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可塑世界の監視者(八)

   (八)


 翌、月曜の朝。一時限目の授業の前に、僕と栄重は学長室に呼び出された。

「抗議?」

「いえ、そんな大げさな話では……」

 驚く僕に弓井先生は困り顔で言いかけたが、同席した担任は「抗議ですよ」と切って捨てた。

 学長室の大きな机に神父さまが着き、その左右に先生方。それと対面する格好で、僕等は机の前に立たされている。

 神父さまはおっとりと口を開く。

「とある会社の方から、お電話を頂きました。社の敷地に頻繁に入り込む学生がいて、お困りだそうです。心当たりがありますね?」

 あり過ぎて、僕と栄重は思わず顔を見合わせた。それがおかしかったのか、弓井先生は拳にした手を口に当て、笑ってしまったのを隠して言う。

「わたしが電話を受けました。どんな学生かと尋ねられて、困ってしまって。硯深くんはともかく、栄重くんはね」

「いい子だろ、最近は」

「栄重!」

 担任が手にした出席簿で栄重の頭をバシリと叩く。それを「住倉(すみくら)先生!」と、神父さまと弓井先生が同時にたしなめた。

「君達は伝統ある我が校の生徒であると言う事を、忘れない様に。節度ある行動を心がけて下さい」

 神父さまはそれだけ言って、僕等を意外とあっさり解放してくれた。一緒に学長室を出た担任は、学長たちは甘過ぎると不満げに一人ぶつぶつと言っている。

「つながったなァ……」

 これはボソリと、栄重が呟く。

 つながってしまった。僕は頷き、廊下から見える校庭に眼を移す。

 まだ朝だと言うのに太陽はすでに熱く、地面に濃い影を落としている。一応は梅雨だと言われていたが、陽射しだけ見ればすっかり夏に近かった。

 学校に抗議の電話を入れたのは、多分成半さんだろうと思う。榊末さんは興味がないだろうし、歌生さんが抗議するとは思えない。

 しかし誰がしたにしろ、縁ができてしまった。僕を介さず、この学校とのつながりが。

 そのきっかけを作ったのが自分だと言う事に、苦いものを覚える。

 榊末さんを殺害するのは、この学校の誰かである可能性が高い。昨日、僕達はそう言う結論に至っていた。だから余計に。

 教室に入り席に着くと、出欠を取る担任の声を聞きながら僕は鞄に手を伸ばした。

 机の横に引っかけた鞄には、今もあのナイフが入っている。そのはずだが、ちゃんとあるかどうか確かめずにいられない。

 どこかに隠してしまおうかとも考えたが、それは不安でできなかった。隠しても、捨てても、誰の眼にも触れないと言う保証はない。

 それならいっそ、すぐに確認できる身近にあるほうがまだいいと思う。

 僕は鞄の底のタオルに触れ、その内にくるまれた薄く硬いナイフの感触を確認した。小さく安堵の息を吐き、鞄を閉める。

 きっと栄重は真後ろの席で、呆れ半分にこれを見ているに違いない。

 ナイフの扱いについて、僕等は対立した。川にでも捨ててしまえ、と言うのが彼の意見だ。

 そうなのだろうか。そうかも知れない。でも、思い切れない。

 ――後から思えば、この時点ですでに僕はある種の覚悟をしていなくてはならなかった。

 もっと注意深く、もっと慎重になるべきだったのだ。

 そうならせめて、予感めいたものくらい感じ取れたかも知れないのに。

「住倉先生と、弓井先生が?」

 午後の授業が始まる直前、僕はクラスメートに呆然と問い返した。

「硯深、栄重と一緒に何かやったんだろ? さっき職員室行ったら、先生達が話してた」

 そしてそこで、担任と弓井先生の二人が先方にお詫びに行くと言う話を聞いたと言う。

 僕等の事で謝罪に行くなら、先方とは間違いなく榊末さんの所だ。

 血の気が引いた。

 それはこの学校の人間と、榊末さんが接触してしまうと言う事だ。まさか、こんなに早く?

 慌てて教室の中を探すが、姿がない。

「硯深?」

「栄重は? 栄重知らない?」

「さあ……。昼休みの前からいなかっただろ」

 お前等、いつの間にか仲良くなったよな。

 クラスメートは不思議そうに言ったが、答える余裕なく僕は教室を飛び出した。

 教室のドアから廊下へ出る瞬間、鞄の事が頭をかすめた。中に隠したナイフの事が。ここにおいて行くべきか? もちろん、おいて行くべきだ。

 そう思ったが、気がつくと僕は素早く鞄を掴み取って廊下に走り出していた。

 早鐘の様な心臓の音が、どくどくと耳の中で鳴っているみたいだった。

 昇降口で靴に履き替えながら、携帯電話で栄重の番号を呼び出した。すると意外にも、二回のコールで応答がある。

「どこにいるんだ!」

『……硯深か』

「住倉先生と弓井先生が、榊末さんの所に行くらしいんだ。僕も今から行く」

『ちょっと待て。何で硯深まで行くんだよ』

「栄重……」

 僕は足を止め、ぎゅっと強く目蓋を閉じた。可能性を口にするのさえ勇気がいる。

「今日かも知れない」

『行くな、硯深』

「榊末さんが死ぬのは、今日かも知れないんだよ」

 行くな、と。

 繰り返し止める栄重の言葉を最後まで聞かず、通話を切る。あの様子では、一緒に来て欲しいとは頼めそうになかった。

 何度か深い呼吸を試したが、速まった鼓動は落ち着いてくれない。不安と、恐怖と、そして少しだけの高揚と。

 それらに胸を満たされながら、僕は太陽の下に駆け出した。


   *


 僕が着いた時すでに用件を終え、二人は建物の外で見送られている所だった。

 道路から研究所の敷地に入って行くと、やがてその後ろ姿が見えた。

 学校を出たのもあちらが先だが、先生達は車を使った。そのため、移動時間にずいぶんの差があったらしい。

「では、どうも。生徒には良く言って聞かせますので」

 鞄を持つ手を膝の前で揃える様にし、弓井先生が頭を下げる。と、目の前の榊末さんが吹き出して笑った。

「ちょっと!」

 隣の歌生さんが強めに叩く。しかし榊末さんの視線を辿り、自分も笑いそうな顔になった。

 先生達の後ろから近づく僕は、向かい合わせに立っている榊末さんや歌生さんの位置から丸見えだ。笑っても、仕方ないか。僕がここに来たせいで先生達は謝罪してるのに、当の本人がいるんだから。

 二人の様子に、教師達は背後を確かめようと振り返る。

「硯深!」

 だが責めるみたいに呼んだのは担任ではなく、弓井先生でもなく、栄重だった。

 駅からここまで走り通し、僕もいい加減びっしょりと汗をかいていたが、栄重はそれよりも酷かった。額の汗が顔を流れ、顎の先からポタポタ落ちる。コンクリートの足元が、小さな丸で次々と染まった。

 肩で息をしながら、苦しげに問う。

「なにしてんだ」

「栄重こそ」

 オウム返しの質問には、答える気がないらしい。彼は不機嫌そうに眉を寄せ、黙ったまま僕の手を掴んだ。痛いくらいに力が強い。

「帰れ」

「栄重……?」

 この時になり、僕はようやく不審を覚えた。

 栄重は、この場所から僕を遠ざけようとはしていないか?

「何してる。は、こっちの台詞だ!」

「住倉先生」

 急に間近で声がして、僕等は頭をばしりと叩かれた。担任の隣でたしなめる弓井先生も、さすがに困った顔を見せている。

 だが、その後ろ。教師二人にくっついて歩み寄る姿に、ギクリと自分の体が強張るのを感じた。

 グレーがかった夏物のシャツ。

 榊末さんは白衣を着ていなかった。だからその服装は、僕が「視た」榊末さんの死体と酷く似ていた。

「大体、今は授業中のはずだろう!」

「もう帰るって、だから!」

 怒鳴る担任に負けず怒鳴って、栄重が僕の腕を引く。よろめきながらその手を頼り、それこそすがる様な気持ちで栄重の顔を見た。

 ――その瞬間、唐突に解った。

 同時に、栄重はいつから気がついていたのだろうと、不思議に思う。

 彼はいつでも、僕の伝えた事を僕より正しく理解する。

 栄重の眼。

 僕を見る眼が、全てを語る。

 ああ……、僕だ。

 僕が、榊末さんを殺すんだ。

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