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追放令嬢はダンジョンで優雅に『魔獣食堂』を開く  作者: 九葉
第1章 森

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第4話 氷の皇帝と、骨髄バターの黄金リゾット

 ドサッ……!


 私の目の前で、謎の男が崩れ落ちた。

 受け身も取らず、糸が切れた人形のように、石造りの床へ突っ伏す。


「ちょっ、大丈夫!?」


 私は慌ててカウンターを飛び越え、男の元へ駆け寄った。

 近づくと、彼から発せられる異常な気配に肌が粟立つ。


 熱い。

 体温ではない。彼を中心に、制御を失った魔力が渦を巻いているのだ。

 まるで、蓋の壊れた暖炉のよう。膨大すぎる魔力が体内で暴走し、彼の生命力を削り取っている。


「……酷い状態」


 私は男の身体を仰向けにした。

 整った顔立ちは青白く、呼吸は浅い。

 軍服の上からでも分かるほど、身体は痩せ細っている。

 これは「魔力酔い」による多臓器不全の一歩手前。そして何より――。


 グゥゥゥゥゥ……。


 彼の腹の底から、悲痛なほどの空腹音が響いた。


「栄養失調(エネルギー切れ)ね」


 魔力が強すぎる人間は、燃費が悪い。

 常に膨大なカロリーと魔素を消費し続けるため、普通の食事量では追いつかないのだ。

 ましてや、ここは魔素の濃いダンジョン。

 適応できなければ、自分の魔力に溺れて死ぬ。


「……仕方ないわね。開店初日のお客様だもの」


 私は彼を抱え上げた。

 身体強化魔法を使っているとはいえ、成人男性とは思えないほど軽い。

 彼を、かまどの近くの暖かい特等席(オーク毛皮の上)に寝かせる。


 治療薬ポーションはない。

 けれど、私には「料理」がある。

 今の彼に必要なのは、消化に良く、即座にエネルギーとなり、かつ冷え切った内臓を温めるもの。


 視線をカウンターに向ける。

 鍋には、まだ温かい『熟成肉と黄金芋のナッツクリームシチュー』が残っている。

 これだけでも栄養満点だが、倒れるほどの飢餓状態にある彼には、もっと直接的なエネルギー源――炭水化物が必要だ。


「あれを使う時が来たわね」


 私はキッチンの隅にある、葉で包んだ包みを開いた。

 中に入っているのは、今朝の水汲みの際、川辺に自生していたイネ科の植物から採取した実だ。


 ――スキル《完全鑑定》。


【名称:パール・ウィート(真珠麦)】

【可食部:種子】

【味覚特性:加熱すると真珠のような光沢と、モチモチとした弾力が生まれる。ほんのりとした甘みがある。】

【推奨ランク:B(主食)】


 外殻は硬いが、石で叩いて精米すれば、立派な麦(穀物)になる。

 これを使って、シチューをリメイクしよう。


 ◇


 調理開始だ。

 まずは『パール・ウィート』の下処理。

 平らな石の上に麦を広げ、丸い石でゴリゴリと擦るようにして殻を剥く。

 息で殻を吹き飛ばすと、中から透き通るような乳白色の粒が現れた。


 これを軽く水で洗い、鍋に入れる……のではない。

 まずは「煎る」のだ。


 熱した石板(フライパン代わり)に、生の麦を投入する。

 油は引かない。


 サラサラ、サラサラ。

 木べらで絶えず動かしながら、麦を乾煎りする。

 次第にパチッ、パチッという小さな音がして、麦の香ばしい香りが立ち上ってくる。

 こうすることで、煮込んだ時にベチャッとならず、粒感を残したアルデンテに仕上がるのだ。


 麦が黄金色になりかけたところで、先ほどのシチュー鍋へ投入する。


 ジュワァァァ……。


 クリームシチューの中に、熱々の麦がダイブする。

 水分を吸って、鍋全体がポコポコと音を立て始めた。


「少し水分が足りないわね」


 私は『ミルキーナッツ』を絞った残りの二番汁(薄いミルク)を足した。

 焦げ付かないように、弱火でコトコト煮込む。


 その間に、味の決め手となる「隠し味」を用意する。

 シチューだけでは、まだ優しい味すぎる。

 死にかけの男を現世に引き戻すには、脳髄を揺さぶるような「ガツン」としたコクが必要だ。


 取り出したのは、昨日狩ったハイ・オークの『大腿骨』。

 ナイフの背で骨を割り、中にあるプルプルのマローを取り出す。

 これを別の小鍋で加熱する。


 チリチリチリ……。


 骨髄が熱で溶け、黄金色の液体になっていく。

 これぞ『ボーンマロー・バター』。

 バターなど目ではない。濃厚な旨味の塊だ。

 そこへ、乾燥させた『ピリピリ草(赤胡椒)』と、刻んだ『パセリ草』を混ぜ込む。


 香りが立ったマロー・バターを、リゾットになりつつある鍋へ一気に回し入れる。


 ――ジュワッ!!


 瞬間、キッチンに爆発的な香りが広がった。

 ナッツミルクの甘い香りに、骨髄の野性的なコクと、スパイスの刺激が混ざり合う。

 鍋の中では、麦がシチューの旨味を限界まで吸い込み、ふっくらと艶やかに膨らんでいる。


「よし、仕上げ」


 器によそう前に、最後のアクセント。

 シチューの具材である『パンチェッタ(塩漬け肉)』の端切れを、直火でカリカリになるまで炙る。

 脂が滴り落ちて炎が上がり、燻製のような香りがつく。

 これを細かく砕き、リゾットの上に散らすのだ。


**【料理名:真珠麦と骨髄バターの黄金リゾット~カリカリパンチェッタ添え~】**


 湯気がもうもうと立ち上る木皿を手に、私は男の元へ戻った。

 匂いに反応したのか、彼のまつ毛がピクリと震える。


「……おい、起きて」


 声をかけながら、彼の上半身を起こし、私の肩に預けさせる。

 近くで見ると、驚くほど整った顔立ちだ。

 けれど今は、餌を待つ雛鳥のように弱々しい。


 彼の唇に、スプーンを近づける。


「ん……」

 彼がうっすらと目を開けた。

 金色の瞳が、ぼんやりと私の顔を――いや、スプーンの上の黄金色の山を捉える。


「あーん」


 まるで幼児にするように、私はスプーンを彼の口に押し込んだ。


 パクッ。


 彼の喉が動く。

 その瞬間、虚ろだった瞳がカッと見開かれた。


 ――ドクンッ!


 彼の身体が跳ねた。

 味が、爆発したのだ。


 舌の上で、濃厚なクリームの海が広がる。

 熱々のリゾット。

 ナッツミルクのまろやかさが、荒れた胃壁を優しく撫でるようにコーティングしていく。

 けれど、ただ優しいだけではない。


 噛み締めた瞬間、アルデンテに仕上げた『パール・ウィート』がプチプチと弾ける。

 その一粒一粒が、オークの肉汁と骨髄の旨味を、これでもかと吸い込んでいるのだ。

 噛むたびにジュワッ、ジュワッとしみ出す濃厚なスープ。


 そこに、後から加えた『骨髄バター』のコクが覆いかぶさる。

 牛脂よりも濃厚で、バターよりも芳醇。

 脳が痺れるほどの旨味の暴力。


 トッピングのカリカリパンチェッタが、時折「ガリッ」と音を立て、強烈な塩気のアクセントを加える。

 まろやかさの中に走る、塩とスパイスの稲妻。


「……っ、う……!」


 男の喉から、声にならない嗚咽が漏れた。

 飲み込んだ熱い塊が、胃袋に落ち、そこから四肢へとエネルギーを放射する。

 凍りついていた魔力回路に、温かい血が巡り始めたのだ。


「……もっとだ」


 しわがれた、けれど力強い声。

 彼は私の手首を掴んだ。

 先ほどまでの弱々しさが嘘のように、強い力で。


「もっと、寄越せ……!」


 彼は私の手からスプーンを奪おうとせず、私の手ごと引き寄せ、次の一口を強請ねだった。

 その目は、理性を失いかけた獣そのものだ。


「はいはい、焦らないで」


 私は苦笑しながら、次の一口を運ぶ。

 二口、三口。

 ペースが上がる。

 彼は噛むことも忘れたように、リゾットを貪った。


 『黄金芋』が口の中でとろけ、甘みを添える。

 『オニオン・リリィ』の繊維が旨味を絡め取る。

 全てが渾然一体となって、彼の枯渇した生命の器を満たしていく。


 食べている間に、彼の顔色が劇的に変化していった。

 土気色だった肌に赤みが差し、カサカサだった唇に潤いが戻る。

 瞳の金色が、松明の炎のように強く輝き始めた。


 私の料理バフ効果が効いている。

 ハイ・オークの《剛力》と、パール・ウィートの《活力》、そしてミルキーナッツの《魔力回復》。

 すべてが彼を癒やしている。


 カチャリ。

 スプーンが空の皿に当たり、乾いた音を立てた。

 最後の一粒まで、彼は綺麗に平らげた。


「……ふぅ」


 男は深い息を吐き、私の肩から離れて壁に背を預けた。

 まだ完全に回復したわけではないが、死相は消えている。


 彼は手の甲で口元を乱暴に拭うと、鋭い眼光で私を射抜いた。

 先ほどの食事中の無防備な顔とは違う。

 冷徹で、傲慢な、支配者の目だ。


「……俺は、ガレリア帝国のレオンハルトだ」


 名乗られた名前に、私は内心で首を傾げた。

 どこかで聞いたことがあるような? 隣国の皇帝陛下と同じ名前だけど、まさかね。こんなボロボロの軍服を着た男が。


「美味かった」


 彼は短く、そう言った。

 そして、信じられない言葉を続けた。


「……味が、した」


「はい?」


「俺の舌は、強すぎる魔力のせいで麻痺している。何を食っても泥と灰の味しかしなかった。……ここ数年はな」


 彼は自分の掌を見つめ、握りしめた。

 そこには確かな力が戻っている。


「だが、今のは違った。熱くて、甘くて、塩辛くて……美味かった」


 彼は再び私を見た。

 その瞳には、先ほどの食欲とは違う、別の種類の熱が宿っていた。

 執着、あるいは独占欲に近い光。


「女。お前の名は?」


「セシリアです。しがない元令嬢で、今はここのコック兼店主ですわ」


「そうか。セシリア」


 レオンハルトは立ち上がろうとして、よろめいた。

 私はとっさに彼を支える。

 至近距離で、視線が絡み合う。


「対価は払う。城でも、領地でも、望むままに」


 彼は私の腰に腕を回し、逃がさないように引き寄せた。


「だから――明日の朝も、その次も、俺に飯を作れ」


 それは依頼というより、絶対的な命令だった。

 けれど、不思議と嫌な感じはしない。

 料理人として、自分の料理を「唯一の味」と言ってくれる客(たとえ態度がでかくても)を無下にはできない。


「……お代は、食材の調達でお願いしますね? お客様(レオンハルト様)」


 私が不敵に微笑むと、彼は一瞬驚いた顔をして、それから獰猛に口角を上げた。


「いいだろう。世界中の魔獣を狩り尽くしてでも、持ってくる」

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