第3話 廃墟のリノベと、幻のミルクの実で作る濃厚シチュー
チュン、チュン……。
森の小鳥たちのさえずりで、私は目を覚ました。
石造りの床に敷いた、ハイ・オークの毛皮(昨日の戦利品を川で洗い、火魔法で乾燥させたもの)の上で伸びをする。
硬い床での寝起きだというのに、身体の節々は全く痛くない。
むしろ、最高級の羽毛布団で寝ていた王城時代よりも、身体が軽い気がする。
「……うそ、肌が」
自分の手のひらを見て、息を呑んだ。
昨日は解体作業や石運びで荒れていたはずの指先が、白く輝くように潤っている。
頬に触れれば、吸い付くようなモチモチとした感触。
髪の毛一本一本にまで、天使の輪のようなツヤが生まれている。
「これが『クリスタルスライム(高純度コラーゲン)』と『ハイ・オーク(良質なタンパク質と脂質)』の効果……!」
恐るべし、ダンジョン食材。
高級エステに一年通うより、魔獣のフルコース一食の方が美容効果が高いなんて。
鏡がないのが残念だけど、今の私はきっと、人生で一番コンディションが良いかもしれない。
「さて、今日も働きましょうか」
私はパンパンと頬を叩き、気合を入れた。
今日の目標は二つ。
一つは、この殺風景な廃墟を「人が食事を楽しめる空間」に改装すること。
もう一つは、森で見つけた「ある食材」を使って、温かい朝食兼昼食を作ることだ。
◇
まずはリノベーションだ。
前世のレストランは内装にもこだわっていた。
「料理の味は、食べる環境で三割増しになる」が私の持論だ。
私は廃墟の中央に立った。
元兵舎だけあって広さは十分だが、家具が一つもない。
「《土魔法・アースシェイプ》」
私は魔力を練り上げ、床の石材に干渉する。
イメージするのは、堅牢で温かみのあるカウンターテーブルだ。
ズズズ……と低い音を立てて、床の一部が隆起する。
高さは腰くらい。天板は広く、表面を滑らかに研磨するイメージで魔力を操作する。
五分後。
キッチン(昨日作った即席かまど)を囲むように、L字型の石造りカウンターが完成した。
これなら、私が料理する姿を見ながら食事ができる「シェフズ・テーブル」スタイルになる。
次は椅子だ。
近くの森から、手頃な太さの倒木を運んできた。
風魔法を応用し、丸太を輪切りにしていく。
座面を削り、背もたれを組み合わせる。
仕上げに、火魔法で表面を軽く炙り、木目を浮き上がらせると同時に防腐処理を施す。
焦げた木のいい香りが漂う、ワイルドかつお洒落なログ・チェアの出来上がりだ。
「うん、いい感じ!」
殺伐としていた廃墟が、少しずつ「お店」の顔になってきた。
入り口の扉には、余った木材で作った看板を掲げてみた。
店名はまだ決めていないけれど、とりあえずナイフで『Open』の文字だけ刻んでおく。
こんなダンジョンの奥地に客が来るとは思えないけれど、形から入るのは大事だ。
一通りの作業を終えると、太陽はすでに頭上に昇っていた。
心地よい疲労感と共に、またしてもあいつがやってくる。
グゥゥゥ……。
「労働の後の空腹は、最高のスパイスね」
さあ、料理の時間だ。
◇
今日のメニューは決まっている。
肌寒い森の朝にぴったりの「クリームシチュー」だ。
しかし、ここには牛乳も生クリームも、とろみをつける小麦粉もない。
けれど、昨日の探索で私は見つけていたのだ。
代わりになる――いいえ、それ以上のポテンシャルを持つ食材を。
私は、朝一番に採取してきた食材をカウンターに並べた。
一つ目は、テニスボールほどの大きさがある硬い木の実。
『ミルキーナッツ』だ。
殻を割ると、中には白い油脂分をたっぷりと含んだ果肉が詰まっている。これを水と混ぜて絞れば、牛乳以上に濃厚な植物性ミルクができる。
二つ目は、泥つきの芋のような根っこ。
『葛芋』の一種だ。
これを摩り下ろせば、良質なデンプンが取れる。片栗粉や小麦粉の代わりになる「とろみの素」だ。
そしてメインの具材は、昨日仕込んでおいた秘密兵器。
キッチンの風通しの良い場所に吊るしておいた、『ハイ・オークの塩漬け肉(パンチェッタ風)』だ。
余ったバラ肉に岩塩とハーブを擦り込み、一晩乾燥させたもの。
水分が抜け、赤身の色が濃縮されたワインレッドに変化している。表面には脂が浮き出し、熟成されたナッツのような香りを放っている。
「よし、調理開始!」
まずは「ミルク」作りから。
『ミルキーナッツ』の殻を石で割り、中の白い果肉を取り出す。
これを石臼(魔法で作ったボウルとすりこぎ)に入れ、少しずつ水を加えながら丁寧に磨り潰していく。
ゴリ、ゴリ、ゴリ。
果肉が砕け、水が白濁していく。
油分が乳化し、とろりとした純白の液体が生まれる。
舐めてみると、ほんのりと甘く、生クリームのようなコクがある。
これを布(清潔なハンカチを洗浄魔法で洗ったもの)で濾せば、特製ナッツミルクの完成だ。
次は具材の準備。
塩漬け肉を拍子木切りにする。厚みは一センチほど。あえて大きく切ることで、噛んだ時の存在感を出す。
野菜は、森で掘った『黄金芋』。皮を剥いて乱切りにする。
それと『オニオン・リリィ』という、玉ねぎに似た球根をスライスする。
準備ができたら、鍋(これも土魔法で成形し、火魔法で焼き締めた土鍋)をかまどにかける。
油は引かない。
熱した鍋に、刻んだパンチェッタを投入する。
ジジジジッ……。
静かな音と共に、白い脂が溶け出し始めた。
弱火でじっくり。焦らず、触りすぎず。
パンチェッタ自身の脂を引き出し、その脂で自分を揚げ焼きにするイメージだ。
次第に脂が透き通り、キッチン中に燻製のような香ばしい薫りが充満していく。
「ここが旨味のベースキャンプよ」
その脂の中に、スライスしたオニオン・リリィを投入。
ジュワァァァッ!
水分が蒸発する音。
ここからは根気勝負だ。木べらで絶えずかき混ぜながら、オニオンを炒めていく。
最初は白かったオニオンが、脂を吸って透き通り、やがて薄い狐色へと変化していく。
この「メイラード反応」こそが、シチューに深みを与える。コンソメなんてなくても、熟成肉と焦がし玉ねぎがあれば最強の出汁になるのだ。
そこへ黄金芋を投入し、全体に脂が回ってツヤツヤになるまで炒め合わせる。
水をひたひたになるまで注ぎ、強火で煮立たせる。
ボコッ、ボコッ。
灰汁を丁寧にすくいながら、芋が柔らかくなるまで煮込む。
塩漬け肉から十分な塩気と旨味が出ているので、味付けは最後に調整するだけでいい。
芋に串がスッと通るくらい柔らかくなったら、いよいよ仕上げだ。
先ほど作った『特製ナッツミルク』を一気に加える。
サァァァ……。
透明だった煮汁が、ミルクと混ざり合い、美しいクリーム色へと染まっていく。
沸騰させないように火を弱める。ナッツの油分が分離しないように注意深く。
そして、とろみ付け。
『葛芋』を摩り下ろし、水で溶いたものを回し入れる。
ゆっくりとかき混ぜると、スプーンに重たい手応えが返ってくるようになった。
シャバシャバだったスープが、ぽってりとした艶のあるシチューへと変貌する。
コポッ……コポッ……。
沸騰する泡の音が、重く、優しくなった。
湯気と共に立ち上るのは、ナッツミルクの甘い香りと、燻製肉の野性的な芳香。
最後に、彩りとして刻んだ『パセリ草』を散らし、黒胡椒(ピリピリ草)を挽く。
「完成!」
土魔法で作った深皿に、たっぷりとよそる。
黄金色の芋、赤いベーコン、そして純白のスープ。
森の恵みが凝縮された一杯だ。
【料理名:熟成肉と黄金芋のナッツクリームシチュー~森の葛とろみ仕立て~】
私はカウンター席に座り、木のスプーンを握った。
「いただきます」
まずはスープから。
とろみのついた熱々の液体をすくい、ふぅふぅと冷まして口へ運ぶ。
ハフッ、トロリ。
舌の上で、濃厚なクリームがゆっくりと広がる。
牛乳ではない。けれど、ナッツ由来の植物性脂肪は驚くほどクリーミーで、香ばしいコクがある。
そこに溶け出したオニオンの甘みと、熟成肉の力強い塩気が、幾重にも重なって押し寄せてくる。
動物性のダシと、植物性のコク。そのバランスが完璧だ。
喉を通る頃には、食道から胃袋までがポカポカと温かい毛布で包まれたような幸福感に満たされる。
次は具材だ。
黄金芋を口に含む。
舌で押し当てただけで、ホロリと崩れた。
中からジュワッと溢れるのは、サツマイモにも似た濃厚な甘み。それが塩気のあるクリームソースと絡み合い、甘じょっぱい無限のループを作り出す。
そして、自家製パンチェッタ。
カリッ、ジュワッ。
煮込んでも失われない香ばしい歯ごたえ。
噛み締めると、凝縮された肉の旨味と脂が、クリームの海の中でアクセントとして弾ける。
この塩気が全体を引き締め、次の一口を誘うのだ。
「はぁ……幸せ……」
身体の芯から温まる。
食べ進めるごとに、身体の奥底から魔力が湧き上がり、疲れが溶けていくのが分かる。
市販のルウで作ったシチューより、何倍も優しくて、力強い味。
私は夢中でスプーンを動かした。
パンがないのが悔やまれる。今度は葛芋の粉でパンを焼いてみようか。
最後の一滴まですくい取り、私は満足げに息を吐いた。
満腹だ。
これなら、午後からの食材探しも頑張れそう――。
そう思って、水を飲もうとした時だった。
ピクリ。
強化された聴覚が、異音を捉えた。
風の音ではない。
魔獣の足音でもない。
もっと慎重で、けれど隠しきれない重みのある、二本の足で歩く音。
そして、金属が擦れる微かな音。
ザッ、ザッ、ザッ。
入り口の方へ視線を向ける。
開け放していた扉の向こう、森の木陰から、ゆらりと現れた人影があった。
「……人間?」
私は警戒して立ち上がり、腰のナイフに手を添えた。
ここはSSランクのダンジョンだ。普通の冒険者が来られる場所ではない。
迷い人か、それとも高ランクの討伐隊か。
逆光で顔は見えないが、そのシルエットは長身で、軍服のようなものを纏っている。
ただならぬ威圧感が漂っていた。
けれど、その男はふらりとよろめき、扉の枠に手を付いた。
「……なんだ、この香りは」
低く、地を這うような声。
男はゆっくりと顔を上げた。
乱れた黒髪の隙間から覗くのは、獲物を狙う猛獣のような、鋭い金色の瞳。
しかし、その視線は私ではなく――私の手元、空になったシチューの皿と、鍋から漂う残り香に釘付けになっていた。
「貴様が……これを作ったのか?」
殺気ではない。
それは、飢餓に苦しむ獣の、切実な渇望だった。
――これが、私と「彼」の、運命の出会いだった。




