第1話 断罪のフルコースと、天然岩塩の輝き
「セシリア・オルコット! 貴様のような卑しい『ゲテモノ食い』の女とは、これ以上婚約を続けていくことはできん。今この場をもって婚約を破棄し、国外追放とする!」
王城の大広間。
豪奢なシャンデリアが放つ光の下で、カイル王子の金切り声が響き渡った。
周囲を取り囲む貴族たちからは、ひそひそと蔑みの視線が突き刺さる。
「聞いたか? あのご令嬢、魔獣の肉を好んで食らうらしいぞ」
「おぞましい……。王家の晩餐会にも、怪しげな魔物の煮込みを持ち込んだとか」
「野蛮な。淑女の風上にも置けないわ」
カイル王子は私の前に立ち、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
その隣には、守るように寄り添う可愛らしい男爵令嬢の姿がある。
「セシリア、貴様のその異常な食への執着は、王妃となるべき品格に欠ける! よって、貴様にはふさわしい場所を用意してやった」
王子は広げた扇子で、窓の外、遥か彼方に広がる鬱蒼とした森を指差した。
「SSランク指定の危険地帯、『奈落の森』だ。あそこなら、貴様の大好きな魔獣がうようよいるぞ? 精々、奴らの餌食になって自身の愚かさを悔いるがいい!」
ドッ、と会場に嘲笑が広がる。
誰もが私の絶望した顔を期待していたことだろう。泣き崩れ、許しを乞う姿を。
けれど。
私はゆっくりと顔を上げ、扇子で隠した口元で、小さく舌なめずりをした。
(……やっと、解放されるのね)
伯爵家の娘として、そして王子の婚約者として強いられてきた、味気ない食事の日々。
香辛料は「刺激が強すぎる」と禁止され、肉は「獣の血を忌む」といってパサパサになるまで火を通される。
野菜はクタクタに煮込まれ、味付けは薄い塩のみ。
前世で三ツ星レストランの厨房に立ち、休日は山に籠もって自ら獲物を狩り、解体して食べていた私――セシリアにとって、この国の食文化は緩やかな拷問でしかなかった。
「……謹んで、お受けいたしますわ」
私は優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。
その顔には、隠しきれない歓喜の笑みが浮かんでいたことを、彼らは誰も気づいていなかった。
◇
馬車に揺られること三日。
私は「奈落の森」の入り口に放り出された。
御者は「死ぬのが怖くないのか」と憐れむような目で私を見て、逃げるように去っていった。
後に残されたのは、私一人。
持っているのは、着ているドレスと、太もものガーターベルトに隠した愛用の解体ナイフ(ミスリル製)一本のみ。
食料も水も、着替えすらない。
ゴゴゴゴ……と馬車が遠ざかる音を聞きながら、私は大きく伸びをした。
「さて、まずは現状確認ね」
私はドレスの裾を掴むと、膝上で大胆に引き裂いた。
動きにくいパニエも脱ぎ捨て、コルセットの紐を緩める。
森を歩くのに、貴族の装飾は邪魔なだけだ。
呼吸を整え、森の空気を吸い込む。
腐葉土の湿った匂いと、濃密な魔素の気配。
普通の人間なら瘴気にあてられて倒れるところだろうが、私は違う。
むしろ、空腹で乾いた胃袋が、獲物の気配に歓喜して鳴っている。
「食材探し(サバイバル)の開始よ」
森へ足を踏み入れる。
私の目的は、魔獣を狩ることだけではない。
料理には「味付け」が必要だ。
小麦粉もバターも醤油もない今、すべてをこの森から調達しなければならない。
歩き始めて十分ほど。
湿った岩場の日陰に、白く結晶化した塊を見つけた。
「あった……!」
駆け寄り、ナイフの柄で少し削って舐めてみる。
ガリッ。
鋭い塩辛さの中に、ミネラルのまろやかな余韻。
「『岩塩』の結晶ね。これさえあれば、なんとかなるわ」
私は手頃な大きさの岩塩の塊を砕き、ポケット代わりの布袋(裂いたドレスで作った)に入れた。
塩は生命維持に不可欠であり、料理の基本だ。
さらに探索を続ける。
次に目に入ったのは、黄色く熟した実をつけた低木だ。
見た目はレモンに似ているが、皮がもっとゴツゴツしている。
――スキル《完全鑑定》。
【名称:シトラス・ボム】
【可食部:果肉、果汁】
【味覚特性:強烈な酸味と清涼感。果皮には引火性の油分が含まれる。】
【推奨ランク:C(調味料として優秀)】
「酸味ゲット!」
これをいくつか摘み取る。
塩と酸味。これで最低限の「味付け」ができるようになった。
その時だった。
ガササッ!
頭上の枝が激しく揺れ、私の目の前に巨大な影が落下してきた。
ドスンッ! という重い音と共に現れたのは、直径一メートルはある半透明の物体。
青いゼリー状の身体。
体内に魔石の光を宿し、ひんやりとした冷気を撒き散らす魔獣――スライムだ。
ただし、ただのスライムではない。希少種『クリスタルスライム』。
触れたものを凍らせて捕食する、危険なハンターだ。
「ギチチチッ!」
スライムが身体を変形させ、私に向かって触手を伸ばしてくる。
けれど、私の目には「敵」としては映らない。
鑑定スキルが、その真の価値を告げていた。
【名称:クリスタルスライム】
【可食部:核を除く全身体(98%)】
【味覚特性:極めて純度の高い水分と、良質なコラーゲンの塊。冷製調理推奨。】
【推奨ランク:S(至高の珍味)】
「……美味しそう」
喉が鳴る。
スライムの主成分は水だ。けれど、魔力を帯びたその身は、最高級のゼリーのような食感を持つという。
私はナイフを逆手に持ち替えた。
襲いかかる触手を、半歩横にずれて躱す。
すれ違いざま、身体強化魔法を乗せた一撃を放つ。
ヒュンッ。
風を切る音と共に、スライムの身体の中心にある「核」を、周囲の肉を傷つけないよう正確にくり抜いた。
核を失ったスライムは、瞬時に活動を停止し、ただの巨大な食材の塊となって草の上に横たわる。
「よし、鮮度は抜群。すぐに調理しないと」
まだ火を起こしていないから、加熱調理はできない。
でも問題ない。クリスタルスライムは「生食(刺身)」こそが至高なのだから。
私は近くの平らな岩を、生活魔法《洗浄》の水で洗い流し、即席のまな板にした。
まずは下処理だ。
スライムの表面には、外敵から身を守るためのヌメリがある。これが生臭さの原因だ。
私は先ほど採取した『シトラス・ボム』を半分に切り、スライムの表面に擦り付けていく。
キュッ、キュッ。
柑橘の強い酸がヌメリと反応し、白く泡立つ。
これをたっぷりの水で洗い流す。
二度、三度。
ヌメリが完全に取れ、表面がキュッキュッと音を立てるようになるまで丁寧に。
「うん、いい弾力」
指で押すと、プルルンッと小気味よく押し返してくる。
光を透かすその身は、まるで研磨された宝石のようだ。
いよいよ、包丁を入れる。
ナイフを水で濡らし、摩擦を減らして刃を入れる。
スゥッ――。
抵抗感は皆無。
吸い込まれるように刃が入り、断面が艶やかに輝く。
私はそれを、薄造りの刺身のように、透き通る薄さにスライスしていく。
一枚、また一枚。
大きな葉っぱを皿代わりにして、花びらのように綺麗に並べていく。
このままでは味がしない。
味付け(ソース)を作る。
岩の窪みを利用し、砕いておいた『岩塩』を入れる。
そこへ『シトラス・ボム』の果汁をたっぷりと絞り入れる。
さらに、近くの木の幹から採取しておいた『アンバー・サップ(琥珀樹液)』――メープルシロップのような香ばしい甘みを持つ樹液――を少量加える。
指で混ぜ合わせると、酸味と塩気、そして樹液の甘みが混ざり合った、即席の『シトラス・ドレッシング』が完成した。
「これを、たっぷりと……」
透明に輝くスライムの薄造りに、黄金色のドレッシングを回しかける。
キラキラと森の木漏れ日を反射し、それは料理というより、芸術品のように輝いていた。
【料理名:クリスタルスライムの薄造り~森のシトラスと岩塩仕立て~】
私は岩場に腰掛け、即席の箸(木の枝を削ったもの)で、スライムを数枚まとめて掬い上げた。
プルプルと震える透明な身に、果汁が絡んでいる。
「いただきます」
口の中へ放り込む。
――ッ!!
瞬間、目を見開いた。
冷たい!
舌の上に乗せた途端、体温でスライムの表面がわずかに溶け出し、強烈な清涼感が口いっぱいに広がる。
そして歯を立てると、プツンッ、プリッという心地よい弾力が弾けた。
噛むたびに、中から閉じ込められていた純粋な水が溢れ出す。
スライム自体の味は、最上級の天然水のように雑味がなく、クリアだ。
そこへ、シトラス・ボムの鮮烈な酸味が殴り込んでくる。
キュッとした酸っぱさが唾液腺を刺激し、その直後に岩塩のガリッとした食感と塩気がアクセントとなって現れる。
最後に、アンバー・サップの樹木由来の深い甘みが、すべての味を優しくまとめ上げる。
「……んんっ、おいしい……」
思わず、熱っぽい吐息が漏れた。
喉を通る瞬間、ツルリとした喉越しが快感となって脳を揺らす。
そして、胃に落ちた直後だ。
カッと身体の奥が熱くなった。
これはただの食事ではない。魔力の摂取だ。
スライムの純粋な魔力が、空っぽだった私の魔力回路に直接染み渡り、疲労を消し去っていく。
指先の冷えが取れ、視界がよりクリアになる。
肌も内側から潤っていくような感覚。
薄いスライスでは物足りない。
次は、少し厚めに切ったブロックを口に運ぶ。
ムギュッとした歯ごたえ。
溢れ出る果汁と魔力のジュース。
王城で食べた、砂糖と着色料だけのぼんやりしたゼリーとは次元が違う。
命そのものを食べているような、力強い味がする。
あっという間に、葉の上は空になった。
残ったドレッシングを指ですくい、ぺろりと舐める。
「ごちそうさまでした。……さて」
満たされたお腹をさすりながら、私は立ち上がった。
気力も体力も全快だ。
塩と酸味を手に入れ、最初の狩りにも成功した。
でも、これだけじゃ足りない。
人間としての文化的な生活を送るためには、雨風をしのぐ拠点と、何より「火」が必要だ。
スライムは生でもいけるけれど、肉を焼くには火力がいる。
「《探知》」
魔力を広げ、周囲の地形を探る。
森の奥深くに、微かだが人工的な岩組みの反応を感じた。
自然の洞窟ではない。かつて誰かが作った石造りの建造物。
「あそこなら、かまどが作れるかもしれない」
私はナイフを鞘に収め、軽やかな足取りで歩き出した。
これから始まる、美味しくて過酷なダンジョン・ライフに胸を躍らせて。
第1章始まりました〜!
ぜひ読んでみてください〜




