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追放令嬢はダンジョンで優雅に『魔獣食堂』を開く  作者: 九葉
第1章 森

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第5話 雷鳥の巨大卵と、黄金芋のクリスピー・ガレット

 翌朝。

 私は、石造りの天井を見上げながら目を覚ました。


 身体を起こすと、すぐ隣から規則正しい寝息が聞こえてくる。

 昨晩、私のリゾットで一命を取り留めた自称皇帝、レオンハルトだ。

 オークの毛皮にくるまり、幼子のように無防備な顔で眠っている。


 起きている時は、人を射殺せそうなほど鋭い眼光の持ち主なのだが、こうして見ると整った顔立ちの美青年だ。

 長い睫毛が頬に影を落とし、昨日のような死相はもうない。

 私の料理が、彼の命を繋いだのだ。


(……それにしても、まさか居座られるとはね)


 私は苦笑しながら立ち上がり、軽く伸びをした。

 さて、朝仕事の始まりだ。

 まずは水汲みに行こうと、桶(魔法で木をくり抜いたもの)を手に取った瞬間だった。


「……どこへ行く」


 低い、寝起きのかすれた声。

 振り返ると、レオンハルトが半身を起こし、気怠げに髪をかき上げていた。

 眠気眼だが、その瞳はすでに私を――というより、私のこれから作るであろう「何か」をロックオンしている。


「おはようございます、レオンハルト様。水汲みですわ。朝食を作るには水が要りますから」


「朝食……」


 その単語を聞いた途端、彼の喉がゴクリと鳴った。

 まるでパブロフの犬だ。


「腹が減った。昨日のような、力が湧くものが食いたい」


 彼は命令口調だが、その表情は切実だ。

 魔力持ちはカロリー消費が激しい。昨日のリゾットだけでは、一晩の睡眠で消費しきってしまったのだろう。


「ええ、作りますよ。契約ですからね。……でも、食材が足りません」


 私は空っぽになったカゴを見せた。

 昨日のオーク肉や黄金芋はまだ残っているが、朝食らしい「メイン」がない。


「朝といえば、やっぱり卵だと思うんです。それも、栄養満点の新鮮な卵が」


 私がそう告げると、レオンハルトはゆらりと立ち上がった。

 軍服のジャケットを羽織り、腰の長剣を佩く。

 その所作だけで、場の空気がピリリと引き締まる。


「卵だな。待っていろ」


 言うが早いか、彼は疾風のように廃墟を飛び出していった。


 ◇


 十分後。

 お湯を沸かす準備すら終わらないうちに、彼は戻ってきた。

 片手には、バレーボールほどもある巨大な物体を抱えている。

 青白い電撃のバチバチという音と共に。


「獲ってきたぞ」


 ドゴッ、とカウンターに置かれたのは、表面に稲妻のようなひび割れ模様が入った、美しい蒼色の卵だった。


「……仕事が早すぎますわ」


 私は目を丸くした。

 卵から漂う魔力の残滓を鑑定する。


【名称:サンダー・イーグル(雷鳥)の卵】

【可食部:中身全て】

【味覚特性:白身は弾力が強く、黄身は濃厚でクリーミー。微弱な電流を含んでおり、食べると細胞が活性化する。】

【推奨ランク:A(高級食材)】


 Bランク魔獣『サンダー・イーグル』の巣から、親鳥を追い払って奪ってきたのだろうか。

 普通の冒険者なら命がけのクエストを、朝の散歩ついでにこなすとは。


「これなら文句ないだろう。……早く作れ」


「ふふ、腕が鳴りますね。最高の朝食にしましょう」


 私はエプロン(裂いたドレスの余り布)を締め直した。


 ◇


 今日のメニューは、この巨大卵を活かした**「特大スフレオムレツ」**だ。

 そしてパンがない代わりの主食として、黄金芋を使った**「ガレット(薄焼き)」**を添える。


 まずはガレットから。

 『黄金芋』の皮を剥き、ナイフで細い千切りにする。

 ポイントは、水にさらさないこと。

 芋に含まれるデンプン質が接着剤の代わりになり、つなぎ(小麦粉)がなくてもまとまるのだ。


 千切りにした芋に、『岩塩』と、昨日作った『ピリピリ草(赤胡椒)入りのハーブソルト』を揉み込む。

 熱した石板(鉄板代わり)に、『ハイ・オークのラード』をたっぷりと引く。


 ジュワァァァ……。


 ラードが溶け、甘い香りが立つのを待って、千切り芋を平たく広げる。

 厚さは一センチほど。丸く形を整え、木べらでギュッギュッと押し付ける。


 チリチリチリ……。

 芋と油が触れ合う音が、小気味よく響く。

 焦らず、じっくりと。

 底面がカリカリの狐色になるまで焼く。


 その間に、主役の卵だ。

 雷鳥の卵は殻が硬い。ナイフの柄でコンコンと叩くと、バチッという静電気と共にヒビが入った。

 ボウル(魔法で焼いた土器)に割り入れる。


 ボトッ!!


 重量感のある音がした。

 現れたのは、太陽のように濃いオレンジ色の黄身と、それを守るように盛り上がった、しっかりとした白身。

 サイズは鶏卵の十倍はある。

 これを、黄身と白身に分ける。


「ここが勝負どころね」


 私は白身の入ったボウルに、『岩塩』をひとつまみ入れた。

 そして、即席の泡立て器(数本の細い枝を束ねたもの)を構える。

 身体強化魔法を、腕のみに集中させる。

 高速回転ハイスピード・ミキシング


 シャカシャカシャカシャカッ!!


 常人には見えない速度で手首を振るう。

 重たかった白身が、空気を含んで軽くなり、純白の泡へと変わっていく。

 雷鳥の卵はコシが強い。泡立てると、絹のようにキメ細かく、逆さにしても落ちないほど硬いメレンゲが出来上がった。


 別のボウルで溶いておいた黄身に、このメレンゲの三分の一を加えてよく混ぜる。

 残りのメレンゲは、泡を潰さないようにさっくりと、切るように混ぜ合わせる。

 これで、雲のようにふわふわの生地が完成した。


 隣の石板では、ガレットが良い色に焼けている。

 ひっくり返す。


 クルッ。


 サクッ。

 表面は完璧なゴールデンブラウン。カリカリに焼けた芋の香ばしい匂いが漂う。

 ガレットを石板の端に寄せ、空いたスペースを綺麗に拭う。

 再びラードを引き、今度は『ボーンマロー・バター(骨髄油)』も少し足す。

 コク出しのためだ。


 十分に熱された脂の上に、卵生地を一気に流し込む。


 ――シュワァァァァ……。


 優しい音がした。

 まるで雪が溶けるような、繊細な音。

 生地は熱を受けてぐんぐん膨らみ、厚さ五センチ、いや十センチ近いドーム状になっていく。


「蓋をして、蒸し焼きにするの」


 大きな葉っぱを被せ、数分待つ。

 この待ち時間がもどかしい。

 隙間から、バターと卵の甘く優しい香りが漏れ出し、廃墟の中を満たしていく。

 香ばしい芋の匂いと、甘い卵の匂い。

 最高の朝の香りだ。


 レオンハルトが、カウンター越しに身を乗り出している。

 その目は釘付けだ。

 喉が動く音が聞こえる。


「よし!」


 葉っぱを取る。

 ボワッ! と湯気が上がり、現れたのは、プルプルと揺れる巨大な黄金色の山。


 半分に折りたたむことはできないサイズなので、このままドーム型で仕上げる。

 お皿に、まずはカリカリに焼けたガレットを敷く。

 その上に、ドンッ! とふわふわのオムレツを鎮座させる。


 仕上げにソースだ。

 ケチャップなんてない。

 けれど、昨日作った『パンチェッタ』を細かく刻んでカリカリに炒め、そこへ『シトラス・ボム』の果汁と『アンバー・サップ(樹液)』を煮詰めたものを絡める。

 甘酸っぱくて塩気のある、特製ベーコンソース。

 これを、黄色いオムレツの上からたっぷりと回しかける。


 トロリ……ジュワッ。


 ソースが熱々の卵に染み込み、琥珀色の筋を描く。


【料理名:雷鳥卵のふわふわスフレオムレツ~黄金芋のガレット乗せ・甘酸っぱいベーコンソース~】


「お待たせしました。朝のエネルギーチャージです」


 私が差し出すと、レオンハルトは礼も言わずに皿を引き寄せた。

 ナイフを入れる。


 サクッ。

 下のガレットが軽快な音を立てる。

 そして、上のオムレツへ刃が進むと――抵抗がない。

 スゥッ……とナイフが沈み込み、断面からシュワシュワと気泡が弾ける音が聞こえた。


 中から、半熟のトロトロになった部分が溢れ出し、下のガレットに絡みつく。


 彼は大きく切り取ったそれを、口へと運んだ。


 ハムッ。


 一瞬、彼の動きが止まった。

 そして、ゆっくりと咀嚼し、目を見開く。


「……なんだ、これは」


 彼は呟いた。


「消えたぞ」


 そう、スフレオムレツは口に入れた瞬間、泡となって消えるのだ。

 シュワリ、と舌の上で解け、後に残るのは濃厚な卵のコクと、骨髄バターの芳醇な香り。

 噛む必要すらない。

 けれど、消えてなくなる儚さを、ソースの酸味とベーコンの塩気が強烈に引き留める。


「消えるだけではない……」


 彼は次の一口へ進む。今度はガレットと共に。


 ガリッ、ザクッ。


 咀嚼音が響く。

 ふわふわのオムレツと対照的に、黄金芋のガレットは凶悪なほどクリスピーだ。

 表面はカリカリ、中は芋のホクホクとした甘み。

 この食感のコントラスト(対比)。


 トロトロの卵液を吸ったガレットは、至高のご馳走へと進化する。


「うまい……ッ!」


 レオンハルトの食べる手が加速する。

 フォークが止まらない。

 口いっぱいに頬張り、飲み込み、また次を詰め込む。


 雷鳥の卵に含まれる微弱な電流が、彼の舌をピリピリと心地よく刺激し、眠っていた胃袋を叩き起こす。

 食べるたびに、彼の全身から薄っすらと魔力の光が漏れ出し始めた。

 細胞の一つ一つが歓喜し、再活性化している証拠だ。


「はふっ、んぐ……!」


 熱々のガレットをハフハフと言いながら噛み砕き、冷たい水で流し込む。

 その豪快な食べっぷりは、見ていて清々しいほどだ。

 綺麗にたいらげた彼は、皿についたソースを指ですくい、名残惜しそうに舐め取った。


「……ふぅ」


 満足げなため息。

 彼の顔色は、昨日とは別人のように血色が良く、肌には艶が戻っていた。

 金色の瞳が、爛々と輝いている。


「力が満ちた。……いや、以前よりも調子がいいくらいだ」


 彼は自分の掌を握りしめ、バチッという音と共に小さな稲妻を発生させた。

 雷鳥の属性(雷)まで取り込んだらしい。恐ろしい消化能力だ。


 彼は私に向き直ると、真剣な眼差しで言った。


「セシリア。お前はただの料理人ではないな」


「あら、ただの料理好きの追放令嬢ですよ?」


「いいや。俺の『呪い』のような飢えを満たし、力を与えた。これはもはや、一種の錬金術か、あるいは聖女の御業みわざだ」


 彼は立ち上がり、私の手を取った。

 大きくて、熱い手。

 その指先が、私の指に絡む。


「決めたぞ。お前を俺の『専属』にする」


「専属……シェフ、ということですか?」


「そうだ。そして、俺の国へ連れて帰る」


 レオンハルトはニヤリと笑った。それは捕食者が獲物を見つけた時の、獰猛で、それでいてひどく魅力的な笑みだった。


「このダンジョンの食材も悪くないが、俺の国には世界中から珍味が集まる。北の海の『氷結蟹』、南の密林の『激辛ドラゴンフルーツ』……お前なら、それらをどう料理する?」


 ――ズキュン。


 私の料理人魂ハートが、音を立てて撃ち抜かれた。

 な、なにそれ。

 氷結蟹? ドラゴンフルーツ?

 そんなの、調理してみたいに決まっているじゃない!


「……それは、魅力的な提案ですこと」


 私がゴクリと喉を鳴らすと、彼は満足そうに頷いた。


「だろう? だが、まずはここを出る準備だ。……それに、まだ『昼食』のメニューが決まっていない」


「……あ、やっぱり食べるんですね、お昼も」


「当然だ。俺の胃袋は、お前の料理以外受け付けない身体になったようだからな」


 彼は悪びれもせず言い放った。

 どうやら私は、とんでもない男の胃袋を掴んでしまったらしい。

 あるいは、掴まれたのは私の方なのかもしれないけれど。


 こうして、私たちの奇妙な同棲生活二日目が幕を開けた。

 廃墟のリノベーション、新たな食材探し、そして迫りくる追手たち。

 問題は山積みだが、とりあえず――。


「じゃあ、お昼は『ドラゴン・テールの激辛スープ』にしましょうか?」


「……採用だ。すぐに狩りに行くぞ」


 食欲魔人な皇帝陛下との生活は、退屈する暇がなさそうだ。

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