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九話

「じゃあ、そういう事だから。出発は明日の早朝。各自、準備をしておいてくれ」


 リズは立ち上がりながら、そう締めくくる。

 ルルは不満を顔に浮かべながらも、帰る手段はこれしかない、と渋々納得した。ライヤーは何が可笑しいのか、口元に笑みを浮かべて菓子を摘む。

 英二とシアにも異論は無い。明日の早朝には、全員揃ってこのアリスナを出発するだろう。


 リズは場を後にして、皇居へと入る。

 このリズが住む屋敷は、アリスナに五つある皇族の住処の内の一つ、第三皇居と呼ばれている。

 皇居と呼ばれるからには、内装も外見も豪華で贅沢な造りをしている。それは立場のある者の義務であるし、リズに不満は無い。

 ただ、豪華にということは敷地も広い。必然的に廊下も長くなる。時折、鬱陶しく感じてしまうこともある。


「姫様、本当に大丈夫ですかい? エイジ・タカミヤはともかく、ライヤー・ワンダーランドとシア嬢ちゃんまで一緒に連れて行くなんて」


 その廊下の途中で警備兵、ダリアは細身の体を壁に預けてリズに話しかけた。丁寧とは言い難い言葉遣いだが、リズに気にした様子は無い。

 皇女と警備兵、という立場の違いは大きいが、リズはこの男が、不遜な態度の下に鋭い牙を隠し持っている事を知っている。人を見る目は自信がある。


「ライヤー・ワンダーランドは問題無い。魔具が壊れている以上、私の敵ではないよ。シアは…………私が一緒に居ないと、駄目だ」


 リズは振り向き、自分が歩いてきた方向を見た。自分が妹に甘いのは重々承知している。それが弱点になり得ることも。

だが、そういう損得の感情とは別に、リズはシアを傍から離したくないのだ。


 シアミトル・フラムベイン。存在してはならない娘。皇族であれば必ず持っていなければならない、紅い瞳を持ちえなかった娘。

 リズの母であるマリレアがシアを産んだ時、その琥珀色の瞳を見た彼女は言った。


『これは違う』


 絶叫にも似たその呪詛。隣室でそれを聞いた幼いリズには意味が分からなかったが、時が経った今は分かりたくない事まで理解できる。

 皇帝の血をひけば瞳は紅くなる。例外は、無い。ならば答えは必然。シアは皇帝の子では無い、別の男の子供なのだ。あってはならない事態。


 あってはならないなら、消せばいい。周囲は何も言わず、出産自体を無かった事にした。しかし、ほとんど公然の秘密のようなものだ。そんなシアの扱いを、リズは納得できなかった。幼いながらもリズはシアを守り、屋敷の中だけでも、と仮初の自由を作ったのだ。

 マリレアはシアを産んだ日を境にどこかが壊れ、麻薬『マタニティ』に手を出した。止めさせようと注意していてもどこからか入手し、今では薬物中毒の末期症状を引き起こしている。正直、もうどうにもならないとリズは理解しているし、シアを捨てた母にくぐもった感情も感じている。だが、それでも見捨てることは出来ない。


 リズにとって母親は大事だ。そして誰の子だろうとも、妹のシアを愛している。義務にも似た、しかし義務などよりも強い感情。

 母は長くは持たないだろう。そして、妹を守るのは自分だ。その為にも自分は皇帝にならなければならない。


 この国を安らかな国にする。シアやルル、弾圧される民達。そんな持たざる者が大手を振って名乗れるような、安寧の国に。

 それがこの一週間で出したリズの新しい目標。ルルと話して、ライヤーから聞いて、揺らいだ自分に突き通す新たな鉄柱。

 そのために旅をするのだ。本当の自分の目で見て、何が良くて何が悪いのかを判断しなくてはならない。


 リズはダリアに向き直る。


「ダリア、貴様はマリレア様を南の『カイロウ』に移動させろ。あそこなら安全だからな。そして、その場の指揮の全権を任せる。明日の夜に来るラック・ムエルダの襲撃までには、絶対に間に合わせろ」


「っ! 了解しましたっ」


 国を守る、では駄目なのだ。それでは変わらない。国を壊し、作り変えることが必要だ。


 明日の夜、ラック・ムエルダがここに襲撃してくる。事前に調べさせて正解だった。あの会場でラック・ムエルダの秘密を握ったリズは、もはや敵と認識されているらしい。シアの事を考えると、ここを離れるのが最良だ。あの子にはこの世界の残酷さを見せてはいけないのだ。汚い部分を自分が背負う代わりに、世界は楽しいものだ、と教えなければ。それも旅に出る理由。

 

 ダリアの敬礼を横に、リズは歩き始める。その姿には、覚悟を決めた王者のみが持ち得る荘厳さを漂わせていた。







 緊張した背筋を緩め、ダリアは息を吐く。


「…………思わず敬礼しちまった」


 一週間前の事件。あれからリズが何やら裏で動いていた事は知っている。ライヤー・ワンダーランドやルル・トロンの事とは別件ということまではダリアの耳にも入っていた。

 また何か火遊びをしているのか、と思っていたが、違うらしい。


「ラック・ムエルダ」


 ダリアの口から無意識に漏れる、この国の重要人物。皇帝を除けば、この国のトップと言っても過言ではない名前。慌てて長い廊下を見回す。幸い、誰もいない。


(ラック・ムエルダが襲撃に来る。そしてそれを予期しているリズ・クライス・フラムベイン。この前のミスリム商会が崩壊した事件)


 リズはあの場の、崩壊した地下に居た。

 おぼろげながら全容が見えてくる。ラック・ムエルダとリズは敵対した。そしてラック・ムエルダの秘密をリズは握っている。だから襲撃に来るのだ。普通、皇居を襲撃など考えられないが、それ程大きな秘密なのだろう。

 ラック・ムエルダとリズ・クライス・フラムベイン。立場はリズが上だが、人脈、権力、実績においてはラック・ムエルダの圧勝である。


 ダリアは勝ち馬に乗る主義だ。その主義に沿うならば、ここは裏切ってラック・ムエルダにつくべきだろう。


 しかし、とダリアは考える。

 リズからの命令は急過ぎるし、大きすぎる。普段あまり真面目では無い自分に任せるのは無謀。そう、自分を知る者ならば任せない。例え、本当は遂行出来る能力があっても。


(しかし、姫様は俺に任せた。一体、どこまで知っている?)


 ダリアは懐に隠した鍵を、鎧の上から押さえる。そもそも命令自体、ある程度事情を知っている者にしか言えないだろう。国家反逆とも取られない命令なのだ。自棄になって自分に命令した、と思うにはリズは落ち着いていたし、そんな性格では無い、ということをダリアはモッズから嫌と言うほど聞かされている。


 底の見えない皇女か、現宰相か。


「ダリア、どうしたんだ? こんな場所で考え込んで」


 ダリアは突然かけられた声に、反射的に剣を抜きそうになる。

 それをどうにか押し止めて、話しかけてきた同僚のモッズに、努めて平静な動きを返した。


「いや、今日も平和だから、厨房に菓子でも貰いに行こうかと思ってたんだ」


「またそうやってサボる事ばかり考える。お前はそれしか無いのか」


「生憎、それでもお前より立場は上だ」


「くっ……! すぐに追い抜いてやるっ!」


 モッズは太い腕に力を入れてダリアに反論する。普段通りの会話に、ダリアの肩から若干緊張が抜けた。


「今から休憩か?」


「ああ、お前も仕事をしろ」


「うっさい。俺の仕事は、お前達がちゃんと働いてるか見ることなんだ」


 軽い世間話をしながらもダリアは考える。この先どうするべきか。どこに自分は歩を進め、立ち位置を決めるべき。


 ふと思い付いて、ダリアは質問を投げかける。


「モッズ、例えばの話だ。帰りの道と行きの道。帰りの道はある程度の財貨と安全。行きの道にはまだ見ぬ栄光と、全てを失う危険がある。二つの道があったとして、お前ならどっちに行く?」


「なんだ、その質問は?」


「いいから、答えろよ」


 訳が分からん、と言いながらもモッズは腕を組み思案する。姫様か剣か、どちらかの話題でしか滑らかに動かない口が、神妙に開く。


「行きの道」


「何故だ?」


「簡単だ。帰りは見てきた風景しか無いのだろう? ならば行きの道を行くべきだ。新たな景色を見るために」


 ダリアは思わずモッズの顔をまじまじと見てしまった。堅物の友人にしては気の利き過ぎた返答。いつもならばもっと簡潔で、つまらない返ししかしない男なのに。

 そんなダリアの胸中を感じ取ったのか、モッズは舌打ちして顔を逸らした。


「やはりこういう含みを持たせた物言いは、俺には合わん」


「あ、ああ、俺もそう思う。一体どんな心境の変化だ?」


 モッズは眉を顰めたまま答えない。ダリアはそんな友人の横顔を見て推測する。

 変化。最近起こった事。モッズが敬愛してやまない人物。

 誰も知らない筈の、目の前の一年間共に過ごした同僚さえ知らないダリアの優秀な頭脳が答えを弾き出す。


「…………もしかして、最近姫様が男と仲良くしだしたから、今の内に気に入られようとしている、とか?」


 一週間前の事件。あれからこの皇居に居ついている男二人。特にクジュウの民の少年はリズと親しい。いや、リズが親しくしようとしている、と言った方が正しいか。逢い引き等の直接的な証拠は無いが、その名前はリズの話の中に多く出てくるようになった。

 それに気付いたモッズが焦るのは自明の理。だからあんなリズのような言い回しを真似してまで、気に入られようとしたのだ。

 その推測は図星だったらしい。みるみるうちにモッズの顔が羞恥で赤くなる。ダリアはモッズの鍛えられた胸板を軽く叩いた。


「その愛しの姫様からの命令だ。今から皇居の全ての人員に召集をかけろ。他の仕事はいい、最優先だ」


「……本当に姫様の命令か?」


「本当だ」


 ダリアの急な命令に訝しげな視線を向けるモッズ。しかし、その命令が冗談ではないと分かると敬礼を一つ。モッズは素早く警備兵達の集まる休憩所へと駆け出していった。


「行きの道と、帰りの道」


 リズの命令に従う、という事はラック・ムエルダと対立するという事。しかし、ダリアはリズの側を選んだ。

 ラック・ムエルダに付けば報酬は大きいだろう。それだけの秘密だから躍起になって襲撃してくるのだろうし、その成功の立役者になればある程度の信用は得られる。

 だが、それだけだ。裏切り者として移動すれば、それ以上は望めない。 

 しかし、もし万が一リズが勝ち、皇帝になったとしたら。

 皇帝に目をかけられる、ということは今の立場より格段に上を望める。大隊長、いや将軍にすら手が届くかもしれない。


 いつも仕事をサボってばかりの男にも、純粋な頃があった。それは幼い日に交わした、小さな小さな約束だ。

 相手は忘れているだろう。いや、それどころか生きてさえいるか怪しい。ただ、自分は覚えている。正確にはついさっき、その約束を胸の古ぼけた棚から出したのだ。


 ――きっとえらい人になって、きみをむかえに行くよ! えらい人だから、きみがはたらかなくてすむ!


 淡い初恋。笑ってしまうくらい陳腐な約束で、果たすことが出来ないであろう約束。腕に大きな怪我をした少女を、元気付けるために言っただけ。あの頃はその言葉の重さや、大変さなんて分からなかった。

 

 今までのダリアならこの機会に主人を乗り換えているだろう。ついでにリズの弱点であるシアミトル・フラムベインでも手土産に持って。ダリア・トールドとはそういう男だし、事実そういう人生を歩んできた。子供の時も、家を捨てた時も、戦争でも。


「どうせ人には果てがある。ならば、まだ見たことの無い風景を探すのも悪くない。そういう事にしとくか。けっ、似合わねえな」


 ダリアは久しく感じていなかった高揚感を覚え、思わず独り言を零す。新しい言葉を、ゆっくりと自分に染み込ませるように。今までの自分を覆い隠すように。

 そして肩を一度ぐるりと回して、自分の仕事をするために、早足で歩きだした。







 フラムベイン帝国は今、緩やかな実りの季節が包み込もうとしているオクトバの月だ。


 そんな穏やかな空気の中、『皇帝姫』と名高いリズ・クライス・フラムベインが住む第三皇居が賊に襲撃される。その報は瞬く間に広く国民の耳に知れ渡った。

 その話では、運良くリズ・クライス・フラムベインは同日に旅に出ていて、それに合わせて皇居の使用人達も暇が出ており、奇跡的に人的被害はなかったらしい。

 戦争の無い久しぶりの実りの季節だ。雲の上の話は忙しい生活の雑音で掻き消えていく。国民は一月後には忘れてしまうだろう。



 人々の道が交わるのは、もう少し先の話だ。








 一章       了

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