第5章 夢
ようやく夏休み気分も抜け、なんとか学校へ行く毎日に体が慣れてきたようだった。学校でも同級生が知った風な顔をして、例の夏休みにテレビで見た預言者の話をしていた。なんせ、フランスかどこかの昔の人がその予言を残したらしい。また、夏の風物詩である怪談話なんかも、やけに詳しい同級生がおり、よくそんな話をしてくれた。なんか、どれもこれも嘘くさいとは思っていたが、まあ話題としては面白いのかもしれない。そもそも、幽霊もUFOも見たことないし。
ただ、Kynoは時々不思議な夢を見ることがあった。それは、中学2年生にあがったころから始まり、最初は夢を見たことは覚えていたが、具体的な内容は全く思い出せなかった。しかし、3年時の夏休みも終わり、秋になるころには、少しずつその夢の内容を思い出せるようになっていた。ある夜に見た夢では、自分の体は見えず、何か暗黒の空間に漂っているような浮遊感を感じていた。そして、突然巨大な神殿のような建物の中に迷い込むのであった。ある日、同じ夢を見たときは、夜中にうなされて目が覚めた。あまりにも、その夢が鮮明に記憶に残っていたので、机の引き出しにあった、まだ使っていないノートに夢の内容を書き留めた。確かにノートに夢のことを書き留めたはずだったのだが、後日そのノートを開いて夢の内容を見てみようとしたが、なぜかそこには何も書かれていなかった。ノートは新品のままだったが、確かにそこに夢の内容を夢中に書いた記憶がある。そんなことがしばらく何度も繰り返された。それと、テレビのニュースでは、Kynoと同じような年齢の子供たちが、今年の春ごろから数名行方不明になっているということが報道されていた。Naomiの件といい、何か嫌な感じがしていた。
2学期が始まってから間もないある日、なぜかその日はやけに疲れてしまい、午後9時過ぎには深い眠りについた。そしてまた夢を見た。今度は別の星にいるようだった。空は赤く、ごつごつとした岩肌の大地が四方に広がっていた。生き物も、植物も、川や池のようなものも何もなかった。ただ、薄い気体はあるようで、ほのかに風が吹いているような感じがした。一体、どこだろうか。すると、今度は突然一瞬にして、人工的な建物の中にいた。体が、中に浮いているような感じがした。建物の中は広く、床には見たこともないような機械がたくさん並んでいた。それらの機械を見下ろすような高さに、通路がところどころ配置されており、まるで歩道橋の上から下の道路を見下ろすように、通路から下の機械類を見下ろすことが出来た。でも、Kynoはその通路よりもさらに上部に浮いているようだった。通路には、3人の男性らしき人たちがいたが、なぜかKynoには彼らが地球の人類には思えなかった。姿・形は人間そのものだが、彼らは地球人には思えない。何も根拠はないのだが、そう思った。すると、突然その3人の男性が、Kynoに気が付いて、彼の方に視線を向けた。3人とも、どこにでもいるようなアジア系の男性だったが、恐ろしいほどの視線を彼に向けていた。3人とも何か樹脂製のつなぎのような服を着ており、それが彼らの制服のようだった。なんか安っぽいSF映画に出てきそうな服だった。ただ、彼らの視線からひとつだけはっきりとわかったことがあった。彼らは、明らかにわれわれを心の底から敵視しているということだった。
それと、なぜかそこにNaomiの気配を感じた。Naomiの姿は見えなかったが、確かに彼女は同じ場所に存在していた。その3人の男性には、Naomiの姿も見えていたのだろうか。その夢はものすごく長い夢のほんの一部のような気がしたのと同時に、ほんの数秒の夢だったような気がした。そこで、Kynoは目を覚ました。部屋のなかでは、扇風機の静かな音と、開け放った窓の外から聞こえてくる、かえるの鳴き声が聞こえた。体中が汗でびっしょりだった。やけにはっきりとした鮮明な夢だった。またノートに殴り書きをしようかと思ったが、朝になると消えていそうなので、またそのまま眠ることにした。だが、なぜ彼らが自分に対して、敵意を持っているのかを考えると、なんだか恐ろしい感じがした。あそこは一体どこだったのだろうか。なんか、最近見る夢は、なんだか嫌な夢ばかりである。それにしても、あのNaomiの気配は何だったんだろうか。Naomiもあそこにいたのだろうか。
夏が終わり、しばらく残暑が続いたものの、秋がやってきた。相変わらずNaomiの姿を見ることもなく、内心このままでは一生彼女に会えないのではと気持ちがあせってきていた。テレビでは相変わらず、最近子供の失踪が続いているという報道がされていた。ただ、失踪した子供たちとNaomiとの間には決定的な違いがあった。失踪した子供たちは、姿は消えたものの、人々の記憶から消えたわけではなかった。よって、彼らはどこかに存在しているのだ。その一方で、Naomiは人々の記憶からさえ消えていた。自分以外の人たちの記憶から消えていたし、彼女が以前存在したという記録も消えていた。Kynoは自分なりに、いろいろと町中を自転車でNaomiのことを探してみたが、どこにも見当たらない。彼女の実家にもそっと行ってみたが、彼女の家族は同じ家に住んでいるようだったが、彼女の姿はついに見かけなかった。受験を控え、そろそろ少しは勉強しないと成績がやばくなってきていた。気持ちを切り替えて、毎日勉強にいそしんだ。もう、部活も引退したし、ようやく気持ち的に勉強をしようという気持ちに切り替わってきていた。そして、ほんの数か月前まであれほど嫌いだった勉強が徐々に楽しくなってきた。それに伴って、テストの点数も一気に上がっていった。担任からは、別の高校への進学を勧められた。担任の教師も、相変わらず別人のような雰囲気がしたが、それにも慣れてきていた。人間の適応能力は想像以上である。できれば、Naomiにもこの成績を見せてやりたかったが、Naomiは相変わらず消えたままである。それにしても、この成績の伸びは異常だった。以前は自分のことをあからさまに見下していたような連中も、何か対抗心を燃やしているような感じがした。
Jay「なんだよ、最近の成績すげえな。お前がこんなに優秀だったなんて知らなかったよ。なんか、本気出してきたのか。」
Kyno「いや、部活も引退したし、正直あのバカ高の入試さえもやばかったからな。なんか、一気に火がついたよ。」
Jay「いや、まあ俺はうれしいけどな。でも、結構お前のこと悪く言ってる奴もいるぜ。滝沢なんか、お前がカンニングしてんじゃないかなんて、言いまわってるみたいだぜ。」
Kyno「あいつは、もともと俺のことが嫌いなんだよ。俺もやつは嫌いだし。でも、なんかいつも席替えをすると、あいつが横の席になったりするんだよ。まあ、いっさい口きかないけど。」
Jay「あいつは俺も嫌いだわ。典型的な、性悪女だよな。たいしてかわいくもねえのに、他の男子には媚び売っているような態度だし。なんだかなー。でも、ああいう奴が案外、世の中をするするっと上手くわたっていくような気がする。」
なぜか、Jayだけは元の世界のJayと全く変わっていないような気がする。というか、元の世界から一番変わったのは自分じゃないかと思えてきた。Jayは相変わらず、マイペースで、どのグループにも属せず、かといって誰かから舐められることもなく毎日を淡々と過ごしていた。まあ、似た者同士で気が合ったが、彼は自分とは違い、勉強もスポーツも学年トップの1軍男子である。Naomiがいない今、なんか心を許して話せるのは、彼くらいになっていた。学校は相変わらず、似た者同士がいくつかのグループを作って、団体行動をしていた。それは男子も女子も同様だった。ただ、Jayや自分のように、なんかそういうグループ行動が苦手な生徒も何人かいたが、それは中学生活を送るうえで、非常にリスクの高いことだった。グループという後ろ盾のない生徒は、自分で自分を守るしかなかった。自分を守るために一番効率的な方法は、こいつと揉めると面倒くさいと思わせることだった。幸い、自分の場合、Jayの存在や、何人かの幼馴染、サッカー部の友人達の存在が大きかった。
相変わらず、テレビでは失踪した子供たちの報道が続いていた。夕食時に、家族でテレビを見ながら、晩御飯を食べていた。父親は、いつも通り、晩酌のビールを飲みながら、焼き魚をつついていた。親父の毎日のささやかな楽しみなのである。母と弟はあいかわらず、しょうもないことで言い争っていた。弟は、欲しいプラモデルがあるので、それを必死に母親にねだっていた。いつものことである。ダメとは言いつつ、結局末っ子かわいさに買ってしまうのである。
自分達のこの小さな町では、まだ失踪者は出ていないが、なんせ不気味な出来事である。しかも、失踪した子供は誰一人として、見つかっていないのである。ただ、別のニュースで気になるニュースがあった。先月、ある20代の女性が、記憶喪失の状態で保護されたのだが、その記憶が徐々に戻ってきているらしい。その女性は、相変わらず自分の名前も出身地も職業も年齢も思い出せないのだが、保護される前の記憶がおぼろげながら戻ってきているというのである。テレビでは、その出来事をドキュメンタリー番組で、報道していた。どうも電車に乗っているときに、トンネルに入ったところまでは覚えているのだが、その後記憶を無くしたとのことだった。
キャスター「その記憶を無くしたあとは、どうなったのですか。」
20代女性「気が付いた時は、まだそのまま電車に乗っていました。ただ、外の景色がいつも見る景色とは全く異なっていました。それに、時計の時間が巻き戻っていたのです。電車に乗ったのが、午後8時過ぎだったという記憶があるのですが、気が付いたときには、午後6時過ぎでした。」
キャスター「時間が巻き戻っていたということでしょうか。」
20代女性「わかりません。ただ、時計の時間を信じるとそういうことになります。そして、ある駅に電車が停まりました。駅の時計を見ると、わたしの腕時計と同じ時間をさしていました。しかも、聞いたこともないような駅の名前でした。」
キャスター「乗り過ごして、かなり先のいつもは行かないような駅に行ったのではないですか。」
20代女性「わかりません。朽木沢駅というところです。」
キャスター「番組で調べましたが、そのような駅は、JR夢渡線には存在していないとのことです。」
テレビでは、その後の女性の足取りをドラマ仕立てで再現していた。彼女は、非常に迷ったものの、停まった駅で思い切って電車を降りたそうである。そして、反対側のホームに移動したあと、元来た方向へ反対側の電車で戻ろうとしたそうである。駅には、待っている別の乗客もおらず、駅員の姿さえも見えなかった。恐ろしくて、たまらなかったそうだが、電車が来るのを待つしかなかったようである。そして振り返ると、なぜかそこに一人の若い女性が立っていた。その女性が、いつ、どうやって彼女に近づいてきたのか、全くわからなかったが、その女性が彼女に話かけてきたらしい。最初は、その女性の話す言葉がわからなかった。その若い女性は、どうやら中学生か高校生くらいの背格好だった。
20代女性「あの、もう少し、ゆっくりと話してください。ここは、一体どこですか。」
その女性は、女性の言葉を聞いた途端、少し驚いた様子を見せた様子で、話始めたという。
高校生くらいの女性「そうか、あなたもあっちの世界から来たんですね。時々、あなたみたいな人がいます。どういう理由かわからないけど、こっちの世界に紛れ込んでしまう人が。」
彼女には、その女性の言っていることがまったくわからなかった。あっちの世界?こっちの世界?世界が複数あるってこと?私みたいな人が時々いる?その女性は、彼女を無視して、話を続けた。
高校生くらいの女性「最近はなぜか、あっちの世界からこっちの世界に紛れ込んでくる人が多くて。それもみんな子供ばかりで。私たちも早く子供たちを、あっちの世界に戻してやりたいのだけど、なかなか物事が上手く進んでいないようだし。どうも、バックドアがいくつか開け放たれているみたいですね。」
20代女性「あなたは、戻り方がわかるのですか?子供達って?誰か保護しているの?それに、バックドアってなんですか。」
高校生くらいの女性「自分で戻ろうとしても戻れなません。誰にも戻る方法なんかわかりません。実は私も元々はあなたと同じ、あっちの世界の住人でした。でも、戻る方法もわからなくて。今でも、ここで暮らしてます。言葉もあっちとこっちとでは、違うんです。それと、バックドアは普通はずっと閉まっているんです。」
20代女性「よくわからないけど、あなたも一緒に元の世界に戻りましょう。何か方法があるはずです。」
高校生くらいの女性「このホームに来る電車に乗れば戻れることがあるって聞いたことがあります。でも、実際は、一駅先に着くだけで、誰も戻れなかった。」
その20代女性は、その高校生くらいの女性の名前を聞いたそうである。番組では、その彼女の名前を放送していた。全国にその名前に該当する女性がいるのではということで、名前をカタカナで放送していたのである。しかも、信じられないことに、その名前はNaomiと同姓同名であった。Naomiは別の世界で生存している。Kynoには何がなんだか信じられなかった。しかも、最近失踪している子供たちと、あちらの世界にいる子供たちというのが、奇妙に話のつじつまが合う。
結局、その女性がどうやってこちらの世界に戻ってきたのかは、テレビでは放送されなかった。その続きは、半年後に放送予定となり、番組はそのまま終わった。その後が気になったが、それ以上の情報をたかが田舎の中学生が調べようにも、調べる手段もなかった。なんせ、まだ時代は1980年代なのである。
親父は晩酌を終え、ご飯を食べ始めた。たいしたものは食卓に並んでいない。里芋の煮物、たくあん、焼き魚くらいである。それでも、なぜか毎日腹が減る。白ご飯と焼き魚で、何杯でもいける。結局、弟は1週間お手伝いするということで、プラモデルを買ってもらえることになったようである。それにしても、自分にとっては、晩御飯のことも、弟のプラモデルもどうでもよかった。ただ、Naomiのことが気になった。
そのテレビ番組を見た日の夜にまた変な夢を見た。自分は電車に乗っている。乗客はまばらにいるのだが、停車する駅で、一人また一人と降りて行った。そして、最後にはその車両には、自分一人だけになってしまった。そのうち電車は、トンネルに入った。おかしい、こんなところにトンネルなんか無いはずなのに、一体どういうことなんだ。しかも、結構長い時間、トンネルの中を電車は走っていた。座席の反対側にある窓には、自分の姿が映っていたが、自分の横にあの高校生くらいの女性が立っている姿が映し出されていた。でもその女性の実際の姿は見えない。彼女は車両の反対側の窓ガラスには映っているが、車両の中には自分以外の人はいないのである。そして、間もなくトンネルを出た。周りが一瞬にして明るくなり、それと同時にその女性も消えた。そして、今度は電車の中にいた自分が、あの再現ドラマに出ていた、反対側のホームにいた。そして、彼女が自分の横に立っていた。彼女は間違いなくNaomiだった。確かにその女性はNaomiである。そして、Naomiは夢のなかで、ゆっくりと自分に語りかけた。
Naomi「Kynoちゃん、この世の中には、完全な善人なんかいない。自分自身のことを善人と思っている人は、自分の中に潜んでいる「悪」を認識していないだけ。悪人は、自分の中の「悪」を認識している分だけ、善人よりマシなのかもしれない。」
Naomiが何を言っているのか、さっぱりわからなかった。善人、悪人、一体彼女は、何を言っているのだ。
Naomi「人は自分自身の中にある「悪」を自分自身では取り除けない以上、仏様にすがるしかない。他力本願というのは、そういうことなの。世の中には、自分の力だけではどうにもならないことがたくさんある。そんな時に自分なりのべストを尽くしたうえで、あとは天に任せるということも時には必要になると思う。そんな時、人は祈るんだよ。決して何もしないで、他人様に全て頼るということではないの。私のために祈って。」
彼女は一体何を言っているのだ。仏教?他力本願?確かに、Naomiの実家はお寺だし、自分の家は浄土真宗だけど、いわゆる仏教のことなんか、何も知らない名前だけの仏教徒である。祈る。そうか、祈ることはできるではないか。この世界が元に戻るように、祈ろうと思った。なぜか、この言葉を聞いた途端に、気持ちが楽になった。祈る。人は、いつの時代も祈ってきたではないか。
秋も深まった休日に、一人で近くの神社に行った。Naomiは夢の中で、仏様のことを言っていたが、なぜか祈るために神社に来てしまった。毎年、元日には家族で歩いて、神社に参拝するのが我が家の暗黙の決まり事になっている。祈ろうと思い立って、気がついたらこの神社に来ていた。ポケットには、数百円の小銭が入っていた。それを賽銭箱に入れ、鈴を鳴らして、Naomiが無事に戻ってこれるように祈った。この世界では、Naomiのことを思い出せるのは、自分しかいないのである。深く神様に祈った。そして、なぜか目から涙があふれてきた。周りには誰もおらず、深い森に囲まれた神社の中には、自分ひとりだけが存在していた。まるで、世界中から孤立したようなこの場所で、一人で泣いた。なんか、よくわからない。でも、なぜか心の底から寂しくて、悲しかった。世界はいったいどうなってしまったのだろうか。Kynoは自分の無力さを痛々しいほど感じた。自分は、誰も救えないのか。世界には、すごいことを成し遂げる人たちがたくさんいるのに、自分はなんてちっぽけな存在なんだと痛感した。
やっと気持ちが落ち着いたときに、ふとNaomiがそばにいると感じた。彼女は、すぐ近くにいる。近くにいるというよりも、同じ場所に自分と重なりあって存在している。ほとんど確信に近い感覚だった。そして、Naomiの名前を呼んでみた。彼女も、自分のことを呼んでいる。声は聞こえないが、確かに彼女は自分の名前を呼んでいる。どこにいるのだ。
一体、どのくらいNaomiの存在を感じていただろうか。時間の感覚がなくなっていた。ほんの数十秒だったような気もする。1時間以上だった気もする。そのうち、彼女の気配が消えた。まるで、さっきまで並走していた2本の電車が、それぞれの目的地に分岐して離れていくように、彼女の気配も消えた。でも、確かに祈りは通じたのかもしれない。ほんのかすかだが、彼女の存在を感じることができた。彼女は生きていると確信した。彼女を助け出せるのは、自分だけだと思った。そして、色あせていたこの世界の色がほんの少しだけ、元の色に近づいた気がした。
Kynoは久しぶりに、同じ町に一人で暮らしている祖母に会いに行くことにした。Kynoは祖母のことが好きだったが、祖母はKynoの母とはあまり上手くいっていなかった。時々、Kynoは祖母のことが心配で様子を見に行っていた。なんか、Naomiがいなくなった世界で、彼は少し寂しさを感じていたのかもしれない。
祖母「あら、どうしたの。ほら、上がんなさい。」
Kyno「ばあちゃん、久しぶり。どう、元気にしてた。」
祖母「元気よ。こないだも、町内会のハイキングに行ってきたばかり。やっぱり、足腰を鍛えておかないと、寝たきりにはなりたくないからね。」
Kynoは祖母から戦時中の話をよく聞かされていた。特に、祖母が生まれ育った福井県敦賀市で見かけた、大量のユダヤ人の避難民のことをよく覚えていた。
祖母「あの時、ひとりで逃げてきた同じくらいの年の男の子がいたの。ずっと気になっているんだけど、あの後どうなったかなって。」
Kyno「多分、アメリカとかに行ったんでしょ。日本にはいないと思うよ。」
祖母「あの時、和菓子をひとつだけ持っていたから、それをあの子にあげたのよ。あの時代、お菓子も貴重品でね。でも、あげずにはいられなかった。多分、まともなものも食べていなかったのよ。」
Kyno「ばあちゃんは優しいよな。俺のばあちゃんがそんな人で良かったよ。」
祖母「もう戦争はこりごりよ。私のおじさんも戦争で亡くなったし、いとこも何人か戦死したわ。こんな遠いところから、沖縄まで行って死んだのよ。遺体さえも今でも見つかっていないの。」
Kyno「今の平和な日本に生まれてよかったよ。」
祖母「あの逃げてきた少年も生きているといいけどね。」
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あいかわらず、毎日が学校と自宅の往復だった。驚いたことに、夏休みの間になくなっていた、校庭の西側にあった小さな木が元に戻っていた。一体、あれは何だったのだろうか。自分の祈りが影響したのか。よくわからなかった。授業も、どんどん受験対策のための話も多くなってきた。数か月前までさっぱり理解できなかった教科書の内容が、嘘のように簡単に思えてきた。スポンジが水を吸うように、頭の中にどんどんと知識が吸収されていった。勉強もやってみると案外楽しいと思えるようになってきた。そして、だんだんと知識に対して、知識欲というものがわいてきた。知れば知るほど、もっと先のことを知りたくなった。サッカーを引退するまでは、全く興味のなかった勉強だったが、今はもっといろんなことが知りたくなってきている。教科書の内容だけでは満足できず、学校の近くにある、市立図書館に通うようになっていた。勉強の合間に、いろいろな本を読んだ。特に、天文学、物理学、哲学に関する本をむさぼるように読んだ。どれも、最初読んだときは、さっぱりと内容がわからないことばかりだったが、何度も読み返すことによって、少しずつではあるが、理解できる部分が出てきた。それにしても、紀元前のギリシャで、プラトンの本に書かれているような、深い哲学の議論が展開されていたということが、彼には信じられなかった。本を書いたのは、プラトンであるが、彼の本のなかで議論を展開しているのは、彼の師匠である、ソクラテスである。その日も、図書館で借りてきた、プラトンの「国家」という本を読んでいた。彼には、少々難しかったが、ゆっくりと少しずつ理解できるように読み込んだ。読書に飽きてくると、教科書を広げて勉強を始めた。そうやって部屋で勉強をしていると、母親が部屋に入ってきた。
母「Kynoちゃん、あんまり根詰めて勉強ばかりしてると頭おかしくなるよ。ある日突然発狂するとかやめてよ。」
母の顔はかなり真剣だった。それだけ言い終えると、また下の居間に戻っていった。それにしても、えらい言い方である。正直ほっといてくれよって思った。以前は、父も母も自分は地元の高校を出て、その辺の地場の企業に就職するものと思っていたようである。ただ、このままの成績だと大学進学もありえるということであせっているようだった。父と母がある晩、自分を呼びつけて、今後の進路の話をしてきた。自分は、地元で一番難関の高校に行こうと思っていた。そこは、かなり進学率も高く、大学に進学を考えている市内の生徒は、ほぼ全員そこに進学していた。その中でも、特別進学クラスというのがあるらしい。父と母には、そこの特別進学クラスに行き、大学に進学したいと言った。もし、Naomiがある日突然戻ってきたら、驚かしてやりたかったのも動機のひとつだが、何と言っても、勉強の楽しさに目覚めたのかもしれない。父も母も、半分嬉しいような、ただ経済的にどうしようかという複雑な気持ちのようだった。
父「で、大学進学って、どこの大学に行くつもりなんだ。もう何を勉強するか決めているのか?」
Kyno「地元の県立大学に行くよ。家から通う。県立だから、学費も私立ほどじゃないだろうし。」
父「まあ、大学に行くのはいいけど、もし行ったら卒業はしてくれよ。」
母「そうね、それは最低条件よね。中退とかはやめて欲しい。ちゃんと頑張れる?」
Kyno「大丈夫だよ。あそこは、工学部もあるし、教育学部もあるから、就職もいいみたいだし。できれば、工学部に行きたいな。」
父「ま、そこまで考えているなら、頑張れよ。工学部なら、いろいろと就職先もあるだろうし。でも、権守家で大学に行くのは、お前が初めてだな。うちは代々、あまり教育熱心な家系じゃなかったからな。」
父はなんだか嬉しそうだった。父も母も高校さえも行っておらず、二人とも口には出さないが、学歴にはコンプレックスを持っていた。
母「そうね、うちの実家の家系でも初めてよ。近所でも大学行った子なんていないわよね。」
母も嬉しそうだった。父の顔にも、母の顔にも、もうひと頑張りするかという決意みたいなものが見て取れた。共働きで、必死にKynoと弟を育ててきてくれた両親だったが、大学を出て社会に出たら、いつか親孝行したいと思った。
結局、自分は特別進学クラスのある市内の高校に進学し、その後は県内の国立大学に行くということで、家族での意見がまとまった。なんか、去年までサッカーしかしていなかったぼんくらが、こんなことになるとは信じられなかった。
その後、受験までに何度か、あの神社にひとりで行って、お祈りをした。Naomiのこと、この世界のこと、そして受験のこと。その後、高校受験を無事に終えた。手ごたえは十分だった。自己採点でも、かなり高得点だったので、合格は確信することができた。Jayも同じ高校を受験したが、彼は放っておいても合格できるようなやつだった。そして、われわれはふたりとも晴れて合格となった。いよいよ、新しい高校生活が始まろうとしていた。




