四話
「さあ、好きな物を選んでくれ」
そう言われても、良し悪しが分からない。英二はぐるりと店の中を見回した。
様々な種類の刃物。一目で剣と分かる物から、波打った刀身の変な形の物。槍もあれば弓もある。
裏路地の奥の怪しげな店。入れば危険な物が沢山あった。英二は緩みかけていた気を引き締める。
(そうだ。ここはそういう世界だったんだ)
剣があって、戦争があって、奴隷がいて。そういうのが近くにある世界に自分はいるのだ。
英二はゆっくりと近くの長剣に手を伸ばす。
棚から取ってみると、それは意外なほど重かった。
「…………よくこんなの振れるなぁ」
「訓練してるからね」
リズが後ろから神妙に言う。
英二はずしりとした重みの長剣を元の位置に戻した。訓練をしていない自分がこんなものを振れるとは、到底思えない。
振り返ってリズに尋ねる。
「初心者が持つような剣とかって、無いのか?」
「ああ、それならこっちが良い」
リズは右隣の棚に近付く。
「この辺は短くて軽い短剣だから、この中から選ぶと良い」
長剣に比べて長さが無いが、その分扱い易いのが短剣だ。
ライヤーが使っていた【クルミ割り】と同じ位の大きさの短剣を手にとって、英二は思い出したように顔をリズに向ける。
「なあ、リズ。魔具、だっけ。あれはここに無いのか?」
砕く短剣と破壊の杖。思い出すのはそんなイメージ。
リズは手に持っていた別の短剣を見ながら返事をする。
「あれは店には無いよ。あんな物が沢山売ってたら、どんな世の中になるか分かったものじゃない」
確かに、と英二は納得する。道行く人が皆、あんなとんでもない能力の武器を持っているなんて、想像するだけで恐ろしい。
「じゃあ、もしあったら、俺は魔具を使えるのか?」
疑問。結局未だに分からない、魔力だとか魔術だとか、その辺りの知識。
この際だから訊いておくべきだ。英二は返答を待つ。
その真面目な質問に、リズは軽く笑みを浮かべた。
「知りたいかい?」
「え? ああ、そりゃ、まあ」
「よろしい。じゃあ、君に教えよう。そもそも魔力というのはだね」
「ストップ。要点だけで頼む」
長くなりそうな話を強引に止める。リズは説明する事が好きらしい。下手をしたら説明だけで今日が終わるかもしれない。
止められた不満を隠さない表情で、リズは持っていた短剣を棚に戻した。
「もう、少しは聞いてくれたって良いじゃないか」
「いやまあ、この後、飯を食べに行くんだろ? だから手短にな」
それもそうか、とリズはあっさり納得して、店の奥の広いスペースへと移動した。
「ちょっとこっちへ」
手招きに従い、英二はリズへと近寄っていく。
「これを持ってごらん」
リズはそう言って、腰に付けていた自分の剣を英二に渡す。
受け取ってその剣を眺める。
「…………これって、最初に会った時、コリストに投げた剣か?」
「ご名答」
安全の為か、鞘ごと渡された長剣はしっかりとした重さがある。全体的に質素だが、柄に一つだけ輝く宝石。それ以外に目立った部分は無いが、使い込まれた様子が所々に垣間見えた。
英二はそれを持ち上げたり、振ってみたりする。
「持ったけど、どうすれば良いんだ?」
「そうだね。とりあえず、英二の魔力の素養は無い、って事は分かったかな」
魔力の素養が無い。それはつまり。
「俺は魔具を使えない?」
「残念だけどね」
リズは英二が持ったままの剣の柄を握る。
直後、英二の手の中の剣が変わった。
「なんだ……?」
外見に変化は無い。だが、確かに剣は変わった。上手く言葉に出来ないが、存在が変化した、という表現が一番近い。
「分かるかい? こんな風に使える人間が持つと、剣の本質が変わるんだ。こればかりは持って生まれた物、としか言いようが無い」
リズは言いながら軽く剣を引く。
魔具が使えない事を少しだけ残念に思いながら、英二は剣から手を離す。もう剣の違和感は分からなくなった。
「まあ、仕方がないか」
「大丈夫、君は私が守るから。それに魔具を使える人間は、大抵騒動に巻き込まれる。大きな力は争乱の元さ」
剣を腰に戻すリズに、英二は疑問を投げかける。
「その剣も【クルミ割り】みたいに名前があるのか?」
「無い無い。そんな酔狂な真似はしない。やるのは自己顕示欲の塊みたいな奴だけだよ」
「じゃあ、その剣は何が出来るんだ?」
ライヤーは物を崩す力。ルルは破壊の球。だとすれば、リズはどんな能力の剣を持っているのだろう。
炎とか出すのか、と英二は予想していたが、答えはあっけないものだった。
「良く切れて、曲がらない。切れ味が落ちない」
「それだけ?」
「それだけ」
なんとも微妙だ。英二のそんな思いが顔に出る。
だが、リズは自信満々に言い放った。
「剣を使うなら、それだけで十分。いや、それが一番必要な要素だよ。派手さは無いけど、私はこの剣こそが最強だと思うね」
「うーん、良く分からん」
結局、自分にあるのは防御力だけ。だが、その位が丁度良いのかもしれない。
例えばライヤーの【クルミ割り】が使えたとして、自分が人に向けてそれを振れるとは到底思えない。
英二はもう一度、扱えそうな剣を探し始めた。
そこには可愛い小瓶や、綺麗な色が所狭しと佇んでいる箱や、細かな毛先を誇らしげに立たせている筆が、乱雑に置かれている。しかし、一見無造作に並んでいるその道具達も、言うなれば魔法の小道具。輝いて見えるのもしょうがない。
華やかで、いい匂いのお店。その店に入ったシアが抱いたのはそんな感想だ。そして今は魔法の小道具に夢中。
リズ達の尾行は一時中断。中央通りから少し離れた場所にある、看板も出ていない店『ローライ』にシア達は来ていた。
「ふふふ……綺麗な肌……。クジュウの子ってのは、みんなこうなのかしら?」
「ちょっと! なんでそんなに顔を近付け……みっ、耳を触るなぁっ!」
「触ってないわよ。嗅いでるの」
「よ、余計悪いわよっ! はなっ、離れ……!」
なにやら楽しそうな声につられてシアは振り返る。そこには椅子に座ったルルと、その黒髪に顔を近づけている大柄な女性が、鏡の前で遊んでいる。
シアもそれに加わろうとするが、これは遊びではない、と思い出して立ち止まった。
「んー、どうしようかしら。私としては可愛らしさを全面に押し出したい所だけど、そういうのじゃ無いのよね?」
「だから、男を落とせるようなやつがいいって……」
「男なんて、ちょっと笑顔見せて酔った振りして宿に連れ込んだら一発よ? 経験則的に」
「そういうのじゃ無いって、何度言わせればいいのよっ!」
二人の会話は良く分からない部分が多い。しかし、とても大事な話なのは分かる。シアは邪魔しないように、と思いながら店内を見回した。
ここにある全てのものは、女性のためのものだ。その大半が見た事のないもので、一体どんな風に使うか検討もつかないものだってある。
何故ライヤーがこんな店を知っているのかは謎だが、訊こうにも『ちょっと出てくる』と言ってどこかに行ってしまった。よって、ここにいるのはルルとシアとこの店の女主人、ローライの三人だけだ。
自分の名前をそのまま店の名前にしたらしいローライが、シアの様子に気付く。
「どうしたの? あっ、座るものが無かったわね、ごめんなさい。あんまり複数で来る人が居ないから」
シアが何かを言う前に、ローライは奥に消えていく。がさがさ、と何かを探る音。
椅子に座っているルルが、疲れたと言わんばかりに深く息を吐いた。
「はぁ、何なの、あいつ……」
シアはルルに元気を出してもらおう、と口を開くが、肝心の言葉が出ない。どうしてそんなに疲れているのか分からないからだ。
だって、これから起こるのは、とてもとても素敵な事だから。
「はい、これに座っていいわよ」
戻ってきたローライが、シアの前に箱を置く。その箱は薄い紅真珠の綺麗な色で、シアは座るのをためらった。
「遠慮しなくていいわ。壊れても大丈夫だから」
ローライは大柄だが、全然威圧感が無い。長い髪はふわふわと腰まで降りていて、触るとなんだか楽しそうだし、たれ目がちな瞳はいつも慈愛に満ちている。女性らしさを体現したような体つきも、雰囲気を和らげるのに一役買っているのだろう。
シアは礼を言って、ゆっくりと箱に座った。小さな体に丁度いい高さだ。きっとそこまで考えてこの箱を持ってきたのだろう。
「さ、続きをしましょう、子猫ちゃん……?」
ルルが不機嫌そうに頷く。
そんなルルを見て、ローライは満面の笑みを溢した。
「そんな顔も素敵ね。でも、これからもっともっと素敵にしてあげる。ふふっ」
この店は女性のためだけの店。一から十まで、化粧から服まで全て用意してくれる。ここにかかれば蛙も美女に、が売り文句の総合美容店。
ルルは可愛い。女のシアから見てもそう思うくらいだ。勿論、リズには一歩届かないが、それは仕方がない。
シアは、ルルが更に可愛らしくなる様を想像して、早くも抱きつきたくなる気持ちをぐっと堪えた。
入り口が開き、からん、と来店の音がする。
「お、やってんな」
シアが入り口へ向くと、そこには少し前に出て行ったライヤー。
「とりあえず使えそうな物を買ってきたぜ」
「使えそうな物?」
一体なんだろう、とシアが立ち上がって、ライヤーの持つ袋を覗き込もうとした。
しかし、ライヤーは袋を高く掲げて、シアに中身を見せない。
「シアにはちょっと早いな、うん」
一体、袋の中身は何だろう。シアは首を傾げる。
「一体、何が入ってるんですか?」
「秘密。大きくなったら教えてやるよ」
ついさっき、シアは大人だから、と言ったのに、今は子供だから、と見せてくれない。
そんな大人に理不尽さを感じるが、シアは渋々箱に座りなおす。
ライヤーは袋を持って、髪の毛を梳かれているルルの隣に立つ。
「お嬢ちゃん、色々買ったんだが、どれが良い?」
「何がよ?」
ルルは鬱陶しそうに答え、開かれた袋を覗き込む。
「…………なにこれ?」
「あれ? ちっ、お嬢ちゃんにも早かったか」
望んだ反応を得られなかったらしいライヤーは、つまらなさそうに袋をルルの膝の上に置いた。
同じく袋の中身を見たらしいローライが、シアをちらりと見た後、そっとルルに耳打ちをする。
鏡に映るルルの顔は徐々に赤くなって、最終的に爆発した。
「そんな物使うかっ! あんた達馬鹿じゃないの!?」
「使うだろ、普通。なあ、ローラン」
「使いますよねぇ。まあ、私は使われる側ですが」
膝に置かれた袋を叩き落とし、信じられない物を見たような顔でローライを見つめるルル。悪戯が成功した子供のような満足げな表情で頷くライヤー。ローライは大人の笑みを浮かべた後、ルルの顔を鏡へと向きなおさせる。
落ちた袋からは棒状の物体が出ているが、シアにはそれが一体何なのか分からない。
ライヤーは袋を拾って床に置き、近くの台に背を預ける。
「さて、ローライ。最近はどうなんだ? 繁盛してんのか?」
「はい、おかげさまで。この辺りは人の出入りが激しいので、固定客がつくか心配してたんですが、杞憂だったみたいです」
「そりや、お前の腕が良いからだろう」
「もったいないお言葉です」
ローライは苦笑しながらルルの髪の毛を整えていく。ルルの髪の毛は首元くらいの長さだが、ローライは丁寧に髪に手を加えていく。
漆黒の髪は、次第に輝きを放ち始める。黒でありながら光を返しているのだ。
その髪だけで宝石よりも価値がある。そう思わせるほどに、ルルの髪は変化した。本人は未だに呆けているが。
「へえ、こんなになるもんなんだな」
「この子の髪は特別ですからね。普段からお手入れしておけば、もっと良くなりますよ」
ライヤーとローライは旧知らしい。ルルは動けない。
魔法のような手際は面白いが、邪魔をしてはいけないから近くで見る事が出来ない。店の中は一通り見終えた。シアは外に行きたくなってきたが、勝手に外に出てはいけない。
シアは、ここで重大な事実を思い出す。
今は屋敷の中でもない。外に出る事を咎める人もいない。
そう、外に出てもいいのだ。
そうと分かれば早く外に出よう。時間は有限だし、まだまだ外の街を見て回りたい。
シアはそっと立ち上がった。別に悪い事をする訳ではないが、心のどこかで罪悪感を感じている。それはきっと、今まで外に出てはいけない、と言われ続けたからだろう。だから気にすることは無い。
ルルが自分を取り戻し、大きな声を上げる。
「ちょっ……! なんであんなもの買ったのよ! ていうかあんなものが入るわけ……」
扉を開けると鳴る、からん、という音は、その声にかき消された。
「しかし、ほんと良く食うなぁ」
英二は呆れを含んだ声で、目の前の淑女に話しかける。
淑女のリズは口の中の物を飲み込み、優雅にフォークを皿の上に置いた。
「ふう。ここのご飯はまずまず、かな」
「これだけ食ってまずまずかよ」
フォークの置かれた皿の下には、更に大きな皿がいくつも重ねられている。とても二人で食べたとは思えない程の量だが、そのほとんどリズのお腹に収まっている。英二は大目に見ても一皿分くらいしか食べていない。
「個人的にはもう少し濃い味が好きなんだけど、ここは総じて薄味だったから。あ、でも、不味いって事じゃないよ。十分に美味しい料理だった」
その言葉を裏付けるように、リズの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「さて、そろそろ戻ろうかな。シアが退屈してないといいけど」
「ルルと街に出てるんじゃないか? なんだかんだ言って、ルルは頼まれたら連れていきそうだ」
「かもしれないね。でも、この街はまだ安全だから大丈夫だよ。流石にシア一人ではないだろうし」
リズは窓へと視線を移す。英二もつられて外を見る。日が傾き、空は僅かに赤く染まり始めていた。
英二は腰についた短剣にそっと触れる。つけた時は異物感しか無かったが、今ではもうこの重みに慣れ始めている。
少し間をおいて、リズはぽつりと言った。
「今まで自由にしてあげられなかったから、シアにはこの旅を楽しんで欲しい」
英二は立ち上がりながら言葉を返す。
「じゃあ、まずは俺達が楽しまないとな」
楽しい気持ちは伝染する。誰かに楽しんで貰う時には、まずは自分が楽しむべきだ。そんな意味を込めた軽い言葉。
リズは外を見たまま頷いた。
「そう、だね。うん」
遅めの昼食、または早めの夕食は終わりだ。リズは立ち上がる。
「それじゃ、先に外で待っててくれないかい? 支払いをしてくるよ」
「分かった。いつも悪いな」
それだけ言って、英二はあっさりと店の出口へと歩き出す。経済的には寄生も良いところだ。最初の頃は男のプライドが邪魔をして、申し訳ない気持ちになっていたが、そろそろ開き直りつつある。
扉を開けて通りに立つ。ようやく人通りのピークも過ぎ、道が見渡せるようになってきた。
リズを待つ間、何気なく通りを歩く人を眺める。
嬉しそうな顔の女の子。笑い合いながら歩いている男達。ベンチで居眠りをしている老人。
そこに見知った少女が、ウェーブがかった金髪を揺らしながら通り過ぎた。
「シア?」
思わずその少女の名前が口に出る。周りを見渡しても、少女以外に見知った人間はいない。つまりは一人。
さっきの会話を思い出す。ルルと一緒か、と周りを見てもどこにも見えない。ライヤーもいない。
振り向いて、ついさっき出てきた扉を見る。まだリズは出てこない。
そうこうする間に、シアは狭い曲がり道に入って見えなくなった。
もし、シアが一人で迷子になったら一大事だ。しかし、リズなら一人にしても問題は無い。自分がいなくなって戸惑うかもしれないが、一旦宿に戻るだろう。その時に事情を話せばいい。
英二はそう判断して、小走りでシアの消えた先へと向かった。
少し経って、店の扉が開いた。中からリズが姿を出す。
「エイジ?」
いるはずの人間がいない。それは奇妙な事実。
その事実に嫌な気配を感じながら、リズは英二を探すために足を踏み出した。