二話
雑多の街、ファフィリアはその名の通り、色んなものがごちゃ混ぜの街だ。人、物、街並みすら節操無く移り変わる。
その中の安くもないが高くもない、普通の宿屋に五人はいる。。
「部屋は取ったよ。行こうか」
宿の支払いを終えた黒い瞳のリズは、二つの鍵を見せながら英二達に移動を促した。
ライヤーとシアはリズに先導され階段を上る。軽く文句を言いながらルルもついていく。
英二は最後尾で上る途中、ふと立ち止まって窓から街を見た。
人通りの多い、細く入り組んだ通り。真新しい白い壁の隣に、大きな染みの付いた汚い塀。雑多の街だけあってごちゃごちゃしている。英二はそんな印象を持った。
乗って来たナルバと荷台は、さっき御者の人と共に別れた。彼らもこの街のどこかにいるのだろう。
「ぼさっとしてないで行くわよ」
「ああ」
階段の上で振り向いているルルに返事をして、英二は足を進めた。
階段を登ると二つの扉。その前にリズは立ち、英二達に二つの鍵を見せる。
「借りたのは二部屋だから、男女で分かれよう」
英二は頷いて鍵を受け取るが、リズの隣に立つルルが不満の声を上げる。
「あんた金持ちなんでしょ? 一人一部屋くらい借りなさいよね」
「あんまりバラバラでも面倒だよ。ま、この位の不便は勘弁してくれないかい?」
リズは言いながら部屋の鍵を開ける。ルルは不満気な表情のまま部屋に入った。とにかくルルはリズに突っかかる事が多い。あしらいも慣れたものだ。
「じゃ、私達はこっちにいるから、何かあったら声をかけてくれ。次の街への出発は明日の朝。それまでは各自自由にしよう。ああ、英二は荷物を置いたら私の所に」
「了解」
「この街は色んな物がある。少し買い物に行こう。さ、シア、入ろうか」
リズもシアの手を取って部屋へと入る。英二も同じように鍵を開け、部屋の中へと歩を進めた。
小綺麗な部屋には二つのベッド。リズの住んでいた皇居のような豪華さは無いが、十分まともな部屋だ。
ライヤーは荷物を置き、ベッドに飛び込むように座った。
「各自自由、ね。皇帝姫さんは俺が逃げ出すとは考えないのかね」
「信用されてるんじゃないか?」
英二も荷物を足元に置いて、近くの椅子に座る。
脚を組み、頬杖をつくライヤー。獰猛な笑み。
「信用? はっ、どこから見たらそんな風に見えるんだ?」
「ほら、ミスリム商会の地下で告白してたし、情みたいなものが芽生えてきた、とか」
英二の発言にライヤーは堪えきれずに噴き出した。
「くはっ、無いだろっ。あんな言葉に惑わされる程『皇帝姫』はヤワじゃない。確かに良い女だが、俺とは絶望的に相性が悪いらしいし。くくっ」
ツボに入ったらしいライヤーはなかなか笑いが止まらない。そこそこ真面目に答えた英二は恥ずかしそうに頭をかいた。
「なんだ、あれ嘘だったのか。てっきり本当だと思ってたのに」
「純情な奴だな、おい。くくっ」
笑いの発作が治まってきたライヤーは、諭すように言う。
「あんなの牽制みたいなもんだろ。そんな言葉を投げかけられて情なんか湧いたら、頭を疑うね」
自分の頭を指差すライヤー。この男は想像以上の食わせ者らしい。
そんな飄々としたライヤーに、英二はむしろ信用を置いている。
「でも、ライヤーは逃げないんだろ?」
「まあな」
その言動や行動に反して、ライヤーは真っ直ぐだ。そんな所に英二は好感を持っている。例え、犯罪組織の頭領だろうと関係無い。そもそもその組織すら義憤の為であるのだ。
勢い良くベッドに背中を預けたライヤーは、ぽつりとこぼす。
「あー、今夜は酒でも飲みにいくかな。……英二、お前も来るか?」
「酒? うーん……」
甘酒などは飲んだ事があるが、今までちゃんとした酒を飲んだ事は無い。
本来なら未成年だからいけないが、ここは異世界。日本の法律を守る必要は無い。
一応確認だけは、と英二は訊いてみる。
「俺、まだ十七なんだけど」
「ん? ああ、知らねえのか。この国は十六から飲酒していいんだ」
郷に入りては郷に従え。つまりは合法。
未知への興味も手伝って、英二はすんなりと決めた。
「よし、行く。でも今まで飲んだこと無いから、お手柔らかにな」
「ははっ、何をお手柔らかにするんだよ」
ライヤーが笑い声を上げる。つられて英二も笑った。
扉からノックの音。英二が振り向くと、荷物を置いたリズが部屋に入ってきた。
「エイジ、遅いから迎えに来たよ」
「あ、悪い。ライヤーと話し込んでた」
そういえば荷物を置いたら来い、と言われていた。英二は椅子から立ち上がる。
ベッドにだらしなく寝転がるライヤーが思い出したように言う。
「あ、リズ。今夜飲みに行くから、金くれ」
遠慮の無い物言いだが、リズが気にした様子は無い。ただ僅かに眉を顰めた。
「率直というかなんというか……」
「エイジに夜の楽しみを教えてやるんだ。ちょっとくらい良いだろ。なんならお前も来るか?」
「うーん…………。シアもいるし、後で決めるよ」
そうか、とライヤーは起き上がって、片手をリズに突き出した。しかし、リズは無視して英二と部屋から出ようとする。
「…………あれ。金は?」
「今渡したら別の事に使うから。大体、いくらかは持ってるだろう? それで遊んだらいい」
「ぐっ、何故バレてやがる……。ったく、じゃあ寝とくわ、俺」
ふて寝を始めるライヤーを尻目に、二人は部屋を出る。
似た者同士のやりとりに苦笑していた英二は、階段を降りながらリズに話しかけた。
「それで、買い物だっけ」
「ああ、色々と必要だろう?」
問われて考える。自分の荷物はリズが用意してくれた分しかないが、かといって今のところ不自由はしていない。
「そう言われても、別に何も思い浮かばないけどな……」
リズの高い位置で結われている髪が、目の前で歩みに合わせて揺れる。いわゆるポニーテールというやつが、リズの標準だ。
その長く、癖の無い金の尾が、くるりと向こうに移動した。
「まあ、街に出れば見つかるよ。ここは雑多の街ファフィリアだからね」
階段の段差のせいで見上げられる形になった英二。紅い瞳でなくとも、その容姿は十分すぎるほど人目を惹く。
そしてその瞳は、先への期待に光り輝いている。
「……飯とか、色々あるんだろうな」
「おおっ、エイジもやっぱりそう思うかい!? この街は隠れた名店が多いらしくて、宿に来る途中にも良さげな店がちらほらあったんだよ! やっぱり旅は食だね、食! 今から涎が……失礼、淑女らしくないね。あっ、でも今は別に上品に振舞う必要も…………」
堰を切ったように話し出すリズ。何のことは無い。ただ自分が食べ歩きたかっただけらしい。
話を聞いていると英二もお腹が空いてきた。
未知の世界の未知の街。そこの食べ物はどんな味だろう。
少しだけ期待に胸を膨らませて、もしくは大きく胸を膨らませて、英二達は宿屋を後にした。
ルル・トロンは好き嫌いが激しい性格だ。お金が好き。自由が好き。偉い奴は嫌い。
「ルルさん、旅ってなんだかわくわくしますねっ。わたし、こんな風に家から外に出るの初めてです!」
ちなみに、子供は苦手だ。
部屋に入ってからもじゃれついてくるシア。自分よりも貧弱で、か弱い存在。その手をルルは払えない。
そういう所が苦手なのよ、と思いながらもルルは渋々相手をする。
「そう、だからあんたって、世間知らずそうな間抜けな顔してるのね」
「はいっ、だからルルさん、色々教えて下さいね!」
ベッドに座っているルルを見上げるシアは、疑う事を知らないような純真な笑顔。皮肉も通じない。
ルルは諦めに似た感情を感じながら、されるがままにシアに抱きつかれる。きゃー、とやたらテンションの高いシアは、ぐりぐりと顔をルルの腹に押し付けた。
どうしてこの小さな皇女は、こんなにも自分に懐いているのか。お世辞にも自分は愛想が良いとは言えないし、出会った時期もごく最近。好かれる要素は皆無の筈。
ルルがそんな事を思いながら、シアの無防備な背中を軽くつねる。シアは嬉しそうに声を上げて体全体をルルに預けようとする。
顔を押しつけるな、という意味を込めたその行動は、まるきり逆の結果をもたらした。子供は謎だ。
「ちょっと、もう少し落ち着きなさいよ」
「落ち着いてます!」
「…………落ち着いてないって……」
器用に体を移動させ、ルルの膝の上で向かい合うように座るシア。
小柄なルルよりも更に小柄なシアだが、こうなれば視線は同じ高さだ。琥珀色のシアの瞳は真っ直ぐにルルを見て、また笑顔になる。
思わず視線を逸らしたルルに、シアは上機嫌に言った。
「ルルさん、この街はどんな所なんですか?」
「どんな所って……知らないわよ。あたしはこの国の人間じゃないし」
「そうなんですか?」
「クジュウからこの大陸に来て、丁度この国の国境辺りで…………まあ、色々あって直接首都に来たのよ。だから知らないわ」
国境辺りで人さらいに捕まり奴隷市に出された、とは流石に子供に言えない。ルルは濁しながら答えた。
その説明にシアは納得して、次の疑問をぶつける。
「ルルさんは、クジュウからどうしてこの大陸まで来たんですか?」
本当に純粋な疑問だったのだろう。だが、その言葉はルルの胸を強く抉った。
「……人を捜してたのよ。まあ、見つかったからもういいんだけど」
「見つかったって、もしかしてエイジさんですか!?」
「そんな訳無いわよ。やっぱりあんたは馬鹿ね」
「ば、馬鹿じゃないですよっ!」
むすっとした顔になるシアだが、部屋の扉をノックする音が聞こえると、一転して興味津々な表情をルルに近付ける。
「あのっ、わたし、開けてきてもいいですか?」
「ていうかあんたが開けなさい。あたしは面倒だし」
「ありがとうございますっ!」
無垢な笑顔を浮かべて、シアはルルの上から降りようとする。しかし、どうも上手くバランスがとれず、ルルを掴む手を離せない。
そのもたもたした動きに耐えられず、ルルはシアを持ち上げて床に降ろす。
もう一度礼を言って、シアは扉へと小走りで駆けて行く。その小さな背中を見て、何であたしが相手しているんだろう、とルルは何度目になるか分からない疑問を抱いた。
「ライヤーさん、どうぞ!」
「お、こりゃ可愛らしい出迎えだ」
扉が開いて見えたのは、短く逆立った赤毛。
ライヤーはシアを褒めた後、部屋には入らずルルに話しかけた。
「お嬢ちゃん、暇だからエイジ達でも追いかけようぜ」
「悪趣味だし、あんたと一緒にいるのが嫌だから却下」
ルルは間髪入れずに返答した。
そもそも、ルルはこの旅の連中と仲良くするつもりはない。必要以上に行動を共にするなどもってのほかだ。
その意志を知ってか知らずか、ライヤーは不敵に笑う。
「まあまあ、別に仲良しこよししましょう、って訳じゃねえんだ。ただ、もしかしたらあの皇帝姫のあられもない秘密なんか見れるかもよ」
「お姉さまは見られて恥ずかしい秘密なんてありません!」
シアが大声で否定する中、ルルの猫のような目が細められる。
あのいけすかない皇女はいつも余裕たっぷりで、嫌な奴だ。命を助けられたかもしれないが、感謝などしない。
「ふーん。まあ、それなら行くわ。ただし、ついでになんか買って」
嫌いな奴には優位に立ちたい。ルルはライヤーも嫌いだ。
「おう、良いぜ。シアも来るか?」
「そんな、お姉さまを内緒で追いかけるなんて…………」
「そんな大した事じゃねえよ。それにお姉さまには秘密なんて無いんだろう? だったらシアが信じてやらないと、お姉さまが可哀想だ」
「あ、あれ? わたし、お姉さまを疑って…………?」
混乱してきたのか、しどろもどろなシア。更にライヤーは追い討ちをかける。
「ついでにシアにも何か買ってやる。この街は色々あるからな。食べ物とかもおいしいぞ?」
「た、食べ物……」
「通りじゃ大道芸人が世にも奇妙な技を見せてくれるし、きっと楽しいぞ? ほら、お姉さまの為にも、みんなで街に行こうや」
「…………そ、そうですよね! わたし、街に行きます! ここなら警備の兵隊さんもいないし、街に出られるんですから!」
お姉さまのためにっ、と間違った決意を固めるシアの目は、まだ見ぬ魅惑の光景に爛々と輝いている。
よく言うわ、とルルは思いながら、立ち上がって部屋の鍵を取った。
「んじゃ、決まったならさっさと行くわよ。あいつらが出たの結構前だし、見つけるのも骨だわ」
シアもルルも普通の街人の格好だ。変に目立つ事も無いだろう。
最後に黒い杖を入れた袋を背中に背負って、ルルは部屋から出る。特に持ち物の無いシアは先に出て、ライヤーと話していた。
「ライヤーさんって、有名人だからお金持ってるんですか?」
「まあな。だから、あんまり外で俺の名前を言っちゃいけないぜ? 有名人だから、人が集まって街を見れなくなる」
ばっ、と慌てて自分の口を塞ぐシアに、ライヤーは笑いを零す。
「いや、ライヤーくらいは大丈夫だ。姓まで呼ばれると流石にマズいが」
「わ、分かりました。……あれ、ライヤーさんの姓って何でしたっけ?」
「ははっ、忘れてるならそっちの方が良いだろ。秘密にしとくわ」
和やかに話す二人は、実は非常に危険な会話をしている。ライヤーは有名人だが、それは悪い意味での有名人なのだ。シアが知れば悲しむだろう。
「あんたって、詐欺師みたいな奴ね」
鍵を閉め、二人の会話を聞いていたルルは思わず口を挟む。
ライヤーはその言葉に破顔して、自信たっぷりに言った。
「おう、何故なら俺の名前はライヤー…………だからな!」
「あっ、今、隠しましたね! ずるい!」
はははっ、と笑うライヤーとシアは楽しそうだ。案外、この二人の相性は良いかも知れない。
和やかな雰囲気。どうにも受け付けない。
ついさっき鍵を閉めたルルは、早くも部屋に戻りたくなった。