シーン3:【慈雨の祈り】「私はもう、誰の道具でもない。私の意志で、あなたを守る!」
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
赤。
どす黒く、ひどく生々しい赤色が、レオンの漆黒のマントを染め上げ、石畳の上へとポタポタと滴り落ちている。
その一滴一滴が、私の心臓に鋭い杭を打ち込むように激痛を走らせる。
「あ……いや……っ」
呼吸が浅くなり、視界がぐらぐらと揺れる。
子供を背後に庇い、左腕をだらりと下げたまま、必死に大剣を構え直すレオン。
彼の周囲には、もはや数え切れないほどの魔物たちが、涎を垂らしながら幾重にも取り囲んでいる。
防衛部隊は完全に分断され、誰も彼のもとへたどり着くことができない。
絶体絶命。
あと数秒もすれば、あの巨大なサソリのハサミが、あるいはゴーレムの無慈悲な拳が、彼の命を完全に刈り取ってしまう。
(私のせいだ……私が、あの水を出してしまったから)
絶望と罪悪感が、黒いタールのように私の内側を塗り潰していく。
祖国の地下室で、ザイードに言われ続けた呪いの言葉が耳の奥で反響する。
『お前は無能だ』
『何もできない、ただの役立たずだ』
『誰かの役に立たなければ、生きている価値もない』
そうだ。私は結局、無力なのだ。
誰かに守られなければ一日だって生きていけない、惨めな小鳥。
せっかく見つけた温かい場所すら、自分のせいで壊してしまう疫病神。
だから、私はここでただ泣き叫び、彼が死にゆくのを眺めることしかできない――。
『――君はもう、誰の道具でもない。君はここで、ただ君自身の幸せのためだけに、自由に生きていいんだ』
不意に。
泥沼のように沈みかけていた私の意識を、強く、温かく引き上げる声があった。
今朝、私を抱きしめ、涙を拭ってくれたレオンの言葉。
彼の猛禽類のような黄金色の瞳と、不器用なほどに優しい手の温もりが、鮮明に蘇る。
ドクンッ!!
その瞬間、私の胸の奥で、何かが激しく弾けた。
そうだ。私はもう、誰の道具でもない。
祖国のために、見栄のために、無理やり魔力を搾取される『ただの浄化係』ではないのだ。
この身体を満たしている、溢れんばかりの純粋な水魔力。
これは誰の所有物でもない。私自身のものだ。
ならば。
(この力を……私が本当に使いたいと願う、たった一つのことのために!)
「ルリア様!? だめです、危ないっ!」
私を庇うように押さえていたメイドたちが、悲鳴を上げる。
私は彼女たちの腕を、自分でも驚くほど強い力で振り払った。
「離して」という私の声は、ひどく冷たく、それでいて絶対に揺るがない熱を帯びていたはずだ。
メイドたちが弾かれたように後ずさるのを尻目に、私はバルコニーの手すりへと駆け寄る。
『キュルルッ!』
私の腕の中で、チクタクが私の感情の変化に呼応するように、背中の水色の棘を逆立てて高く鳴く。
チクタクの身体から、パチパチと青い火花のような魔力の粒子が弾け飛ぶ。
私は大理石の分厚い手すりの上に、躊躇うことなく両足を乗せた。
一歩でもバランスを崩せば、遥か下方の石畳へと真っ逆さまに墜落する、死の境界線。
凄まじい熱風が下から吹き上げ、私の水色のシフォンドレスと、長く伸びた髪を激しく空へと舞い上がらせる。
眼下には、王都を蹂躙する魔物の群れと、今まさに死の淵に立たされている愛しい人の姿。
「レオン様……ッ!!」
ありったけの空気を肺に吸い込み、私は喉が張り裂けんばかりの声で、彼の名を叫んだ。
戦場の喧騒、魔物の咆哮、金属の衝突音。
そのすべてのノイズを切り裂いて、私の声が一直線に中央広場へと届く。
『……ッ!?』
満身創痍で膝をつきかけていたレオンが、弾かれたように顔を上げる。
遥か上空、王城のバルコニーの縁に立つ私と、彼の黄金色の瞳が、真っ直ぐに交差した。
彼の瞳が、驚愕に見開かれる。
『馬鹿な、そこから離れろ!』と、彼の唇が動いたのが分かった。
私を心配して、怒っている。自分が死にかけているのに。
その顔を見た瞬間、私の内側に残っていた最後の迷いが、完全に消え去った。
「私は……無能なんかじゃない! 誰の道具でもない!」
叫ぶ。
世界中に響き渡るように。
私を虐げてきた祖国の愚か者たちへ、そして何より、自分自身にかけられていた呪いを完全に打ち砕くために。
「私の力は、私の意志で使う! 私は、あなたを……この国の人たちを、守る!!」
私はチクタクを胸に抱いたまま、両手を高く、天に向かって突き上げた。
その瞬間。
ゴァァァァァァァァッ……!!!
私の足元から、いや、魂の底から。
これまで何重にも鍵をかけ、無意識に抑え込んでいた『無尽蔵の水魔力』が、巨大な間欠泉のように大空へ向かって爆発的に噴き上がった。
それは、祖国で鎖に繋がれ、無理やり引きずり出されていた時の、あの内臓を抉られるような激痛とは全く違う。
熱く、心地よく、どこまでも澄み切った清流の束が、私の全身の血管を駆け巡り、指先から天へと一直線に立ち昇っていくのだ。
「あ……ああああっ!」
視界が、圧倒的な青い光に染まる。
私の身体を起点として発生した極太の魔力の柱が、砂煙に覆われた王都の空を貫き、分厚い雲の層へと突き刺さる。
空気が震える。
空間そのものが、私の放つ異常なまでの魔力濃度に耐えきれず、ミシミシと悲鳴を上げている。
『ギ、ギィィィッ!?』
『グオォォ……ッ!』
広場を埋め尽くしていた魔物たちが、上空から降り注ぐ恐ろしいほどの神聖なプレッシャーに、一斉に動きを止める。
レオンに振り下ろされようとしていた大サソリのハサミが、空中でピタリと静止し、ゴーレムたちが怯えたように後ずさる。
「ルリア……お前、その光は……」
眼下で、レオンが剣を取り落とすのも忘れ、天を貫く青い光の柱――その中心にいる私を、ただ呆然と見上げている。
周囲の兵士たちも、逃げ惑っていた民衆も、まるで時間が止まったかのように空を見上げている。
私の指先から放たれた膨大な魔力は、上空で急速に渦を巻き、真っ黒な雨雲を形成し始めていた。
ただの雲ではない。
一つ一つの水滴が、極限まで圧縮された高純度のマナを宿した、奇跡の雲だ。
チクタクが私の胸の中で『キュィィィィン!』と共鳴の鳴き声を上げ、その小さな身体からさらに濃密な青い光を放ち、私の魔力を増幅させていく。
(足りない……もっと。この乾いた大地を、すべて潤すほどの……!)
私は目を閉じ、さらに強く、深く祈る。
どうか、この過酷な砂漠で生きる心優しい彼らに、恵みを。
どうか、私に生きる意味をくれたあの人に、救いを。
パツンッ。
私の中で、何かの限界を突破する音がした。
「――降り注げ!」
私が両手を振り下ろした、その瞬間。
黒く染まった王都の上空から、数百年間この国が待ち望んだ『奇跡』が、ついに地上へと放たれた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
ルリアのお返し(復讐)を「応援したい」と感じていただけたなら、
評価や感想を入れていただけると、とても励みになります。
あなたの応援が、この世界をもっと広げてくれます。
次回もぜひ、お会いしましょう。




