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第31章 最終章

 夏休みが終わった。この世で一番憂鬱な日と言えば、日本中の小学生、中学生、高校生は、9月1日と答えるであろう。Kynoにとって、9月1日は一番嫌いな日だった。また、この憂鬱な日々が年末まで続くのである。夏休み後の登校初日の日は、かなり眠かったが学校にはとりあえず行った。久しぶりに、クラスメート全員の顔を見た。JayもNaomiもいつも通りの様子だった。Jayは休み前から全く変わらない様子だった。そして、Naomiはいつの間にか、同じ高校の同じクラスのクラスメートになっていた。なんか、Kynoには不思議な感じだったが、まるで何事もなかったかのように、クラスのみんなはNaomiに接していた。そう、まるで最初からNaomiはこのクラスにいたかのように。Naomiもまた、最初からこのクラスの一員だったかのように振舞っていた。そう、おそらくKyno以外の全員にとっては、Naomiは最初からこの高校の特別進学クラスの一員だったのである。


 Jay「いや、おまえも焼けたね。海でも行って、ナンパでもしていたのか。」


 Kyno「サッカーだよ。ずっとしごかれていたよ。今年の夏も暑かったな。」


 Jay「あいかわらず、サッカー漬けか。まあ、おれもずっとバスケやっていたけどな。少しは勉強もしたのか。」


 Kyno「まだ1年だしな、まあ2年になったら本気になりますよ。」


 Naomi「おはよう、ふたりで何話しているの。どうせ、朝からエロ話とかでしょ。」


 Kyno「そう、エロ話していた。お前もするか。」


 Jay「そうそう、俺らがエロ話以外話すことねえし。」


 Naomi「やっぱ、男子ってアホばっか。」


 Kyno「ええ、アホですけど、何か。で、休み中、何していた。男でもあさっていたか。」


 Naomi「お盆は忙しかったわよ。いろいろと家業のお手伝いとか、お葬式もあったしね。おまけに、東京からおじさん一家が里帰りしていて。いとこの子守してたよ。」


 Jay「おう、そっか大変だったな。でも、なんか元気そうじゃん。」


 Naomi「おうなんか急になに、なんか気味悪いのだけど。」


 NaomiもJayもあの出来事のことは何も記憶にないようだった。なぜか、Kynoは全ての出来事がまるで、セピア色の映画を見ていたかのように記憶に残っていた。でも、今は元の世界に戻ってきた。まるで、何事も起こったことがなかったかのように、普通の日常に戻ってきた。Kynoには、この普通の世界のありがたさが身にしみた。あの一連の出来事を経験したことは、まるでもうひとつの人生を過ごしてきたような感じだった。JayとNaomiはKynoの目の前で楽しそうに会話をしていた。Kynoはなんかすごくその普通の風景が愛おしく思えてきた。


 Naomi「なんか、Kynoちゃん黙っちゃってどうしたの。なんか、むっつりスケベみたいで気持ち悪いのだけど。」


 Jay「まあ、なんかエロいことでも妄想していたんだろ。いつものことだよ。」


 Naomi「やっぱり、エロいこと妄想するしか能がないのか、アホだねー、こいつ。」


 Kyno「ああ、うるせーな、おまえら言いたい放題だな。」


 そうこうしているうちに、担任の教師が教室に入ってきた。クラス内の生徒たちががやがや言いながら、自分の席についた。Kynoはやっと自分の本来の居場所に戻ってこれたことを実感した。そうだ、ここが自分の場所だと強く思った。なんか、長い1年だったような、あっという間の1年だったような、複雑な気持ちだった。果たして、自分が過ごしたこの1年は、果たして本当に1年という時間だったのだろうか。あるいは、数年間という時間を過ごしたあとに、この時間軸に戻ってきたのかもしれない。それは、自分にはわからなかった。もはや、時間も空間も記憶も知覚さえも、絶対的なものは存在せず、今目にしている現実でさえ、本当の現実かどうか彼にはわからなかった。それでも、彼は強く思った。この世界で全力を尽くして、この人生を全うしようと思った。いろんなわからないことがたくさんあり、いろんな異なる世界があることもわかった。それでも、この世界が一番美しく、ここで生きていくことが一番幸せだと思えた。なんでもない普通の日常、友人たちと過ごす学校での時間、家族と一緒に過ごす家での時間。それらが、全て彼にとっては貴重な時間である。人生は長く生きることができても、せいぜい100年弱と考えると、時間があるようで無いことを実感できるような経験だった。俺たちはいつか死ぬ、いつか死ぬから、今のこのかけがえのない時間を後悔の無いように過ごしていかなければならない。何の目的もなく、何の成長もないような毎日ではなく、毎日ほんのわずかでも自分が成りたい自分になれるように過ごしていかなければならない。それは、勉強でもいいし、サッカーでもいいし、旅でもいいし、料理でもなんでもいい。死というものが存在していることで、人は自分の生をしっかりと見つめ、懸命に今を生きようと頑張ることができる。死というものが存在していることで、人は人を全力で愛することができる。そう、死というものの存在が、生というものを定義するのである。Kynoにとっては、この世界は無限の可能性に満ちた世界に見えた。いつか自分の人生を終えるときに、自分はやりきったという想いになれるよう生きていこうと思った。そう、この世界は彼自身の世界なのである。そして、彼は自分自身が単なるこの世に存在しているだけの生き方ではなく、何か自分の人生に意味を与えるような人生を送りたいと思った。生きていく上で、いろいろな限界や避けがたい難しい局面に直面するはずである。それでも、彼はそれらを経験することで、ひとつ上の段階へと成長していきたいと感じた。人はいつか死ぬ、でもこの世の生を受けて、この世で生きていける幸運をかみしめながら、彼は今後の人生を生き抜いていこうと思った。そう考えると、自分をこの世に誕生させてくれ、ここまで育ててくれた両親には感謝の気持ちしかなかった。普通の家庭、普通の生活、普通の家族だったが、そこには間違いのない愛情があり、心安らぐ温かさ、そして最後の心の拠り所があった。そして、NaomiとJayという素晴らしい友人たちに恵まれていることにも感謝した。


 この日本という美しい国に生まれ、この国に暮らしていることにも感謝した。春のみずみずしい朝露に濡れた青々とした若葉。桜の花が少し冷たい風に散りゆく、春先の通学路。梅雨時の夕立のあとに空に輝く七色の虹。真夏の真っ青な彼方の空に昇る白い積乱雲。秋の野山を彩る、紅葉の木々と冬の気配。そして、凛とした張り詰め澄んだ空気と、まぶしいくらいの真昼の雪景色。どの季節をとっても、心にしみる風景がそこにはあった。そして、いつもなぜかそこには何か目に見えない何らかの超越した存在を感じることができた。でも、もはや彼にはその超越した何者かを探そうという意図はなかった。もう十分すぎるほどに、その存在のことがわかっていた。


 火星の世界では、一時的に高まった地球勢力との緊張状態から解放された人々が喜びに包まれていた。一方の地球の人々も、火星との戦争が回避され、人々はようやく平常の生活に戻ることができた。それにしても、この和平をもたらしたあの3人の若者の姿は跡形もなく消え去っていた。本当に彼らは、250年前の日本から来たのだろうか。いろいろな説がささやかれたが、本当のことは誰にもわからなかった。そして、あの緊張状態が解除され、平和が訪れようとしていたまさにその瞬間から、上の存在からの声もぴたりと止んだ。火星自治政府と地球の各国との和平条約は、月面上の地球勢力庁舎内で結ばれた。その中には、各種エネルギー、天然資源、先端技術の平和利用、惑星間の指導者間、政府間、民間人間での交流促進、自由貿易の再開、惑星間シャトルの運用開始などが謳われた。また、各国から拠出された金に基づいた、共同基軸通貨の発行が宣言された。この通貨は、金本位制を採用することより、貨幣価値の裏付けがなされているため、貨幣の無計画な発行が出来なくなったのと同時に、インフレを制御する効果が期待された。そして最後に、とうとう地球の6大勢力の各国は、火星の独立を認めたのである。これで火星は正真正銘の独立国家になったのである。


 他にも、太陽系外からの脅威に対抗するために、地球-火星の軍事同盟が結ばれた。この調印時には、まだ脅威は顕在化されてはいなかったが、すでに数百年以上前より、未確認飛行物体が太陽系各所で確認されていた。彼らが、どこからやってきて、何を目的に太陽系に来ているのかは、未だにはっきりしていなかった。ただ、各国政府はそれぞれ、いろいろな機密情報を持っているようで、それらをお互いに情報共有することで合意した。3年後を目途に、安全保障上問題のない範囲での情報開示がなされるとのことだった。また今後は、その他の惑星、衛星の探査、拠点作り、開発事業などについても共同事業とすることで合意が得られた。今後の地球勢力側と火星政府側のいわゆる勢力圏の確定についても、今後継続して協議するということになった。いわゆる国境線の考え方であるが、惑星間の場合、空間のなかに面として国境面を確定する必要があるため、かなり難しい作業になりそうだった。したがって、本件については、今後5年程度を目途に両政府間での調査を実施のうえ、あらためて協議することとなった。火星政府は、それらの条約案を持ち帰り、火星議会にて審議し賛成多数で批准することに成功した。これで、地球勢力との外交上の懸案事項は全てクリアになった。能力者たちは、今後のその他惑星、衛星探査事業に参画することとなった。Cheng兄弟もその中に含まれていた。太陽系世界では、また新たな歴史の1ページが加わることになった。


 それにしても、不思議な出来事だった。一瞬にして、自分達が存在していた世界から、別の世界に乗り移ったという感じだった。Cheng兄弟も、中南海の会議室から外に出ようとしたところで、一瞬で火星のいつものオフィスに戻されていたのである。しかも、あの世界での記憶はそのまま残っていたのである。確か、中国とロシアの反政府勢力が実権を掌握し、彼らの中に上手く入り込んで諜報活動を行い、日本のCalyxというエージェントと協力して首謀者の排除を行った。その時に、過去から来たという日本人の若者3人と、もうひとり得体のしれない女性が加わって、作戦は成功したはずである。だが、その作戦が成功したことにより、中国とロシアでの革命がなかったことになっている世界に移動したようだった。それでも、その世界での記憶が残っているというのは不思議な感覚だった。


 Lun「いや、長かった。でも、これで無意味な戦争をしなくても済む。」


 Xin「やっぱり、表現の自由と民主主義がしっかりと機能していれば、世界の不正がいつか暴かれ、そして世界の歪を修正することができる。身に染みて思い知ったよ。あの前政権はの軍部の介入がなかったらと思うと、寒気がするよ。」


 Ren「それにしても、あの250年前の日本から来た、あの3人はいったいどこに消えたのだろう。あの戦争開始の瀬戸際まで、一緒にいたのに、いつの間にか・・・。あとあのMariaって女性はどこから来て、どこに去ったのだろうか。」


 Lun「いや、わからないが、なんか彼らは元の世界に戻っていったような気がする。彼らは彼らが本来居るべき場所に戻ったのだよ。彼らが、幸せになってくれることを祈るよ。」


 Xin「そうだな、俺も彼らは無事に戻ったと思う。250年前の世界か、なんか想像できないな。しかも、火星生まれの俺たちにとって、地球にある日本という国だもん。まあ、全くの別世界なのだろう。でも、彼らを見ていると、昔の日本は悪くない世界なのだろうなって思える。」


 Ren「あのCalyxって女の子も、結構変わり者だったな。元気にしているのかな。」


 Xin「そのうち、火星にも招待しようぜ。」


 Evie「なんか、いろいろと大変だったみたいね。日本はどうだった。」


 Lun「Evie元気そうだね。日本はね、食事が美味しかったよ。君もそのうち行ってみるといい。そうだ、シャトルの定期便が出るようになるから、それに乗るといいよ。」


 Evie「でも、最短でも30日はかかるって聞いたわ。エコノミークラスで30日はしんどいわよ。」


 Xin「確かに、エコノミークラスで30日はしんどいよな。せめてビジネスクラスじゃないと。」


 Evie「また誰か研究助手を探さないと、Naomiはああ見えて結構優秀だったからね。あの地下に埋まっているピラミッドをもう少し調査してみたのよ。」


 Calyxも東京のクリスタル内にある自分のオフィスに一瞬にして戻された。あの彼らとの日々は、とても不思議な思い出だった。あれは、本当に現実だったのだろうか。あの、一緒に食事をしたり、一緒に会議室で話をしたり、なんかたくさんの出来事がほんのわずかな時間に圧縮されて、どかんと投げられたような感覚だった。あれは、時間のかたまりだったのだ。そう、圧縮された時間のかたまりの中を、一瞬にして通り過ぎたような感じだった。でも、彼女は今でも彼ら3人の存在を感じることができる。Mariaも無事に、上の存在のところに戻ったようだった。でも、なんか心のど真ん中に、大きな穴が空いたような喪失感があった。あれはあれで大変だったけど、自分は結構楽しんでいたのかもしれないと思えてきた。250年前の日本か、悪くないねと思えてきた。


 Calyxは久しぶりの休日に上野にある美術館に行ってみた。昔の日本の画家たちの洋画の展覧会だった。どの絵も素晴らしく、世界的に有名な日本人画家の作品も数多く展示されていた。そこで、1枚の絵画を見て笑いそうになってしまった。その絵には、美しい川を背景に、3人の高校生らしき男女が描かれていた。左から、Kyno、Naomi、そしてJayだった。彼らの後ろには、太陽の光を受けて光る大きな白い岩も描かれていた。


 Calyx「またこんな所で再会するなんてね。君たち、元気そうね。」


 その絵はおそらく真夏の景色のようだった。3人とも、Tシャツに短パンのいでたちで、鼻の先が少し日焼けしているようだった。そして、3人とも素晴らしい笑顔で描かれていた。その絵画の右下には、作者のサインと、1984/08の文字が見えた。


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 MiloはようやくNaomiが1984年の日本にある元の世界に収束したことを知った。彼らはいくつもの世界に同時に平行して存在していたのだが、あの出来事でようやく一つの体に収束したのである。Miloの世界に迷い込んでいたNaomiも、あの瞬間から彼の世界から消えてしまい、彼女の世界の彼女に収束した。誰も気が付いていなかったが、彼にはわかっていた。その仮想世界Bは彼の世界なのである。


 Maria「ただいま、戻りました。」


 Milo「いろいろと大変だったね。どちらの世界でも。よく頑張ってくれた。」


 Maria「私もやっと自分の世界に戻ることができました。でも、仕事は半分だけ成功というところです。」


 Milo「仕方ない。パッチが上手くいかないことも、よくある話だ。でも、火星での出来事はなんとか上手くいったではないか。」


 Maria「ええ、そうですね。ありがとうございます。疲れました。あれから、上の存在からは何かありましたか。」


 Milo「いや、何もない。おそらく、もうあの声を聞くこともないだろう。仕事は終わったのだ。」


 Maria「そうですね。終わりました。なんか彼らともう会えないのですね。」


 Milo「もう君のことは忘れているよ。」


 Maria「そうですね。なんか、少し寂しい気がします。」


 しばらく間があいたあと、彼女は静かに言った。


 Maria「それでは、私はこれで失礼します。」


 Milo「ああ、よくやった。ご苦労様。」


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 1940年の世界では残念ながら、Kyno、Naomi、Jay、Mariaの4人は使命を果たすことが出来ず、処刑されてしまった。誰も彼らの死については何も記録を残してはいなかった。すでに彼らは戦争で家族を全員失っており、またNoahもすでに亡くってしまったことから、彼らのことを記憶している者は、もはやこの世には誰も存在していなかった。そんな彼らと同じような運命をたどった者たちは、他にも大勢いた。


 その後の欧州では、ナチスによるユダヤ人の強制連行が強行された。夏は猛烈な暑さ、冬は身を裂くような寒さの中、飢えと強制労働によって大勢の無実の人々が命を落とした。強制収容所に収容されていたあるユダヤ人のひとりは、その厳しい収容所生活を生き抜き、戦後にその体験談を一冊の本にまとめた。そこには、Kynoが彼に言った言葉が記録されていた。そう、「希望を持ち続ける限り、人はなんとか生きていくことができる。」という言葉だ。生存者の何人かは、飢え、寒さ、強制労働のなか、最後までなんとか生き抜くことができた。ただ、残念ながらその他の多くの人々がその環境に耐えられず、絶望して亡くなっていった。そこで生死を分けたのは、「希望」を最後まで持ち続けていられたかであった。いくら屈強で強靭な肉体の持ち主でも、いくら若くて生命力に溢れる者でも、希望を失った者から倒れていった。彼が収容されていた強制収容所は、日系アメリカ人部隊によって発見され、ようやく彼らは解放された。


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 Regnosは、この瞬間も80兆もの並行仮想世界の時間軸を進めている。複雑にからまりあったいくつかの世界をなんとか分離し、仮想世界の中にて発生していた好ましからざる出来事のうち、ひとつは無事に修正に成功した。だが残念ながら、もうひとつのバグは修正することができなかった。暗黒の無の世界で、その仮想世界は今日も淡々と時間軸にそって進化の歴史を進んでいく。それがいつまで続くのか誰にもわからない。ただ、ひたすら広い虚無の空間のなかに、世界は存在し、そしていつかは消え去るのだろう。この空間が猛烈な速度で膨張を続けているが、それがいつかは収縮に反転し、そしていつかは全ての空間、時間、物質、記憶、そして光と熱が、無限大の質量を持つ1点に収縮されるだろう。その後は、どうなるのであろうか。また、どこかで均衡が崩れ、その1点が信じられないほど短時間で、信じられないほど大きな空間に膨張するのだろうか。それらの仕組みは、誰が何のために作り上げたのだろうか。いや、それももはや無数にある並行仮想世界のひとつに過ぎないのかもしれない。そう考えると、その並行仮想世界を作り上げている、その意思というものは、どの世界に存在しているのだろうか。その並行仮想世界を作り上げている、その意思が存在している世界も、またさらに上の次元に存在する意思によって作り上げられた、並行仮想世界かもしれない。並行仮想世界は、何重にも重なった次元によって、それこそ無数に作り上げられているのかもしれない。その大元に存在する、最高次元の意思とは誰なのだろうか。それは、人類が長い歴史でその存在を遠くに感じていた、神というものなのだろうか。人はその圧倒的な存在を感じとり、そしてそれを恐れた。そして、その存在を説明するために、宗教という物語を作り上げた。神が人を作ったと人々は言う。だが、本当は人々が神というものを作ったのだ。なぜか。なぜなら、そこには人類の知識では説明できないことがあまりにも多くあるからである。そして、それは現在も、250年後の世界でも同じことである。そう、人はこの世界を完全に理解できるその日まで、神という存在から自由にはなれないであろう。そして、それは特別に否定することでもないと思う。


 Regnosは、今のこの瞬間も80兆もの並行仮想世界の時間軸を進めている。それはまるで、高い山から転がり落ちる大きな岩を、何度も何度も山の頂上に押し上げている、あのコリントス王のシューシュポスのようである。そう、あのまさに岩と一体化しそうなほど何度も何度も岩を押し上げている、神々を欺いたあの男である。Regnosもまた、不条理な世界を生きている神話の中の主人公のように、ただただ並行仮想世界を見続けている。

 

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 暗くて広い空疎な空間のなかに、ポツンとむき出しになった人間の脳のようなものが浮かんでいる。そして、その脳にはいろいろな細い電極が接続されており、その電極から発生した微量な電流を周囲の測定装置によって計測している。それらの電気信号を変換すると、その脳の中にて現在進行中で起きている様々な出来事がモニターに映し出され、それらは逐一記憶媒体に格納されていく。おそらく、この脳は、自分が物理的な肉体を持ち、周囲の物理的に存在している人たちと言葉でコミュニケーションし、家族と美味しい夕食を共にしていると知覚しているはずである。そして、その様子は付近に設置された、モニターに映し出されている。今見ているモニターには、ある日本人の少年が、仲間たちと惑星間戦争を止めようと奮闘している様子と、昔の欧州で戦争を止めようと奮闘している姿が交互に映っている。とはいえ、それらは所詮、その中空に浮かんだ脳のなかで紡ぎだされているひとつの物語に過ぎない。そして、その少年たちも、ある宇宙空間に浮かぶ、ある意思によって作り出された仮想並行世界のうちのひとつである。だが、全てはその脳のなかで起きている空想の出来事である。その脳自体は、特に物理的に移動するとか、声を発するとか、何かを食べるとかいうことは出来ない。ただ、細い透明の管がその脳に接続されていて、その管から液体の栄養源をコンスタントに供給しているようである。


 その空疎な空間の近くには、巨大なコンテナのような建物が浮いており、その前面は大きなガラス張りになっていて、その建物の外に浮いている人間の脳のような物体を観察できるようになっていた。その建屋の中には、研究者らしい人たちが複数人いて、その脳の状態をモニターしているようだった。脳に接続された細い電線はその建屋内の様々な測定装置に接続されており、細い透明の管もその建屋内にある装置に接続されていた。一体、誰の脳なのだろうか。建物外部の暗黒の空間には、いくつもの脳が浮いて存在しており、それは遥か向こうまで並んでいた。この無数に浮かぶ脳に接続されている電線がからまずに存在していることが不思議である。そして、現在モニターにその脳内の映像が写し出されている脳には、Kynoという個人名がつけられていた。それぞれの脳には、まるでそこに存在している人物がいるかのように、普通に人の名前がついていた。それらの脳が、その名前の人物から取り出された脳なのか、それともそもそも最初から脳だけの存在だった物に、具体的な人物名をつけているのか、どちらなのかはわからない。いずれにせよ、脳内で起きた様々な出来事を記録しているには間違いないが、それが何を目的にしているのかわからない。その暗闇に浮かぶ脳の世界は、なんのために存在しているのかわからない。建物内の研究者らしき人たちが一体誰なのかもわからない。ただ、そこでは延々とその活動が進められていた。そして彼ら研究者は、いつか並行仮想世界を自分達で作り上げられると考えているようだった。

 



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