五話
女性が変身するには、それなりに時間がかかる。それに手を加える場所が多ければ多いほど、長くなるのは必然。
ライヤーは店『ローライ』の一室で、腕を組み立っていた。
「お待たせしました」
ローライが扉を開けて入ってくる。そして、立ったまま待っていたライヤーを見て、困ったような笑顔を浮かべる。
「ベッドにでも腰掛けて下さい。お疲れでしょう?」
「いや、女の匂いの残ったベッドに入ったら、ちょいと我慢が効かなくなりそうでな」
冗談めかしてライヤーは答えた。
ここはローライの自室だ。服と、化粧品と、ベッド。それだけの狭い部屋だが、彼女の匂いは色濃く残っている。
「ふふっ、言って頂けたら、いつだってお相手しますよ?」
ローライはわざとらしく胸を強調してライヤーに一歩近付く。狭い部屋だ。それだけでライヤーの鼻に直接、ローライの男を惑わす匂いが飛び込んだ。
ライヤーは諦めたようにベッドへと腰掛ける。
「で、お嬢ちゃんはいつ頃終わりそうなんだ?」
「夜までにはなんとか。今は指先の手入れをしています」
「お前がやるんじゃないのか?」
「流石に全ては無理ですよ。細かい部分は専門の店に頼んでいます。私の仕事は、女性を臨むべく場に相応しい姿にする事。言うなれば戦術ではなく戦略、ですかね」
胸を張ってローライは語った。そして、そのままゆっくりと自分の服に手をかける。
ライヤーはそれを眺めて、にやりと笑う。ローライの大柄な体に相応しい、溢れんばかりの胸が布に引っ張られて形を変えた。
「はっ、これも戦略か?」
「まさか。愛ですよ。私は、貴方の為に生きているんですから」
ローライの瞳が濡れた光を帯びる。蕩けるような熱がこもった視線。
上着が無くなり、短くなった袖から柔らかそうな二の腕が見える頃。ライヤーは風に吹かれた蝋燭のように、その笑みを消した。
「さて、茶番は止めろ。訊きたい事がある」
「はい、私達の希望。ラクセルダスの頭領。ライヤー・ワンダーランド様」
敬礼したその右手首には、赤い布が巻かれている。
塗られ、盛り付けられ、揉まれ、擦られ。
いつも適当にしている何十倍の時間と技術を使い、自分の体は磨かれている。
その様を鏡で眺め続けたルルが一言。
「長い」
「当たり前ですよ。普通は普段から気を付けておくものなのに、全く手入れされた後が無いんです。せっかくこんなに綺麗な肌と髪なのに、これじゃ宝の持ち腐れ……」
ルルと同じくらいの女の子は、さっきから良く喋る。だが、同時に手も良く動く。会話の間にも忙しなくルルの髪の毛をいじくっている。
「あ、こんな所にほくろがありますよ! 知ってました? こういう所って、自分じゃ見えないから知らない人も多いんです。でも、この首の後ろにほくろがある人って、美人さんが多い気がします。不思議ですよねー。そういえば少し前、同じ場所にほくろがある人が……」
ルルは面倒になって聞き流す。
最初にローライと話して方向性を決められ、その後から怒涛のような美容のフルコース。今回、英二を落とすのに全く関係の無さそうなマッサージまで受けた。あまり堪え性の無いルルにしてはかなり頑張っている。
だが、そろそろ限界だ。
「…………あと、どれくらい?」
「そうですねー。もうすぐ夕方ですから、暗くなる頃には間に合いそうですよ。……でも、黒髪も珍しくて良いんですけど、こういう明るめの茶色でふわふわにする、っていうのも捨てがたい……」
そう言って女の子がごそごそと箱からかつらを取り出し、ルルの頭に乗せる。
「ほら! やっぱりこっちの方が良いですよ! 柔らかい印象で可愛らしいし……ちょっとローライさんに言ってきますね! 色々と変更点が……」
目の前には、ふわふわした茶色の髪の毛の女の子。軽くのせた化粧と胸辺りまで届くかつらは、一見するとルルだと分からないほど印象を変える。
だが、ルルは我慢ならなかった。
「面倒くさいっ! なんでここまで来て変えるのよっ!」
「でも、絶対こっちの方が……」
あくまでも茶髪を譲らない女の子にルルはしびれを切らす。
「もういいっ! 別に何だって良いのよ、あいつさえ落とせたら!」
そう叫んでルルは立ち上がり、杖の入った袋を担ぐ。ついでにかつらを乱暴に投げた。服はとりあえず見立てられたワンピースだが、別に変じゃなければ何だって良い。
「あっ、ちょっと待って」
女の子の声を無視してルルは店から出ていった。からん、と来店の鐘が虚しく響く。
呆然とする女の子。
「おいおい、どうしたんだ?」
「……あれ、ルルちゃんはどこ?」
途方に暮れる女の子しかいない部屋に、ライヤーとローライが奥から戻って来た。
女の子は慌てていきさつを話す。
「あ、あの、わたし、茶髪の方が似合うんじゃないか、と思って言ったら、怒らせちゃったみたいで。……で、出て行っちゃいました……」
それを聞いたローライが眉を顰めるが、ライヤーは特に気にした様子も無く店内を見回した。
「まあ、どうせ待ち疲れてかんしゃくでも起こしたんだろ。気にすんな」
「あっ、その、……本当にすみません!」
女の子は泣きそうになりながら謝る。
実際、ライヤーは気にしていない。それより気になることがある。
「んで、それは置いといて、シアはどこに行った?」
ライヤーの言葉にローライも店内を見回す。
「シア、ってあのちっちゃな女の子ですよね? ルルちゃんをマッサージする為に、ライヤーさんを奥に連れて行った時にはもういませんでしたよ、確か」
「げっ、それって大分前の話だろ? その時は手洗かなんかだと思ってたんだが……」
「じゃあ、外にでも行ったんじゃないですか? 遊びたい年頃でしょうし」
普通の子供が普通に外で遊ぶ分には問題無い。だが、シアは普通では無いのだ。慣れないこの街で、万が一迷子にでもなっていたらマズい。
そしてそれに加え、ライヤーの頭には厄介な問題が思い浮かんでいる。
「最近、危ないんだろ? この辺」
「まあ、そうですけど。まだ日も昇ってますし、シアちゃんは賢そうですし……」
「え? 最近何か事件でもあったんですか?」
ライヤーとローライの会話に、女の子が首を傾げる。
先程、奥でライヤーが得た情報の一つ。『ついさっき、帝国の手先がこの街に来た』というローライの言葉が蘇る。
ローライはラクセルダスの頭領であるライヤーに注意を促す意味で言ったのだろうが、ライヤーはその情報の真の意味をおおよそ掴んでいる。
帝国、つまりラック・ムエルダの狙いはリズ。そしてラック・ムエルダがシアの存在を知らない筈がない。
ライヤーは自分の肩を叩きながら出口へと歩き出す。
「仕方ねえ。ちょっくら二人を探してくるわ」
「あっ、私も探しに行きます」
「いや、ローライはここで準備でもしといてくれ。入れ違いになったら面倒だしな」
それにリズと鉢合わせたら余計面倒だから、とは言わずに、ライヤーは扉をくぐった。
ウェーブがかった金髪を探しながら、人通りの減った通りを進む。
外はもう赤く染まり始めている。自然と歩く足が速くなった。
そしてライヤーは別の金髪を見つけ、僅かに迷った後に近付く。
「おい、リズ」
「ん? ああ、貴様か」
同じように何かを探しながら歩いていたリズに、ライヤーは後ろから声をかける。
リズは周りを一度見渡して、言葉を繋げる。
「丁度いい。エイジはそっちに戻ってないか? 急にいなくなってしまったんだ」
「エイジ? いや、知らねえぜ。こっちはシアとルルが出て行ったから、二人を探してるんだ」
「シアとルルが?」
リズの表情が曇る。
場に、嫌な空気が立ち込める。なにか悪い事が起こりそうな、予感めいた想像。
ライヤーはその空気を敏感に感じ取りながら口を開く。
「そうそう、耳よりな情報だ。今、この街には帝国の兵が来ているらしい。まるで俺達の後を追うように、な」
その情報を聞いたリズの行動は早く、すぐさま見知った姿を探して駆け出した。鋭い速さで走る主人を追って、金の尾は風にたなびく。
その後ろ姿を見ながら、ライヤーは顎に手をあてた。
「帝国が俺らに追いついたのは想定外、か」
自分達がこの街に着いた数時間後に、帝国は追いついた。それはあまりにも早すぎる。リズが馬鹿正直に行き先を漏らした訳でも無いだろうに。
皇居襲撃の件からして、リズとラック・ムエルダが敵対しているのは間違いないが、情報が筒抜けすぎる。
「この街に来た奴らは俺らとは関係無い…………ってのは虫が良すぎるな。だとしたらよほど切れる奴がいるのか、はたまた特別な魔術でも使ったのか……」
ライヤーはあまり魔術には詳しくないが、そういう術がある、という話だけは知っている。最も、その話の中で、それはもう存在しない失われた魔術だったが。
他にも選択肢はあるが、今は動くべき時。軽く頭を振って、ライヤーも旅の道連れを探しに走り出す。
まだまだ旅は始まったばかりだ。終わりを見るのは早過ぎる。
日は、ゆっくりと落ちていく。
どこにでも、ガラの悪い連中はいるものだ。当然、このファフィリアにもそういう連中がいる。
しかし、彼らも四六時中悪い事をしている訳では無い。悪い事をすれば捕まる。とすればやはり、普通に過ごしている時間の方が長い。
では、何を持って悪い奴らと普通の奴らを区別するのか。
答えは簡単だ。目の前に危ない儲け話をちらつかせればいい。普通ならば掴まない、考えもしない、とびっきりの儲け話を。
「まあまあ、だから言ってるじゃんか。お前が残ればそこの女の子は見逃してやる、って」
やたらと人相の悪い男が、薄ら笑いを浮かべながらそう告げた。周りにいる仲間も同じような顔をしている。
英二はそんな奴らにどう返すべきか悩んだ。
(多勢に無勢。こっちにはシアだっているし…………もしかしてピンチってやつか?)
シアを追って入った裏路地は、見るからに危なげな雰囲気を放っていた。恐る恐る進み、やっとの事でシアを見付けると、そこには人相の悪い男とぶつかったらしいシアが謝っていた。その時はまだその男一人だった。
だが、英二がそこに辿り着き、シアの保護者だと分かると、人相の悪い男の態度が一変した。具体的に言えば『子供のしたことくらい許すか』という雰囲気から『何が何でも男は逃がさない』という雰囲気へ。
いくら英二でも、危ない雰囲気くらいは感知できる。しかし、ぶつかったのはシアで、こちらに非が無い訳でもない。
そうこうしている内に人が集まってきて、この有り様だ。逃げるタイミングを完全に外してしまった。
「え、エイジさん…………」
シアが不安げな、罪悪感に捕らわれた表情で見上げてくる。英二はその小さな背中を手でさする。
しがみつくようにして傍にいるシア。その姿が家族と重なる。守らないと、と英二は強く思った。
「分かった。俺が行けばシアは見逃してくれるんだな?」
「ああ、保護者が責任を取るなら許してやるよ。ただ、誠意ってモンを見せて貰うけどな」
人相の悪い男が暗い喜びを顔に出す。英二はそれを見ずに、シアの肩に手を置いた。
「シア。俺はちょっと謝ってくるから、宿に戻っててくれ。次からは一人で出歩かないようにな」
いやいや、とシアは泣きそうな表情で首を横に振る。濡れ始めた後悔の目。
英二はひっつこうとするシアを優しく離す。反省しているのなら良い。失敗を許すのが兄の務めだ。
「ほら、あっちが大通りだ。今度は迷子になるなよ」
人通り多い通りの見える場所まで、英二は抵抗するシアの背中を押す。逃がさないようにか、何人かの男達が英二のすぐ後ろに立っている。
通りにシアを弾き出すと、英二は後ろの男に服を掴まれる。シアは英二と道の向こうを見比べた後、躓きながらもその場から駆け出した。
「ほら、付いて来い」
人相の悪い男の声に英二は大人しく従う。リズやライヤーならともかく、英二がこの人数差で逆らうなど無謀だ。
とりあえずシアは逃がせた事に安堵しながら、英二は男達に囲まれながら移動する。心臓はバクバクだ。
しかし、きっと逃げる隙くらいある筈。
そう自分に言い聞かせながら、英二はゆっくりと裏路地の奥へと歩いていった。
シアがルル・トロンが出会えたのは偶然だ。それも、シアが英二と離れてから一つ目の角を曲がった所、という幸運付き。
とりあえず出てみたはいいが、英二の所在が分からなかったルル。泣きそうなシアの必死の説明を聞き終えて、不機嫌だった眉を更に曲げる。
「なにやってんのよっ。馬鹿じゃないの、あいつ」
思わず吐いた暴言にシアの体がびくりと震える。
ルルは舌打ちして身を翻した。
「えっ!? あっ、あのっ、ルルさん!」
「なによ」
「え、エイジさんは……」
「知らない。自業自得よ」
冷たく言い放って去ろうとするルルを、シアは必死で引き止める。
「わたしが悪いんです! だから、助けに……」
「それが自業自得だって言ってるのよ」
しかし、ルルは止まらない。漠然とした怒りを抱いて、今来た道を戻り続ける。
人が人を助ける事は不自然だ。人のため、正義のため、同情。結局、そこには自己満足や打算が詰まっているのに、助けられた側は無条件で感謝しなければならない。
そういう匂いが嫌いだから、ルルは助けられたくない。助けるのは単純に嫌い。
英二やリズは、ルルの思想とは正反対の人間だ。助けて当然。だから連れて行かれる。いい気味だ。
シアは立ち止まって、地面に視線を落とした。そしてぽたりと地面に染みをつけた後、はっと気付いたように袖で目を拭って、もう一度動き出す。
「わたし、何でもしますっ。もう外に出ないようにするし、わがままも言いません……だから! だから、エイジさんを助けて下さいっ!」
シアがルルの前へと回り込み、すがるように進路を塞ぐ。
助けようと思えば助けられる。自分には、背中の杖があるから。しかし、その気は無い。
ルルがもう一度シアを突き放そうとしたその時、気に食わない声が蘇る。
――悪い事は言わない。そいつに頼るのはやめとけ。
ミスリム商会の地下で言われた言葉。頼る、だなんて見当違いも甚だしい。この杖は自分の分身だ。この杖のおかげで自分は歩いて来れたのだから。
そう、だから。否定されたままではいけないのだ。
「…………あいつはどっちに行ったのよ。案内しなさい」
ルルの言葉を聞いて、シアは濡れた瞳を嬉しそうに開いた。そしてエイジと別れた場所へ、ルルを連れて行く。
その途中で、ルルはしっかりと告げる。譲れない事。
「感謝なんかしなくていい。あたしは、助けるのも助けられるのも嫌いなの」
そう、今回は特別。あの嘘つきな男の言葉を退けるために行くのだ。ついでにこの件でエイジが自分に惚れれば、愛なんて嘘だと証明も出来る。一石二鳥だから、今回だけ特別だ。打算のために助けるから、反吐の出る感情だけ得られればいい。
「はいっ、ありがとうございますっ」
ルルは無視する。シアは急いで英二のいた場所へと戻る。
不機嫌そうに鼻を鳴らして、ルルは後を追った。