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可塑世界の住人(一) ※番外編後日談

   (一)


 魂には匂いがある。

 いや、本当は匂いではないと思う。

 けれどもとにかく目に見えず、手で触れない何かがある。

 だから長く使った物には持ち主の魂が宿り、いなくなった後もその人を感じさせる。

 そう言う事がある。

 最初は信じてなかったが、ずっと後になってオレは知った。

 人は、絶えず魂の影を残しながら生きているのだ。

「オレのせいだ」

 事実、そうだった。

 でもベッドの上からオレを見る硯深は、それを信じていないみたいだった。

 硯深が正しかった。

 あのナイフを隠したりせず、持っているべきだったのだ。そうすれば弓井はナイフを


見付けなかったし、あの場所に運ばれる事もなかった。もしかしたら、あの人が死ぬ事


も。

 榊末を殺すのが、硯深だと誤解した。オレが招いた結果だった。

 硯深は、助けてくれたのに。

 オレがした事は……。

「栄重くん」

 不意に声を掛けられて、ぎくりと震える。火の付いたタバコが指から滑り、地面に落


ちてトンと跳ねた。

「未成年の煙草は違法ですよ」

「テメーかよ……」

 全身黒ずくめの男を見上げる。校舎の作った日影に入り、弱々しくほほ笑むのは教師


の弓井だ。

 人の来ない校舎裏。ここは、オレがタバコを吸ういつもの場所だった。それを知って


いるのが、弓井だ。

 マジメで優しげな顔をしているが、本当はどうか解らない。随分長い間オレの喫煙を


見逃した上、ご丁寧にこっそりと吸殻の始末までしていたのだ。教師として、どうなん


だそれは。

 だがさすがに、目の前で吸わせるつもりはないらしい。弓井は足元に落ちたタバコを


踏んで消し、勝手に探ったオレの制服から箱ごと見付けて没収した。

 それから少しの間、黙ったままそこに立っていた。視界の端で、黒い革靴がいつまで


も動かない。顔を上げると、こちらを見下ろす目と合った。

「硯深くんの、様子はどうですか?」

 お見舞いに行っていると聞いたので。

 そう続けた弓井を、オレは無意識に睨み付けた。なんだよ、それは。自分は行ってな


いって、そう言う事かよ。

「何でテメーは行かねェんだよ」

「わたしは……」

 また黙る。迷う様に、目を伏せて。

 その様子に、イライラする。気になるなら、自分で行って確かめればいい。どうして


そうしないんだ。硯深は、待ってるだろうと思うのに。

 この学校で、硯深が一番信頼しているのは弓井だと言っていた。

 そんなヤツが、どうして生徒の見舞いにも行かないのだろう。

「わたしには、そんな資格ありませんよ」

「は? 資格?」

 意味が解らず、投げやりに言った。

 後悔する。

「わたしの顔は、見たくないでしょう。硯深くんは……。亡くなった方と、親しかった


そうですから」

 この言葉で、やっと知った。

 あの場所に凶器を運んでしまった事を、この人は悔いている。憎まれても仕方ない、


当然だとさえ、考えているのかも知れなかった。

 じゃあ、オレは?

 責任を感じてる。オレが余計な事をしなければ、もっと違った結果になったかも知れ


ないと。

 でもだからと言って、憎まれるのも当然とは思えない。そこまでは、思えない。

 急に、自分の体が小さくなってしまったみたいだ。心細く、恐い。それに、罪悪感。

「……元気だよ」

 伏せられた目が、ぱっと開いてオレを見た。その光は、すぐに曇ってしまったが。

「元気だ。体はね」

「体、は? それはどう言う……」

 戸惑う様に、弓井が小さな声で問い返す。

 どう言う意味か?

 そんなのは、こっちが知りたい。


   *


 病室のドアを、ノックなしで開けた。

 中の人物は驚いた様に、さっとこちらに顔を向ける。

 歌生と言う女だった。

「あら。熱心な助手サンね」

「また来てんのか。仕事しろよ」

「してるわよー。今はね、脩クンを口説くのが仕事だもの」

「テメーが言うと変な意味に聞こえんだよ」

「栄重」

 ベッドの上で半身を起こし、硯深はオレに向かってそっと笑う。

「毎日来なくてもいいのに」

「来るぜ。この女が来てる内は」

「もう。どうして邪魔するの?」

 心配しなくても、切り刻んだりはしないわよ。と、歌生は物騒な事を言って唇を尖ら


せる。

 最初に考えていたよりも、この歌生と言う女はずっと厄介な人間だった。

 元はと言えば、硯深が警察に全部話した事が原因だが。アイツに取っては、正直に。

 過去や未来を「視て」しまう、自分の目の事を。その目で視た殺人事件を止めようと


、榊末達に関わった事を全て話してしまったのだ。

 当然、警察は公式にそれを信じなかった。ただ胡散臭そうに距離を置き、硯深の言動


を注意深く観察するにとどまった。まァ、常識から考えて、妥当な判断と言えるだろう


 ただ、歌生はそうしなかった。

 どこで漏れ聞いたのかは知らないが、硯深の能力の事を知ると即座に協力要請を申し


入れた。実験の、だ。

 科学者などと言う人種は、チョーノーリョクには懐疑的でも変わった脳なら見てみた


い。

 そう言うモノ、だそうだ。

 とにかくそれで、硯深が入院してからこの一ヶ月、ほとんど毎日歌生はこの病室を訪


れている。口説くと言うのは、研究対象として、と言う意味だ。

 それがどうにも面白くない。どう考えても、実験動物扱いじゃないか。だからオレは


そのジャマをするためもあって、せっせと病院に通っていると言う訳だ。

 それにしても、硯深を口説くのが仕事だとは知らなかった。てっきり個人的趣味だと


思っていたのに。こんな研究を許すなんて、あの研究所も得体が知れない。

「また来るから、考えて置いてね」

 そう言い残して帰る背中を、思い切り舌を出して見送ってやる。

「栄重」

 たしなめるみたいな声は、しかしどこか笑いを含む。

 個室だ。病室の中で二人になって、オレも硯深もほっと肩の力を抜いた。どうも自分


達以外の人間がいると、無意識に気を張っているらしい。

「まだ断ってないのかよ」

「……うん。迷ってる」

 研究に協力するつもりがあるのかと、驚いた。それが顔に出ていたらしく、硯深は困


った様な苦笑を浮かべた。

「一度、ちゃんと調べてみたいとは思うんだ。自分の頭が、どんなふうになってるか」

 でもそれは、恐いだろう。

 自分の中にある、自分でさえ見た事もない部分を白日に晒すのは。

 だが同時に、知らないと言う事だって恐いのだ。不可解な物を、身の内に飼う事だっ


て。

 迷う気持ちを、否定する事もできなかった。

「検査するにしても、アイツんとこはやめとけよ。胡散臭ェ」

「うん……考えとく……」

 どうもオレは考え事に気を取られると、知らずの内にうつむいているらしい。歯切れ


の悪い返答に顔を上げると、そこには眠そうに目をこする硯深の姿があった。

「硯深? 解ってるか?」

「大丈夫……」

 ――では、なさそうだ。

 こうなってしまうと、後でこの時の会話を覚えている事はほとんどない。そのままス


ウと静かな息を吐き、硯深は眠りの中に入って行った。

 その寝顔に向けて「おやすみ」と小さく言うと、オレは親指のツメを噛んでうつむく


 事件以降、硯深はよく眠る様になった。

 あれからひと月が経っている。

 ケガをした訳でもないと言うのに、硯深がいまだ退院を許されないのは精神面に不安


が残ると判断されているためだ。

 現実から目を背けているのだろう。心を守るために、眠りを必要とする場合がある。


医者は、そんなふうに説明した。

 目の前で人が死んだのだ。トラウマになっても不思議はない。だが、それだけだろう


か。硯深が見たくないのは、現実の、この状況だけだろうか。

 オレなら、両目を抉り出してしまいたい。

 変える事もできず、ただ受け入れるしかない未来なんか。

 知った所で、苦しむだけだろ?

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