先に決めれば決着はつく。むしろ剣を持っていた時より厄介な相手に、ライヤーは意識的に殺さず、という条件を止めた。そしてリズは怒りに身を任せ、ライヤーの命を刈り取る為に体を動かす。


 互いに達人の域にある二人はステージの上。舞踏と見紛う戦いを続ける。








「……凄い」


 英二はステージの上で、まるで映画のような一進一退の攻防を続ける二人を見て、思わず零した。

 人間とは鍛錬であそこまで動けるのか。

 そんな事を思いながら見入っていると、後ろから声をかけられた。


「おい、変な気は起こすなよ」


 低めの男の声。英二はまたもや背中に突きつけられている剣の存在を思い出した。

 現代人の英二には、刃物を持っている相手に刃向かう程の無謀さは無い。


 もはや慣れかけたこの状況。英二は下がりかかっていた両手を再度上げた。


 ちっ、とその髭の生えた男は舌打ちして、隣の腕に傷のある男に話しかける。


「ったく、さっさと殺せばいいのによ。こんな人の不幸で成り立ってるような奴らは」


「まあ、そう怒るなよ。今回は頭領が直接指揮を執ってるからな。バレたらヤバいぞ」


 分かってる、と吐き捨てるように言って、髭の男は突きつけた剣を持ち直す。

 英二はそんな二人の会話を聞きながら、ステージの上を見ていた。

 方や命をかけて戦う二人。片や外側で話をしている二人。


 確かにステージの二人は全く違う。性別も、立場も、やり方も。

 しかし、英二にはステージの上と、このステージの下の方が、よっぽど対照的に見えた。


 そして、いつの間にか見えなくなっていたクジュウの少女がステージに表れたのも、英二が考え事をしている時だった。


「…………解放とか、皇帝とか……」


 ぽつりぽつりと溢れる声。ステージ奥の搬入口から表れた少女に、リズとライヤーの動きが止まる。

 それは少女が薄いベール一枚の、酷く危うい姿だったからでは無い。


「…………そんな事はどうだっていいのよっ!」


 リズとライヤーが見ているのは、少女が掲げた黒い杖。

 全ての色は黒。申し訳程度に金の装飾があるが、地味な印象は拭えない。普通の短めの杖。


 違う、その黒い杖には何かがある。命のやりとりで感覚を研ぎ澄まされた二人は、直感した。


「お前ら、全員逃げろ!」


 ライヤーは構成員に号令をかける。


「エイジ!」


 リズは英二の姿を探す。


 少女の細い腕は黒い杖を高く掲げている。体の線が透けて見える程の薄いベール。本の中の妖精がそのまま出てきたような儚さ。

 しかしその儚さを逆転させる程に、全ての不条理や理不尽に対する怒りで、彼女の瞳は満たされていた。


「世界がどうなんて関係ない! 『助けてやった』なんて哀れむなっ! あたしはそんなに弱くないっ!」


 振り下ろされる黒い杖。合わせて空気が揺らぐ。そこに何かが生まれようとしている。


 ステージの下はまた混乱だ。今度は収拾のつけようが無い。誰も彼も命が大事だ。頭領の号令で一気に逃げ出す構成員達。遅れて貴族や商人。


 そして英二は――


「ったく……思いっきり突き飛ばしやがって」


 髭の構成員に背中を蹴られ、床に倒れていた。

 痛みは無いが、逃げるには遅い。

 英二がふとステージを見上げる。


「…………冗談だろ?」


 それは大きく膨らんだ魔力の塊。ゆらゆらと揺らめく破壊の球。空気が音も無く波打っているのが肌で感じられる。

 始めて見る英二にも、それは明らかに異常な光景だと分かった。

 直径二メートル程のそれは、今にも地面に落ちようとしている。


 幻想的ですらあるその光景に英二は動けない。

 そんな英二をリズは包み込むように抱えた。


「巻き込んですまなかった。君は守るよ」


 耳元で囁かれた声と、太陽と甘酸っぱさの混じったリズの匂い。

 激しい衝撃が英二を襲う。


 そして、ミスラム商会の本部は突然の爆発により、隠された地下への入り口を塞ぐ形で半壊した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一言でも気軽にどうぞ!↓
拍手ボタン
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ